第2話 1番滑走は好きじゃない
薄暗い通路裏でウォーミングアップのために短い距離を走って往復していく。
しだいに体がポカポカしてきて、アイスダンスの第二グループの六分間練習が始まろうとしていた。
イヤホンで音楽を流しながら振付の確認をしていたけど、心臓が静かに鼓動を鳴らしている。
間もなく最終滑走のカップルが滑ろうとしているのか、女子の第一グループの選手はリンクサイドへ向かっている。
女子のショートプログラムは全体の最後に行われて、とても楽しいことが話していることが決まっているんだ。
そろそろ自分のいる第一グループの六分間練習が始まるみたいだった。
わたしは少しダークレッドで中国風の衣装を着て、髪も一つに結って髪飾りとかつけている。
手の甲には衣装と同じ色の布が覆われていて、剣道の小手みたいな形をしているんだ。
なんとなく地味だけど武術をしやすそうなデザインになっているんだ。
「あ、ユカ。かっこいいじゃん」
「あ、ありがとう。ユミちゃん、お互いにがんばろう」
ユミちゃんが声をかけてくれて、少しホッとしたかもしれない。
日本代表は第一グループには一人だけ、
リンクサイドには各国の選手が来ていた。
英語でのアナウンスが聞こえてきて、照明が落とされてリズミカルな音楽が流れてリンクに入っていく。
英語で名前と国名がアナウンスされる。
わたしの名前も呼ばれて、観客席に挨拶をしていく。
その隣にいるのはロシアの子でシニアデビューしたばかりで、かなり勢いに乗ってトリプルアクセルを跳びあがっている。
彼女の名前は確かエカテリーナ・モロゾワちゃん、三月にあった世界ジュニアの銀メダリストでトリプルアクセルを武器にしている子だ。
最近は四回転ジャンプの取得を目指しているけど、とてもむずかしいことができているのが見えている。
それぞれ名前が呼ばれて、練習がスタートしていく。
リンクを周回してからトリプルルッツを跳んでみたけど、タイミングがずれてしまって着氷して体勢が崩れて転んでしまったの。
「あっ、あれ……上手く降りれない」
何度か他のジャンプを試してみると、回転不足が多めになってしまいそうになってしまう。
ほんとに一番滑走はあまり好きじゃない。
今年の東京選手権のショートプログラムでも一番滑走を引いてミスが目立ってしまった。
「友香ちゃん。大丈夫? 体が緊張しているのかもしれない、リラックスして……深呼吸」
「はい」
ドリンクを飲んでから深呼吸をして、気持ちが落ち着いてきた。
大西先生は笑顔でうなずいてくれたのが、とても安心してしまった。
「大丈夫そうだね。一番滑走だからって、そんなに気負わなくていい。いま自分が二番滑走の気持ちで滑って見たらどうかな?」
「わかりました。やってみます」
自分は二番滑走だと思い込みながらリンクで練習をしていく。
自然と心が安心してきた感じになって来た。
苦手意識の強いトリプルルッツ+トリプルトウループをきれいに降りることができた。
このまま安心できるなと考えていたときにエカテリーナちゃんがビュンッと通り過ぎて行った。
再びトリプルルッツを跳んでいるのがとてもすごい。
ステップシークエンスの確認をしていたときにびっくりしてしまった。
その子は第一グループの最終滑走をするみたいだったんだ。
残り一分がなってからリンクを周回して体力を温存していくことにした。
ステップシークエンスとスピンの確認していたときに六分間練習が終わった。
わたし以外の選手がリンクを上がっていくのが見えた。
でも、不思議と緊張がほぐれていていい感じに仕上がっているみたいだ。
大西先生と握手をしてアナウンスされるのを待った。
「No.1, representing Japan. Yuka Kanei.」
「がんばれ~! 友香ちゃ~ん」
日本代表のみんなが応援してくれている声が聞こえてきた。
それが何となく怖い、心がとても難しいんだ。
英語のアナウンスが聞こえてきて、心臓の鼓動が速まってきた気がする。
手も若干震えているのに先生が気づいたみたいだ。
そんなときには笑顔で優しく声が聞こえてきたの。
「友香ちゃん、いつも通りの演技で気楽にいってらっしゃい!」
「はい。いってきます」
アナウンスされてから三十秒以内に演技を始める。
すぐにリンクのスタート位置に立って衣装の袖に触れたときに音楽流れてきた。
中華風のメロディーに乗せて、皇后として家を出た
しなやかではあるけど、女性の強さが出ている振付だ。
皇后として嫁いだ彼女は夫となった皇帝との間に皇子を授かり、映画尾の時間軸では再び子を宿していたときだった。
そのままジャッジ席の前を横切って、リンクの右側のカーブに来たときにトリプルルッツへと向かう。
踏み切った瞬間にパンクすると思って、体がこわばってしまって気がついたら氷の上に叩きつけられていた。
ヤバい、また失敗した。
とても怖い気持ちがよみがえってきそうだ。
練習してもできてたのが、できないのがつらい。
すぐに立ち上がってから悪い流れを断ち切りたいと思いながら、ダブルアクセルを跳ぶと、若干回転不足気味な感じだったのが怖い。
焦った気持ちのなかで冷静になろうとしても、心臓がバクバクと聞こえてきて変な汗も流れてきた。
手足も震えてきて、別人のような感覚になっている。
怖い怖い怖い……。
パニックになりながらも、落ち着かせようとしながらコンビネーションジャンプを跳ぶ。
でも、ジャンプは転倒してしまって、頭は真っ白になりながら必死に演技をしていく。
そのときに転倒したときになぜか、ホッとしてしまったまま最後のステップシークエンスが始まった。
二度も転倒してしまったのでお尻あたりがジーンと痛くなっているけど、もう心はここにあらずな状態で演技をしていた。
ここからは妹の
映画を実際に見て気がついたけど、このシーンは返り血をもろともせずに姉と義兄を護るために必死の形相で戦うんだ。
そのときにステップシークエンスは一番スピードが出ていたのかもしれない。
そこでようやく我に返ることができて、勢いに乗せデスドロップから入るフライングシットスピンを始めていく。
逃げ出したい、ここから逃げたい。
そんな気持ちが一番強くなってきて、こんなことになるなんて初めてだ。
もう泣きそうになって来たんだけど、それをこらえてターンをしてからすぐにレイバックスピンを始める。
ここで致命傷を負ってしまった春蕾を看取り、その悲しみを抱きながら姉の護衛をすることを続ける気持ちで形見の剣をさやに収めるポーズをした。
そのときに曲が終わって拍手が聞こえてきて、涙が溢れてきてしまった。
やっぱり一番滑走で演技することができなくて、自己嫌悪がふつふつとわき上がってくるのを感じてしまった。
目頭が熱くなって、さらに口がしっかりと閉じなくてわなわなと震えている。
涙をこらえるのに必死な表情でお辞儀をしてから、リンクから下りて一礼したときに涙が頬を伝っている。
冷たい空気がのどを通って肺の方へとやってくる。
「先生……ごめんなさい。上手くできなかった」
「大丈夫だよ。今日は調子が狂ってしまったね。明日は大丈夫だから」
そう声をかけてくれるけど、それが申し訳なくて泣いてしまう。
シニアデビューした昨シーズンはとても調子が良くて、四大陸にも出れたけど今シーズンはなぜか結果が残せなくなっていた。
オリンピックシーズンという特別なシーズンなのは知っているけど、このまま苦しいことが続くとなるととても嫌だ。
タオルで口元を押さえながら、涙をポロポロ流して得点を見ることにした。
「応援してくれてる人に申し訳ないよ。先生」
「そんなことないよ。大丈夫だって、得点が出たよ」
その得点は見たくないけど、視界に入ってしまう。
自分がいつも出している得点よりも低くて一番最下位かもしれない。
そう覚悟していたけど、とても泣きじゃくりながら取材されるミックスゾーンに向かった。
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