第15話「追い返される」
気がつけばスノウとユージンがプリスコットに慌ただしくも帰ってしまってから、もう一月過ぎてしまった。
ティタニアが何通彼に手紙を送っても、何の知らせもない。待っていた返事は、返ってこなかった。
もしかしたら今は忙しいのかもしれないとそう思えたのは、二週間程までだ。
彼ら用に用意されていた部屋の荷物は、ずっとそのままだ。プリスコット辺境伯から、事務的な何かが届いたということもない。
父のカールも何か言いたげな様子を見せることもあるが、日に日に憔悴していく様子のティタニアを見兼ねて何も言わないようにしているのか、不自然なまでに食事中の話題に彼らのことを出すことはなかった。
(スノウ一人ならともかく、あの世話好きで異常にまで気がまわるユージンがついていながら、連絡がないなんて、絶対におかしい……)
確かに彼らが帰る直前にまで見せていた切羽詰まった態度を思い出せば、スノウの長兄が怪我をしてしまったことはかなりの異常事態であると知れた。
けれど、あれから既にかなりの日数が経っている。もし大変な何かあったとしても、手紙の一通も返ってこないのはおかしかった。
「……お父さま、お願いがあるんだけど」
朝食を終えて食後の紅茶を飲んでいた時に、意を決してティタニアは言った。
「なんだい?」
ティーカップを持ったまま、カールは不思議そうに言った。
最近、ティタニアの言葉が少なくなっていたので、こういう時に彼女の方から言葉を発することはめっきり減っていたからだ。
「あの、私。プリスコット地方に行こうと思うの。移動用魔法陣は使用料が高額だから……馬車で行くわ。このまま、彼に何の連絡もなく会えないままなんて、嫌なの。どんな結果になったとしても、もう一度会っておきたいから」
娘の言葉に、カールは何も言わずに頷いた。
◇◆◇
急ぎ旅支度を終えたティタニアはノーサムを出発前に来訪の手紙を送り、目的地の一歩手前の街からも手紙を送った。
プリスコットに行くまでの行程も手紙に記して送ったけれど、スノウからの返信や迎えはやはり一度もなかった。
雪山があるというだけあり、プリスコット地方に近づくにつれて、目に見えてどんどん気温は下がっていく。用意して来ていた冬用の外套では、とても心許なかったが、出来るだけ早く先に進みたい気持ちもあって、そのまま旅路を急いだ。
プリスコット辺境伯の居城は、かなり遠方からもその姿が知れた。要塞にも似た石造りの城は、ここが戦いの最前線であるということを物語っていた。
(あそこにスノウが居る……何もなかったら良いけど……)
あれだけ真っ直ぐに熱烈な愛の言葉を言ってくれたスノウに関して、彼自身を疑う気持ちは今も全くなかった。ただただ心配だった。
もしかして、大怪我をしたり、何処かに捕らえられていたり、どうしても今手紙も出せない何かの事情があるのではないかと、ずっと不安だった。
手紙に記した時間通りにプリスコット家の住む城に着き、馬車を降りたばかりのティタニアを、玄関へと繋がる階段の上から腕を組みむっつりとした表情をした若い女性が出迎えた。
その周囲に居る何人かの使用人たちは距離を置いて、心配そうに様子を伺っているようだ。
「あの……?」
とても歓迎されているとは言い難いその様子に首を傾げたティタニアを見て、何とも嫌そうな顔をするとその女性は睨みつけた。
「ただの人間風情が、プリスコット辺境伯の住む城に何か御用?」
喧嘩腰のその台詞に、目を見張ってしまった。
彼女の真っ直ぐでサラッとした金髪の上には可愛らしい丸い耳があった。スノウやユージンと同じような丸い耳、きっと豹の獣人なのだろう。プリスコットの縁者の一人だろうか。
「あの、私はイグレシアス伯爵カールの娘、ティタニア・イグレシアスです。手紙をお出ししていたと思うんですが、辺境伯の御子息スノウ・プリスコット様に取り次いで頂きたくて」
階段の上からじっと睨みつける彼女を、ティタニアは見上げるかたちになった。
むっつりとした表情を向け、その視線からは敵意しか感じない。それは、この国の貴族の礼儀として、到底遠方から訪ねてきた客人を迎える態度ではなかった。
(せめて、城の中へと迎えいれ応接室で、然るべき人物が応対するべきではないの。門前払いなんて信じられない)
ティタニアもあまりの傍若無人なその態度に、言葉にならない程の不愉快な気持ちになってしまった。
「……無理。スノウは今ニクス様が怪我をしているから、今は代わりに前線に出て指揮をしているわ。貴女が例えイグレシアスの名前を持っていても、お取り次ぎはできません。どうぞお帰りください」
「そんな……」
あまりの言葉に絶句してしまう。呆然として言葉を失ってしまったティタニアを、ますます強い視線で彼女は睨みつけた。
けれど、彼を訪ねてこれだけの距離を移動してきて、はいそうですかと簡単に帰る訳はなかった。立ち尽くすティタニアを見下すような、その視線に食い下がるように言葉を重ねた。
「お願いします。一目だけでも、お会いできたら……もう、帰ります。どうか、スノウ様がお帰りになられるまで、待たせてくださいませんか?」
それを聞いて、ますます彼女は顔を険しくした。いかにもティタニアの存在が気に入らないと言う様子で、ドレスのスカートをぎゅっと握りしめている。
「私は、アナベル・ブルック。未来の義父になるプリスコット辺境伯に、この城の留守を任されているわ。私はね、プリスコットの後継者と結婚するの。生まれた時からそう決められていて、だからここで行儀見習いをしているの。ニクス様のお怪我がもしこのまま良くならなかったら、次の後継者のスノウの妻となるわ。気軽に浮気が出来る人間と違って、獣人は生涯一夫一妻を貫くのは知っているでしょう? 未来の愛人候補を、この城に入れる訳にはいかないのよ。わかったら、さっさと帰ってくれる?」
噛み付くように言い放ち、表情をなくしたティタニアを一瞥して、アナベルは足音高く城の中へと入って行った。
(そんな……もしかして、だから、もう私とは結婚出来なくなったから。だから、スノウは何の連絡もくれなかったの?)
◇◆◇
立ち尽くしていたティタニアは、共にやってきた従者に促され馬車に乗り直し宿泊を予定していた宿へと入った。
部屋の中にやっと辿り着くと、備え付けの椅子に腰掛けて人目がなくなるまではとずっと我慢していた涙が出て来ることを止めることは出来なかった。
余りにも非常識な態度を取ったアナベルの言葉を、流石に全てそのまま信じた訳ではない。
けれど、他でもないスノウ自身がティタニアの手紙を無視し続けていることもまた、紛れもない事実だった。
ぽたぽたと床に溢れていく涙が木製の床に染みを作っては、また乾いて消えていく。
あれだけ何回も「運命」だと言ってくれたけど、貴族だからやっぱりそれは許されなかったのかとそう思ったのだ。
ティタニアがジュリアンと結婚せねばならないと思っていたように、プリスコットの後継者となるならあのアナベルとの結婚が条件付けられているのならば致し方ないのかもしれない。
だから、スノウはもうティタニアには会わないと思った。そう思ったら、筋が通る気がした。
だが、連絡がないのはやはりおかしい。
スノウはもうティタニアに会う気がなく、連絡も取れないにしても、必ず傍にいるだろう従兄弟のユージンから何の音沙汰もないのはおかしい気がした。
きっと彼ならばそういう事情があったにせよ、ティタニアに説明なりなんなりの連絡は絶対してくれると思うのだ。
どうしてもスノウに会いたいからといって城の前で待ち伏せをするなんて、そんな失礼なことは立場上出来ない。
ティタニアはイグレシアス家の娘として、どうしても守らねばならない一線があった。
けれどアナベルのあの様子だと、城の中へ案内されることはないだろう。そして、手紙には返事がない。何度会う方法を模索しても、八方塞がりだった。
(もう会えないなんて、絶対に嫌)
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