三幕二場 ジェントルチャラリズム

 目を覆うガラスがない。世界を直接見るは一年ぶりだった。


 正直なところ、これといって変化はない。世界は相変わらず、とてつもなく壮大だ。


 待ち合わせ十分前。平日だというのに、いや平日だからか。それなりに混雑した人ごみの中、いち早く私を見つけた岩崎くんは、大きく手を振った。


「早いね。笹山」


 邪魔にならないよう、改札から少し離れた場所にいる岩崎くん。流石にサッカーはしないらしく、白いシャツに紺色のジャケット。灰色のパンツを履き、リュックを背負っていた。


 意外な展開だ。てっきり遅刻してくるものだと思ったから。


「岩崎くんも、早いね」


「女の子を待たせるのはポリシーに反するので」


 一つまみの嫌悪感が、感心に変わる。チャラ男なりにもあるんだな、考えが。


「何処行く? 俺なりに色々考えてきたけど、笹山の希望は?」


「お任せする。私、デート初心者だから」


「んー……じゃあ映画は? 好き?」


「あん、まり」


 舞台と直結するものだから、遠ざけているものの一つだ。


「カラオケは?」


「歌……そんなに知らない」


 盛ってしまった。そんなにではない、大分知らない。


 あのミュージカルの曲は、舞台にそれなりの知識がある陽彩だから歌えたもの。


 流石に彼の前では、すべるだろう。


 お任せしておいて片っ端から意見を投げ捨てる。人としてどうかしていると思う。


「じゃあ――」


「あの、やっぱり映画でいいよ」


 私の要望でデートして貰っているのだ。これでは罪悪感が少しずつ膨らんでしまう。


「何で? 笹山好きじゃないんでしょ?」


 岩崎くんは心底不思議そうな顔をしていた。


「まぁ、そうだけど……」


「じゃあ却下。デートは楽しむものだから」


 楽しむもの。そういった岩崎くんの顔は本当に楽しそうで、キラキラしていた。


 大それた夢や目標を持っていない、ただの男の子。なのにどうして、輝いているのだろう。


「チャラ男にもチャラ男なりのポリシーがあるので」


「……ポリシーって、言いたいだけでしょ」


「あ、バレた?」


「うん。バレバレだ」


 時計の長針が十二と重なる。たった今、待ち合わせの時間になった。


「何処でもいいよ、行きたいところない? あ、心霊スポットとかは止めてね? 楽しくないから」


 チャラ男は心霊が苦手……ふむふむ。テストに出ないのでメモする必要はない。


「行きたいところ……」


「何でもいいよ」


「……動物、園」


 なるべく神崎ヒナタから遠ざけたものにしよう。


 人とばかり関わり、演じてきた神崎ヒナタ。ならば人間じゃない動物に近づこう。我ながら安直というか、単純というか、馬鹿だと思う。


「おっけー。動物園ね」


 フットワークの軽さを長所と掲げるらしいチャラ男はスマホ片手に鼻歌を歌う。何

の曲かは全く見当がつかないが、キャッチ―なメロディーから推測するに、流行りの歌なのだろう。


「好きなの? 動物園」


「好きではない、かな……」


「好きじゃないのに、行きたいの?」


「好きになれるかもしれないから、行きたいの」


「……それは、動物園? それとも俺のこと?」


 チャラ男なりの駆け引き、なのだろうか。


 楽しそう、というよりふざけた面をひっさげた岩崎くんを鼻で笑う。


「そんなの動物園に決まってるじゃん」






 神崎ヒナタ時代、主な交通手段は二代目家政婦、入口さんが運転する車だった。


 故に電車は高校生になって初めて乗った。その中でもモノレールというものテレビ

でしか見たことがなかった。


 青い快速電車で二十分、モノレールを五分。次第に田舎化する景色に不安を覚えたが、都会にいる動物は人間だけかと納得する。いくら猿でもビルには登れないもんね。


「久し振りだなぁ。小学校の遠足以来かも」


「ふぅん」


「笹山はどのくらい振り?」


「……人間は、動物に入る?」


「入る……でしょ」


「じゃあ初めてじゃない」


 人間観察は数え切れぬほどこなしてきた。


「え、何それ。なんか怖いんだけど」


 色彩を失いかけた看板を潜り、券売機でチケットを購入しようとしたが、岩崎くんに阻まれる。どうやら奢る姿勢見せているらしい。


「女の子にお金出させるのはポリ――」


「そういうの嫌い。私は君と対等でいたい」


 奢り文化を否定したわけじゃない。けど、岩崎くんとの間にそういうのは望んでいない。


 大人二枚を押そうとする手を叩きつけ、一枚を押させる。岩崎くんは未知の動物でも見るような目を向けた。


「何?」


「いや……なんか新鮮だなぁって」


 コイツは今までいくら奢ってきたのだろう。もはや奢ってあげようか? と言い出しそうになる。


「岩崎くんは将来ヒモになるべきだよ」


「マネは知らないのに、ヒモは知ってるんだ」


「馬鹿にしてるでしょ」


「うん」


 この野郎。間抜けな笑顔にグーパンを堪える。


 デートは楽しむもの……楽しむもの……暗示をかけながら、坂を上る。始めに訪れたのはモンキーゾーンだった。


「猿って……こんなにいるんだ……」


 私の中の猿は顔とお尻は真っ赤で、それ以外は茶色い毛皮で覆われたモノ。


 でもそれは猿のほんの一部に過ぎなかった。


 真っ黒な毛の猿が木の枝と葉を食す姿に唖然とする。


 はらはらと、猿=バナナのイメージが崩落した。


「まぁ、動物園ですから」


「そうか……でもきっと、これもほんの一部なんだよね……」


「世界は広いですから」


「そっか、うん……広いね……」


 総合案内所で買ったパンフレットと檻の説明欄を交互に見る。あと、時折猿改めフサオマキザルも。


 植物だけでなく、小動物も食うのか。流石人間の祖先。草食肉食の枠にとらわれていない。……へー、アマゾン川に住んでいるのかぁ。ピラニアも食ったりするのかな。そもそもピラニアって食べられるのか?


 ぐるぐる、ぐるぐる。パンフレットに載ってない疑問が生まれてしまった。これは後で調べよう。


「ふっ……ふふっ……」


「……何かあった、岩崎くん」


 じっとっと目を向ける。同じく隣でフサオマキザルを嗜んでいるはずの岩崎くんは口を押え、小刻みに震えていた。


「いや……デートというより、幼稚園児の引率みたいだなって……」


「成程。じゃ、次いきまちょーね、ユートくーん」


 爪先を伸ばし撫でた彼の頭は想像以上にキューティクルだった。おおぅ。


「え? そう取る? そう取っちゃう?」


「さ、いきまちょーねー」


「はいはい。ついてけばいいんでしょ、着いてけば」


 俺の方が折れてやった、という態度にムッとしたが無視。


 私の方が大人なので、突っかかったりはしません。


「口、ひん曲がってるよ?」


「曲がってない」


「はっは。そうだね。ごめんね」


「……いいよ」


 しかないので、許してやる。大人なので。







 園内は家族連れのイモ洗い場。同世代の男女を探すのは至難の業だ。


「もしかして動物園デートってやばい?」


うほうほ。ゴリラを見つめ、疑問を零した。


「やばいとは?」


「なんか、こう……健全な高校生的な意味で?」


「笹山と俺が楽しいなら問題ないでしょ」


「そっか」


 少し安心した。動物を見ているとは思えないが、岩崎くんも楽しんでいるみたいだ。


 壁に寄りかかり座るニシゴリラはじっと、私たちを見つめている。オスのリーダーゴリラはシルバーバックと呼ばれるらしい。


 目が合うそれがオスかメスかは分からない。オスとメスの見分け方、調べることが増えた。


 あのゴリラは何を考えているのだろう。キャッキャ喜ぶ子供たちの雑踏の下、思考を巡らせる。


 ニシゴリラも動物園を楽しんでいる? 人間という動物を観測している?


 それとも自身の立場を理解し、サービスしているのか? それならばもっとアクティブにして欲しい。アイドルじゃないんだから、目があったくらいでは大人は喜ばない。よそよそしくなる。


 あ、威嚇してるとか? こっちみんな―! って。ならばもっとうほうほ叫ぶか。

職業病だ。人間観察に飽き足らず、動物を悟ろうとするなんて。


 いや、今の私は役者じゃないから、また少し違うか。


 抜けない癖。うん、この方がしっくりくる。


 抜けない癖、ね……。自分で言っておいて広がる虚無には、どう対応すればよいのだろう。


「……この子はイケメンだからオスだね」


「ん、んんぅ……? 笹山ってゴリ専?」


「ごり、せん……」


「ゴリラが性癖?」


「冗談でも、そういうことを聞くのは良くないと思う」


 仮にも思春期の男女。しかも知り合って間もない。下ネタを交わすにはもう少し友好が欲しい。最もそれは、いくら年月が経とうとも築かれることはないのだが。


「ぶっちゃけ?」


「しつこい」


「あ、もしかしてイケメンが好み? ならば俺なんかどうで」


「次行こ、つぎつぎ」


 ぶら下がる手を掴み、その場を抜け出す。バイバイ、ゴリラ。また会おう。


「何だよぉ。手繋ぎたいならそう言ってよ」


「……? 繋ぎたくないけど」


「え。そうなの?」


「うん。暑くない?」


「それは、その通りだね」


「うん、そうでしょ」


 ついていく意思を見たので、手を放す。やはりじんわりと手汗が滲んでいた。


「次行こ」


「……うん、そうだね」


 悪いが他人の感情を読むのは得意だ。


 太陽から目を背けるように、感情を隠した岩崎くんの笑みから目を逸らした。






 オグロマーモセット、ヤギ、シセンレッサーパンダ、アフリカライオン、アミメキリン。知識を蓄えながら、ゆっくりと園を探索した。零した汗の数が得た知識量に比例する。


 パンフレット片手に真剣な目つきで動物を睨む私を、岩崎くんは勉強熱心と称していた。そして自覚した。周りの人間は皆手ぶら、持っていたとて水筒やペットボトル。もしくはベビーカー。思い返せばパンフレットを下さいと行った時、スタッフさんも目を丸くしていた。


 そうか、私は勉強熱心なのか。ストンと落とされた言葉は、笹山葵を形成した。

笹山葵は勉強熱心。ふふふ、覚えておこう。


「流石に腹減ったねー。これ見たらお昼にしよっか」


「うん、そうだね」


 昼食前、最後に訪れたのはアシカ・ペンギン池。設置された池は上から、そして地下通路から覗くことが出来た。


「あ、魚食べてる」


 初めは階段を昇り、地上を観察。アフリカ大陸に生息する唯一のペンギン、ケープペンギンが小魚を食していた。


「ペンギンって水族館にもいるよね?」


「いるね」


「水族館でも、魚を食べてるのかな」


 だとすればなかなかの皮肉だ。あ、でもライオンやチーターも肉を食べてたか。うむ……食物連鎖ぁ……。


「そりゃ……そうでしょ。もしかして笹山、水族館ミケーケン?」


「うん。喰う専門」


「じゃあ今度は水族館に行こうか」


 今度。連絡先も知らない不安定な棒の上に置かれた関係が確固たるものを求める。


「うん……予定が、あえば……」


 きっと、合わせようと思えば合う。岩崎くんは平気で部活をさぼるし、現在私の時間を占めるモノは陽彩と宿題だけ。後者はもう半分以上終わっている。


 だけど、なんとなくかわしてしまった。彼に対する嫌悪感とか負のものは消えつつ

あるけど、まだ引っ掛かりがある。


 エサを食べ終えたペンギンは池に向かって飛び込む。食後の運動、意外と自意識が高い。


「うん、そうだね」


 意外と空気の読める岩崎くんは踏み込むことなく、アシカと共に私の言葉を素通りした。きっと、岩崎くんは必要以上に他人に踏み込まないんだと思う。


 地下通路に入ると、池の中が見えた。ペンギンがすーいすいっと泳ぐ姿が丸見えだ。


「おー……」


 気持ちよさそうだな。全身を撫でる汗が悲鳴を上げる。次はプールや海に行ってみたい。野生のペンギンも見てみたい。


 すーいすいすーい。ペンギンはガラスの中めいっぱいに泳いでいく。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。彼らを追うのに、私の足も大忙しだ。


 彼らは見られているという意識がないのだろうか。客に気を使えない点はエンターテイナーとしてどうかと思う。


「ぷっ……あははは!」


 地下トンネル、唐突に響く笑い声。振り向くとやはり奴だった。


「ちょっと、何?」


 ベンチに腰を掛ける岩崎くんの横に座り、睨む。彼は未だに腹を抱えており、その片手にはスマホが握られていた。


「ふっ……い、いや……なんか、ふふっ……」


 歯切れの悪い笑い声。デート中なので楽しそうなのは良いことだが、私は楽しくない。


「どーちたんでちゅか、ユートくん」


「あははっ。これ見てもそう取っちゃう?」


 差し出されたスマホには一つの映像が映った。


 そこには小さい子供や親を押しのけ、ガラスの前を行ったり来たりする高校生が一人。


「お、おぅおぅ……」


 手で顔を覆う。頭上に太陽はいないのに、汗がぶしゃっと噴き出て、火が出るかと思った。


「なんかデートというよりお守って感じ」


「すんません……」


「いや、謝らなくていいよ。なんか新鮮だなって。笹山らしくて、楽しいよ」


 笹山らしい、とは。


 溢れた疑問は喉を昇ってはくれなかった。


 岩崎くんの笑顔が幼き少年のように、真っすぐで、踏み込むのを躊躇う。


 とにかくこれはデートなのだから、楽しそうな彼を眺めるのが正解だ。


 ふわりと、胸に広がる生温い液体は油分を含んでいる。


 どろどろ、どろどろと流れる液体はただでは消化されない。胸にお土産を残した。


 頑固な油汚れか。調理実習でしか洗い物をしたことがないが、それを落とすのは非常に大変なことを知っている。


「君は、とんでもないものを盗んでいきましたね」


「え? 何も盗ってないよ?」


 両手を上げたのは無罪の証明か。そういうことではないのに。


 君は変に天然だな、チャラチャラ男。


「岩崎くんに言ってないよ。ケープペンギンに言ったんだよ」


 すーいすい。ペンギンは変わらず水中をたゆたう。


 暑い、あついなぁ。


 匂いとか菌とかどうでもいいから、今すぐそこに飛び込みたかった。



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