俺、牧場で戯れる

 寝ているうちにバスは那須なす高原のについた。

 このあたりには観光地になっている牧場がいくつもあるが、その一つに立ち寄ったかたちだ。

 まだホテルのチェックイン時刻には程遠い。十時半だ。最終目的地に到着する前にバスはいくつかのポイントに俺たちを連れていく。

 夏休みだから子連れの観光客がたくさんいた。子馬に乗っているのはほとんど子供だ。

「乗りたーい!」と無邪気に声をあげているのは香月かづきせいだった。

 香月かづきの連れ三人が「お子ちゃまに混じって乗ってきたら」と笑っている。

 あいにく女子たちは乗馬向けの格好をしていなかった。

 ミニワンピの名手なてが短パン姿の東條とうじょうに向かって「先生、乗っていらしたら? 西脇にしわき先生と」と言って東條の苦笑を引き出していた。

 西脇にしわきの姿は見当たらなかった。広いところに踏み入れると、ひとり彷徨さまようのが中年男性の性癖なのだろう。違うか。

 ぞろぞろと歩いているうちに大勢の観光客に紛れてしまう。

 俺と門藤もんどうは女子の集団の後を影うすく歩いていた。

 やがて山羊ヤギがいるエリアに来た。柵で囲われている。

 囲いの中に入ってヤギたちと戯れるのだ。ヤギに追われて泣き叫んでいる子供もいる。

 そんなところに入るのかと思っていたら女子たちは怖いもの知らずで入って行ってしまった。しかもわざわざエサまで買って。

 その行為は自ら餌食になるようなものだ。案の定、ヤギたちに追われる。

 俺は奈良公園の鹿を思い出した。鹿を手にした瞬間鹿に取り囲まれ、包みを開く間もなく包みごとさらわれる。まさにそれだ。

 俺と門藤もんどうは囲いの外にいて助かった。

 女子たちはヤギに追われて逃げ惑う。きゃあきゃあ言っている顔は笑っているが。

 香月かづきは軽い身のこなしでエサを与えることに成功していた。かなり運動神経が良さそうだ。

「いやあ!」という悲鳴がしたのでそちらに目を向けると、エサを手にしていないはずの名手なてがヤギに食いつかれていた。

 ミニワンピの裾が引っ張られて際どいところまで太ももがあらわになっている。

 もしやその揺らめき柄がヤギを刺激した?

 香月が颯爽と現れ、名手に食いつくヤギにエサを見せて事なきを得た。男には惜しい場面だったが。

「もう! 何なの!」プンプンしている名手なては可愛い。

 その後また、ぶらぶらしていたらニジマス釣りのエリアに来た。

 いつの間にか西脇にしわき鮫島さめじまがいて、釣りをする気になっていた。俺も気まぐれを起こして参加することにした。こんなことは珍しい。

「え、釣りするの? 私もやってみたい」香月かづきが目を輝かせる。

 だから眩しいって。

 竿を手にしたのは西脇と鮫島に俺。女子は香月とC組学級委員の西潟にしかただった。

 のんびりとした釣りを想像していた俺は完全に裏切られた。

 団子みたいなエサをつけて釣り糸を垂らしたらいきなり食いつかれた。

 引き上げるとぴんぴん尾ひれをふる二十センチほどのニジマスが釣れた。

 それをバケツに放す。

 鮫島も西脇も同様、すぐに釣り上げた。

 香月と西潟にしかたは釣り上げたは良いがどうして良いのかわからずにきゃあきゃあ言って騒いでいる。

 鮫島がすぐに魚をつかんでバケツに移した。

 その後も香月と西潟はどんどん釣り上げ、鮫島がそれをバケツに移す作業に徹した。

 のんびりとした釣りなどではない。

 釣った魚はリリースできない決まりだから買い取って食べるしかない。だから人数分釣り上げたところでストップがかかった。

 釣りを楽しんだのは香月と西潟、そして昼行灯ひるあんどんの西脇だった。

 鮫島は女子たちのフォローにまわり、俺は二匹釣ったところで手を止めていた。

 竿を返す際にニジマスをさばいてもらい、串に差してもらった。これを焼き場に持っていく。

 真夏にこれはきついな。

 そこは日蔭になっていたとはいえ、焼き場特有の熱く揺らいだ空気が流れていた。

 名手なて本谷ほんたには少し離れたところに避難していた。香月かづき西潟にしかた、そのとりまきが楽しくお喋りしながら魚が焼き上がるのを待っていた。

 鍋奉行みたいに焼きを担当しているのは鮫島だった。その鮫島を香月と西潟が手伝っている。

 バスに乗っている間、鮫島と話ができる女子は本谷と香月だけだったが、釣りを契機に少しずつ増えている。

 鮫島は近寄りがたい雰囲気を持っているが、黙って動くタイプだと認識されると距離を縮める女子は多いようだ。

 最後まで距離をとっているのは名手だろう。その名手は門藤もんどうとともに東條とうじょう西脇にしわきの傍にいた。

 教師二人に密着取材している。東條も誤解されたくないなら西脇の傍にいなければ良いのに。

 おそらくは自分がいなければ西脇がひとりになってしまうとおもんぱかっているのだろうが、西脇みたいなタイプはひとりでいる方が気楽で良いのだ。

 それとも東條もまた生徒とはあまり関わりたくないのか? 特に名手とは。

「あら意外と美味しいですわ」

 名手は渡された串を横に持って焼き魚にかぶりついていた。

 食べ方はいたって普通だ。教師相手の言葉遣いだけが仰々ぎょうぎょうしい。

「少しですが」

 俺もそう思った。塩焼きなのだがかなり塩が効いている。腹が減っていたこともあり、それがまた旨い。

「冷えた生ビールが欲しいな」西脇はすっかりになっていた。

「いけませんわ、引率ですし」東條が微笑む。

 清楚な顔して、実は東條は飲む方ではないかと俺は思った。

「忘年会などでは東條先生にお酌してもらえるのですか?」名手は本当に遠慮がない。

「うちの教職員の会合でそのような光景は見られないよ」西脇が答えた。「そもそも忘年会自体開かれることがない。ごくたまに慰労会のようなものが有志で開かれることがあるが、関わりの少ない教職員と喋ることはないなあ」

 何となくわかる。職員室の様子を見ていれば教師たちが個人事業主の集まりだと認識できるだろう。

 東條が西脇に敬意を持っていたとして酌をするなどあり得ない。少なくともこの学校では。

「それは残念ですわ。きっと西脇先生も若くて美人の先生にいでもらいたいでしょうに」

 こいつの発想はオヤジだなと俺は名手の顔を窺った。

 東條は困ったように黙り、名手の傍らにいる門藤もんどうは、いい加減にしたらと言わんばかりの仏頂面をしていた。

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