第191話 ゴミ捨て場の状況②

 突如として訪れた食糧危機。

 コンデ公爵より、食糧を持って逃げた下級貴族の捜索を命じられたフロンド伯爵は辟易へきえきとした気持ちで中庭を歩いていた。


「――まったく、何で私がこんな事を……」


 城内は広い。何より臭い。

 王城内であれば、多少臭いも軽減できるが、多種多様なゴミが山の様に積み上がっている現状、外に出るのは苦痛を伴う。

 何せ、外を歩いているだけで、鼻に直接、何とも形容しがたい溝の様な臭いが入ってくるのだ。


「うっ……酷い臭いだ……」


 ハンカチを鼻に当てそう呟くと、共に下級貴族達の捜索を命じられた貴族も同調する様に声を上げる。


「いや、まったくですな……酷い臭いだ。こんなゴミだらけの悪臭漂う場所が王城とは……まったく以って嘆かわしい……」

「――聞けば、使用人や兵士に逃げられたそうではありませんか……」

「躾がなっておりませんな。しかし、下級貴族もやってくれましたね。よりにもよって食糧を持って逃げるとは……」

「ここは王城。城壁に囲まれている以上、逃げる事などできないというのに……これだから下級貴族は……」


 その下級貴族達は、食糧を何者かに奪われた時点で王城からの脱出を決意し、既に外に出ているが、その事を知らない貴族達は口々に悪態を吐いていく。


「そんな事を言っていても仕方がないでしょう。さっさと下級貴族達を見つけ出し食糧を取り戻さなければ……国王陛下との交渉もまだまだ時間が掛りそうですからねぇ……」


 フロンド伯爵は、地面に残された車輪の跡に視線を向ける。


「……愚かな。これでは、見付けてくれと言っている様なものではありませんか」

「どうやら、使用人が住む建物に食糧を運んだようですな……」

「その様で……」


 貴族の一人が建物の横につけてある荷台を指差した。

 それを見て、他の貴族もクスリと笑う。


 あまりにも考えが浅い。

 下級貴族如きが、私達を差し置いて限られた食糧を盗み出すとは……。


 そんな事をしてタダで済むと思っているのか?

 ここには国中の上級貴族が集まっているのだぞ??


「――さて、下級貴族達は一体、どんな言い訳をするのやら……」

「楽しみですなぁ……」


 建物の扉に手を当てる。

 すると、建物の中から粗雑な男達の声が聞こえてきた。

 盗み出した食糧を食べているのだろうか。

 くちゃくちゃ音を立てながら行儀悪く話をしている様だ。


『しかし、貴族も馬鹿だよなぁ? 食糧庫に見張りも立てないなんてよぉ』

『ああ、まったくだ。しかし、そのお蔭で上手く行った』

『これで二週間は生き延びる事ができそうだ。しかし、その後はどうするよ?』

『知るかよ。貴族共が諦めて外に出れば俺達も解放されるだろ』


 ほう。貴族共ねぇ……?

 下級貴族の分際で言ってくれる。

 貴族共が諦めて外に出れば解放されるだと?

 何を馬鹿な事を言っているんだ。領地が狭く貧しい生活を送っている下級貴族は良いかもしれないが、私達は違う。

 課税制度が変われば生活は破綻する。

 私達に下級貴族と同じ様な生活を送れと言うのか。馬鹿を言うな。


 フロンド伯爵は他の貴族に視線を向けると、大きな音を立て扉を開ける。


「――子爵と男爵風情が言ってくれるじゃありませんか。私達を前にしてもう一度、言ってみなさ……」


 フロンド伯爵はそこまで言って気付く。

 目の前で奪った食糧を喰い漁っているのが下級貴族でない事に……。


 これには他の貴族達にも動揺が走る。


「……平民? どういう事だ?」

「宰相の話では、使用人も兵士も皆出て行ってしまったと聞いていたが……」

「食糧を奪ったのは平民だった? それでは、下級貴族はどこに行ったのだ……ま、まさかあ奴等……食糧を奪われた責任を問われるの嫌さに外に出たのか? あんな馬鹿みたいな条件を飲んで……」


 しかし、それなら納得できる話だ。

 そして察する。


 目の前で食糧を喰い漁っている連中が何者なのかを……。


「――いや、ま、まさかこやつ等は……!」

「話に聞いていた不審者か……!?」


 そして、回答に辿り着いた瞬間、建物の外にいた男達がフロンド伯爵達の退路を塞ぎ扉を閉める。


 食糧を置き立ち上がると、不審者達はニヤニヤ笑みを浮かべながら近寄ってきた。


「不審者とは、言ってくれるじゃねーか……」

「俺、貴族って嫌いなんだよなぁ。なにしにここに来たんだよ」

「もしかして、食糧が欲しくて追ってきたんじゃないか?」


 男達が口々にそう言うと、貴族の内、一人の腹が『ぐー』と音を鳴らす。

 その瞬間、貴族は顔を赤らめ、男達は笑い出す。


「――ふはっ!? おい。誰か、哀れな貴族様に食糧を与えてやれよ」

「貴族様の腹が飯を寄こせって鳴いてるぞ?」

「おいおい、貴族様が腹を鳴らす訳がないだろ? 馬鹿にしてやるなよ。いや、すいませんねぇ貴族様。こいつ等、馬鹿なんで……ああ、腹減ってるならこれを食べて下さい。腹持ちして美味しいですよ」


 男が食べかけの乾パンを差し出すと、貴族はその乾パンを手で叩き落した。

 貴族は顔を真っ赤に染めると、怒声を上げる。


「馬鹿にするなよ、この盗人がっ! さっさと食糧を返せっ!」

「私達は貴族だぞ? 平民が私達にそんな態度を取ってタダで済むと思っているのか!?」


 すると、男達の目が据わる。


「あーあ、勿体ないなぁ……」


 男は貴族の足下に落ちた乾パンを手に取り、埃を払うとそれを口に運ぶ。


「……お前等こそタダで済むと思っているのか?」

「折角、乾パン恵んでやったのに無駄にしやがって……」

「お高く留まって……これだから、お貴族様は嫌いなんだよ。まあいいや」


 乾パンを口に運んだ男は立ち上がると、フロンド伯爵達を睨み付けた。


「な、なんだっ……」

「へ、平民如きが生意気な……」


 男に睨まれフロンド伯爵達は及び腰になる。

 威嚇され一歩後ろに下がると、後ろにいた男に肩を叩かれた。


「――なあ、こいつ等を弱らせてから外の奴等に差し出せば、俺達、ここから出して貰えるんじゃね?」

「そういえば、そんな事を言ってたなぁ……契約書がどうとか……そうか、こいつ等を弱らせて契約書とやらにサインさせれば……」


 目の前で繰り広げられる物騒な会話にフロンド伯爵達は頬を引き攣らせた。


「――なっ!? ば、馬鹿な事を……」

「お、お前達は何を言っている! そ、そんな事をしても……」

「私達はただ食糧を返して欲しいだけで……そ、そうだ。私を助けてくれたらお前達を私の領で雇ってやろう! ど、どうだ?」


 貴族の一人がそう提案すると、男達はため息を吐いた。


「はあっ? 何だその罰ゲーム……貴族の下で働く? 冗談だろ?」

「俺はその貴族様の都合で職を失ったんだよなぁ……」

「税金もシャレにならないレベルで取られるし、働くのが馬鹿らしくなるよなぁー」


「な、なにぃ!?」


 男達の言葉を聞き愕然とした表情を浮かべる貴族。


「わ、わかっているのかっ!? 貴族家の使用人として働くと言う事はとても栄誉ある事で……」

「そ、それに、私達に手を出して見ろっ! 領軍が黙っていないぞっ!」


 その領軍はとっくに各領地に強制送還されている訳だが、貴族達にそれを知る余地はない。

 領軍という言葉を聞き、男の一人がピクリと反応を示す。

 それを見て、怖気付いたと判断したフロンド伯爵は畳み掛ける様に言う。


「その通りです。貴族に手を挙げたら死罪は免れません。しかし、私達は寛容です。今すぐ食糧を引き渡しなさい。そうすれば、牢屋に入れるだけで勘弁して差し上げますよ」


 精一杯、譲歩したつもりなのだろう。

 フロンド伯爵は自信満々にそう言うと、男達はギリッと歯を鳴らした。


「――はあっ……どうやら状況が見えていないみたいだな」

「どの道、食糧が無けりゃ生きていけないんだ。引き渡す訳がねーだろ……」

「まったくだ。貴族に手を挙げたら死罪? 食う物が無くなったらどちらにしろ死ぬしかねーんだよ。それだったら、あんた等貴族を捕らえて外にいる連中に引き渡した方がまだ生き残れる可能性があるぜ?」


「き、貴様らっ……!」


 貴族の威光が効かず歯ぎしりするフロンド伯爵。


「おい。ロープを持ってきたぜ」

「ああ、サンキュー。それじゃあ、さっさと貴族様を捕えようぜ?」

「でも、どこに転がしとくよ?」

「うん? そうだな……地下に牢屋があったし、そこでいいんじゃないか?」


 目の前で繰り広げられる男達の物騒な会話。

 フロンド伯爵を初めとする貴族達は、その会話の流れを聞き、顔を引き攣らせる。


「ま、まさか、この私を……伯爵であるこの私を捕え地下牢に……」

「や、止めろっ! か、考え直せ……私達をそんな所に入れてどうするっ! 本当に死罪になるぞっ!? 領軍が黙っていないぞっ!?」

「そ、そうだ。馬鹿な真似は止めろっ! わかった。食糧全部を渡せとは言わない。八割だっ! い、いや、七割で勘弁してやろう。それだけ、食糧を貰えれば私達はこれ以上何も言わない。それでどうだっ!?」


 この期に及んで世迷い事を口にする貴族達。

 男達は、そんな貴族達に冷めた視線を送る。


「……信じらんねー。こいつ等、今の状況をわかっているのか?」

「貴族って頭が悪くても務まるんだな……馬鹿な俺でも今の状況位理解できるぜ?」

「まったくだ。もういいだろ。さっさと、縛り上げて地下牢にでも運んでおこうぜ? 飯を与えず三日放置すれば大人しくなるだろ……」


 そう言いながらジリジリとにじり寄る男達。


「や、やめっ……ぐうっ!?」

「私に手を挙げてみろっ! 絶対に死刑に……ぐぶっ!!」

「わかった……五割だ! たった五割で良い。だから……けぽっ!?」


 貴族達がむやみに暴れない様、腹を殴り黙らせると男達は貴族一人一人をロープで縛っていく。

 そして、地下牢に転がすと、牢屋に鍵をかけた。


「この生活ともあと三日でオサラバか……」

「まあ、良かったじゃねーか。平民が貴族を売り渡すなんて事、中々できる事じゃねーぞ?」

「それもそうだな。三日後が楽しみだぜ。あー、さっさと引き渡してぇー」


 腹を殴られたダメージから回復したのだろう。

 地下牢からは、早くも貴族達の喚き声が聞こえてくる。


「まあ、三日もすれば大人しくなるだろ。それまでの辛抱だよ」

「ああ、そうだな……」


 そう呟くと、男達は地下牢の階段を上がっていく。

 そして……


「た、助けて……助けてくれぇぇぇぇ!」


 貴族の一人がそう叫び声を上げるのと同時に、地下牢に続く扉を閉め、鍵をかけた。

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