哭孟浩然
長安でともに語らった日から、春夏秋冬が二回訪れ、母国から新たな遣唐使がやって来た。しかしこの頃には、真成の容体はいよいよ怪しくなっていた。
「大使殿、次の出航はいつだ」
「この分だと、そう遠くない内に船を出せそうだ。遅くとも、数十日後には復路を辿れるぞ」
次代の大使の言葉を聞いた真備は、床に臥せた真成を大いに励ました。すっかり細くなった彼の手を握り、懸命に語り掛ける。
「気を確かに持て。あと何日もすれば、国へ帰れる」
「そうか……。何としても、帰らねば……」
出航に備えて長安に移ってきた彼は、弱々しく寝そべっていることが多くなった。最早体力ではなく、気力で生き延びているようにも見える。
「彼も、今度の船で帰れるのか……?」
真成の問いに、真備は少し顔を反らした。仲麻呂は次代の遣唐使を手厚くもてなし、自身も帰国することを試みたのだが、玄宗帝がそれを許さなかったのだ。
「残念だが、彼は唐に留まるらしい。皇帝が、彼の帰国をお許しにならぬ」
真成は悲しみの色を浮かべたが、すぐに気を取り直して微笑んだ。自分の帰国する理由が、ますます増したと言わんばかりに。
「彼が帰れぬのなら、我々が必ず務めを果たそう。無事に朝廷に戻れるように、天に祈るのだ」
天に祈るのは、自身の体調にしてくれ。真備は心の底からそう思ったが、決して口にすることはなかった。ただ、彼の願いに応じるように、力強く手を握った。
……彼らの誓いとは裏腹に、その日の夜はひどく無情だった。まどろむ真備の耳に聞こえたのは、真成の泣き叫ぶ声だった。
「うぁぁぁぁぁっ!! く、来るなぁぁぁぁぁっ!!」
虚空を見つめる彼は、「何か」から必死に逃げていた。苦しそうに頭を振り、大粒の涙を零す。
「落ち着け! 夢に呑まれてはならぬ!」
慌てて駆け寄った真備は、一心不乱に両手を動かす真成の肩を揺さぶった。他の留学生たちも、灯りを持ってやって来る。
「私はっ、何としても国に帰るのだっ……!! 帰らねば、何としてもっ……!!」
「気を保て! 瘴気と会話をしてはならぬ!」
真備の声は、彼には全く届かない。彼の意識は最早、悪夢の中に囚われていた。
「失せろぉぉぉぉぉっ!! この物の怪がぁぁぁぁぁっ!!」
「ならぬ!! 止めろ!!」
――彼は最後に空を仰ぎ、そのままぐったりと脱力した。段々と息が遠くなり、赤い頬が白ばんでいく。
「誰か、早く医者を!!」
うら若い学生が、大急ぎで廊下へと飛び出す。しかし時は既に遅く、彼の生はこの世にはなかった。開元二十二年、寒い唐の都での死だった。
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