【掌編集Ⅱ】侵食領域

灰都とおり

侵襲型ワールド・オプティマイザ

 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。

  ――『中論』第二二章一六詩(中村元訳)


 SNSに耽溺するデジタル・ネイティブ世代がああした事件を引き起こしたという言説は端的に事実と違っていて、たとえば病院で「摘出処置」を受けた者(昨日の報道では全国で五七二名)の年齢の中央値は41歳だというし、私はあそこに90代の人間がいたことも知っている。踏まえるべきはスマートフォンによるインターネット常時接続の実現から10数年が経過していることで、以降加速し続けてきたライフスタイルの変容がついにある閾値を超えたと捉えるほうが自然だろう。

 9月28日とかなり早くにメルキオールを紹介していた佐山晶氏のGIZMODOの記事では、その流行を懐かしの「百匹目の猿現象」になぞらえていたが、その後の展開をみるに、彼が冗談まじりに文末に添えたポストヒューマンという言葉のほうが(幾分流行遅れのタームだが)本質を突いていたように思える。

 世界の最適化オプティマイズ。メルキオールを象徴するこのキーフレーズは、もともとTwitterやGoogleのパーソナライズド機能を揶揄する英語圏ギークの表現だった。春に販売されたNeuralinkのHMCヘッド・マウント・コントローラに使われたあの微細な脳電位計測触媒の奇妙な利用法も、最初の解説動画をアップした技術系YouTuberやぐりう氏は単なるネタだったと話している。メルキオールはそこから生まれた。知識と器具があれば誰にもできる〝外科手術〟でインターネットと中枢神経系を絡み合わせる呪的テックカルチャー。やりきれない現実を改変する救済のわざ――。誰にとって? コミュ障。鬱病気質者。非定型発達者。その他心身の様々な特性をもつ者にとって。Kと、私にとって。

 メルキオールについて現時点で最もまとまった記事は、氷原雪氏が10月22日にMogura VR Newsにあげたものだろうが、その取材はすべて間接的だ。当事者の記録が少ないのには理由がある。にも関わらず私がここに書き記せるのは、ある特異な事情によるものだ。

 メルキオールは常時脳に作用し、現実を調整する。あの感覚ははじめてVR機器を使ったときと似ていた。見るもの触れるものすべてが「よくできている」と――本物に似せてつくられたゲームだと感じる。やがてゲーム同様それを〝調整〟できるようになる。ちょっとしたコツ、ただの自己暗示。氷原雪氏の記事は、自殺を考え続けた職場をサークルの遊び場に変えた体験談を紹介している。私がどのように調整していたかは細かく記さないが、いずれ他愛のない、実利的な最適化だ。

 そうした日常のなかで訪れる変化が、あの時間の超越である。「〈月〉を思い浮かべろ。明晰夢から醒めるトリガーを決めておくんだ」残業に疲れた電車のなかで、突然Kの声がして驚いた。そして私はそのまま、大学時代のKと彼の研究室で会話を続ける。それが最初の体験だった。タイムスリップではない、それはKとその会話をする最初の時間なのだ。同時にそれを過去としても認識している。

 メルキオールについての記事は、このあたりの報告になると随分と怪しくなり、匿名アカウントのつぶやきのほうに余程本物らしいものがある。私はとにかくKと話し続けた。小学生の私は、彼のオートロックマンションに教わったパスコードで侵入し、互いの親が帰宅する夜遅くまでマンガやプレステと共に過ごした。「この世は輪廻の苦しみサンサーラ、だけどほんとうの姿を捉えれば、それがそのまま涅槃ニルヴァーナなんだ」いや、小学生のKがそんなことを言うだろうか? 大学で再会したKは鬱病を患っていて、すっかり変わってしまった彼の表情に私はショックを受けた。Kは脳神経に働きかける研究をしていた。歯科チェアめいたrTMSの鬱病治療機を見せながら、これではテレビを叩いて直すようなものだと言った。「刺激場所と神経バイオマーカーを高い精度で一致させるには侵襲型、つまり体内へデバイスを留置することが不可欠だ。それによっていずれ、世界を調整コンフィギュレートできるようになる」

 人生のなかで、Kと会話する無数の瞬間を重ねてきた私は、あるとき認識を未来へ向ける。そこには巨大な奥ゆきがあった。凄まじい光の洪水に呑まれながら、もはや帰ることはないのだと分かった。そこがメルキオールによる到達点である。世界との合一、自我の融解。あの領域で、私は寝かしつけられ、揺れるカーテン越しの陽射しと、周りでまどろむ同類たちをぼんやり感じていた。そしてそこには、なにか巨大なものがいた。その存在は世界を調整する膨大な計算を行なっていて、私たちはその計算資源リソースだった。からだのなかをただ無数の情報が通り抜けていく、温かさと安らぎ。時折、夢うつつに、流れる情報の断片を読み取るのが心地よかった。

〈偽ディオニシウスいわく神に至る道ふたつ在り。一方は光、一方は闇を行く道也。我ら無明の珠鎖インターネットに溺れつつ、その徹見により到達せり。救いと苦は二者に非ず。我らの在る処これ即ち救い也。湖面の月に神おわしたり〉

 その文字情報が月の像を結ぶ。それがトリガーだった。私は目を醒ます。スマートフォンの電源を切る。そこで終わりだった。

 最近、インターネットに触れずに生きるという「アイソレーター」たちが話題である。報道によれば、それは情報化社会からの離脱、現代の隠遁スタイルなのだそうだ。私はかのひとびとの虚脱した微笑に、接続を加速した果てにあってついにネットを介さず世界とつながるに至った者たちを見る。もしあなたが世界を最適化できるなら、やがて世界の意味は失われるだろう。そしてそれこそが涅槃の安らぎとなる。そこへ至る扉は、私の前で閉じられた。Kがそうした。そのことを受け入れ、いま私はこのテキストを書いている。私にはKという友達などいなかったのだ。

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