本当の夢

 十月二十三日、夕方の十七時に亜人種課のオフィスがざわついた。

 というのも、まだ訓練校に在学している生徒の一人が引き抜かれ、玄人さんのバディとして配属されると発表されたからだった。

 玄人さんは、今までバディが欲しいと上に訴えていたらしく、それがようやく通ったらしい。

 しかし、全員驚きが隠せないのは、バディを訓練生から選んだという玄人さんの行動に対してだった。

 玄人さんが選んだんだから、よほど優秀なのだとは思う。しかし、卒業まで待つべきなのでは、という意見も多かった。


「玄人さん、本多とかはどうですか?

 彼は今、バディが殉職されましたし……」


「ヤツは足枷となる。以前の不祥事を忘れたか?

 それに、オレが選んだ女性は、彼女がまだ高校生の頃からずっと鍛えてきた。

 もう、卒業したといっても過言ではないのだ」


 未だに考え直せと言ってくるのに嫌気がさしたのか、玄人さんはその一言で皆を黙らせた。

 ……そうか、高校生の頃からなのか。

 言い方からして少なくとも、数年程は鍛えているのだろう。


 全員が渋々と納得する中、玄人さんが手を鳴らし、「入ってきてくれ」と廊下に向かって声を出す。


「失礼します」


 ───どこか聞いた事のある声だな。

 隣の麻上は何か知ってるような感じで、もう既に不機嫌となっていた。


 ……アレから、麻上は何故かオレの事を気に入ったらしく、暴行した際に対しても、玄人さんの一声もあったのだろうがあっさりと許してくれた。

 それからというもの、悪さという悪さなんてしておらず、強いて言えば仕事をサボるくらいの、そんな可愛らしげのある行動ばかりだった。


 二ヶ月近く不機嫌という感情すら、オレには見せなかったというのに、彼はその声音を聞いた瞬間に、今にでも持っているコーヒーカップを投げそうな程険しい顔つきだったのだ。


 ギィ、と扉が開くと───そこには、オレが麻上を殴った理由となった、女性が現れた。

 甘栗色の髪の毛を肩まで切り揃え、耳元の髪を編んでいるその女性、麻上光が完璧なまでの挙動で、玄人の隣まで歩く。

 その歩き方からして完璧。麻上からの奇襲をも避けきると確信させてくれた。


「本日、玄人さんのバディとして配属されました麻上光と申します。

 どうぞ、よろしくお願いします」


 深く頭を下げる光さんを、麻上はどこか殺意の籠った瞳で睨みつけていた。

 その異様なまでの殺気はダダ漏れで、周囲にいるオレや、先輩方が思わず距離を置く程だった。


「……あら、やけに情熱的な瞳と思ったら貴方だったのね。

 貴方を見てると、この顔の火傷がとっても嬉しそうに疼くわ」


「このクソアマ……ぶち殺すぞ」


「待ちたまえ麻上くん。

 今の発言は如何なものかと私は思うのだが。

 それでも、煌月さんのような英雄になると持て囃された男かね?」


 確かに、麻上の発言は異常だ。

 オレは知っている、麻上が、光さんにした行いを。

 どちらかと言えば麻上は、光さんに言われることを全て受け止めるべき立場なのだ。


「……サーセンっす。ちょっと、高校の頃からずっと嫌いな女だったんでムカついて」


「あら、そんなこと言えるのね。

 面の皮の厚さは本当、人の百倍はあるのではないのかしら?」


 下を鳴らしながら麻上は無言でコーヒーを飲みほす。

 荒々しく机にコーヒーカップを置いた後、


「そうさいってきやーす」


 なんて、軽い様子でオフィスがから退出した。

 先程までの態度からの変わりようの速さは、名俳優にも引けを取らないであろう。


 ……て、そうだ。オレも出ないとな。

 玄人さんに以前注意されたことだし、本人がいる手前、麻上が何を言おうと守らなければ。


「すいません、オレも着いていきます!!」


「大変だな源、頑張れよ。

 お前もお前で珍しい出自というのもあって期待してるからな!!」


 先輩に励まされながら、見送られる。

 オレは、麻上の後を追うのだった。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「麻上!!」


「巴でいいぜみおとー」


 麻上はそんな、数ヶ月前までは見せたことの無いフランクな態度でオレの呼び掛けに応じる。

 ……本当に、巴には申し訳ないがすごい奇妙だ。

 道化師に襲われた時に何か脳を仕込まれたのでは、と疑いたくなるような変わりように正直、戸惑いは隠せない。


「やっぱりさ、オレの態度が気になる?」


「……まぁ、正直な」


 だよなーと呟きながら麻上は、署内の入口に設置されてある自販機から缶コーヒーを買い、オレに投げ渡す。


「ハッキリ言うとね、殴られた時はマージでぶち殺してやろうかと思ったよ?

 でもねー、オマエみたいにオレのことぶん殴って来たやつなんていないしさー、珍しくて面白いなってむしろ思ったんよねー」


 陽気な笑みを見せながら麻上が語る。

 どこか照れ臭そうで、怨みなんて入ってない、そんな爽やかさがあった。

 ……気に入ってくれたのは嬉しいけど、正直、麻上に対しては未だに心を許しきれていない。

 親の教育が正しくなかった……という可能性もあるが彼のこれまでの行動の数々は、とても擁護できない。


 ……かなり複雑な感情が、オレの胸中で渦巻いている。

 こんな、伊藤のアマチュア版みたいな人間を、許しきれるのかという疑問と、

 それはそれとして、彼のこれからを見てしっかり見定めようという気持ち。

 その二つが、まるで螺旋のように絡み合っていた。


「てかさー、ムカついたから出てったけど……飯でも食おうぜー」


「あー……そうだな、近くに行きつけのファミレスがある。そこにでも行こう」


 ……参ったな。

 実は今晩は楓が食事を作ってくれているのだが……こういう善意的な誘いには弱いというか。

 まぁ、両方食べたら問題は無いか。

 麻上の後ろで道案内をしながら、オレと麻上はファミレスへと向かうのだった。




「───で、何か言い訳は?」


 結論から言うと。

 浅はかだった、愚かだった、間抜けであった。

 目の前には、パスタが半分ほど残っている皿と、さらにその奥に無様なオレを険しい顔つきで睨み、微笑む楓がいた。


 オレは大人しく、巴の誘いを断ればよかったのだ。

 家に帰り、楓がオレのシャツを凝視して放った一言、


『……何か食べてきたのなら言ってくれたら良かったのになぁ。だったら、私が食べてたっていうのに』


 それで、何かソース等が着いてしまっていたのだと、悟りそして死を悟った。


 当たり前という当たり前ではあるが、普通に考えてだ。

 晩御飯作ったというのに、先に他の場所で食べて、そしてその自身の作った料理を半分ほど食べてフォークがずっと動かなければ、腹が立つだろう。


「……本当にすいませんでした。

 絶対に食べきるし、皿は洗うのでどうかお許しください」


「別にそんなに怒ってないわよ、わんぱく小僧くん。

 そうね……怒った度合いで言えば次から料理にデスソースを入れといてやろうと考えてたくらいだから」


「……辛いのはダメと、知っての処罰でしょうか?」


「えぇ、そりゃもちろん」


 結構、怒ってらっしゃる。

 しかし怒るのは至極当然のことなのである。


「……甘んじて受け入れます」


「よろしい、許してあげましょう」


 いいながら、楓がフォークと小皿を取り出し、オレの皿からパスタを三分の一ほどその小皿へと移す。


「反省の色が伺えたし、デスソースも帳消しにしてあげます。

 その代わり……はい、コレ」


 楓が、映画のチケットをテーブルに置く。

 日付は十月三十日……道化師の迎撃作戦の前日であった。


「コレを一緒に見に行きましょ?

 同期の子がね、すっごく面白いって言ってたの」


「映画か……」


 正直、映画は好きではない。

 │あの・・・の光景が脳裏に過り、『もしも』なんてことを考えてしまうからだ。

 漫画や、小説なんかもだ。あの日以降、オレはとにかくそういったモノを見るのを避けるようになってしまっていた。


「嫌だった? なら、別に無理はしなくても───」


「いや、観に行こう。

 オレも気になってたんだ、その映画」


 そろそろ、克服するべきなのだろう。

 オレはそのチケットを寄せ、パスタを食べ始める。

 この会話を、終わらせるようにやや強引にパスタを口に運んでいると、楓はどこか残念そうに微笑んだ。


「───無理しなくてもいいのに」


 やっぱり、悟られていたか。

 しかし、恋人でもないのに同じ家に住んで、身の回りを世話してくれたりする、彼女の頼みでもあるし、このパスタを食べ切れなかった償いもある。

 どうしても、彼女の要望に応じたいのだ。


「日頃の感謝も兼ねてな。

 それに、コレに興味を持ってたのも本当のことだ。

 ……同僚が面白いって言っててさ」


「麻上がそう言ってたの?」


 麻上って言ってないのになんでわかったんでしょうか。

 むせそうになりながらも、何とか飲み下してこくりと頷く。


「ホント、未音って顔に出やすいわよね」


 どこか嬉しそうに微笑む楓。


「ま、じゃあ一週間後、映画観に行きましょう。

 楽しみにしてるわね」


 いつの間にか、パスタを食べ終えていた楓が残ったチケットを片手に、洗面台へと向かう。

 その途中、


「……あ、皿洗いよろしくね♡」


 圧のかかったそのおねがいに、オレは一瞬で頷いてしまうのだった。




 ​ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




『王手』


 肩に触れられた瞬間、なんとも言えない熱が身体をめぐって───


「う、ヒェッ……!?」


 目を覚ます。

 なんてことは無い、いつもの天井。

 何も変わらない、いつものベッド。

 その両方を確認して、男は何も変わっていないことを再認識する。

 電気をつけ、ベッドから身を起こす。


「……水でも飲むか」


 言いながら、彼は部屋を出て、食堂まで移動する。

 冷蔵庫の中にあるペットボトルに手を伸ばし、水を飲み干した。


「……てか、汗やば。

 気持ちわり、シャワー浴びるか」


 ペットボトルをごみ箱に投げ捨て、男は脱衣場へと向かう。

 服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びる中、男はふと先程の夢を思い出した。


「……道化師に、オレは確かに襲われたが違ぇよな?」


 それは、再確認であった。

 彼は数ヶ月前、道化師と呼ばれる謎の犯罪者に襲われ、そして重症を負った。

 幸い、命は助かった。

 だが、夢の中の自分は死んでいた。それは、矛盾していないのだが……何故か、彼は自分が死んでしまっているような気がして仕方がなかった。


「いやいや、考えるな考えるな。

 ……別に、生きてるんだしィ、死んでるってのはありえねーよ」


 ひとりでに納得し、彼が再び脱衣場へと向かい、水を拭き取って服を着る。

 ……最後に、念の為に顔を洗おうと洗面台へと向かう。




 ───鏡と顔を合わせる。

 自身の顔ではない、謎の顔が、そこには移っていた。


「ヒ、……な、なんだァ!?!?」


 驚き、思わず尻もちを着く。

 しかし、すぐに男は見間違いだろうと顔を振り、再び洗面台へと顔を合わせる。

 悪夢の影響で、視覚が惑ったのだろうと決めつけ、再度鏡と顔を合わせる。

 そこには、自分の顔があった。

 その事に、青年───◻️◻️◻️はほっと胸を撫で下ろし、顔を洗い始める。


「……そーだよ、オレは、オレは……オレは?」


 謎の違和感が、胸中を渦巻く。

 オレは、本当に麻上巴なのだろうかと。

 ひたすらに胸の中で問い続けていた。


「……イヤイヤ、オレは麻上巴だよ。

 じゃなきゃ、可笑しいんだよ」


 自身は麻上巴、その他の者ではないと青年が否定して、洗面台へと後にした。

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