第2話 転生マニアな令嬢は婚約破棄を待ち望む

「あぁ~、婚約破棄されたいですわ……」


 ローゼン伯爵令嬢のマルティナは、魔術学院の中庭にあるローズガーデンで特大のため息を漏らしていた。

 鬱屈とした気持ちのせいで、せっかくの紅茶と焼き菓子の味が曖昧に感じられ、ますますげんなりとしてしまう。


「ステラ。例の小説を取ってきてくださらない? 婚約破棄された令嬢が、前世の知識で商業無双する下巻を」

「あれは、お部屋の外で読んではいけませんよ。俗な小説は控えるようにと、御父上と約束なさっていたじゃないですか」

「ケチですわね。精神安定剤ですわよ!」


 マルティナは、自室の本棚を思い浮かべて再びため息をつく。

 侍女であるステラに頼もうとした「例の小説」とは、平民たちの間で好まれている「異世界転生」というジャンルの大衆小説のことだ。何らかの理由で死んでしまった主人公が異なる世界に転生し、前世の知識や新たに与えられた特別な能力を用いて第二の人生を生きていく物語――それが、「異世界転生」小説だ。

 そして、ひと言で異世界と言っても様々ある。魔王や勇者がいるおとぎ話のような異世界や、獣人がいる異世界、魔法のない異世界、戯曲や小説の異世界など、種類は無限大だ。

 つらつらと説明したが、つまりは平民たちが思い描く夢の小説。異なる世界に生まれ直して、サクセスストーリーを歩みたいという願いが詰まった物語なのだ。

 

 そしてマルティナは、そんな異世界転生小説に幼い頃からハマりにハマり続けている。4歳の時には、


「わたくしの将来の夢は、異世界転生していたことに気がつくことから始まります。このマルティナ・リタ・ローゼンの生を第二の人生として謳歌するために、前世の知識をふんだんに使いますの。そうして、わたくしは素敵な殿方と恋に落ち、アルズライト王国は未来永劫栄えるのですわ!」


 と両親に語っていた。

 マルティナの只ならぬ瞳の輝きに危機感を抱いた両親は、屋敷の本棚という本棚から対象の小説を抜き出してしまったのだが、その程度ではマルティナの「異世界転生」への憧れを消し去ることはできなかった。マルティナは、今でもお忍びで平民街の書店に通い、せっせと新作を仕入れているのだ。


「ステラ。わたくし、断罪されてしまうのかしら? 破滅エンディングまっしぐら? ご都合主義のように前世の記憶が蘇って、この窮地を脱する方法が浮かぶなんてことは無いのかしら?」


 真剣な話をしているはずなのに、異世界転生脳すぎるマルティナである。

 これでも一応、現実は小説のようにはいかないと理解もしており、泣き出しそうな状態なのだ。ため息をついたり、ムッとしたり、泣き出しそうになったりと、情緒はすっかり不安定だ。

 そんな彼女の胸の内を察してか、隣りに控えている侍女のステラは「どーんと構えましょう!」と努めて明るい声を出す。


「ほら、マルティナ様。大好物の苺のタルトですよ! 美味しいですよ!」

「もう! わたくしの殿下への想いは、そんなものでは誤魔化せませんのよ!」


 マルティナは「ふん!」と口を尖らしつつも、苺タルトはしっかりと味わった。


(味が曖昧というのは大袈裟でしたわ。ちゃんと美味しいものは美味しいですわ)


 しかし、だからといって、マルティナの抱く殿下――ルディウス王子への想いが軽くなるわけではない。

 ちなみに、「想い」というのは恋慕の情などではなく、苛立ち、嫌悪、落胆、諦めといった負の感情。


 マルティナ・リタ・ローゼン16歳は、婚約者ルディウス・フォン・アルズライトを角砂糖一個分も愛してはいなかった。あるとしたら、幼馴染として過ごした幼少期の思い出補正によるわずかな情。砂糖一つまみくらいだろうか。


 ルディウスは、幼い頃は素直で努力家な少年だったのだが、気がつけばいつもたくさんの令嬢たちを周囲にはべらせる女たらしに成長していた。本人がたいそう整った顔立ちであることと、甘い声が出せることを自覚しているためか、意識的に女性を釣り上げては昼夜問わず遊び惚けている印象だ。

 もちろん、そのような状況で真面目に勉学に取り組むはずもなく、マルティナが見るたびに彼の課題という課題は取り巻きの令嬢や令息たちが片付けていた。


 マルティナは、それら全てが許せない。

 王位第一継承者が、このように堕落していては国民に示しがつかない。国の未来が暗い。そして、妻になるマルティナの人生も真っ暗だ。


「せめて、ルディウス殿下が侍らす対象がマルティナ様だったら、話は別だったかもしれませんね~」

「あんな不誠実な方の傍になんか、いたくありませんわ! 昨日だって、酷い扱いを受けましたもの!」


 ステラに向かって大きく首を横に振り、伯爵令嬢にあるまじきクッキーのやけ食いをするマルティナ。


 思い出していたのは、昨夜に魔術学院の大講堂で執り行われたルディウスの18歳の誕生祭だ。ルディウスの取り巻き令嬢ズや太鼓持ち令息ズが主催したダンスパーティで、マルティナも招待されたのだ。


 マルティナは、てっきり婚約者としてルディウスにエスコートしてもらえるものと思っていたのだが、彼は他所の令嬢たちのど真ん中でへらへらとセクハラ行為に勤しんでいた。


「いや~、麗しいご令嬢たちに祝ってもらえて、俺様嬉しいぜ~」

「そのドレス、似合ってる。もうちょい、デコルテが開いててもいいけど」

「この後時間ある子、いる? 俺の部屋に来いよ」


(MARUKIKOE! 丸聞こえですわよ!)


 取り巻き令嬢たちとのキャッキャウフフを大講堂の隅っこで聞かされる身にもなってほしい。

 常識のあるパーティ参加者からは、「マルティナ様、婚約者なのに可哀想」と言わんばかりの憐みの視線を向けられ、気まずいのか誰一人としてマルティナに近寄って来ることはない。孤独すぎる。


(帰ろうかしら……)


 ラピスラズリ色の髪を指でくるくると弄ぶことにも飽きてしまい、マルティナはルディウスにひと言祝辞を述べて帰ることを決めた。


 これ以上、この場にいても意味はない。自分はお呼びでないのだと、憤りと諦めの気持ちいっぱいで、嫌々ルディウスの前に進み出る。


「ルディウス殿下。この度はお誕生日おめで──」


 マルティナがそう言いかけた時。不意にルディウスにグイと腕を引かれ、身体がグイと抱き寄せられた。

 ルディウスの薄い唇が、マルティナの耳に温度を感じるほどに近づく。

 まさか、ようやく婚約者として扱ってくれるのだろうかと、マルティナは久々に見るルディウスの整った顔のドアップに、思わずドギマギとしてしまったのだが。


「殿下、皆が見ていますわ……!」

「あぁ、そうだ。だから、これ以上は俺に近寄らないでくれるか? お前のヒール、高すぎるんだわ」

「ヒール?」


 耳元で囁かれた言葉に、マルティナは血の気が引いて──というか、ドン引きしてしまった。


(愛の言葉を期待してしまったわたくしの馬鹿! このナルシストは、わたくしが隣に並んで自分が小さく見えることを気にしていたわですわ!)


 ルディウスは、期待していたほど伸びなかった感が漂う身長175センチ。

 対してマルティナは、スタイル抜群の167センチ。プラスハイヒール。

 二人の目線はほぼ同じか、ルディウスがほんの少し高いだけだ。


「お前、ほんとに可愛げのない女だよな。せめて俺より低い位置に──」


 バチバチバチィィッ!


 ルディウスが口を開いた瞬間、彼の頬に稲妻がほとばしり、派手な音を立てて炸裂した。

 取り巻き令嬢ズの悲鳴が上がるが、知ったことではない。


「シークレットブーツの底をもっと厚くなさればいいのですわ!」


 マルティナは、フーっと荒い息を吐き出しながら強く言い捨てた。

 その雷魔術を帯びた手の平は、ルディウスの頬を引っ叩いたばかりでビリビリとしている。平手の一撃とシークレットブーツの暴露という、マルティナ念願の「ざまぁ」である。

 たとえ、ルディウスの魔術耐性が高いと分かっていても、ありったけの怒りを雷に変換せずにはいられなかったのだ。


「ぐぁぁぁっ! 何しやがる!」


 魔術に強いとはいえ、ゼロ距離ノー防御が効いたらしく、ルディウスは手で顔を覆って絶叫していた。おそらくすぐに消えるはずだが、雷撃の痛みと痺れに全身を震わせている。


(やってしまいましたわ……!)


 一国の王子に手を上げてしまった。

 ほんの少しだけ、「今のわたくし、悪役令嬢っぽいのでは?」と嬉しく思わないこともなかったが、事は自分の処罰だけでは済まないだろうと思うと、両親に申し訳なくてたまらない。

 けれど、気の強いマルティナの性格では、その場でルディウスに謝罪するなどあり得なかった。


 ひとまず、父には軍務卿の地位が危うくなったことを手紙で書くことにしようと心に決めると、マルティナは「ごめんあそばせ」と踵を返してその場を立ち去った。


 後ろからルディウスの「お、オレ、生きてる? 雷に打たれて死んだはずじゃ?」という声が聞こえたが、もちろん無視した。

 王国で一番魔術耐性が高いと言われる天才王子のルディウスが、マルティナの魔術ごときで死ぬわけがないのだから。




 そんなことがあった昨日の今日。

 運命の刻が来るまでに、父親に手紙を書いたり、変装道具を用意したり、海外渡航に必要な証書を発行したり、ステラと荷物をまとめたりと忙しくしていた。無論、断罪・処刑・国外追放を回避する小説から得た知識を参考にしている。

 異世界小説万歳。きっと自分はたくましく生きていけると確信したマルティナである。

 そして、一通りできることを終えてしまうと、普段と変わらない学生生活以外にすることがなくなってしまい、いったいいつ処罰を言い渡されるのだろうかと、マルティナは逆にルディウスからの登場を待ち構えながら今に至る。


(婚約破棄なら大歓迎。国外追放は自己責任でなんとかしたいところですけれど、お家の取り潰しは困りますわね。お父様やお母さま、使用人たちを路頭に迷わせてしまいますもの)


 けれど、午前の授業が二コマ終わっても、ルディウスはマルティナの前に現れることはなかった。

 本日の午前の授業は、多くの男子生徒が選択している戦闘学と指揮学なので、もしかしたらルディウスは授業で忙しいという可能性もごくわずかだがなくもない。いや、ないか。


「勉学にも不真面目な殿下ですわよ? 授業を優先なさるはずがありませんわ。あぁ、それともわたくしは授業以下? 罰を下す価値すらないということかしら?」

「違うと思いますよ。ローゼン伯爵家は国の軍事の要ですし、殿下も迂闊に手が出せないと諦められたのではありませんか?」

「まぁ、今まで婚約状態をずるずる続けていたのも、きっと未来の軍備強化のためだとは思っていましたけれど……」


 ステラの答えは現実的だ。

 マルティナは、数多の優秀な騎士団を束ね上げ、星の数ほどの功績を持つ父――軍務卿ミハイル・トール・ローゼンの一人娘。国王よりもミハイル個人に忠誠を誓う騎士が多いという現実は、国中が周知しているところなのだ。

 だから、国王は未来の国王であるルディウスと軍務卿の娘であるマルティナを結び付けたい。王家とローゼン伯爵家のつながりを強固なものにすることで、国の軍事力を一枚岩にしたいというわけだ。


 それを良く知るステラは、「国王陛下の意向もあって、殿下はマルティナ様のことを嫌々お許しになられたのでは? 首の皮一枚繋がりましたね!」と口にした。


「首の皮一枚の繋がりが、これから一生続いていくのも苦痛でしかありませんわ」

「愛されない王妃は、肩身が狭いどころじゃないでしょうしね」


 普通の使用人ならば主人に気を遣う場面でも、ステラはズバズバとものを言う。無礼だと屋敷のメイド長は怒っていたが、マルティナはそんな正直者なステラのことが好きだった。

 苦痛な王妃教育が始まった頃からマルティナに仕えている彼女は、いつだって親身に寄り添ってくれた。毒舌が過ぎるところもあるが、時に姉のように、時に悪友のように傍にいた。家族と変わらない存在だ。平民街の書店にだって、いつも付き添ってくれている。


(どうか、ステラが不遇な思いをしないようにしたいですわ)


 マルティナがステラの将来を守らなければと気を揉んでいると、当のステラが唐突に「あっ!」と驚いた声を上げた。


「どうしましたの、ステ――」

「伏せてください!」


 ステラの叫びに、マルティナは弾かれるようにテーブルの下へと身を屈ませた。

 何事だろうと恐怖を感じる間もなく、テーブルの面に何かが電光石火の勢いで飛来し突き刺さる。

 それは、一本の矢だった。


 まさか自分の命を狙う暗殺者だろうかと、マルティナは一瞬ヒヤリとした。これでも軍務卿の娘だし、まだ一応は未来の王妃なのだ。狙われる理由はいくらでもある。

 だが、主に代わって周囲を見回し、矢を調べたステラの一言で、マルティナの緊張は一気に吹き飛んでしまった。


「マルティナ様。矢の先は吸盤です。しかも、手紙がくくり付けられています」

「なんですって? 敵襲ではなくて、矢文ですの?」

「おそらく。……あ、もしかしてラブレターじゃないですか? 照れくさくて、遠くから矢を射ったとか」

「ら、ラブレターですって? 見せてごらんなさい!」


 そのようなトキメキの塊みたいなものには生まれて初めてお目にかかるため、マルティナは冷静さを放り捨て、前のめりになって封筒を手に取った。

 物心ついた頃には第二王子の婚約者に選ばれていたのだ。燃えるような恋や自由な純愛に巡り合う機会がなかったマルティナは、その手のことに人一倍憧れが強い。ましてや、ラブレターなど小説の中でしか存在しないと思っていたため、現実に自分が受け取ったとなると、ワクワクドキドキせずにはいられなかった。


(いったい、どこのご令息かしら? まさか、殿下との婚約破談を予測して、自分と結婚してほしいというアプローチでは……? どうか、わたくしの大好きな黒髪塩顔高身長細マッチョの方でありますように‼︎)


 高鳴る胸を押さえて、封筒を見つめる。そこに差出人の名前はないが、でかでかと手紙のメインタイトルが書かれていた。


『果たし状』


(……あら、あらあら??)


 マルティナは、今度は中の便箋を取り出して大きく目を見開く。


『マルティナ・リタ・ローゼン 11時に魔術訓練場裏に来い。 ルディウス・フォン・アルズライト』


 これは、どこから読んでも。


「殿下からの呼び出しの手紙ですわ‼ ちょっと、ステラ‼ どこがラブレターですの⁈」

「わ! 申し訳ございません!」


 マルティナは勢いよく立ち上がると、遠くに見える時計塔の示す時刻を確認した。

 10時45分。あと15分しかないではないか。浮かれて手紙を見ている場合ではなかったのだ。

 マルティナが所定の時刻に現れなかったことで、ルディウスの怒りがさらに倍増してしまうと困る。とにかく、急いで行かなければならない。


「ステラ! わたくしが没落しても、国外追放されてもついて来てくださるっ?」


 駆け出したマルティナが後ろを少しだけ振り返ると、ステラは「地獄の果てまでお供するつもりでしたよ」と茶器を大急ぎで片付け始めたところだった。「だって、私の大切なお嬢様ですから」などと、一人でいい話風に瞳を潤ませている。


(いいえ! わたくし、地獄の果てに行く気はありませんけれど!)


 ムッとしつつも、今は一分一秒が惜しいため、マルティナはステラを残して走り出した。

 どんな罰でも甘んじて受けるつもりはしていたが、地獄行きだけは勘弁してほしい。


「殿下! 婚約破棄! 婚約破棄をお願い致します!」




 けれど、この時マルティナは想像もしていなかった。

 まさか、あの女たらしの軽薄王子が、一夜にして大変貌を遂げているなんて――。

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