十六 五本の指に入る殺人事件
一.
まず初めに切り落としたのは、人差し指だった。
何故だろう、僕は一番に人差し指を選んだ。
食指が動いたとでも言おうか、とにかく相手を凛と突き刺すその指に僕は惹かれた。家にある出刃包丁で上手くいくかと思っていたが、中々指だけを切り落とす作業というのは難しいものだった。
静まり返った風呂場で、驚く程予想以上に血まみれになりながら、僕は必死になって人差し指を切り落とした。切り口はお世辞にも綺麗とは言えず、ズタズタになった付け根を見て僕は一寸後悔した。何らかの方法で血を抜いてから切るべきだったんだろうか? 気がつくと足元のタイルは真っ赤に濡れていた。だけど、僕は医者でも快楽殺人鬼でもなんでもない、ただの高校生だ。人の指を綺麗に切り落とすだなんて、誰かに知られたら通報されそうな技術は生憎持ち合わせていない。
だが、それで構わない。衝動的でなければ、そもそも指を切り落とすなど躊躇っていたに違いない。何より僕が僕自身の力だけで指を切り落とすことが、彼女への『禊』になるんじゃないか、と勝手に思ったからだ。
切っている間、彼女は……正確に言うと彼女の『指』は……じっと大人しく僕の行為を見守ってくれていた。少なくとも僕にはそう見えた。僕はそっと切り取った人差し指をハンカチで包むと、カバンの奥に仕舞い込んだ。
二.
彼女の指が好きだった。
真っ白に、まるで陶器のように澄み切った、それでいて柔らかそうな質感。力を込めれば折れてしまいそうな、か細い均整のとれた形。その先端に添えられた小さく健康そうな爪も、節々に刻まれた歪な曲線も、何もかもが完成品だった。
およそこれ以上の芸術作品がこの世にあるとは思えない。
教室の隅から。
登下校の合間に。
放課後のふとしたひと時。
隙があれば、僕は彼女の指をこっそり眺めては見とれていた。退屈な日々の繰り返しの中で、その時間だけは僕にとって永遠にも、一瞬にも思えるほど尊いものだった。
一度でいいから彼女の指に触れてみたい。
何時からだろう、僕はずっとそう願っていた。
願わくば、その世界に唯一つしかない美しい指の紋様で、僕の身体に触れてみて欲しい。その先端から、暖かな体温をそっと分け与えて欲しい。嗚呼、できることなら彼女の指をそのまま切り落とし冷凍保存して、その美しさを永遠のものにしてしまいたい……!
そんなゾクゾクするような妄想を毎晩胸に秘め、僕は教室の片隅で、その機会を只管待っていた。
そんな彼女が亡くなったのが、ほんの一週間前のことだ。
三.
学校は騒然となった。
彼女を悼むために廊下に置かれた花瓶の中に、誰のものとも分からない黒ずんだ『人差し指』が混入されていたのだ。勿論それから、その日は大混乱だった。悪趣味を超えた『事件』として、警察が呼ばれた。僕らの学年は午前中で休校になり、僕も強制的に帰宅することになった。
「……あいつの『指』だと思うか? ナカノ」
帰り際、廊下で後ろから呼びかけられて、人混みの中僕は立ち止まった。わざわざ僕に話しかけるだなんて、きっとスズキに違いない。振り返ると、案の定、鼻の穴を膨らませたクラスメイトのスズキが僕の肩を掴んでいた。その表情は興奮しきっている。スズキの鼻の穴が更に五ミリくらい膨らんだ。
「だって、ほらあいつ……バラバラになったんだろう? まだ見つかってない破片がたくさんあるって聞いた……! だけど……」
「…………」
僕はスズキの目をじっと覗き込んだ。彼もまた僕の目を覗き返して来た。
実は一度だけ、スズキに僕の『嗜好』をバラしたことがある。どういう経緯だったかは覚えていない。僕は女性の『指』が好きで、彼は『太もも』が好きだとか、そんな男子高校生同士の下らない日常会話のよくあるやつだ。
僕が忘れかかっていることを、スズキが覚えているとも思えないが……やけに『指』の発音を強調したのが気になった。好奇に塗れた彼の瞳の奥に、微かに詮索の色が……僕を疑う探りの色が混じっているような……。
……僕の考えすぎだろうか。
「そこ! 私語をするな! さっさと帰れ!」
がやがやと人でごった返した靴箱に向こうから、罵声が飛んできた。だがこれほど大勢の生徒が一箇所に集まって、話をするなという方が難しい。肩を竦ませながら、噂好きの友人はさらに小声で僕に耳打ちしてきた。
「……だけど問題は、
四.
だけど問題は、彼女の指の美しさが、だんだんと失われていくことだった。
風呂場で小指を切り落としながら、僕は気がつくとうっすら涙を浮かべていた。どんよりと黒ずんだ細い指は、些かの美も宿してはいなかった。
嗚呼そうだ、僕は彼女の生きた指が好きだったのだ。自分の気持ちに改めて気付かされて、僕は溢れる涙を堪えきれずにいた。昨日よりは少なくなった血を拭い、朦朧とした頭で、僕は人差し指と小指が無くなった手を眺めた。
彼女は喜んでくれるだろうか。
僕の問いかけに、もう命の温もりをなくした彼女の指が応えてくれるはずもない。しばらくそのまま静かに、僕は黙祷を捧げた。それから切り落とした小指を優しく拾い上げ、大切にカバンに仕舞い込んだ。
五.
次の日、やはり学校ではどこのクラスでも欠席が目立った。
真冬の受験シーズン真っ只中とは言え、流石に昨日の事件を受け学校側も考慮しているのだろう。先生達は空白の席を見ても、目くじらを立てることはなかった。授業が終わり、放課後になると僕は一目散にとある人物の下へと急いだ。
その人物とは、『彼女』の妹だ。
彼女の妹は、あの日以来学校へは登校していない。来週には引っ越すのでは、という噂も僕はスズキから聞いていた。白い息を吐きながら、僕は足早に目的地へと向かった。
彼女の家はやはり静まり返っていた。
外から人の気配は見えず、電気は全て消されていた。僕は適当な木陰に身を潜めてこっそり様子を伺った。待っている間、僕はカバンから小指を取り出し、手でギュッと握り締めた。
何時間経っただろうか。
辺りもすっかり暗くなった頃、突然彼女の妹が玄関から現れた。……似ている。遠目から見ても、『指』がそっくりだ。両親は留守なのだろうか。だとしたら都合がいい。周囲を確認し、急いで僕はその子に話しかけた。
「貴方は……?」
当然のことながら、彼女の妹は必要以上に僕を警戒した。僕は彼女の友達だと嘘を付いた。そして今回の事をとても悲しんでいる、是非彼女にもう一度お悔やみを言わせて欲しい、とお願いした。彼女の葬式は身内だけのもので、学校では各々のクラスで黙祷を捧げただけだったのだ。僕はそれが心残りだった。とてもそれぽっちでは足りないと感じた。
「それは……ダメです。今、こういう状況ですし、知らない人を家に上げるのはちょっと……」
彼女の妹が迷惑そうに首を振った。考えてみれば、彼女の言い分は尤もだ。僕は肩を落とした。僕は彼女の妹に再度お悔やみを伝え、最後に握手して欲しい、とお願いした。きっと気持ち悪がられるだろうが、僕はどうしてもその指に触れたかった。
緊張しつつ顔を上げると、彼女は引き攣った顔をしながらも、握手に応じてくれた。やはり彼女の妹も優しい人だった。僕は手袋をしたままだったが、確かな温もりを感じた。お揃いの手袋を見て、僕は教室で手袋をしていた彼女を思い出して涙が込み上げてきた。慌てて手を離すと、僕はそれから一度も振り向かないで急いで来た道を戻っていった。
六.
あまりに慌てすぎて、妹さんに小指を渡すのを忘れてしまった。
しょうがないので、引っ越した住所の方に小包で送った。その住所は例の噂好きの友人から手に入れた。いつ届くかわからないが、彼女の家族が落ちついてきた頃にでも届いてくれればいい。
次の日、僕はこれまでにないほど晴れやかな気分で登校することができた。校舎裏に行き、目的の生徒を見つけ思いっきり拳骨で殴り続ける間も、僕の心はとても澄み切っていた。
「もう勘弁してくれ先輩! あいつが死んだのは俺たちのせいじゃねえ!」
周りで取り巻きたちが騒ぎ立てている。あまり大騒動になるとまずい。僕は早急に済ませることにした。
「た……確かに俺たちは昔あいつをからかったりしてたよ! でも、でも苛めだなんて……あんたに言われてからはやってねえし! ホントだって! それに、何も自殺するほどじゃあ……あああああっ!!」
僕は渾身の一擊を思いっきり顔面に叩きつけると、用意していた中指を彼の口の中にねじ込んだ。
「ああ……あぁ……ゲホ……ゴホッ……!! ぐ……なんじゃこりゃ……ゆ……指!?」
混乱する後輩に、僕は駄目元で尋ねてみた。
「見覚えあるか? この指に」
「はあ!?」
「なんなんだよ!? イかれてんのかテメエ!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ後輩を尻目に、僕は教師に見つかる前にさっさと屋上を後にした。
七.
これ以上は、まずいかもしれない。
僕は轟音を立てながら通り過ぎていく特急列車を眺めながら、終わりが近づいてくるのを感じていた。
あの騒動以来、僕もまた学校を休みがちになっていた。寒空の下、僕は備え付けの古びたベンチに腰掛け、手袋をつけたまま黒ずんだ薬指をギュッと握り締めた。
結局、警察は『自殺』と判断した。
一人の高校生の死。地元民ですら利用者の少ない無名の無人駅。普段陰ながら苛められ、クラスでも孤立しがちだった少女が深夜、特急列車に飛び込んだ。目撃者もいない。こんな田舎では殺人事件など遠い世界の話だ。
それでも、これ以上切り落とした『指』をばら撒いていけば、誰かがこの騒動を意図してやっていることだと気づかれる。そうなれば、警察だって文字通り指を咥えている訳にはいかないだろう。
再び轟音を立てて向こうから鉄の塊が向かってきた。あの塊が、彼女をバラバラに砕いた。そう思うと僕はぞっと背筋が凍るのを感じた。特急列車がこの寂れた無人駅に止まることなど決してない。強烈な風圧を受け僕は身体を流された。その最後尾が通り過ぎ、あたりが静まるのを待って、僕はそっと握りしめていた薬指を、花の手向けられた事故現場へと放り投げた。
「ナカノ!」
背中から呼びかける声がして、僕は振り返った。そこにいたのはあの噂好きの友人だった。スズキは駅の外の金網の向こう側で、白い息を切らしてこちらを見ていた。大方僕を追いかけて走ってきたのだろう。
「やっぱり……お前が犯人だったのか!!」
スズキが鼻の穴を膨らましながら声を絞り出した。
犯人、という芝居めいた言葉にピンと来ないまま、僕は立ち上がってスズキとフェンスを挟んで向かい合った。僕がホームの中。スズキが駅の外。
「犯人? 犯人って何の?」
僕は首をかしげた。
「お前が……花瓶にあいつの指を入れた!! ……お前が、あいつをこ、殺したんだ!!」
「…………」
よくよく観察してみると、彼は震えていた。自分の言っていることに、行っていることに興奮しているか、彼の目は血走っていた。
「おかしいと思ったんだ……お前、あいつが死んでから俺に家の場所尋ねたり、引っ越す住所を知りたがっただろ……」
「…………」
「だから俺気になって、嘘の住所教えたんだ」
「……!」
僕は目を見開いた。スズキの鼻の穴が、目の前で限界を超えてさらに五ミリ膨らんだ。
「レンタルポスト使ってさ。あとで……俺の手元に届くように」
彼は勝ち誇ったように捲し立てると、カバンから小包を取り出した。僕が先日彼女の家族に送ったはずの小包だった。
「中を見た……。中に……彼女の指」
彼の手が一層震え始めた。
「お前が殺したんだろう! 彼女を! お前がここで突き落としたんだ!」
「いいや違う」
僕は静かに尋ねた。
「スズキ。何でその指が、彼女のだって思ったんだ?」
八.
「……は?」
彼は駅の外側でぽかんと口を開けた。
「僕が指を切り落としたのは彼女が死んだ後だ」
僕は静かに、スズキの目を見据えた。スズキは眉をひそめた。
「何言ってんだ? だからって……」
「だけど僕は殺してなんかいない。僕は死んでバラバラになった彼女の手首を持ち帰っただけだ」
僕は淡々とした口調で彼に告げた。
あの日。
一体どこから湧いて出たのか、大勢の野次馬が集まった早朝の無人駅に、僕もまた学校をサボって駆けつけていた。だが人だかりの群れや警察の封鎖で中々現場に近づくことができず、僕は仕方なく遠く離れた線路から草むらを抜けて、なんとか現場に近づこうと試みた。
「……そこで彼女の手首を見つけた。正直腰が抜けた。でもすぐに思い直した」
「……?」
「今ならまだ間に合う、って。それで見つかる前に僕は彼女の手を持ち帰った」
「!!」
僕はゆっくりとフェンスに近づいた。両手で掴むと、軋んだ音を立てて古ぼけた金網が揺れた。彼の顔が恐怖に歪むのが見えた。
「僕も、彼女が昔苛められていたのは知っていた。だから、今まで何度も忠告してきた。彼女を苛めていた後輩に。だからもう、それは終わったことだと思ってた」
彼女の死の原因は、苛めではない。
きっと別のところにあると、僕はそう思っていた。
僕は何時の間にかフェンスにぴったりと張り付いていた。彼は驚いた表情のままじっと僕の目を見つめていた。いつのまにか夕刻も過ぎ、辺りがすっかり暗くなった今、僕らを照らすのは駅に備え付けられた古ぼけた橙色の電灯だけだった。弱々しい灯りのぼやけた円の中で、僕らは金網を挟んで向かい合っていた。
「それで……彼女は右手に何を握っていたと思う?」
「は?」
僕はカバンから彼女の手首を取り出した。彼女の手が、かつて僕が恋い焦がれた指が握りしめていたのは……しわくちゃになった白い紙の切れ端……彼女の遺書だった。
九.
「これはちぎれた切れ端だよ。中々取るのに苦労したけど、遺書の切れ端だ。ちぎった部分はこっちだ」
僕は手袋をつけたまま、親指以外が無くなった右手で、ぎこちなくちぎれた紙を取り出した。
「指を切ればもっと簡単に取り出せたんだろうけどね。僕は……彼女の……彼女の指を傷つけたくはなかった」
「指……!?」
手袋を外すと、親指だけになってしまった僕の右手を見て、スズキが絶句した。いつの間にか、僕は頬を涙が伝うのを感じていた。
「まさか……発見された指はあいつのじゃなくて、お前の……!?」
「……別に、この遺書に犯人の手がかりが書かれているとかじゃあないんだ。自殺には変わりないかもしれない。だけど……これは動かぬ証拠だ」
彼女が苦しんでいたことは確かだった。
そこには彼女が苦しみに耐え兼ねて決断したことが、震える文字で書かれていた。あとで僕を待っていたのは恐ろしい程の後悔と喪失感だった。あれほど毎日彼女の指を観察していたというのに、どうして僕は何もできなかったんだろう。全身がガクガクと震え、立ち上がる気力も持てないまま僕は何日も泣き続けた。
「……そして思った。誰が彼女をこうなるまで苦しめたのだろう、と。また後輩が苛めを再開したんじゃないかと思った。或いは別の誰か……クラスメイトか、それとも家庭の問題なのかとも思った」
だが、僕には誰が彼女を苦しめていたのかまではわからなかった。肝心の遺書の一部分が、彼女自身の指でしっかりと握り締められていたのだ。
彼女の指。
それは死後硬直でしっかりと固まってしまっていた。警察に渡せば、指を切断して手の中に残った遺書を取り出そうとするかもしれない、という恐怖が僕の頭をよぎった。何よりこの美しい指を、僕だけのものにしておきたかった。
「だから僕は自分の指を切って……わざと目立たせた。学校だったり……彼女の家族に見せて反応を見ようとも思っていたんだ」
狂ってる、とでも言いたげな目で友人は僕を見てきた。僕は構わず続けた。
「彼女を苦しめた犯人なら、あの指に反応するはずなんだ。だって本物の彼女の……彼女の爪も、同じように全部ペンチで剥がされてたんだから」
ほら、と僕は彼女の右手を掲げて見せてあげた。もう一度、改めてお前は狂っているという顔をして彼は後ずさった。僕はそっと彼女の手首を抱きしめた。
爪の惨状に気づいたあの日、僕の心に復讐の炎が燃え上がった。彼女が自分で爪を剥がすはずがない。爪を剥がした犯人を必ず見つけ出すと誓った。彼女の千切れた手首を風呂場に飾り、じっと眺めながら自分の指を切り落としていった。最初、男と女の指では形が違いすぎたのだが、時間を置いて腐ってしまえば見た目で判断は不可能だった。その後爪を剥いで、生前の彼女の指と同じ状態にした。
「指をあからさまに見せたのは、僕なりの犯人への警告だった。彼女は自殺じゃない。誰かが彼女を……殺した。最近、彼女は学校でもずっと手袋をしてた。爪のことを知っているのは、彼女と、僕と……恐らく犯人だけだ」
僕が言い終わる前に、スズキが踵を返して駆け出した。慌てて僕は誰もいない改札を抜けると、彼を追いかけた。
十.
彼女の指の変化に気づいたのは、事故のさらに一週間前だっただろうか。
ある日を境に、彼女は学校で手袋をつけるようになった。冬だからそういう校則違反な生徒も中にはいたし、異常なほど目立つようなことではなかったかも知れない。だが僕はとてつもない衝撃を受けた。ずっと彼女の指を眺めて生きてきたのだ。彼女は校則違反するような生徒じゃない、はずだ。
彼女の友人もまた、訝しがって怪しげな手袋を指差して尋ねていた。だがたとえ担誰に聞かれても、彼女は苦笑いを浮かべるばっかりで、学校ではその理由を誰にも明かさなかった。あの美しかった彼女が、今更手袋をはめるだなんて……一体彼女の指に何があったのか、僕はどうしても知りたかった。
生憎僕とスズキの間にはれっきとした運動神経の差があり、ものの数百メートルも走らないうちに僕はあっさり彼を捕まえることができた。そのままスズキの全身を路地裏のコンクリートに叩きつけ、馬乗りになって無事な方の手で彼の腕を捻じ上げた。
「スズキ! 何で彼女にあんな酷いことを!」
「別に…! 関係ねえだろ……!」
息も切れ切れに彼は抵抗した。
「付き合ってたんだよ……!」
「!?」
「みんなには内緒にしてたけど、俺とあいつは……そういう関係だった……!」
「……っ!」
スズキは地面に押さえつけられたまま、声を絞り出した。僕はさらに彼の腕を明後日の方向に曲げた。
「ぐああああっ!!」
「だからって、彼女を傷つけていいとでも……!?」
「まだ分かんねえのか……このクソ野郎!!」
スズキが今までにないくらい苦々しい表情で僕を睨んだ。
「彼女が苦しんでたのは、お前の異常なストーカー行為だったんだよ!!」
「……?」
気がつくと、スズキが口元を歪に歪ませて嗤っていた。僕は何を言われたのか分からず、混乱したまま彼の言葉をしばらく黙って聞いていた。
「逆に俺はあいつから、相談されてたんだよ……クラスメイトが、自分の手の方を気持ち悪い目で見てくるって。悩んでたなんてもんじゃねえ。あいつは……お前の存在に苦しんでた!! 遺書だとか言ってたか…その指の中に書かれてる犯人の名前ってのは、お前だよナカノォ!」
「………嘘だ」
僕は呆然と呟いた。
彼女は確かに何かに悩んでいた。
その原因が、僕だって?
ありえない。
出任せだ。助かりたくてこいつは嘘を言っている。
「嘘だ」
僕はもう一度呟いた。スズキがさらに大きな声で喚いた。いくら遅い時間とはいえ、これ以上騒ぐと、人が集まってくるかもしれない。
「だいたいよぉ、お前あいつのこと優等生みたいに思ってたっぽいけど、ぜんっぜん違えから! 後輩の件だって、お前から見たら苛められてたように見えたかもしれねえけど、むしろあいつは逆に……ああああっ!」
だったら爪は。爪は何故剥がされていたのか。僕は彼を力任せに締め上げた。
「……知らねえよ! 死ぬ前から剥がれてたよ! ああ、俺見せてもらったんだ! 大方喧嘩か、自分で剥がしてたか知らねえが……とにかく俺じゃねえ!」
「嘘だ!! 自分が犯人じゃないって……!? じゃあ何で僕から逃げた……!?」
「逃げるに決まってんだろ、この変態妄想野郎!」
地面に伏せたまま、彼は必死に叫んでいた。
僕は何だか、スズキの声を遠くの方に感じていた。向こうの道路から、騒ぎを聞きつけて人が集まってくるのが見えた。スズキが地べたに押さえつけられたまま叫んだ。
「ホントに彼女を苦しめてたのはよォ、お前の方なんだよ!!」
十一.
……そこから先は覚えていない。
気がつくと僕は血だらけになって、自分の部屋で彼女の手首を抱きかかえていた。タオルで返り血を浴びた彼女の右手を拭いてあげた。固まったまま動くことのないその指の中には、遺書の一部が千切れて入ったままだ。もしかしたら破れたその部分に、彼女を本当に苦しめた犯人の名前が書かれているのかもしれない。
整合性の取れない出任せで保身に必死だったスズキと、真実を追求し復讐を誓った僕。第三者がどちらを信じるかは、もう明白だろう。彼女もきっと、信じてくれる、はずだ。
僕はお守りのように彼女の右手を抱えると、そのまま横になって、警察が来るまでしばらく眠ることにした。
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