三十 しないよね?

 流れぶった切ってスマン。

 あんまり怖くはないかもしれないけど、少し不思議な話。どこに吐き出したらいいか分からんから、ここに投稿する。


 同僚にさ、もう五歳になる息子がいる奴がいてさ。仮に、同僚の名前をSとしとくわ。

 Sは結婚してからは顔を合わせる度に、やれ嫁さんの料理はどうだとか、息子がとうとう「きなこもち」って喋れるようになっただとか、そんな話ばっかりしててさ。そりゃああぁもう、ハイハイ毎日幸せご馳走様って感じだった訳よ。  


 だけど今週に入ってからかな。

 Sの様子が、どうもおかしくなったんだ。


 いつも明るくて、(大して面白くもない)冗談を平気で飛ばす奴だったのにさ。出勤すると、誰にも目を合わせずに、下向いたまま独り言みたいに「おはようございます……」って挨拶して。そのまま自分の席に座って、俯いたままダンマリ決め込んでんの。いつもあんなに幸せオーラ満開だったSがだよ。そんなの、何かあったに決まってんじゃん。俺は心配になって、昼休みSを捕まえて、一緒に飯食いながらそれとなく話聞いてみたんだよ。一体お前、どうしたんだ? って。


 そしたらSがさ、目の下にクマ作って、どんよりした顔で。

 ボソッと、「もう一人いるんだ……」って。


 当然、意味分かんないじゃん。

 詳しく聞いてみたら、こう言うことらしい。


 一週間前、五歳になる息子ちゃんに、Sが喋るぬいぐるみをプレゼントしたんだと。良くあるじゃん、◯ァービーとかそんな感じよ。Sがプレゼントしたのは、くまのぬいぐるみだったらしいけどな。それで息子ちゃんも大喜びだったらしくて、早速ソファの片隅で、喋るくまのぬいぐるみと遊んでたんだって。


 Sが違和感に気づいたのは、その時だったって。

 息子ちゃんは、くまのぬいぐるみに「ポーさん」って名前つけてさ。「ポーさん、ポーさん」って呼びながら楽しくぬいぐるみをお医者さんに見立てたごっこ遊びしてたんだと。

 

「しばらくは笑いながら横でそれを眺めてたんだけど、いつの間にか、息子ちゃんの口から変な言葉が出るのに気がついて……」


 ”ピーちゃん”

 Sは確か、そんな風に言った。息子ちゃんと、「ポーさん」の他に、Sの目には「ピーちゃん」がごっこ遊びに加わってるらしいんだよ。見えない空間に、息子ちゃんが話しかけてるんだって。Sの目には、それが異様なことに映ったらしい。


 だけど俺は、そんなことで悩んでるんだって正直拍子抜けだったな。だって子供の頃のごっこ遊びなんて、そんなもんじゃないか? そこら辺にある石とか、木の枝とかを人に見立てたりさ。Sの息子ちゃんも、Sから見たら只の空間に見える場所だけど、テーブルの足とかに”ピーちゃん”って名前つけて遊んでただけなんじゃないかって俺は思ったんだ。それに、子供って大人には見えない不思議なモンが見えるって言うだろ? だから、そんなに怖がることじゃないって思ったね。

 だけどSは、そのせいでもう三日三晩碌に眠れなくなってるんだって。まあ、溺愛する息子ちゃんが見えないモンとおしゃべりしてたら、ノイローゼにもなるか。気持ちは分からんでもない。それで、Sがどうしてもって言うから、俺はその晩仕事終わりにSの家に行くことになった。


 Sとは入社した時から一緒に飲みに行く仲だったし、Sの奥さんのこともよく知ってた。俺はまだ独身だったから、軽い気持ちで「いいよ」って言っちゃったんだよね。

 

 今思えば、それが間違いだった。

 

 Sの家は、都心から離れたところにあった。高そうなマンションを十二階までエレベーターで登って、俺とSは二人で彼の住む一角へと向かってた。その間も、Sは暗い顔しててさ。一切喋ろうとしなかった。普段なら面白くもないギャグの一つもかまして来るような男が、だよ? これはもう、かなり重症だと思ったね。だけどその時点では、俺も笑い話で済むと思ってたんだよなあ。


 ここでキチンと言っとくけど、もちろん俺に霊感なんてないし、普段は超ビビリだから心霊スポットとかも一切近づかない。怖い話はネットとかでタマに読むけどな。(もしかしたら俺が気づいてないだけかも知れないけど)今まで心霊体験なんて一度もあったことないし、あったとしても疲れて幻覚でも見たんだろう、で済むレベルの話だ。


 だからSの部屋を覗き込んだ時、俺は疲れて幻覚でも見てるのかな? って一瞬思ったくらいだ。

 彼の家の中は、真っ暗だった。

 普通なら、奥さんが出迎えてくれそうなモンじゃん。だけど、中には誰もいる気配がなかったんだ。そこで俺はまず「おや?」と思った。子供連れてお出かけ中なのかな、って思った。


 そしたらさ。Sはなんでもない様子で、ため息つきながら靴を脱いで、「ただいま……」って。電気もつけずに、部屋の中に入って行ったんだよね。


 おいおい、電気くらいつけろよ。

 普通はそう思うじゃん。だけど俺は何だか妙な寒気がして、声をかけるのをためらった。Sはさ、その間もどんどん一人で暗い廊下の奥を進んで行って……ブツブツと独り言を呟いてた。


「ああ今日もくたびれた。ああ、ありがと、同僚が来てるから、飯にするよ」

とか。

「元気にしてたか、坊主。学校はどうだ?」

とか。

「お、いい匂いだな。今日はパエリアか?」

 ……てな具合にさ。俺はその間、ずっと玄関に立ち尽くしてた。そんで、しゃべり続けるSの背中を、呆然と眺めてた。

 だって俺には、暗闇の中にS以外は誰の姿も見えてなかったからね。

 奥さんの姿も、子供の声も俺には見えないし聞こえない。だけどSは、まるでそこに人がいるみたいに一人で会話を続けている。もちろんパエリアの匂いなんてどこにもしない。


 見えない不思議なモンと喋ってたのは、Sの方だったんだ。


 Sは俺を玄関に置いて、見えない誰かに出迎えられながらドアの向こうに消えて行った。俺はその時点で足が竦んでたんだけど、「もしかしたら見えてないだけで、暗闇の向こうに家族がいるのかな?」って思った。今思えば、そうあってくれって願望でしかなかったけど。まあだから、俺はそろりと靴を脱いで、恐る恐るリビングまで足を運んだんだよね。もちろん、廊下の壁際にあった電気はバッチリつけた。そしたら、パッと、ドアの向こうの部屋の中が明るくなって。半透明な、ガラスの向こうに人影が確かに三つ見えたんだ。俺はホッとしてドアを開いた。


 その時のSの顔は、忘れられないな。

 あんなに幸せそうなSの顔、会社でも見たことないよ。そりゃそうだよな。本人は、家族に囲まれて一家団欒って感じなんだろうし。だけど俺の目には、Sと、テーブルに座らされた、くまのぬいぐるみが大小二つしか映らなかったけどね。


 くまのぬいぐるみに話しかけてるSを見て、俺は危うく腰を抜かしそうになりながら、辛くも逃げ出したって訳。いやあもう、明らかに異常な経験だったね。【自分はおかしくなんかない】って思い込んでる時の【おかしい人】の目ってさ。まるで俺の方が、奇人か何かのように眺めて来るんだ。「なんだお前? 俺、何かおかしなこと言ってる?」みたいな感じでさ。逆だろ! っての。


 それからしばらくして、Sは会社からいなくなった。Sの退職後、後釜には自然と俺の知らない別の部署の社員が入ってて、会社は何事もなかったかのように回ってる。俺がSと喋ったのは、あの日Sの家に行ったのが最後になっちまった。


 Sの家族に、何があったかは知らない。嫌気が差して嫁さんと子供に出て行かれたとか、それで寂しくなって人形に話しかけるようになったとか。色々推測はできるけど、結局Sはいなくなっちまったから、確かめた訳じゃない。まあ要するに、同僚に変な奴が居たって話さ。ごめんな、あんまり怖くなくってさ。


 これでこの話は終わりなんだけど、一つだけ、自分でも納得できないことがある。

 実はあれから箝口令が敷かれたみたいに、会社でぱたっとSの話題が上がらなくなったんだ。俺が課長とかにそれとなく尋ねても、みんな「Sって誰だ?」みたいな顔で、怪訝そうにするだけ。変な話だろ? まるで俺が、みんなには見えないSって架空の人物と話してたみたいじゃないか。なあ? 俺、大丈夫だよな? これ読んでるアンタはさ。まさか俺のことを虚構の人物だとか言い出して、現実には居ない存在だとか、言い出したりはしないよな?

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