5話——保存食でした

「面白い。…飼ってやるよ」


 此方を見下ろす美しくも恐ろしく歪んだ魔人を見つめる。

 彼が言った言葉の意味が分からず、呆けたまま反芻した。


「飼う…て、私を?」


「他に誰がいんだよ」


「いえ、おりませんが…」


 あれ、でも、さっきは直ぐに出て行けと…

 煩わしいのかと思ったのに。


「お前は今からオレの保存食だ」


「保存食…ですか…」


 なるほど、食料としてですか。

 年齢も若く、健康体であるプリエーヌなら食料としては上々だろう。


「所有者はオレだ。勝手に此処から出て行く事も、一人で森へ入る事も許さない」


「えっ…と…」


「勝手に他の魔に喰われるのもだ」


「それって…」


「お前を喰うのはオレだ。いいな」


 白の魔人が話した内容を理解しようと、頭を必死にフル稼働させた。

 何だか、森が危ないから側を離れるのも一人で入るのも駄目だと、そう言われたような気がしたのだ。

 都合の良いように解釈し過ぎてしまったかしら。

 私が保存食だから、居なくなったり、他の魔物に食べられるのが困る。

 ただそれだけの事なのだろうけど。


「ここに、いてもいいのですか?」


「分かったな」


 コクコクと頷いて見せると、満足したのか魔人がニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。

 とにかく理由はともあれ、侯爵様からは逃げられたようだ。

 ただ逆らったらきっと追い出されてしまう。

 それならまだしも、彼のお腹に収まる事になり兼ねない。

 ここは大人しく言う通りにしていよう。

 そうすれば少しの間だけでも此処に隠れていられるかもしれない。


「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるが、落ちて来たのは冷たい声だった。


「勘違いするなよ」


「え?」


「世話なんかしないからな。自分の事は勝手にやれ。オレに構うな。さっき言った事も覚えておけよ。そうすれば害悪だけは退けてやる」


 危険から守ってくれる。

 そんな風に聞こえてしまうのは、私の願望からだろうか。


「せいぜい大人しくしておけ。保存食」


 保存食だけど。


「私の名前は…——」


 そこまで言いかけたところできゅるきゅるとお腹が鳴ってしまった。

 ひとまず屋根のある寝床を確保出来た事で、安心したせいからか、体が空腹を思い出してしまったようだ。

 白の魔人が『保存食』を連呼したせいかもしれない。


 羞恥のあまり顔を真っ赤に染めて俯いていると、小さく溜め息を付いた彼が手の平程の果実と小袋を投げてよこした。


 果実は甘い匂いがする。が、丸くて真っ赤な見た目が血を連想させ、食べる事を躊躇ってしまう。

 小袋の中には色々な種類の木の実が入っている。

 これこそがまさに『保存食』ではなかろうか。


 魔人って、皆んなこんな風に色々な保存食を用意してるのかしら。

 果実や木の実や人間なんて…幅広く取り揃えておくものなのね。


「貰って良いの?」


「保存食がガリガリだと食欲が湧かねぇ」


 成る程。保存食はしっかり栄養を取っておかないといけないのね!

 これから自分で自分の食事を作る事になるのだから、気をつけておかなくちゃ。


 躊躇いながらも真っ赤な果実にかぶりつく。

 甘酸っぱくて、シャリシャリした食感の楽しいとても美味しい果実だ。

 プリエーヌは初めて見たが、遠い記憶の中に此れがあった気がする。

 何という名だったか。



「魔人って普段は何食べてるの?」


「本気で聞きたいのか?」


 単なる興味だったのだが、影の落とされた表情と鳥肌が立つような鋭い眼光を向けられて、プリエーヌは黙ってしまう。



 黙々と果実を頬張る彼女を見ながら、魔人は内心溜め息をついていた。

 普通なら既に襲われて喰われてるのだ。

 魔物とは本来、狩りをし獲物を捉えてそれを喰らう。たまにそうではない種族もいるが、大半が肉食だ。

 だから、魔人を前にしてこんな風に悠長に果実を頬張っている事自体有り得ないのだが…

 本人は絶対分かっていない。

 魔物には気をつけなければならないと言う警告だったのだが、あんな質問してくる時点で絶対に分かっていない。



「ここには一人で住んでるの?」


「種によるが、魔人は群れない」


「そう。いつから?」


「200年くらい…もう忘れた」


「にっ……そんなに……」


 200年もの間、たった一人で此処に…


「…寂しいね…」


「そんな感覚は無い」


 私には無理だ。

 200年もひとりぼっちだなんて。

 きっと寂しくて堪らない。

 ふと夢で見た彼を思い出す。

 寂しいと言った私の手を握ってくれた。

 此方へ向けられたあの優しい笑顔も、驚く程冷たい手も、夢の中の事なのにこんなにもはっきり覚えている。


 会いたいな


 無意識のうちに声に出ていたのかもしれない。


「そんなもの探せる訳が無い」


 聞こえたのはやっぱり冷たい魔人の言葉。


「そう、だね…」


 名前もわからない。何処に居るのか、それとも居ないのか。どう探したらいいかも分からないのだ。自分の記憶すら途切れ途切れで当てにならない。

 彼のいう事は正しいのだけれど…


「何故だか会えるような気がするんです」


「根拠は?」


「ありません。…そう思いたいだけかも」


「話にならん。無駄な希望なんか捨ててさっさと諦めろ」


 ばっさりと切り捨てられた時だった。



「何か良い匂いがすると思ったら——」


 白の魔人とは別の声がしてリビングの入り口へ視線を向けた。

 彼も壁に背をつけてもたれたまま其方を向く。


 右手を軽く上げて、まるで挨拶でもするかのように爽やかな笑顔を貼り付けた男性が立っている。


 いつの間に……


 人間かと思ったが、彼の背後に尻尾が見える。

 それもふっさふさのもっふもふが5本。

 5本もあるから見間違いでは無さそうだ。

 頭に三角の耳がのっていて、顔はやっぱり麗しい。


 この方も魔人なのかしら。

 彼が糸を使わない所をみると、お友達?

 あ、群れないんだっけ。

 敵…では無い、のかな?


 突如現れた別の魔人をまじまじと見つめていると、黄色の強い茶色の瞳が鋭く此方へ向けられる。


「その可愛い子ちゃんは誰だ? 新しい保存食か?」

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