34話——心の内側
「「「………」」」
収集を終え、拠点へ帰りついたアマネとライジンは、着いて早々ハクとばったり出会していた。
「あのっ、これは…えっと…」
ハクの顔を見るなり慌てふためくアマネが、案の定「あ?」と訝しげな視線と態度をもらっている。
「全部自分のせいなんで!!」
半歩前へ出たライジンがその視線を無理矢理奪う。ハクの眉間の皺が益々深まったのが見えた。
「は?」
彼の威圧を含むオーラに気圧されながら、アマネが怒られるよりはマシだと、ライジンが喉をこじ開ける。
「悪いのは自分なんで、煮るなり焼くなり好きにしてください!!」
「駄目だよ!!」
「…だから何でだよ?」
自身も共犯だと思っているアマネがライジンの腕を引くが、ハクから返って来たのは二人が予想だにしない台詞だった。
「「え…だって……」」
綺麗にハモり、二人で同じ顔をしてハクを見つめる。
そんな二人にあからさまな溜め息を吐き出し、ハクがライジンを見据える。…ジト目で。
「お前にそんな変態趣味があったとは知らなかったが、そんなにお望みなら狐に言えよ」
何か誤解があったようだ。
しかも、ハクの後ろからひょっこり顔を出すのはご指名のあった狐、もといヴォルグだ。
「なにー? 呼んだ? 拷問なら得意だけどー?」
どうやって聞きつけたのか、状況把握もバッチリだ。ブワッと5本の尻尾を膨らませている。
青ざめながら顔を引き攣らせたライジンが両手を使って全力で拒否の姿勢を取っている。
「いえ!! 結構です!!」
「遠慮する事無いのにー」と悪い笑顔を浮かべ、両手をわしゃわしゃと動かしながら迫ってくるヴォルグから逃げる様に、ライジンは工房へと走って行ってしまった。
苦笑いで二人へ手を振って見送るアマネの背中に「おい」と不機嫌な声が掛かる。
「はっ! はい!!」
バッと振り返り、眉間の皺が深いままのハクへ視線を戻す。
「それより飯。ちびがどうしようって半べそかいてたぞ」
「え? あっ! はいはいっ、ご飯ね! 分かった!!」
ぎこちない態度でベルンの待つ家へと急ぐアマネ。帰宅に気付いたクロから襲い掛かられている。幼竜からすると甘えているのだろうが、周りからしてみればアマネの体が吹っ飛んでいるからもはやタックルだ。
幼竜と戯れながらベルンの元へ急ぐ彼女の背を、薄いグレーの瞳が見つめていた。
「いいのー? このままじゃ、ライジンになびいちゃうかもよー?」
後ろから聞こえた呑気な声に「煽ったのはテメェだろうが」と舌打ちした。
「ねぇよ」
「何故言い切れる? プリちゃんの記憶、戻って無いんでしょ?」
無遠慮にずけずけと此方側へ踏み入ってくる狐へ殺気を向けるが、向けられた本人はどこ吹く風である。全くもって忌々しい。
「お前…何処まで知ってんだ」
「さぁねー」と茶化す狐は、愉快そうに口を歪める。何かを企むような、この状況を愉しむような、掴みどころの無い不敵で歪な笑みが、ハクの本能の警鐘を鳴らす。
「例えそれが条件だったとしても、ちゃんと彼女を繋ぎ止めておかないとー。女の子は繊細なんだから! 手遅れになっても知らないよー?」
言いたい事だけ言ってアマネの向かった方へと歩き去って行った。
その背を睨みつけながら、ハクが再び舌打ちする。
「んな事は分かってんだよ…」
誰に聞かせるでもなく呟き、くるりと体の向きを変えると、森の方へと消えて行った。
「ハク…遅いな……」
結局夕飯の時間にも帰らなかったハクに、彼なら大丈夫だとは分かっていても、アマネの中に不安が過ぎる。
あの場に居なかったとはいえ、契約者である彼が二人の間にあった事を全く知らなかったとは思えない。ハクは何も言わなかったが、やはりライジンとの事を誤解させてしまっただろうかと、気が気では無かったのだ。
寝室に置かれたお気に入りの揺り椅子に腰掛け、膝に置いた刺繍枠を手に取る。
そこに張られた布にひと針ふた針と図柄を刺していくが、いくらも縫わないうちにまた手が止まる。そして無意識のうちに短い溜め息を吐き出す。先程からこれの繰り返しだった。
大好きな刺繍はちっとも進まないし、夜も更けた事だし、そろそろ諦めて寝ようかと顔を上げた時、リビングの方から微かな物音が聞こえた。
寝室への入り口を潜り、起きていたアマネと視線が交わると、ハクが驚いたように目元を歪める。
「まだ起きてたのか」
「うん…少し話しがしたくて…」
入って来るなりさっさと着替え始めるハクから慌てて視線を外す。
「今日ね、ライジンくんと素材収集に行って来たの」
「あぁ、そういやちびがそんな事言ってたな」
ハクの言う『ちび』とは『ベルン』の事である。理由は分からないが、ハクはアマネ以外を名前で呼ぶ事が滅多にない。
「…それで、ね…その…ライジンくんに告白されたの…」
何も言わない白い背中に不安が募る。
沈黙を掻き消すように慌てて言葉を重ねた。
「私、契約の上書きの事、なんか勘違いしてたみたいで……ライジンくん、私の事真剣に考えてくれてたらしくて…」
「それで?」
「ちゃんと断ったよ!」
「何で?」
「……何で? …何でって…だってわたしはハクと…——」
「アイツと契約すれば此処から出て行けたのに、バカな奴」
そう言って此方を向くハクの顔には意地の悪い笑みが浮かんでいる。
本心ではない。少しの意地悪。それから捻くれと少しの嫉妬。
鈍いアマネには分かる筈がないと思っていたハクの誤算だった。
「…それでいいんだ…」
「は?」と聞き返したハクの目には、俯いてしまったアマネの表情が伺い知れない。
「ハクは…私がライジンくんと契約しちゃっても良かったんだ…?」
いつもよりも低い声色に、ハクが体をアマネヘ向ける。
「そぅ…そうだよね。…その程度のことだもんね…」
所詮は保存食なのだ。
元々一人で静かな暮らしがしたかった筈だ。
アマネが来てからエルフとドワーフが増え、竜種まで棲みつき、ハクが望む生活とは真逆になってしまった。
本当は…ずっと邪魔だって…思ってたのかな…
握り締めるように持っていた刺繍枠を揺り椅子へと置いた。顔を上げられないままリビングへと続く入り口へ向かう。
ちっと小さく舌打ちが聞こえた気がしたが、そのまま向かった。
部屋を出て行きたかったのに、やっぱり体が動かなくなる。自分の体の周囲には蝋燭の灯りでキラリと光る筋が幾つか伸びていた。
ハクの糸で拘束されたのだろう。そうなる予感はしていたが、これでは蜘蛛の巣に掛かった獲物そのものだ。アマネの現状を思い知らされた思いがして、目の奥がじんと熱くなった。
無駄だと知りつつ振り払おうと試みる。が、糸が肌に僅かに食い込むだけで指も動かせなかった。こうなってしまってはもう身動きが取れない。アマネは諦めてその場に立ち尽くした。
「…何でハクなんだろ…」
無意識の言葉はアマネの意図しないところで零れ落ちた。
もう嫌だ…
こんなに苦しいなら、これ以上好きになんかなりたく無い。
こんなに辛いなら、今直ぐ此処から出て行きたい。
こんなに悲しいなら、いっそ消えて無くなってしまいたい。
保存食だと言うのなら、さっさと食べてくれればいいのに……
瞬く間に視界がぼやけ、見つめた床に向かって熱いものが滴っていく。
右肩を掴まれ、体が傾き、引き寄せられて両肩を固定された時には、強制的に薄いグレーと視線が交わってしまった。
次から次から零れ落ちるそれは留まる事を知らない湧き水のようだ。
…なんで好きになっちゃったんだろ…
ハクの瞳が驚きに開かれていく。
声に出したかどうかももはや分からなかった。溢れた涙と一緒に、押し留めていた感情が奥底から湧き出してくる。
「ずっとどう説明しようかって…誤解されちゃったらどうしようって考えてたのに…悩んでた私がバカみたい!」
「……」
何も言ってくれないグレーから視線を外し、手を振り解こうと体を捩る。
「離してよ!」
精一杯の抵抗だったのだが、ハクには何の意味もなさない。
目の前の瞳を睨む様に見上げた。
「望み通りにしてあげるから、ベスティの所でも、何処へでも行けば良いでしょう!!」
ハクが小さく息を吐き出す。
締め付けられたように詰まっていた喉をこじ開け絞り出した声は、自分でも笑えるくらいにしゃがれていた。
「何であの女が出てくる」
「昔から良く知ってる仲なんでしょう? 美人だし、大人だし、魔族だし……なんだかんだ頼っているものね」
アマネにはそんな風に映っていたのか。また勝手に勘違いして妄想の中であらぬ方向へと結論が出ていたらしい。その想像力を自分に向けられる感情に応用して欲しいものだとつくづく思う。
「あの魔女はオレの監視役だ。…それにデカい借りがある。その借りを長い間払わされているだけだ」
今度はアマネの瞳が開かれていく。驚きのあまりポロポロと頬を伝っていた涙が止んでいる。
これは予想外の事実だったようだ。ハクからしてみればアマネの妄想の方がまさかだ。
「うそ…深い仲なんじゃ…——」
「ねぇよ! …ったく。勝手に妄想膨らませやがってバカが」
「…違うんだ…私の勘違い、なの…? だって……」
尚も混乱した様に自問自答しているアマネを、ハクがグッと引き寄せる。
意図せず眼前に迫った端正な顔を濡れた瞳が見上げてくる。
「で? お前はオレから離れるって? させるワケねぇだろうが」
「だってさっき」
「お前が他の雄の匂いつけて帰って来たからイラついただけだ。第一このオレの糸から逃げられると思うなよ」
イラついた? ハクが? それって…
その意味が自分の思っているモノで合っているのか分からずに、アマネは益々混乱を深めている。
本当に鈍い奴だなとハクが舌打ちする。
「言った筈だぞ。お前が!
私が? 側に居ていいの?
潤んだ瞳から再びポロポロと雫が落ちてくる。
「お前の血も肉も、この涙も…魂すらオレのものだ。…もう二度と、誰にも渡すかよ」
硬い胸板と逞しい腕に包まれる。
ライジンとは全然違う。強引で力強くて時にイジワルで…優しくないのに恋しいと思ってしまうのはやはり此方なのだ。
「保存食って言った…」
「嫁っつったろーが」
大きな背中に腕を回した。しがみつくように力を込めれば、回された腕にも力が込められる。締め付けられて苦しいのに緩めて欲しいとは思わなかった。止まる気配の無い涙がハクの肩口を濡らしていく。
「分かりづらい」と苦情を言ったら、「お前が鈍過ぎるだけだ」と反論された。
はっきり言葉にされた訳じゃない。好きだなんて一度も言われた事が無い。それでも今なら分かる。今なら自信を持って側に居られる。自分が此処に居て良いって自信を持って言えるのだ。
さっきまで鬱々としていた心が、嘘のように満たされていく。
「ハク……好き……」
嗚咽を含む声が耳元へ零される。
胸の奥底からくすぐったい様な握られる様な疼きが湧き起こり、体を震わせる。それを悟られたくなくて、ハクはアマネを抱く腕に力を込めた。
「あぁ。…知ってる」
そう応える事が精一杯。
強制的に喉を絞られる様な感覚に苛立ちと怒りを覚える。
強く締め過ぎたかと腕を緩めると、胸の中で身じろぎしたアマネがゆっくりと顔を上げた。
頬を上気させ、涙で潤んだ目尻が少し赤く腫れている。
早く思い出せ
言葉にしたい言葉は、決して言葉にならないまま、ハクの唇を僅かに動かすだけ。
何か言いたげな彼女へ向けた眼差しが魔人のそれでは無く、酷く穏やかな優しいものだと気付かないまま、ハクはゆっくりアマネヘと顔を寄せた。
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