朔ちゃんはあきらめない

未唯子

ひまりちゃんは性欲に振り回されてる

1

 なんとなく分かってはいたのだ。デートはわたしばっかり誘ってるなぁ、とか。しかも2回に1回は理由をつけて断られるなぁ、とか。だから驚きはしない。またか、と落胆するだけだ。


「別れたいのは分かった。だけど、理由を教えてほしい」


 やめておけばよいものを、答え合わせのように聞いてしまうのだ。彼ーーもといわたしが別れを承諾したので元彼だがーーは言いづらそうに目を泳がせた。きっとわたしが傷つくと思ったのだろう。やっぱり好きになった頃と変わらずに優しい人だ。だけど、大丈夫だよ。


「そ、その。ひまりの性欲についていけなくて……」


 そう言って振られるのには慣れているから。わたしは「そっか。わかった」とだけ告げて、2人の関係を終わらせた。

 「今まで付き合わせちゃってごめん」と、それは言わないことにした。今までの経験上、謝っても相手が困ってしまうからだ。それに、嫌々していたのかもしれないが、その時は気持ち良さそうにしてたじゃんか、と思ってしまうのも本音だった。





 これで何人目だ?"性欲についていけない"という理由で振られるのは。わたしはベッドに潜り込んで歴代の彼氏を思い返していた。

 えっとー、最初に付き合ったタケルくんが一人目で……。……ん?もしかして、もしかしなくても今まで全員に同じ理由で振られてない?

 意識的に考えないようにしてきた現実を改めて突きつけられて、なかなかのダメージを食らう。わたしってそんなに性欲強いのかな……。そんなことを考えても、答え合わせができないのだ。人それぞれ、その一言に尽きることに正解などなかった。今までの彼氏に「付き合いきれない」と愛想を尽かされたこと、それだけが事実だ。


 え、待って……まさか一生この理由で振られ続けるとかないよね?

 嫌な未来を想像して、その妄想に取り憑かれる。これではいけない。次付き合う人にはこの性欲は隠し通そう。そのためには別のところで解消しなければいけない。

 自慢ではないが、わたしは自分の自制心を信じていない。どこかで発散しなければ、新しくできる彼氏に対して性欲が爆発する未来しか想像できない。そこに対しては絶大な信頼を寄せているのだ。





 「まじで気をつけなよ。居場所は絶対に送ってきてね」と親友のエマに念を押され送り出される。わたしは「了解しました!」と大袈裟に敬礼を返し、待ち合わせ場所へと急いだ。


 元彼に振られた夜に考えて出した結論は"アプリで出会えばいいじゃん!"という、なんとも単純明快なものだった。

 それを閃いた瞬間、早速有名なアプリをインストールし登録をしようと思ったが、ここで現実を突きつけられた。……高校生は使えないじゃん!

 そうなのだ。大手マッチングアプリは満18歳以上が利用できるが、高校生は登録不可であった。しかしわたしはどうしても性欲を発散したい。そこでネットを駆使し、辿り着いた年齢確認不要のアプリで相手を探したのだった。


 とても安全な方法だとは言えない。一応念のため、とエマに相談すれば、「絶対にやめた方がいい」と止められたのだった。そりゃそうだ。わたしも友達にそんなことを言われたら「やめときなよ」と言うだろう。だけど今のわたしにとっては、性欲を発散できる相手を探すことが第一優先事項。しかも緊急課題なのである。

 わたしが熱弁したことによりエマはいよいよ折れてくれた。しかし条件があると。それが先ほど送り出しのときに言っていた"居場所を写真付きで送る"ということだった。





 待ち合わせ場所であるわたしが指定した駅前に着き、ソワソワと落ち着かず相手を待っていた。手持ち無沙汰なわたしはメッセージアプリを開き、待ち合わせ相手とのやり取りを読み返すことにした。

 

 今日会う約束をしているのは、近くの大学に通う19歳のマモルくんという子だ。一応顔写真は交換しており、それを見る限りではなかなかのイケメンだと思う。まぁ、加工されていたら分からないが……。ちなみにわたしは無加工のものを送った。それは会った時にガッカリされたくなかったからだ。会った瞬間、あからさまに態度を悪くされるとさすがに傷つく。

 そして、わたしにとっては一番重要なポイントがあった。何度も言うがわたしは性欲を持て余しているのだ。なので"性欲が強い"これが相手に求める第一条件なわけだ。

 全く面識のない人に『性欲強いですか?』と聞くのはかなりの勇気がいった。いや、面識がある人に聞く方がハードルが高いか?……とりあえず、唐突に下ネタを投げかけるのは恥ずかしいのだ。

 しかしその条件は譲れない。それがなければ危険を犯してまで会う意味がないのだ。勇気を出して聞いたわたしに、マモルくんは『猿みたいにやってる』と答えてくれた。うん、わたしも猿みたいにしたい。それからマモルくんはいかに自分の性欲が強いかということを、実体験を交えながら話してくれたのだ。わたしは期待に胸を膨らませた。マモルくんが居てくれれば、次の彼氏とは別れなくていいかもしれない……!と。

 

 わたしがマモルくんとのやり取りを読み返しながら、いったいどれだけの性欲なのだろう?とワクワクしていると、「ひまりちゃん?」と窺うような声音で名前を呼ばれた。瞬間的に声のした方に顔を向ければ、ふむ。まぁ、多少の加工はしてたのかな?というような容姿のマモルくんが立っていた。でも今日に限っては容姿など二の次だ。とりあえず性欲が強ければそれでいいのだ。


「はい、ひまりです。マモルくんですか?」

「うん!ってか、めっちゃかわいいね!よく言われるでしょ?」

「えー?うふふ。どうでしょー?ありがとうございます」


 実際可愛いとよく言われるのだ。だけどわたしの容姿は諸刃の剣だ。この"清楚"と形容される見た目のお陰でモテてきたと思う。だけどそのせいで、強い性欲との悪いギャップが生まれてしまうのだ。

 "昼は淑女、夜は娼婦"という女性は男の人からしてもたまらなく魅力的なのだろう。だけどわたしは昼も夜も時間帯問わず娼婦なのだ。最初はノリノリで興奮していた彼氏たちもしまいには疲れ果ててしまった、という結果が今日に繋がっている。


「じゃ、早速ホテル行こっか」


 マモルくんは慣れたようにわたしの手を握った。その言葉と行為にどきりとする。いくらわたしが性欲モンスターといえど、好きじゃない人と致すのは今日が初めてなのだ。わたし、マモルくんとできるのかな……?と少しの不安が姿を現した。



 どうやらマモルくんには行き慣れたホテルがあるようだった。それは教えられたわけではなく、迷いなく進んでゆく彼の歩みからわかったことだ。

 道中、繋いだ手の指の付け根をマモルくんの親指が優しく撫でる。それはすでに愛撫が始まったかのような粘り気のある触れ方だった。もしかしてもう勃ってるんじゃ……?と心配になって、マモルくんの股間辺りを見てしまう。その視線に気づいたのか、「ほんとにセックス好きなんだねぇ」と笑いかけられてぞわりと肌が粟だった。


「ここでいい?」


 とマモルくんはあるラブホテルを前にして歩みを止めた。それはラブホテルを利用したことのないわたしでも目にしたことがあるほど、有名なところだった。綺麗な外観にホッと胸を撫で下ろす。いよいよこの人と本当にするんだ、と心臓がうるさいほどに鼓動を早めた。

 わたしが無言で頷き、了解の意を表したときだった。「あ、いたいた、こっち」とマモルくんが誰かに向かって手を振ったのだ。


「おぉ、めっちゃかわいいじゃん」

「でっしょー?しかもセックス大好きなド淫乱で、ピチピチ女子高生」


 マモルくんはわたしに先程告げた内容の確認を取るように、「ね?」と首を傾げた。わたしはといえば突然現れたもう一人の男にたじろぎ、恐怖した。まさか、最初から計画されていたのだろうか?などと今さら考えても仕方のないことばかりが頭に浮かんでいく。


「やったー!つっても、2つしか歳変わんねぇけど」

「でも、この鞄の中には制服が入ってるんだよねぇ?」


 恐怖でなにも言えないわたしのことなど気にも止めず、彼らは楽しそうに言葉を交わす。制服でラブホテルはダメだろう、と駅のトイレで私服に着替えてきたわたしの鞄を指して、卑下た笑みを浮かべるマモルくんに嫌悪感が湧き出てきた。

 違う、わたしだ。わたしがこの人を自分で選んで、自分でここにやってきたんだ。今になって自分の馬鹿さ加減にほとほと嫌気が差してきた。

 しかし男の人2人だなんて聞いていない。これは受け入れるわけにはいかなかった。


「……わ、わたし、帰ります」

「……はぁ?なに言ってんだよ?」


 初めて聞いたマモルくんの脅す低い声に体が固まる。……いや、初めて聞いたって、何言ってるんだ。わたしこの人のことなにも知らないじゃん。


「2人だなんて聞いてないです……」

「いやいや、ひまりちゃんは性欲お化けのビッチちゃんなんでしょ?」

「そーそー、聞いてるよ。そのせいで彼氏に振られてきたって!」


 わたしの傷口に彼らは無遠慮に塩を塗り込んでいく。口を開けて大笑いしているが、ちっとも面白くない。


「な?だからー、俺ら2人で満足させてやるって言ってんの?」

「気持ちよくなろーぜー?後ろからも前からも犯してやるよ」


 絶対無理!きもい!わたしは急いで踵を返し、この場から逃げようとした。しかし彼らに腕を掴まれ、マモルくんの体にすっぽりと覆い被される。後ろから胸を揉みしだかれ、硬くなって主張しているそれをズボン越しに押し付けられた。


「や、だれか……」


 助けを求めようとしたが、ここは大通りから道を何本も外れたラブホテル街だ。人通りはまばらだし、通ってもみんな自分たちに夢中でわたしのことなど知らんぷりだ。

 もうだめだ……わたしこの人たちに好きなようにされるしかないの?自業自得だとは重々承知している。だけど嫌なものは嫌なのだ。涙が一粒、ぽとりとこぼれ落ちた。


「あっれー?沖くんと市田くんじゃん。こんなとこでなにしてんの?」


 突然降ってきた声に驚いたのはわたしだけではなかったようだ。「お、おう。新堂じゃん」とわたしを掴んでいたマモルくんの腕からも力が抜けた。それを感じとったわたしは一目散にその腕の中から抜け出し、声の主に助けを求めようと駆け寄った。


「大丈夫?もしかして無理矢理?」

「やだなー、そんなわけないじゃん、な?」

「お、おう。合意だよ、合意」

「そー?嫌がってるようにしか見えなかったけど」


 庇うように、わたしの前に立った大きな背中が本当に頼もしい。まるで神様のようだ。いや、この時のわたしにとって彼ーーたしか、マモルくんが新堂と呼んでいたーーは本物の神様だった。


「いや、ほんとに合意なんだって!アプリで知り合った淫乱ビッチなんだよ」


 マモルくんが必死で言い訳しているところを見ると、彼たちの力関係がハッキリと伝わってきた。「2人いるなんて聞いてませんでした……」と、わたしはここぞとばかりに援護射撃をした。


「だって?さすがにそれ隠して会うのはまずいでしょ?今日は諦めて帰ったら?」


 有無を言わさぬ新堂さんの圧にマモルくんとその友達は「ほんと最悪、まじありえん」という捨て台詞を吐いてわたしの前から消えた。





「で?本当に淫乱ビッチちゃんなの?」


 2人が完全に視界から消えたことを確認すると、新堂さんはくるりとわたしに向き直り、完璧な笑顔でわたしに問いかけた。その時初めてはっきりと認識した新堂さんの顔にわたしは言葉を失う。

 だってそれがあまりにもわたしの理想そのものだったから。育ちの良さが顔から出ているほどに穏やかな印象。薄い瞼にキリッとした印象的な瞳。それなのにキツく見えないのは、ぽってりとした唇と細い鼻筋のお陰だろうか。輪郭もシャープで、無駄な余白がないほど小さな顔に上品なパーツがきちんと配置されていた。


「おーい、大丈夫?」


 新堂さんの顔をぽけーっと見つめたまま反応しないわたしを不思議に思ったのだろう。新堂さんは心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。


「あ、は、はい!あの、助けていただいて、本当にありがとうございました」


 深々とお辞儀をしたわたしに笑いかけた新堂さんは、「なにかあったら連絡しておいで」とわたしに連絡先を告げ「僕も淫乱ビッチちゃん、大好きだよ」と最後に爆弾を放り投げて、待たせていたであろう女の人の元へと走り去った。


 

 わたしの手元には新堂さんの番号が入ったスマホ。あんなにかっこいいのだ、絶対に彼女がいるだろう。というか、違うラブホテルの前で新堂さんのことを待っていたのが彼女だろう。それに見た目とは裏腹に女遊びをしている危険な人かもしれない。

 だけど、わたしは絶対に彼に連絡してしまう。なんたって、わたしの自制心の低さは折り紙付きなのだ。





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