誘惑の声

 授業が進み、昼休みとなった頃。

 教室に、他クラスの少女が入ってきた。

 甘栗色の、腰あたりまで伸ばした髪は色こそ違うが、友紀奈を思い出す。

 その少女はオレを発見するとすぐに、明るい笑顔を浮かべて、こっちに駆け寄って来た。


「いたいた!! しばらく休んでたから言いそびれたけど、おめでとう、源くん!!」


 ……おめでとうって、何が───


「プロのサッカー選手の推薦貰ったんだってね、良かったじゃん、夢が叶ってさ!!」


 その、祝辞は、どこかあの少女に似ていて。

 そして、あの日の光景を鮮明に───


「……うっ、ぶ」


 突如として、吐き気が襲ってくる。

 急いで、オレはトイレへと向かった。

 少女は戸惑っていたようだが、蒼龍が近付いて説明をしている様子を、最後に見た。




「───お、えっ……!!」


 口に溜まっていた吐瀉物を、全て便器へとぶちまける。

 ……最悪な光景、それを思い出す。

 あの少女の、笑顔の後にフラッシュバックされた友紀奈が解体される光景。


「……くそ、最悪、だ……」


 小声で、呟く。

 あの光景が蘇ったせいか、鼻腔はあの時に感じた腐敗臭にくすぐられた。

 ハンカチで口を拭い、洗面台へと向かい、顔を洗って出る。

 気を取り直して教室へ向かうと、少女の姿は無かった。


「あれ、あの子は?」


「出てった。なんでも、知らなかったみたいだ。

 だからまぁ、許してやってくれ未音。

 ……たまにさ、さっきみたいに善意で言ってくれただろうって言葉が妙に心を抉る時ってあるけど、辛いよな」


 そう言いながら、蒼龍はオレに向かってペットボトルを投げる。

 受け取ると、中には普通の水が入っていた。


「奢りだ、珈琲とかにしようかと思ったけど吐いた後にそんなもん渡すのも気が引けてな、許してくれや」


 笑いながら、蒼龍が言う。

 彼の優しさを噛み締めながら、オレはフタを開けて、水を飲む。

 ───微かに、心が沁みる、そんな味がした。


「未音」


 水を飲み干した時に、まるでタイミングを見計らったかのように担任が教室に現れて、オレに呼び掛ける。


「どうしました、先生?」


「……今日は帰りなさい。さっき事情は聞いた、家族さんには私から説明しておく」


 優しい、気遣っている声音で、担任に言われる。

 ……けれど、オレはオレで友紀奈と約束した。学校をサボることなんて、したくないし出来ない。

 大丈夫です、そう言おうとした寸前───


「センセー! 俺もちょっと弟絡みのアレがアレなんで帰っていいっスか?

 ついでに、アホな事を言おうとしてるこの不健康同級生を家にぶち込むんで。

 ……あ、リフレッシュにカラオケとか行っても文句はナシでおなしゃーす」


 それを阻むように、蒼龍がオレの首に腕を回し、無理に教室から一緒に出ようと引っ張る。

 ……まて、コイツの力相当強くないか……!?

 抵抗しようにも、蒼龍には為す術なく、運ばれていく。


「風魔」


 担任が蒼龍に声をかけ、


「カラオケは怒るが、送ってやってくれ。

 あと、お前、弟さん関連は冗談にならんからやめてくれ、反応に困る」


 親指を立て、蒼龍を見送る。

 ……ダメだこれ、大人しく帰った方がいいな。

 友紀奈に申し訳ないなと思いながら、オレは観念して、蒼龍に為す術なく引きずられるのだった。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 蒼龍に引っ張られ、着いたのはオレの家ではなく、カラオケ店だった。

 なぜ? と問うと蒼龍は、


「お前の家族のことは橘花から聞いてる。面倒いだろうし、時間を潰そうぜ。

 ……それに、カラオケに行って怒られるのは俺だけだしな!!」


 そんなことを言い、能天気に笑うのだった。

 折角、蒼龍が身を切るような思いでここまで引っ張ってくれたんだ。

 少しでも、明るくなるようにオレは、蒼龍と共にカラオケを楽しむ。


 蒼龍は演歌を、オレは最近の流行りが分からないので、昔テレビで聞いたことがあるような曲をチョイスして、交互に歌う。

 ……我ながら、音痴なのは少し恥ずかしいなぁと思うが、歌う機会というのも滅多になかった。

 オレに反して蒼龍はすごく上手で、プロの歌手顔負けのような上手さだった。

 お互い交互に、順番を変えて歌い合い、カラオケを楽しむ。


 そうして、夕暮れになった頃にオレたちはカラオケを出た。

 蒼龍に家まで付き添ってもらい、家の前で蒼龍が別れの挨拶をする。


「じゃあな未音、明日、また学校でな。

 ……うん、少しは明るくなってくれて嬉しいぜ」


「ありがとう、蒼龍。お陰様でかなり気分はマシになった」


 腕を組んで、仕方なげに溜息を吐く蒼龍。


「ホントだぜ。ったくお前はよー、高校の時に知り合ったけどよく無茶してたり背負い込みすぎてたりしてたもんなー。

 ……前聞いたけど、隣のクラスの麻上が同じクラスのヤツをボコってたらお前が代わりに請け負ったりしてたらしいな。

 人助けもいい、けどな? 人助けしたからって報われるワケじゃねぇ。

 それは、お前が身に染みて分かってるはずだぜ。

 ……どんなに人を助けようが、恩返しをしようと努力しようが、報われやしなかった」


 どこか、悔しそうに蒼龍が言う。

 ふと、瞳を見ると涙で濡れていた。


「正直よ、藤也とうやは賛成してたが、俺はお前が復讐の道に走るのは反対だ。

 なんか、嫌な予感がするんだよ。

 こうも上手くいかねぇ、お前の姿見てると不安でよ。

 ……弟も、亜人絡みで消息不明になっちまったせいか、俺、ちょっと過敏になっちまってるだけかもしれないがな。

 ───なぁ、未音。考え直さねぇか?

 プロの選手になれよ、天国にいる、橘花の家族を満足させてやってくれよ」


 ─────それは、親友の、後生の、頼みなのかもしれない。

 そんな、親友の言葉を、オレは少し、少しだけ受け入れそうになってしまった。

 だが、オレは決めたし、かえでにも言った。


「……確かに、報われないかもしれないな。

 けど、ごめんな蒼龍。オレさ、決めたんだよ。

 絶対に、伊藤はオレが殺すって」


 上手く、笑えたかは分からない。

 それでもオレは、口角に溝を作るように表情筋を動かした。

 無力だった。

 あの場にいて、オレは誰も守ることなんてできず、そして、みんなに守られて、見殺しにしてしまった。

 なんてことは無い。オレは、伊藤も許せないが、それ以上に皆を守れなかったオレ自身を許せないのだ。

 無力が許せない、ならば簡単だ。力をつけて、伊藤に復讐してやる。

 奴に報いを受けさせる。

 それを糧に、オレは今、生きている。


「……そっか。あぁ、そうかよ未音。

 あーあ、悲しいけどもまぁ、仕方ないなぁ」


 腕をのばし、蒼龍が踵を返す。

 そういえば、蒼龍はオレの家とは真反対だった。

 わざわざ着いて来てくれた蒼龍に、オレは、心の底からでも溢れ出る程の感謝の念を抱く。


「じゃあ、俺も手伝うよ。

 ……元々、亜人種課には確定で入ることになってるしな。お前のサポートはしっかりとしてやる。

 せめて、その復讐だけでも、報われるようにしてやらねぇとな」


 笑顔かどうかは、分からない。

 分からないが、明るい声音で蒼龍が言い、別れを告げる。

 ……その背中は、どこか悲しげだった。

 オレの意志を尊重してくれた蒼龍に、オレは小さくありがとうと呟いて、その背中が見えなくなるまで見送った。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 蒼龍と遊んだ翌日、オレは学校へと足を運んだ。

 家の連中はオレが中々、帰ってこなかったので死んだのかと喜んでいたらしく、オレが玄関へ入るやすぐに罵倒を浴びせに来た。

 家へ出る寸前に、義博に午後に話があるので道場へいて欲しいと声を掛けてから、オレは家を出た。


 楓とは生活リズムが違うみたいで、彼女は先に家を出ていた。

 朝早くから起きて、オレの為にわざわざ朝食を作ってくれているためだ。

 楓が来てからオレの晩御飯を見た楓は、思わずに厨房の人に怒鳴り散らし、


『───次からは私が作ります』


 そう、宣言したらしい。

 ……まぁ、さすがにわざと焦がした料理を用意しているのを見たら、あの普段は落ち着いている雰囲気の楓だって堪えれないだろうとは思ってたが……あの人たち、なんで許されると思ったのだろうか?

 一応、オレも楓のそれを知ってからは早起きしようと努力はしているがダメだ、全然改善する気配がない。


「……アラームとか、しっかりとセットしてるんだけどなぁ」


 首を傾げながら、校門を通る。

 その時、


「あ、いたいた!!

 おーい、みーおーとー」


 オレを呼ぶその声は、馴れ馴れしい口調は、蒼龍のモノではなかった。

 ───そいつは悪名高い人間だった。

 狙った女を徹底的に陵辱し、警察にばらすものならその動画をばら撒くぞと、警察を買収している癖に念入りに脅しをかける。

 そして、クラスメイトの男子を約一名、自殺にまで追いこんだ屑の中の屑。

 だというのに、その、彼の美しい、非常に整った顔立ちをしているためか、女子にはその事実を信じられていないという奇跡の存在。

 麻上あさがみ ともえが、オレの肩にもたれかかってきた。


「麻上か。なんの用だ?」


「お、いつになく生意気な眼だねー。

 前みたいに、顔面に金属バットでフルスイングしてやろっか? てか、すっか!!」


 明るい笑顔を、無邪気なドス黒い笑顔を向けながら、麻上が言う。

 ……オレは、以前。他クラスのオレと同じ、鬼と人のハーフの子が麻上に虐められているとこを割って入って身代わりになったことがある。

 それが、楓の以前言っていた、楓とコイツが別れる切っ掛けとなったことである。


「……相変わらずなのなお前。

 用がないのか? お前、決まって用がある時にオレに声を掛けるの徹底してたろ?」


 オレの言葉に、麻上はふっと、さっきまでの笑顔は作り物だったのかと疑ってしまうかのように表情を冷酷なものへと変化させる。


「なに、お前?

 ちょっとプロになりかけたからってチョーシ乗んなよ。

 お前、あのハエみたいなクソ生物とのハーフね。

 人様に対して自分が会話の主導権握ろうとしてんじゃねぇよ」


 そう、だった。

 麻上、コイツは徹底的に鬼のことを見下しているのだった。

 小さい頃からそんな教育を親からされてきたのだろうか、そんな、古い認識を麻上は持っている。

 ……下手に逆らえば、最悪、屋上から突き落とされる可能性もある。

 麻上が厄介なところは、そんなとめどない凶暴性を持っていることだった。


 学校の先生たちは麻上には何一つ言えない。

 彼の家は有名な玩具メーカーを営んでおり、麻上はその一人息子だからである。

 父親もかなり横暴な人柄らしく、下手になにか言えば人生をめちゃくちゃにされる可能性があるのである。

 実際、高一の頃に麻上の自己中心的な行動に耐えきれなかった教授が一人居たが、その人は数ヵ月後に職を辞め、そしてその数週間後に首を吊ったらしい。


「ま、いーや。今回は見逃してやるよみおと?

 オレさ、お前に美味い話を持ってきたのよ」


 そう言う、麻上の表情は妖しげに笑みを浮かべていた。


「オレもさ、亜人種課に入る予定なのよ。

 そこで、お前オレと組まない?

 オレと組めば……そのご褒美として、伊藤を捜査させてくれるように上を買収すっけど?

 まぁ、その代わりにしっかりと条件はあるけどね?」


 妖しげ笑む口からは、蜜のように甘い、誘惑の声がオレの脳内へと響いた───

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る