七十六 ひみつのペット

 ここだけの話、押入れの中で化け物を飼っている。

一週間前、おじさんが隣町の山奥から拾ってきたのだ。ネズミくらいの大きさで、ふわふわと白い毛に包まれたそれは、額についたまん丸な三つの目がとても可愛らしかった。おじさんは三日前に原因不明の事故で死んでしまったので、ぼくはこっそり、その化け物をお腹のポケットに入れて持ち帰った。そう言う訳でおじさんの家の天井裏の段ボールにいたソイツは、今ぼくの家の押入れの中にいる。


 ネットで検索しても図鑑で調べても、目が三つ、尻尾が二つ、おまけに餌は割れたガラスの破片や溶けた蝋、なんて生き物は何処を探しても見つからなかった。ぼくはそいつに『ましろ』と名付けた。真っ白だから『ましろ』。『しろた』も良かったが、後でメスだと分かったらちょっと可哀想だと思ったのだ。


 おじさんが死んで以来、ましろはすくすくと成長し、とても食欲旺盛だった。おかげでぼくは夜な夜なガラスの調達に忙しくなり、何回かこっそり教室の窓も割った。怪我しないように、ピンセットでガラスの破片をつまんで差し出すと、ましろはものすごい速さで飛んできてそれに喰らい付いた。普段のましろは、部屋の隅にじっとして少しも動かないのだ。それが餌の時だけ、体の半分はあろうかと言う口を開けて、バリバリとガラスを噛み砕くのだ。ぼくはおっかなびっくり、だけどちょっとワクワクした気持ちでそれを眺めていた。だってそうでしょう? みんなも化け物を拾ったら、飼うでしょ?


 もちろんましろの事はお父さんお母さんには内緒だ。もっともお父さんは単身赴任で、今は遠く離れた場所に住んでいるから、きっと大丈夫。問題は、お母さんだった。


 どうも最近お母さんはぼくを疑っている。……気がする。しょっちゅうぼくの部屋を見に来るし、おじさんが死んで以来、何かと理由をつけてぼくを外に出すまいと、部屋に閉じ込めようとする。

「最近はどこも物騒なんだから、危ない場所に行っちゃダメよ」

 それがお母さんの口グセだった。ぼくと顔を合わせる度にそう言っていた。学校の授業で、お母さんについて発表する作文とかがあったら、きっとぼくはその口グセをタイトルにするだろう。そう言う訳でぼくは、なんとかお母さんの目を盗んで、ましろのご飯を集めなくちゃいけなかった。


 それから数週間後。

ちゃんとお世話しただけあって、ましろは元気に育った。大きさも、今では押入れの中に入りきれなくなってしまった。ふわふわだった毛はごっそり抜け落ち、後には干からびた地面のような皮膚が残った。二本の尻尾はさらに先端が二手に別れ、それぞれ蛇の頭と、蜂の針みたいになった。二本足は四本足になり、いつの間にか三本足になっていた。三つ目のうちどれか一つはいつもジュクジュクに血走っていて、常に真っ赤な涙を流していた。


 一番困ったのは体臭だ。

ましろは卵が腐ったような匂いがするようになり、とてもぼくの部屋の中では飼えなくなってしまった。幸いましろはその頃から天井裏の一番暗い場所を気に入り、また夜な夜なこっそり街へ出かけていたようだから、まだ耐えられた。だけど時々、ましろよりももっと酷い匂いがする獲物を咥えて帰ってきて、ぼくが夜ベッドに入っていると、天井裏からゴリゴリゴリゴリ骨を噛み砕く音が聞こえてきたりして、その度にぼくをげんなりさせた。


 それに、ましろが出歩くようになってから、街はより物騒になったみたいで、お母さんはさらに神経質になって行った。


 そんなある日のことだ。

ましろがとうとう、軽くオートバイくらいの大きさになり、頭がきゅうりみたいに長くなった頃、事件は起きた。


 その晩もましろは『狩り』を愉しみ、獲物を口に咥えてぼくの部屋に帰ってきた。いつもならぼくは寝ている時間帯だったけれど、その前の日に熱が出てしまい、学校を休んでいた。昼間から寝ていたせいか、妙な時間に目が冴えていたのだ。


 ましろの姿を見た瞬間、ぼくは悲鳴を上げていた。

ましろが咥えていたのは、人間の腕だったのだ。千切れた、血まみれの、男の人の腕……。

「うわあああああっ!?」

 ツン。と鼻の奥で鉄の匂いがした。血を滴らせ、ずず……っと這い寄ってきたましろに、ぼくは思わず尻餅をついた。ましろが人間を襲っていただなんて。知らなかった……いや、本音を言うと、心の隅っこでそうじゃないかと思ってはいた。だけど怖くって、それを確認したら全てが壊れてしまいそうで、ぼくはずっと見て見ぬふりを続けていたのだった。ましろに限って、そんなことはない。あんなに可愛かった、良い子が、まさかそんな……。


「お、母さぁっあんっ!」


 視界がぐにゃりと歪み、ましろの姿がぼんやりと滲む。気がつくとぼくは、泣いていた。大声でお母さんを呼びながら、腰が抜けたまま這うようにして廊下へ飛び出した。部屋の中で、ましろが腕を咥えたまま、不思議そうに首を傾げていた。慌てて扉を閉めるのと、ましろがビュンッ!! とこっちへ飛んでくるのと、ほぼ同時だった。タッチの差で、ましろが派手な音を立て閉じた扉にぶつかった。その衝撃で、ぼくはもう一度尻餅をついた。


「お、おか、お母さぁんっ!!」


 ぼくは半狂乱になりながら、階段を転がるように落ちて行った。足首を捻った。だけど痛い、なんて言っていられない。ずず、ずず……っと、ましろは扉を開け、ぼくの後をゆっくりとついてきた。振り返ると、暗闇の中で、ましろの真っ赤な目が宙に浮かぶように光っていた。歯を食いしばりながら、ぼくはお母さんの部屋に駆け込んだ。


「お母さん!!」


 お母さんは、寝ていたのだろう、びっくりしたような顔のまま布団から飛び起き、ぼくと、それから扉の前から顔をのぞかせたましろを交互に見た。それからお母さんは、

! アンタ、この人間の坊やちゃんと飼うって約束したじゃない!」

 お母さんは、三つ目をぎょろりと輝かせ、指先についた溶けた蝋をベロベロと舐め取りながら、ぼくが見たこともないような顔で叫んだ。ましろがしゅんとしてうなだれた。


「だから最近は物騒だって言ってるでしょ! 逃しちゃダメですよ、この人間の仔は大きく美味しく育ててから、私たちが食べるんですからね!!」

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