一幕四場 戦慄階段

 転校生が来た。だから何?


 クラスメイトに常に線を引いている私には関係ない。そうやって、何十にも警戒線を張っていたのに、陽彩はゆるりと線を消す。


 そこに何もなかったかのように、私の前に現れるの。


「一緒にご飯、いい?」


 電光石火。チャイムが鳴った瞬間に陽彩は現れた。JKならではの無邪気な笑みを引き連れて。


「一緒に、ご飯……」


 人目があるので、げんなりという感情は顔に出さないようにした。


「そう、ご飯。ここじゃなんだから、別の場所で食べましょう?」


 誘いに乗るメリットはない。『何故、笹山を?』と疑問に満ちたクラスメイトの目線から逃げられるくらいだ。


 ……最も、そんな好奇の目は今更なのでどーでもいい。


 いい意味でも、悪い意味でも、注目されるのは慣れていた。


「……いい、よ」


 彼女の目録が分からない。だから、イエスと答えた。


 敷かれた台本には、全て目を通したいから。


 彼女が私に敷こうとする内容に、小さじ五杯ほど興味があったから。


「よかった、じゃあいこ?」


 ピンクの風呂敷に包まれた弁当を持った陽彩は、私を屋上へと誘った。


 しかし現実の高校は舞台と違う。危険防止のため屋上が解放されていないことを知った私たちは、四階と屋上を繋ぐ立ち入り禁止の階段に腰を掛けた。


 隣だけど、隣じゃない。人一人分席を開け、コンビニで買ったパンの袋を開く。ちなみにコロッケパンである。


「単刀直入に聞く」


 呑気に弁当を開く陽彩は、どうぞと呟き箸を握る。


「あんた、私をどうしたいの?」


 舞台に戻らない理由を聞きたい野次馬か、神崎ヒナタに魅入られたファンか、それとも、


「言ったでしょう? 仲良くしたいって」


 どこまでもしらを切る。陽彩は満更でもなさそうに卵焼きを摘まんだ。


「どうして?」


「理由、いる?」


「いる。不用意に私に近づく人間には用心するようにしてるの」


「変なの。だって貴方は一般人じゃない。そこまで他人に警戒する必要、ある?」


「知ってるくせに、うそぶかないで」


「はて、何のことやら」


 何を言っても無駄だと理解した。勝手に踏み込んでくるくせに、捕まえようとすると逃げる。やっていることは泥棒と大差ない。


 彼女は何を、奪うつもりなのか。十中八九、空っぽの笹山葵から盗む算段は立てていないだろう。


 踏み込むだけならまだいい。しかし問題はそこなのだ。


 暫く、沈黙が続いた。セリフはないが、誰が焦ることもない沈黙。私はコロッケパンを半分以上齧り、

陽彩は弁当の白米だけを残した時、彼女は箸を置いてポケットから何かを取り出した。


「はい、これ」


 差し出された右手には、長方形の水色の紙。何となく、察しは付いた。


「なんで」


「そこはなにこれ、じゃないの?」


「何かは分かる。理由が知りたいの」


「何度も言っているでしょう? 私は仲良くなりたいの、葵ちゃんと」


 左手には同じ紙がもう一枚。言わずもがな、それはとある観劇のチケット。一緒に行こう、ということか。


「三歳から十六歳で構成される日本屈指の児童劇団、『劇団スカイハイ』。今週の日曜、十三時開場十四

時開演。場所はひまわりホール。葵ちゃんの最寄り駅は何処?」


「行くって言ってない」


「最寄り駅は?」


「行かない」


「最寄り駅は?」


 暇つぶしに一瞬だけ取り組んだ、RPGの村人が連想される。頑なに拒絶しても、変わらぬテンションで主人公にイエスを求める嫌なヤツ。


 この場合、どう対応するのが正解なのか。生憎勇者に見習い、イエスマンになる気はない。


「……それ、すっごくいい席じゃない。貰えないわ」


 話題を逸らす。直接的に断れないなら、やんわり断るしかない。


「うん。一列目。舞台がよく見える」


 劇団スカイハイ。舞台に詳しくない者でも、その名くらいは聞いたことはある劇団。


 今やお茶の間で聞かない日はないテレビ女優や映画俳優も過去に在籍していたらしく、私の母も、その一人。


 子供だと思って舐めてかかると痛い目に合う。そのせいか、チケット争奪戦は激戦を催す。


「尚更貰えない」


「どうして? 折角いい席なのに」


 いい席だからだよ。役者の顔がよく見える席に座りたくないんだよ。うん、これは言わなくていい。言ったとて、私が損するだけ。


「行く相手がいないならオークションサイトにでも出品しなさいよ。今なら一万で売れるわ」


「転売ヤーやん」


 てんばいやー。ニュースで聞いたことのある単語だ。


「物は言いよう。お小遣い稼ぎと捉えれば、良心が痛まないでしょ」


 そもそもコイツに良心などあるのか。平気で人の事情に踏み込んでくるやつだぞ?


「舞台と役者に無礼。貴方なら分かるんじゃないの?」


「はて、何のことやら」


 最後の一かけらを口に放り、空っぽのビニールを丸める。近くにゴミ箱はない、当たり前だ。ここは立ち入り禁止なのだから。


 仕方なくポケットにゴミを詰めると、手が空いた。陽彩はそれを待っていたかのように、素早く私の右手にチケットをねじ込んだ。


「な」


「これはもう貴方のもの。煮るなり焼くなり、譲渡するなり、売るなり自由にして? もっとも、転売されていたら通報するけど」


「…………」


 恐怖の笑顔が突き刺さる。私が手を離し、チケットを床に落とすと踏んだのか、陽彩は私の手を両手で包み、力強くチケットを握らせた。


 自ずと誕生、しわだらけチケット。あーあ、もう売れない。


「で、最寄り駅は?」


「だから行かない。第一日曜は用事あるし」


 残念そうに、深いため息をつく。さぁ、演じようではないか。日曜に予定のある高校一年生を。


「何の用事?」


「映画に行くの」


「他の日でもいいじゃない」


「駄目よ。家政婦さんと一緒に行くもの。日頃の感謝を込めて私が誘ったの。もうチケットも買ってある

し、彼女もその日しか駄目みたい」


 やれやれと首を振る。勝手に名前を出してすみません、富沢さん。なんて気は更々ない。だってこれは嘘じゃない、演技なの。芝居の一環に過ぎない。


「何処の映画館?」


 手を離した陽彩は、膝に手を置き、硬い笑顔の仮面をかぶった。会社の入り口に立つ受付嬢みたいだ。


「るるぽーとの中にある映画館。ついでにお茶しようって計画を立てているの。最近アフタヌーンティーを嗜めるお店が出来たらしいから」


「映画の題名は?」


「『愛の鳴き声求めて』。五十万部売れたベストセラー恋愛小説が実写化したものよ」


 やはり流し見でもテレビは見ておくものだ。すっと出てきたタイトルは一昨日バライティー番組で俳優が番宣していたもの。確か芸人さんが体を張って、女優さんは何もせず馬鹿みたいに笑っているだけの番組だった。


「席は?」


「Iの十と九。富沢さ、家政婦さんは映画全体を目に入れたいから後ろの席が好きなのよ」


 息継ぎの間も与えない、切羽なく飛び出る質問。思い出すなぁ……こうやって役作りしたこともあったっけ。


 誕生日、好きな食べ物、好きな動物、趣味。たった数十枚の紙から一人の人間を読み取り、作り上げる、途方のない作業。


 そこに正解はなく、誰も正解は知らない。けど、不正解は存在する。


 あの頃は時間が足りなくて、足りなくて、足りなくて。何故人間は排泄なんてするのだろう。そんな思考に陥るほど、一分一秒が惜しかった。


 一日が四十時間あればと思っていた。けど今は、一日十時間でいいや。


「だから劇場には行けません。他のオトモダチを誘って?」


 くしゃくしゃのチケットを彼女の手に押し付け、立ち上がる。きっとこれが私をお昼に誘った理由だろう。ならばこれ以上、付き合うことはない。


「分かった。用事のない、他のオトモダチを誘う」


「うん、じゃあね」


 コツコツとわざとらしく階段を鳴らす。ああ、私今イライラしてる。


 何でだろう。アイツのせいか。背中に感じる強い目線が何を思っているのか、振り向こうにも振り向けない。


 本当は、分かっていた。察しはついていた。


 彼女が何者なのか。彼女の目的を。


「……神崎ヒナタはもう、死んだんだよ」


 ぽつりと落とした一言は、セミの声によってかき消された。






 劇団スカイハイ夏季公演。中学三年生の卒業公演に当てられるこの演目は、毎年同じである。故に、比べられる。去年の役者と、一昨年の役者と、その更に前の役者と。


『劇団スカイハイ ふれんどしっぷす』


  クーラーは25度。風呂も夕飯も終え、涼しさ全開の部屋。ベッドであおむけになる私は、スマホの検索欄に映る文字を見ていた。

 当たり前のように、変化のない画面。検索のボタンを押せずにいた。


 戯曲『ふれんどしっぷす』。進路に悩む中学生の男女が繰り広げる終わりと始まりの物語。卒業公演にピッタリの話。


 今年も始まる、あの舞台が。そう思うだけで、胸に大きな靄がかかる。


 その靄は何をしても消えない。団扇で仰いでも、扇風機を強にしても、クーラーを十度にしても消えない。


 故にその靄が何を隠しているのか、私も知らない、知りたくない。


「日曜……」


 寝返りを打ち、壁にかかるカレンダーを見あげる。当然、映画の予定などない。映画どころか何もない。ここ半年、日曜に予定が入ったことはない。その半年前の予定も、父に頼まれ郵便物を出しただけ。


 ……何興味を示しているんだ、バカ。


 検索を押すことなく、スマホをベッドに打ち付ける。柔らかなベッドをはねたスマホは、床に転がり落ちた。


 私はもう、舞台にいない。舞台など関係ない。私はしがない女子高生、笹山葵だ。


 そうだ。日曜はJKらしく、パンケーキを食べに行こう。馬鹿みたいに写真を撮って、可愛いと連呼し、半分残す。うん、それがいい。


『ヒナタちゃん! 私も一緒に行ってもいい⁉』


 空っぽの手で顔を覆う。ふれんどしっぷす、パンケーキ。余計なことを思いだしてしまった。


 もう一度、今度は反対側に寝返りをうつ。視界には本棚が映る。


 ボロボロの台本、役作りノート、舞台の元となった原作の数々、演劇科のある高校のパンフレット……あの黒幕の向こうには、神崎ヒナタが詰まっている。


「……『私も、なりたかったよ。だって優里亜ちゃんは私の……』」


 急激に喉が渇きを覚える。乾いた唇がかゆくて仕方ない。


 未だに言えない。あのセリフの続き。


 みーん、みーん、みーん。


 窓を閉め切っているのに、セミの声はうるさい。


 こちらの事情などお構いなしで、塞いでも、塞いでも、鳴き続ける。


「私は、なりたかった……何も聞こえない、何も見えない、無知な人間に……だって、そうすれば……」


 そう、すれば?


 ……もしもは嫌いだ。どんなに強く願っても、過去は変えられないから。


 どんなに強く願っても、変えられないのだ。あの子と私が、出会う運命は。


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