第10話 転機8

「ずっと気になってたんだけど、神楽小路くんって好きな食べ物ってなに?」

 この日も感想をまとめ終わり、佐野は食後に食べていたシュークリームの最後の一かけらを頬張りながら訊いた。即答が基本の神楽小路が珍しく、一分ほど考えこんだ。

「ないな。食べることは単純に空腹を抑え、栄養を摂取するくらいにしか考えられん。だから、食べれればそれでいい。好きなものはない。嫌いなものは口に合わないものだろうな」

「本当に? お父さんとかお母さんが作ってくれた料理とかお菓子でもいいんだよ?」

「父も母も料理ができない。忙しくて作る時間がないというよりは、そもそも作れないという意味での『出来ない』だ。祖父も祖母もきっと作れない。そんな家系の子どもである俺ももちろん作れない」

「えっ、じゃあ誰が料理作ってるの?」

「日替わりで料理人が来て作りに来る。それが日常だ」

「なんだかすごいなぁ」

「すごくはない」

 神楽小路は目を伏せる。長い睫毛が影をさらに深くする。

「いくらきらびやかな食事を出されても、お前のように胸がときめくことはない。空腹という概念がなく、食べなくても生きていけるなら、それでもかまわない。いや、そちらの方がいい。食事の時間を読書や執筆に充てられるからな」

「そっかぁ……そういう考えもあるんだね」

 佐野は少し間を開けてから、

「わたしにとって食べ物も、本も、心の穴を埋めてくれる大切なものだな。悲しい時や、つらかった時、おいしいもの食べたり、面白い本を読むことによって救われた時がたくさんで」

「ほお」

「だから、わたしも小説を書いて、誰かの心の穴をゆっくりでもいいから埋めてあげられる、そういう存在になりたいっていつからか思ってたの」

 佐野は微笑んだあと、「あっ」と声を上げた。

「そうだ! 来週入ったら、原稿作らないとだよ。神楽小路くんと予定合わせて文芸学科のパソコン室借りて仕上げて――」

「それは佐野真綾、お前にすべて任せる」

「えー⁉」

「一人で書いた方がお前も好きなように書けるだろう」

「でも……」

「取材の協力はしている。では、俺は教室へ行く」

 席を立ち、食堂を後にした。

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