第6話 伊太郎の光源氏計画

 話す前は意外に深刻な顔をしていたが、一気に喋ったせいなのか、どこかせいせいとした顔をしている。

「というわけだ。オミヤゲに、少しもらって帰ってもいいか?」

「それはいいけど……」

「伊太郎にも食べさせたいんだ♪」

「それはダメ!」

 京旗はキッパリ言っていた。自分の言葉の強さに自分でハッとする。

「なんでだ?」

 あきれるほど純粋で澄んだ目が、キョトンと京旗を見上げていた。

「あっあー……。――い、いいっすよ、別に」

「一色も来よう、うちでお茶しよう♪」

「うわっ、ちょ、ちょっと待て!!」

 などと言っている間に、さすがに同じマンション内である、あゆに引きずられ、京旗はなんの因果か、そんな形で彼女の家へ初訪問することになってしまった。

――オレ、そろそろ日本大使館かフランス大使館に急いで行きたいんスけど!

 どうもこうやってマイペースな人間にひきずりまわされることが、頻繁に起こってる気がするんだが……



「ただいま~、いたろー! いたろー! 一色が来客だぞ~」

 おー、と起き抜けのあくびのような声がして、作務衣姿の伊太郎が、ばりばりと頭をかきながら、出てきた。

――つーか、すっげーリラックスしてるっつーか、自分の家そのもの? 親公認の居候すかッ?!

 アゴが外れそうな顔の京旗と、あゆの元気な顔を見て、伊太郎が、ふーん、と意味ありげな顔で京旗を見下ろす。

「ま、来いや、京旗。緑茶でも入れてくれ、あゆ」

「あいよ~」

「それと。人前ではシェフと呼ばねぇか、シェフと」

「オッケーダコー(はい、了承)、シェフ~」

 言いながら、あゆは台所へ消えていく。

 来いやと言われた以上、仕方がない。リビングについていき、ワール国の新聞を広げて読んでいたらしいテーブルに、オヤジ臭いなあ、と思いつつ着席すると、伊太郎は、フランス語の新聞に目を向けつつ、唐突に、

「あに固くなってんだ?」

「い、い、いや、あの、そのっ、せっかくのお時間を過ごしてるお二人の間に、ボクたいへん野暮だったんじゃないかなーと思いまして……」

「野暮なわけあるか。ただの兄と妹だ」

「あにぃ?!」

「あれッ? コイツいったい何だと思ってたのッ?!」

 伊太郎が、わざと頓狂に言って、大げさに目を剥いて驚いて見せる。

「だだだって、『カノジョがいじける』って……!!」

「おんやぁ? 京旗クン、彼女って、ただの三人称単数だよぉ?」

 ニヤニヤ、と伊太郎は頑丈な歯を剥いて笑っている。

――こんの、クソオヤジッ!!

 填められた、と気付き、怒りがこみ上げてくる京旗。

 あゆと別にデキてたとかいうわけじゃなかったと分かってホッとすると同時に、

――くっそー、あゆの兄貴なら兄貴と最初からそう言えッ!! 

 だいたいあゆと兄弟ならそのうちオレの兄弟にもなる仲――って、えぇ?!

「ま、兄だったのは数年だったんだが。今も、成悟さんがダメジャンにいない間、身元預かり人を引き受けてる。竹邑家のマンションは、本当はジェセダだ」

「……えーと、えーとあのー?」

 つまりどういう関係だー!と、目を空いたままぐるぐる頭をまわしている京旗。

「おう、なつかしい菓子だな」

 弱冠二○歳のくせに貫禄のありすぎるようなシェフは、京旗のフィナンシェを取ると、じいっと見、カッとかじり、目を閉じて、ゆっくりとはみ、味わった。

「うむ。うまい」

 そして、しみじみと、窓の外を遠く眺めた。

「じーさまを、思い出すなぁ……」

 京旗はだらだらと汗をかいている。

「あの~、伊太郎さん、やっぱ、あゆサンのおじいさん、ご存じなんすね?」

「じーさまの話、聞いたのか。ヤツに最初に包丁さばきを仕込んだ魚屋な。その屋号、カツシカってんだよ。オレの母方のじーさまだ」

「えーっとー…………。あゆサンのお父さんの別れた奥さんのお父さんイコール魚屋のカツシカのおじいさんで、その魚屋のおじいさんの実の娘が伊太郎サンの母、と、いうことは……?」

「竹邑成悟さんの連れ子だったのがあゆ、勝鹿ってぇ女っかたの連れ子だったのがオレ」

 伊太郎は片目をつむって見せた。

――のわぁぁぁぁぁッ?

「成悟さんも変わった人だったしな。じーさまは成悟さんもあゆも気に入ってたんだが……ま、その、なんだ、いろいろあってな。ルネイ島から帰国して数年で、結局、うちんとことは離縁した。――別れて七年、流れ流れてこんな海の最果てのお国で再会するとは、お互い夢にも思わなんだが」

「それで、だから、あゆサンを公邸の調理補助に入れたんすか?」

「腕を知ってたからな。実際、ヤツの腕は、埋もれさせとくにゃもったいねぇよ。俺も世間に出てみて初めて気が付いたんだが、あれほどの手とセンスを持ったやつぁ、プロの料理人にも滅多にいねぇ。だからな――」

 台所で、お茶っ葉でも探しているらしく、ガッタン、バッタンとやっているあゆに、聞こえないように声をひそめると、

「今から仕込んで、将来俺が店を持つときに、調理場に入ってもらおうって腹だ。実は」

「…………!!」

 京旗には伊太郎が理解できた。パティシエにとっても、いつか独立して店を持つのは大目標だ。だが……?!

「おっと、まだずっと先の話だぜ? 免許とらせるにしても、調理師学校行かせるにしても、日本て国じゃ、中学も卒業してねぇんじゃ、話になんねぇんでな」

「あ……!!」

 日本国内の中学じゃ、どうせ戻ってもなじめなかろうし、奇跡的に水が合ったらしいこの国の日本人学校で、卒業証書をとらせてしまいたいというのが、勝鹿伊太郎の思い描く青図だった。

「昔、平安時代にそれはそれは偉いお武家サマがいてな。紫の上って女を幼女の頃から囲って自分の思い通りに育てて、理想の嫁としたってよ。光源氏計画――ってな?」

 ニヤリと笑う伊太郎だが。

「はははははは……」

――光源氏はお武家だったか?! ていうかだいたい、アイツが『紫の上』ってガラかぁぁぁあ!!

 京旗はこの瞬間、光源氏というより星一徹になりたかった。ぐわっしゃん、とコーヒーテーブルごとその場をひっくり返せたらどんなに心楽しいか。

 あゆがやっと、お茶を持ってきた。カップを置きながら、

「日本茶の缶が見つからなかったぞ? レモングラス・ティーにした」

「あー、わりいわりい、切らしてたんだわ。こんどお前んちから持ってきてくれ」

 京旗は横目でジトリと伊太郎を見た。内緒の話をする時間かせぎに、お茶を缶ごと隠すくらい平気でやるだろう、策士を。

「そうだ、京旗よ」

 また思い出したように、策士は言った。

「電話貸してやる。そろそろ大使館に連絡入れてやれ。日本人会総出で、血眼になって、てめぇを探してんぞ」

――知ってたのかよッ!!

「え? 一色、探されてたのか? なんで?」

 伊太郎に、あゆが聞く。

「さー? 学校無断欠席したからでねーの?」

「あ、そーか、ぽん」

 伊太郎がごまかしてくれたのはありがたいが、

――そーか、ぽん、てそれだけかぁッ!?

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