虐げていた娘が精霊の愛し子でした

八緒あいら(nns)

第1話 愛し子に選ばれた落とし子

「精霊の愛し子は……ルミナだ」


 村長がそう言うと、辺りは驚愕に包まれた。



 そこは小さな村だ。

 村には昔ながらの風習がある。


 ひとつは「落とし子」


 選んだ子供に悪霊を降霊させることで村から厄を祓う。

 悪霊を宿した子供は村ぐるみで迫害の対象になる。

 どんなに殴っても、蹴っても、無視しても、落とし子相手なら許される。



 もうひとつは「愛し子」


 選ばれた子供は精霊の寵愛を一手に受け、村の守護者となる。

 精霊を宿した子供は強大な力を得、村人の尊敬を集める。

 そして、愛し子には村内において村長に次ぐ権限を与えられる。


 村人はこれら二つの風習をずっと守り続けてきた。

 広い世界から見れば百年は遅れているやり方だったとしても、それが絶対の正義だと疑いもせず、ずっと落とし子を迫害し、愛し子を重宝してきた。


「そ……村長! 何かの間違いではありませんか!?」

「そうです! こいつは邪悪な落とし子ですよ!」


 村人が口々に信じられないと叫ぶ。

 彼らの視線の先には――小汚い布を纏った少女がいた。

 干からびた小枝のような華奢な身体。くぼんだ瞳は淀み、何も映していない。

 浅黒い肌はところどころに斑点がある。

 村人の迫害による痣と、病を放置したせいでできたあとだ。

 彼女こそがルミナ――落とし子であり、愛し子に選ばれた少女である。


「精霊王様がお選びになったのだ。愛し子はルミナ。これは決定事項だ!」


 ざわめく村人を黙らせるように、村長は強く言い切った。

 そして、いつものように集団の隅にいたルミナを呼び寄せる。


「ルミナ。こっちへおいで」

「……」


 掌を差し伸べると、ルミナは足を引きずりながら村人の中をゆっくりと通る。


 村の長い歴史の中で、落とし子と愛し子が同じ相手に選ばれることなどなかった。

 そのことに村長自身も困惑しているし、昨日まで迫害していた少女を丁重に扱うのは感情が追いついてこない。


(ツイてないな。あんな小汚いガキを敬わないといけないなんて)


 村長は胸中でこっそり嘆息した。


 この村は愛し子の加護なしでは生き延びられない。

 今後、彼女を落とし子として迫害するような真似をすれば、精霊の怒りを買うことになるだろう。

 それだけは絶対に避けなければならない。

 村人が追従するように、自分が率先してルミナをもてなさなければ。


(トロトロ歩きやがって。さっさと来いよ)


 歩みの遅いルミナに、村長は胸中で毒づいた。

 ルミナの左足は微妙に曲がっている。

 骨折した際、それを放置したせいで正しく治癒しなかったためだ。


 骨折の原因は……村長だ。彼が体重をかけて踏みつけたら、簡単に折れた。

 理由はない。

 強いて言うなら、虫の居所が悪かった……というところか。



 群衆の真ん中辺りでルミナは立ち止まり、虚空を見上げた。

 そしてぽつりと一言。


「……歩き、づらい」


 ルミナの呟きに呼応したように、地面から突如として幾本ものつたが伸びた。

 蔦は彼女の身体のあちこちへと突き刺さったのち、全身を覆い尽くす。


「なっ……何が起きているんだ!?」


 村人達が見守る中、ややあってから、蠢いていた蔦は力を失ったように枯れ落ちた。

 中から出てきたのは、艶やかな少女。



「だ……誰だ?」


 少女は髪をなびかせ、真っ直ぐに村長の下にやって来た。

 髪と瞳の色から、村長はその人物の名を呟く。


「る……ルミ、ナ? ルミナなのか?」


 自分で言っておいて信じられなかった。

 あの痩せこけた彼女と目の前の少女をどうしても同一視できない。

 それほどまでに劇的な変化だった。


 さらに驚くべきは、ルミナの精霊の加護だ。

 あれほど傷ついた身体をほんの数分で直す治癒の力。

 間違いなく、これまでの愛し子よりも強力だ。


 この村は愛し子の力量に大きく依存している。

 彼女がいれば、繁栄は約束されたも同然と言えた。


「皆、今の力を見ただろう!? ルミナがいればこの村は安泰だ!」

「……」


 村長がそう宣言すると、静まりかえっていた村人は歓声を上げた。


「しかし驚いたな……ルミナがこんなにも可愛かったとは」


 振り返り、村長は改めてルミナをまじまじと見つめた。

 艶やかな髪。浅黒くなっていた痕はどこにもなく、曲がっていた足も真っ直ぐに伸びている。

 ツギハギだらけの襤褸ぼろの隙間から見える肌はどこか扇情的で、村長は知らずに鼻の下を伸ばした。

 唯一、瞳だけがぼんやりと淀んだままだが……それを帳消しにするほどすべてが完璧だった。


(村長なんて損な役回りだと思っていたが、役得だな)


 村長はその職務上、愛し子と共に行動することが多い。

 村での『普通の』生活に慣れていない彼女をサポートしながら徐々に仲を深め、ゆくゆくは――

 明るい未来を想像しながら、村長は馴れ馴れしくルミナの肩を抱いた。


「そういえばルミナは家が無かったな。これから私の家で一緒に暮ら――」


 しゅるり、と村長の耳元を何かがかすめた。

 それがルミナの操る蔦だと気付いた時には首を絞められ、宙吊りにされていた。


「が、ぐ――な、なにをするんだルミナ!?」

「……どうして」


 ルミナはゆっくりと村長を見上げた。

 何も映さなかったその目には、感情の灯が宿っていた。


 すべてを燃やし尽くす、憎悪と殺意の炎が。


「どうして今までイジめてきた人たちなんかのために、この力を使わなくちゃいけないの?」


 ルミナが小さな掌を握ると、そこに石が纏わり付き――凶悪な形をした手甲ガントレットに早変わりした。

 それを、無防備な村長の腹に叩きつける。


「ごふぁ!?」


 吐瀉物が盛大に宙を舞う。

 構わず、ルミナは何度も同じ箇所を執拗に殴り続けた。


「ねぇ、どうして? 愛し子に選ばれたからってみんな掌を返して、私が『はいそうですか』って、許すと思う? 許されると思った? そんな理不尽、あるわけないよね?」

「ぼ、が、げ、ご……」


 宙吊りにされているため、腕で防御することはできない。

 腹に手を回せば首が絞まり、首に手を置いたままだと殴られ放題。

 次第に、口から出てくる物に血が混ざり始める。


「やめでぐれルミナ! おれが、おれが悪がっだ!」


 必死の思いでそう口にする村長。

 しかし、ルミナは彼の謝罪をせせら笑った。


「私が落とし子の時もそう言ったわ。何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もそう言った。けど皆の返事はどうだった?」

「――げッ!?」


 ひときわ強い一撃が村長の腹を貫いた。

 比喩表現ではなく、物理的に。

 飛び散った村長の血が、背後にいた村人に降り注ぐ。


「やめてくれなかった、よね? だったら私も止めない。そうでしょ?」


 蔦から解放された村長を蹴り転がし、ルミナは手に付着した彼の血を舐め取った。


「古いしきたりが残るこの村はもう必要ない。こびり付いた垢は綺麗に洗い落とさなくちゃ」


 ルミナの黒い瞳が三日月の形に細められ、村人達を睥睨する。


「みんな、死んじゃえ」

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