38話——天災竜 ヒュドラ


「これは……」

「…酷いな」


 転移した先はヒュドラとドワーフ軍がまさに攻防戦を繰り広げる上空だった。

 大きな山をぐるりと囲うように形成された森の一角が、戦闘によって荒廃し、何人もの戦士が倒れているのが見える。

 大きな巨体をずるずると引き摺るように進むヒュドラの先には小さな集落が見える。あれがベルンの故郷なのだろう。

 そこへ近づけさけまいと、里を背にヒュドラの前方へ展開し、まさにドワーフ軍が死守するべく立ちはだかっているところだった。


 ヒュドラが通った跡らしき箇所は、密集した木々が薙ぎ倒され、腐敗し、ドロリとした恐らく触れてはならないだろう得体のしれない液状の物体が流れている。


 ドラゴンと言えばクロの様に長い尾や首を持ち、翼があって空を飛び、硬い鱗に覆われた大型の生命体を想像しがちだ。

 しかしこのヒュドラは、大きな身体を四肢で支えまるで引き摺るようにゆっくり移動していた。深緑の鱗で覆われた身体からは禍々しいオーラが発せられ、首の後ろから背にかけて生えている立て髪は、全てが蛇のような頭を持ち、ウネウネと収縮し不規則に動いている。それらが好き勝手に周りを襲い、破壊や殺戮を繰り返し、この巨体を維持する栄養を摂取しているのだ。

 そして何より特徴的なのが、ヒュドラ本体の顔だ。裂けんばかりの大きな口に、大きな目が左右に二対。合計四個の赤い瞳がギョロギョロと絶えず四方向を監視している。

 その姿を目にしてしまえばしばらくは夢でうなされそうな悍ましいその姿が、まさに化け物に相応しい姿形をしていた。



「はぁー、気持ち悪っ!!」


 ヴォルグが嫌悪感を露わにし、ハクも眉間に皺を深く刻みながら舌打ちをかます。

 アマネは見た事のない恐ろしい姿にブルリと背筋を震わせ、自らの肩を抱いた。


「なんて事だ…」

「森が……恵みの森が……」


 一体どこからやって来たのか、上陸して来た道のりが森の消失ではっきりとわかる。地面は有り得ない色に変色し、ヒュドラに触れたであろう植物は見るも無惨な様相に成り果てている。これらを再建するのに一体どれだけの年月を必要とする事か。

 ナシアもベルンもそれが分かるのだろう。苦悶の表情を浮かべ拳を固く握り締める。


 ハクの指示で、クロが里の近くへと降り立った。

 素早く背から降りながら、口早にハクが説明する。


「いいか。あの化け物は全身毒の塊だ。あの触手に噛まれてもアウト、皮膚に触れてもアウト、勿論血もダメだ。絶対に触るな。迎えに行くまで隠れてろ」


「分かった!」


「特にプリちゃんは少しでも触れたら間違いなくあの世行きだからねー」


「……分かった」


 いつものように笑顔で恐ろしい事をさらりと言い放ち、ケラケラと笑うヴォルグに、エルフの二人も無言で頷いた。


「お前はアマネの側にいろ」


 ハクがクロの首を撫でる。クロが何処か不服そうに「キュ」と鳴いた。


 魔人の二人が前方に迫るヒュドラを見据える。

 ドワーフ軍が展開してはいるが、行く手を阻む事は出来ていない。ここに到達するのは時間の問題だ。


「ハク、気をつけてね!」

「ヴォルも…」


 不安気なアマネとベルンに、二人が此方を振り返る。ニヤリと似た様な笑みを浮かべると、再び前を睨み、ほぼ同時に姿を消した。

 不安そうに心配そうに、姿を消した二人が向かったであろう先を見つめる。


「………」


 アマネのその姿は理解出来た。初対面のナシアでも、白の魔人と彼女の距離感が普通のそれでは無いだろう事が伝わったからだ。

 驚いたのはベルンの方に、だった。あの狐の魔人に対するベルンの様子が、ナシアの知る彼女のものでは無かったのだ。

 焦燥感に似た不快な何かが彼の胸の奥底を刺激している。が、今はそれを気にしている場合では無かった。


「…行きましょう」


 ナシアに促され、アマネとベルンは里へ向かって駆け出した。ヒュドラから意識を外そうとしないクロの様子がアマネには引っかかっていた。



 ヒュドラと対峙する軍の少し後方、戦況を分析しながらハクとヴォルグが佇んでいる。


「作戦はぁー?」


 緊張感皆無の間延びした物言いに、ハクは苛立ちを隠そうともせずに舌打ちした。


「んなもん決まってんだろ」


 前方にいたドワーフの兵士目掛けてヒュドラの触手が襲いかかる。


「うっ、うわぁーー!!」


 丸呑みにしてしまいそうな大きな口には毒液を滴らせた牙が光っている。絶望に絶叫する兵士が死を覚悟した時、目前で蛇の頭が視界から消えた。


「!!??」


 ぼとぼとと音を立てて足下へ転がったのは、今まさに眼前に迫っていたであろう触手の残骸だった。


「も、燃えて…る…?」


 刻まれた肉片の全てが真っ赤な炎に包まれて燃えている。肉片だけでは無い。切り口から飛び散った毒液も血液も、本体に続く立て髪の切り口も同じく燃えていたのだ。


「焼却処分一択だ」


 言いながら自身を抜き去って行く白の魔人を見た。身体から溢れるオーラの桁が違う。まるで自分達の王に謁見した時のような、片鱗に触れただけで背筋が震える様な、圧倒的なまでの魔力。明らかに高位の魔人だった。


「考えたねぇー」


 側に並び立つのも同じく凄まじい魔力を隠しもしない珍しい尾を持つ魔人だ。彼が腰に刺していた細身の剣を抜き放つ。その刀身に纏わせていたのも同じく炎だった。違うのはその色だ。


「狐火か」

「せいかーい」


 立て髪を刻まれ燃やされたヒュドラの四つの目が、眼前に現れた二人の魔人へと定まった。

 二つの触手がヴォルグ目掛けて襲い掛かってくる。

 しかし、届く前に肉片と化し、黒い炎に焼かれて地面へ転がった。

 周囲でそれらを目撃していた兵士達からどよめきが起こった。太刀筋が全く見えなかったのだ。


「コレ疲れるからあんまりやりたく無いんだよねー」

「てめぇはソレばっかだな!!」


 牙を剥き出し怒りを露わに襲ってくる蛇の頭が次々と落とされていく。

 二人の周りには赤い炎と黒い炎で燃える肉片が散乱している。


「まったく、お年寄りは労わって欲しいモンだよねー」

「何処に年寄りがいんだよ化け狐!」

「えー? この中では一番年寄りだと思うけどー?」


 いがみ合いながらも二人が腕を薙ぎ払う。

 食いちぎろうと牙を剥いていた六つの頭が、直前でピタリと静止し、どしゃりと落ち、赤い炎と黒い炎に包まれ燃え上がった。


 触手に苦戦していたドワーフ軍から歓声が上がり、士気が一気に跳ね上がった。

 直ぐに前線で食い止めるチームと、後方から火矢で援護するチームに再編成され、ついにヒュドラの前進を阻んだのだった。


 これに苛立ちを露わにしたのはヒュドラだ。

 思わず耳を覆いたくなるような、悍ましい咆哮を上げた。

 ドワーフ達がすくみ上がる中、ヴォルグはいつもの調子でニヤニヤと笑っている。


「おーこわー」


 全く怖いと思って無さそうな物言いに、ドワーフ達が若干引いている。

 そんなヴォルグのお遊びを無視して、ハクはヒュドラの異変に注視した。

 首の下の方から何かが迫り上がってくる様に、首が膨張しているのを目視したのだ。

 それがドラゴン特有のブレス攻撃だと察知した瞬間、ハクが自身の糸を瞬時に編み込み、目の細かい網状にして辺り一帯に展開した。

 裂けるように開いた口から吐き出されたのは、毒々しい色のガスだった。周囲に霧散するかと思われたそれは、ハクが広げた網へ吸い寄せられるように吸着されていった。


 ハクが使ったのは、セイレーンの鱗を元に得た水の魔力を帯びた糸だ。毒に耐性を持つその青い糸は、ハクの高い魔力によって効力を存分に発揮し、毒息を無効化したのだった。


 糸の網を解き再び睨み付ける様にヒュドラを見た時、明らかに怒りを滲ませた咆哮が魔人の二人へ向けられた。

 再び大きく開かれた口の奥が発光していく。

 ハクとヴォルグが新たなブレス攻撃に身構えた時、ヒュドラの咆哮に対抗するように、別の哮りが大気を震わせた。


「クロ?」

「…お前、何で…」


 牙を剥き出し、敵意を向けて唸り声を上げ、空中でヒュドラを睨み付けていたのは、アマネ達とエルフの里へ降りた筈のクロだった。


 ヒュドラのブレスがクロへと炸裂した。

 負けじとクロも高火力のレーザー砲の如くブレス攻撃で対抗する。

 天災竜と超古代種竜のブレスがかち合い、辺りが爆風と熱風に包まれた。ヒュドラの三分の一程しかないクロが不利だと誰もが思った。が、意外にも力負けする事なく、その場で羽ばたきながら空中に留まっていたのだ。


 力が拮抗していると思われたが、少しずつ劣勢に追い込まれたのはヒュドラの方だった。徐々に押されていき、遂にはクロのレーザー砲がヒュドラの顔面に炸裂した。絶叫しながら傾いた巨体が大きな音を立て、遂に地面へと沈んだのである。

 どうだと言わんばかりにクロが吠え、歓喜の大歓声が上がった。


「!?」


 その歓喜の声に微かな悲鳴が混じったのをヴォルグは聞き逃さなかった。場所はヒュドラが倒れ込み薙ぎ倒した森の先。里からは少し距離がある。まさかと思いながらも、体は既にそちらへ向かって動いていた。




 シャーーー


 蛇のような頭の付いた触手に睨まれ、身動きが取れずに体を震わせていたのは、逃げ遅れたエルフの子供だった。

 地面へと座り込んでしまったその体は恐怖のせいでガクガクと震え、後ずさる事もままならない。

 涙をいっぱいに溜めた大きな瞳が、牙を剥き出し毒液を滴らせながらゆっくりと迫り来る触手を映す。

 狙いを定め鎌首をもたげた触手が、まさに襲い掛かろうかという寸前、鋭い風切り音と共に一筋の小さな矢が正確に触手の右目を射抜いた。


 子供を捉えていた獰猛な光が、矢の飛んで来た方へと向きを変えた。

 残った方の目が怒りを含み矢の主を睨み付ける。


 獲物とばかりに瞳孔を細め触手が見据えた先にあったのは、次の矢を番え此方へと狙いを定めたベルンの姿だった。

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