青雲

 人が化けになる引き金は、経験した大きな打撃から生まれた憎悪。

 あの“呪塗り”もそうだったのだろうーー。


 ***


 “呪塗り”をいざ、御用と成し遂げる筈だった。ところが陽の光で照らされる奴の姿に、茶太郎は啞然となった。白髪で痩せこけている男は、どうみても患い者。奉行所で裁く前に牢屋敷へ収容しなければならないのだが、耐えられるような状態ではないだろうと御用を保留扱いにした。当然、奉行所お抱え医師である門倉亜瑠麻の出番が回る。


「“呪塗り”の通力を発動していたつけだよ。人を呪わば穴二つでも、一応患者だから治すけど」

 門倉の診察で、男への診断は《通力反動病》が下される。身体そのものを治療して、回復したら罪業を吟味出来るということだった。

ひたすら、ひたすら。その瞬間を、茶太郎は待った。年の瀬、年の初め、鏡開きを経て、梅の花が咲くを迎えた時期に入った。

男の体力は十分に安定している。よって、勾留しても問題はない。

門倉からの連絡を受けた茶太郎は、診療所で男を正式に御用するに至ったーー。


「嫁が大病を患ってさ、それも死の宣告を受けるほどのな。夫婦になったばかりだぞ、畜生、畜生だよ。医者を次々に変えた、どいつもこいつも匙を投げやがった。……。さゆる、さゆる。さゆ、さゆーー」


 場所は牢屋敷の穿鑿所にて、茶太郎は御用した“呪塗り”に責問を掛けていた。主な容疑内容は通力発動違法行為。裁きで刑を課するには証拠より自白が決め手となる。ところが“呪塗り”はご覧の通りのありさま。


 責問で自白を促せないとなれば拷問でーー。


 焦りと苛立ちで最悪な思考を膨らませてしまった、あの手段は捕り物としての力量を問われてしまう。いわば、不名誉な執り行いなのだ。


 根気よく、自白を待て。


 “呪塗り”は、男は記憶をまっとうな人の頃に退行させている。こうなってしまえば辛抱強く聞き耳を立てるしかない。衝撃的な経験の苦しみを吐き切らせて、残った意識が何かを具現化させる。


「さゆる、さゆるぅうう」

 末永く愛でるが粉微塵になった表れが、聞こえるばかりだった。最初は啜り泣き、次は噎せて嗚咽。哀れで悲痛なさまだった。

 丁度よく、外から時の刻みを告げる鐘の音が聞こえる。責問を止めて奴を独房に戻すをしなければならない。茶太郎は付き添いの徒目付に「牢屋に連れていけ」と促し、それから男を見据えた。


 すると、だった。


「……。涙で塗りが剝がれちまった。おい、じろじろ見るな。嫁が逝っちまったあと、おれは“呪塗り”に手を染めた。目がとろんとしている奴を見つけるとうずうずしたさ、おれが放つ通力は見事に効いていた。あんたに効かなかったのが不満だね……。くう」


 白状をしているか。茶太郎は一からの聴取を“呪塗り”に掛けてみた。


「何度も訊くな。最初は嫁を診た医者、次に偶々通りがかった男、そして盗っ人を3人。最後があんただ」


 “呪塗り”は、口を開くに尽きたと云わんばかりであった。悪業を犯した罰を受けるに否はあるまい。


「裁かれる前に、此処だけで訊こう。嫁さんが生きていたら、一緒に何をしたかったかい」

 “呪塗り”は元々人だ。涙ながらで妻の名を何度も呼んでいた。絆しは義理だ、ちょっとした畳み掛けだが。


「なにも。いや、流れてゆく千切れ雲をまったりと見たかった」


 人らしい物言いをしている。

 茶太郎は「ほう」と、息を細く吐いたーー。



 ***



 “呪塗り”こと、男の名は竹本梅吉。奉行所の白州にて、奉行より下された刑は炭鉱送り。そして、服役囚で石炭の採掘作業を課せられる。

 奴は今頃、全身石炭の煤まみれで鶴嘴を握っているのだろう。呪いを塗っていたくせに、煤を塗るとは洒落にならない。


 事案は片付いた。よって男についての考えは外す。かと言って、頭の中を切り替えるには何の方法が適しているのだろうか。そういえば、作蔵とはすっかりご無沙汰していた。御用聞きとして出番が回っていなかったことに拗ねていなければいいが。


「作蔵、私だ。どうだ、久しぶりに私と飯を食いに行かないか。勿論、驕りだ。……。何だその嫌々した声色は。仕事抜きにでだ」

 茶太郎は奉行所の固定電話を使用して作蔵に連絡を取った。作蔵を飲み食いに誘うのは、大体は生業絡みで報酬を付ける。だが、今回は違うと念を押した。


 頭をすかっとさせるには、作蔵の食いっぷりを見ながら酒を楽しむにかぎる。おっと、肝心で大切なことを忘れているわけではない。そう、椿だ。椿とはゆっくりと、遠出をしてーー。


『おい、茶太郎。折角だから伊和奈も誘え。あんたの彼女もだ』

 作蔵からの提言に、茶太郎は堪らず「ぶるっ」と、身震いした。財布の中身が、違った、椿を作蔵に会わせる……。作蔵は気に留めてない様子だが、椿はどうなのか。ああ、そうだ。椿は作蔵とのあの一件(華の章、口笛を参照)以来、気落ちしているのをよく言っているは、傷が癒えてないのが考えられる。しかし、伊和奈を同席させるなら女子同志の話で華やかに和むを期待しても……。


 ……。


「私は貴様と男同士でないと出来ない話をしたいのもある。酒に酔った勢いでは、特にそうだ」


『はあ。わかったよ、おまえも所詮男だもんな。へへへ、じっくりと聞いてやるからさ。んじゃ、またあとでな』

「つうつう」と、受話器から通話が途れた音が聞こえた。


 何だ、いやらしそうな物言いをしやがって。


 茶太郎は軽く咳払いをしながら「むっつり」と顔をしかめたーー。


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