おんなじ太陽
ゆたかひろ
序章
昭和五十年 夏
小学校三年生の夏休み。と言っても、私ではなく、私の母のことです。
私が暮らしているのは、母が生まれてからずっと住んでいる家です。その家がある町内のすぐ近くには府道が通っています。周りは新しい住宅やマンションなどに囲まれていて、数年前には目の前に府の建物が建ったりしました。周りの新しさからは見劣りする古い町内です。
でも、母が生まれた頃は新しく開かれた住宅地でした。十九軒の町内。周りは田畑に溜池、雑木林、どこかの建設屋さんの資材置き場。土や砂利を小高く積み上げてあったので、裏山と呼んでいたそうです。同じ町名になっている一番近い住宅は、田んぼを三枚越えた向こうにある市営住宅。そんな、周りから隔絶された町内でした。
その頃は、小学校五年生の男の子が二人、三年生の女の子が二人(そのうちの一人が母です)、二年生の男の子が二人、女の子が一人。一年生の女の子が二人。合計九人の小学生が町内にいて、その日も裏山でみんな遊んでいたそうです。
でも、そのころ困ったことに「隊長命令」って遊びを五年生の男の子二人が気に入っていて、いつもそれをやらされていたそうです。
「どんな遊び?」って聞いたら、かけっこだったり、石の遠投だったり、缶蹴りの飛距離だったりで一番を決めて、一番になった人が隊長。そして隊長は、みんなに何でも命令できるとか⋯。当然、隊長になるのはいつも五年生の男の子二人。溜池に投げ込んだボールを拾ってこい。こわーいおじいさんの住む家の庭からビワの実を採ってこい。カエル、クモ、トカゲ等を捕まえてこいなど。とにかくいじめ的な命令ばかり。みんなはいやでいやでしょうがなかったんだけど、従わないといじめられるから仕方なく毎日のようにやっていたみたいです。
八月に入って一週間ほど過ぎたその日は、真夏の太陽が元気いっぱいに照り付ける晴天でした。でもそんな天気とは対称的に、二年生の男の子二人は泣いていたそうです。泣いた原因はって言うと、久々に現れた蛇。それを空の灯油缶に追い込むまではみんなでわいわいと楽しんだらしいのですが、追い込んだところで隊長決め、隊長になった男の子が二年生の男の子二人に、
「その蛇、首に巻け!」って命令したんだって。二年生の二人は蛇を触ることも怖くて拒否したらしいんだけど、いつもと同じで「やらなきゃ殴る」と言われて泣き出したって。ちなみに母は、そのころ蛇を手で掴むくらい平気だったらしいです。それどころか、泣くばかりで捕まえようとしない二人に腹を立てて、とうとう本当に二人を小突き始めた五年生たち。母も二年生の二人がかわいそうに思いました。けれど、自分もしょっちゅういじめられていたので、怖くて逆らえなかったって。後はもう、町内の誰か大人が気付いて止めに来るのを待つだけ。
そんな時に一人の男の子が裏山に現れました。その日のお昼くらいにトラックが来て、町内の空き家に誰か引っ越して来たのです。そこに男の子と女の子が一人ずついたのはもうみんな知っていました。その男の子です。
男の子は何も言わずに近づいて来ます。仲間に入りたいのだろうと言うことは分かりました。でも、笑顔だったその男の子も不安げな顔になります。近づいてくるにつれて、泣いている二人に気付いたからです。
「お前、誰や?」
五年生男子の一人が声をかける。
「今引っ越してきた⋯」
その男の子も泣いてる二人の異様さからか、緊張しているみたい。
「名前を聞いてるんや!」
もう一人の5年生男子が聞きます。
「阿部です」
「阿部は何年や?」
「三年…、ねえ、何しよっと?」
しよっと? みんな顔を見合わしてから控えめに笑いました。泣いていた二人も泣き止んでいます。また五年生の一人が聞きます。
「なんや? しよっとって? お前どっから来てん?」
「山口から。ねえ、何してたの?」
笑われたことで言葉を変えた男の子。それを聞いた五年生はからかいます。
「自分、普通にしゃべれや、とっとやろ、とっと」
「⋯⋯」
みんなはまた笑いましたが、男の子はそれには答えませんでした。
「隊長命令ってやつやってんねん、今は俺が隊長や。自分もやるか?」
五年生の一人が言いました。
「隊長命令って?」
「隊長に命令されたやつは、何でも隊長の命令きかなあかんねん。自分もここに来たんやったら、やらな一生遊んだらへんで」
言われた男の子は、知らない遊びに興味を持ったようで、
「何したらいいの?」と、少し明るい顔になって聞きます。
隊長の男の子は意地悪い笑顔で言います。
「そこの缶の中に蛇がおるねん、手で捕まえろ」
さっきまで泣いていた二人の男の子は、顔を見合わせてほっとしたように、ニコっとしました。母もこの二人より、見知らぬ変な転校生が犠牲になるほうがいいと思いました。第一印象は良くなかったらしいです。
ところが男の子は、言われるとすぐに灯油缶に腕を突っ込んで、中の蛇を掴んでしまいました。
「これでいいの?」
男の子は笑顔で言います。みんなもほっとしたような、感心したような顔で男の子を見ました。
「あほ!、そんなこと誰でも出来るっちゅうねん!」
隊長の男の子があわてたように言います。
「キングコングみたいに口から二つに裂くんや!」
むちゃくちゃ言うてるわ、と母も思ったそうです。でもその時は、いつも一緒にいじめられてた仲間の子が救われる。そして、決して第一印象の良くなかった男の子。その子が代わりにいじめられる。その方がいいと思ったようです。
男の子はしばらく蛇とにらめっこするかのように、蛇を正面から見ていました。
「なーしてそんなことせないけんと? かわいそうっちゃ」
また方言で言いました。今度は方言のほうには触れず、
「大阪ではみんなそうすんねん。自分もはよせえ!」
隊長はいいました。みんなは心の中で、首を大きく横に振ります。ですが、本当にやるかなぁという好奇心で男の子を囲んでいました。
「うーん、やっぱり出来んっちゃ。いやっちゃ」
男の子は言いました。
「あかん! 隊長の命令は絶対せなあかんねん」
隊長は偉そうに言いました。でも男の子は、
「いやっちゃ」と、繰り返します。
「せえへんかったら殴るぞ!」
隊長はすごみます。
「なーして殴るっちゃ!」
隊長の五年生に「殴るぞ」ってすごまれると、みんなはもう何も言えず、一発殴られてから大声で泣く準備をするばかりでした。ところがその男の子は、五年生二人をにらみつけて言いました。初めての出来事に驚き、また、隊長たちが暴れだしたときに巻き添えを食わないように、みんなは二、三歩下がります。
「えーからはよせえ!」
みんなが思ったとおり、隊長は男の子の肩を突き飛ばします。ただ、そこからはみんなの予想外でした。
「なにするっちゃ!」と、男の子は叫び、手に掴んだ蛇を隊長めがけて投げつけました。でも、小学校三年生がすること。本人は隊長めがけて投げつけたつもりでしたが、実際は大きくそれて、停めてあったブルドーザーの方へ。しかし、隊長たち五年生は完全に怒ってしまいました。
「おまえなにしよんねん!」
どちらかが怒鳴ると、同時に二人して男の子に掴みかかりました。もう、男の子はボコボコにされて泣きながら「ごめんなさい」を言うしかありません。みんなそう思いました。でもなんと、その三年生の男の子は、体格も大きな五年生二人に応戦しました。母は、腕を振り回したパンチが、何発か五年生に当たるのを見て心の中で喜んだそうです。
でも実際は、三年生一人対、大きな五年生二人。男の子はすぐにうつ伏せに地面に押さえつけられます。馬乗りになった隊長からは叩かれ、もう一人からは足で小突かれてました。顔は鼻血やら鼻水やらよだれやら、そして、泣いてはいなかったけど、涙やらでぐしゃぐしゃでした。その頃には、母と、母と同級生の女の子以外の子は、逃げ出すように走って帰ってしまいました。
五年生の男の子二人も、しばらくは叩いたり、蹴飛ばしたりしながら、
「あやまれ! あやまったら許したる!」
と言っていましたが、
「いやっちゃ!」
あやまることにも拒否をする男の子に、内心困り、そのうちに二人は顔を見合わせると、
「こいつあほや! あほはもうほっとこ」
「そやそや、あほがうつるわ!」
そう言って男の子から離れます。そして、
「自分らも、もう帰りや」
母たちにはそう言うと、行ってしまいました。
男の子はあぐらをかいたような格好で座り込み、鼻をすすっていたそうです。母が、
「あんた、いけるか?」
そう言いながら顔を覗き込むと、男の子は顔を横に向けて目を合わさなかったとか⋯。
母たちは何とか男の子を立たせて、家まで連れて行くことに。トラックはいなくなっていました。でも男の子の家は中でバタバタと、まだ片付けをしているようでした。母たちが玄関から声をかけると、男の子の母親と妹が出てきました。息子を見て母親は驚きましたが、母たちが事情を話すとお礼を言って家の中に男の子を連れて入りました。その姿は母の記憶に深く刻まれました。
その夜、その阿部さん一家四人が、引っ越してきた挨拶に来ました。おそらく町内すべての家にだろうけど。そのとき初めて、母は男の子の名前を知りました。その名は正善君。
正善君はその後も事あるごとに、五年生の二人と揉めていました。そして秋から冬になるころ、町内の子供たちにとってはすごいことが起きました。例のごとく、その日も隊長決めがありました。その日は裏山に新しい土がたくさん積まれ、家の二階くらいの高さになっていました。その土の山に誰が一番早く登るかの競争です。積まれたばかりの土はやわらかく、崩れるばかりでうまく登れません。そんな中、彼は五年生二人をうまくかわして、なんと一番を取ったのでした。そして隊長として一つだけ命令しました。
「隊長命令! これから永久に、隊長命令はなし!」
やっぱり子供です。こんな遊びの命令でも五年生の二人は従い、二度と隊長命令は行われませんでした。さらに、二人のガキ大将ぶりもかなり控え目になったとか。ただそれは、彼らの攻撃対象が彼一人になっただけのことのようでしたが⋯。
その頃から、彼は母にとって特別だったのでしょう。
今でもなお、⋯そしてずっと。
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