第178話 区議会議員⑧

 高橋翔のいる新橋大学付属病院に向かって歩を進めようとした矢先、現場を目撃していた女子高校生が声を上げる。


「きゃああああっ! 誰か来てっ! 救急車っ! 救急車を早く!」

「……ま、拙いっ!」


 女子高生の上げた悲鳴に焦る義雄。

 まさか明紀の奴をボコボコにしている現場を見られているとは思いもしなかった義雄は、その場から走って逃げる。


「――くそっ! 見られてたのかよっ!」


 状況が状況なだけにかなり拙い。

 燃え盛る家の近くで発生した暴行事件。

 家から出てきた所を見られていたかもしれないし、その場合、放火魔扱いされる可能性もある。

 冗談じゃない。捕まってたまるかっ!


「――おいっ! 待ちなさいっ!」

「だ、誰が待つかよっ!」


 義雄は警察官の制止命令を無視し、無我夢中で逃走する。


 まだ逮捕状は取られていない。つまり、警察官が叫ぶ様に言っている制止命令は任意によるもの。

 今の言葉を翻訳すると、『今すぐ制止し、任意で事情を聞かせなさい』と、そういう事だ。それならば問題ない。むしろ、警察官の制止命令通り止まってしまう方が大問題だ。


 公園にある公共トイレに隠れ警察をやり過ごすと義雄は頭を抱える。


「クソッ! これじゃあまるで犯罪者見たいじゃないかっ!!」


 既に犯罪者そのものであるが、その事に対して意図的に気付かないフリをする義雄。


「せめて、親父に連絡できれば……」


 試しに電話を掛けてみるも、まったく反応はない。


「クソッ! 肝心な時に役に立たねぇなっ!」


 電話を掛けるのを止め、タバコをふかしながらトイレに潜んでいると、急に外の空気が暖かくなってきた。


『お、おい……消防車を呼んだ方がいいんじゃ……』

『ヤバいって、トイレが燃えてるよ』


 外から聞こえてくる声を聞き、義雄は顔を強ばらせる。


 パチッ……パチパチッ……


「――な、まさかっ!?」


 恐る恐る顔を上に向けると、火がトイレの屋根を焼いていた。

 燃え盛る屋根の上でふよふよ浮かぶ、赤い光の玉こと、火の上位精霊・フェニックス。


「う、うわぁぁぁぁ!」


 そう叫んだ瞬間、燃えた屋根が義雄に向かって降りかかってくる。


「ぎゃああああっ!」


 慌ててトイレから転げ出ると、先ほど撒いたばかりの警察官と目が合った。


「あっ! 君はっ!?」

「…………!?」


 崩落には巻き込まれなかったが、新たなピンチが舞い込んできた事に、嫌な汗を流す義雄。転げ出た際にタバコの吸い殻を落とし、それを拾った警察官は義雄に疑いの目を向ける。


「……こ、これは!? そういえば君、出火のあった邸宅近くで、人に暴行行為を加えていたね……それに、このトイレでの出火……ちょっと、署まで来てもらおうか……」


 燃え盛るトイレから出てきたのは義雄一人だけ。

 当然、放火したのではないかという疑念は義雄に向かう。

 タバコも吸っていたし、ライターも持っていた。二つの敷地で起こった放火。その二つの場所に共通しているのは、義雄の存在ただ一つ。

 それだけの状況証拠が揃えば、無実だとしても言い逃れはできない。


「ち、違うっ! お、俺じゃないっ!?」


 確かに、明紀の奴は暴行を加えた。だが、これは俺じゃないっ!

 心の中でそう絶叫すると、義雄はすぐさま立ち上がり、脱兎の如く走り出した。


「あっ! ま、待ちなさいっ!」


 そう言って、義雄を追い掛ける警察官。

 放火の重要参考人に逃げられたとあっては、警察官としてのメンツが丸潰れだ。

 警察官が義雄の肩を掴むと、義雄も負けじとその手を振り解き走り去ろうとする。


「こ、公務執行妨害だっ!」


 すると、警察官はそんな事を言いだした。

 その言葉を聞いた瞬間、トイレのボヤ騒ぎを見に来ていた区民達が義雄を捕えようと、行く手を阻む。


「う、ううっ……!? そ、そこをどけぇぇぇぇ!」


 区民達に囲まれ逃げ場を失った義雄は、ポケットに入れていた護身用の十徳ナイフを手に持つと、区民を威嚇する様に振り回しながら突撃していく。


「――きゃあっ!?」


 その瞬間、十徳ナイフの刃の切っ先が立ち竦んで動けなくなった女性の肩に当たり、鮮血が舞った。


「て、てめぇっ!!」


 その瞬間、その女性の彼氏らしき男が殴りかかり、その拳が義雄の顔にクリティカルヒットする。


「――ぐひゅ……」


 男の拳をまともに受けた義雄は、短い言葉と共に仰向けに倒れる。

 そして、駆けつけてきた警官に腕を掴まれると、警官は手に持っていた手錠を義雄の手に掛けた。

 一瞬、意識を失うも徐々に意識を取り戻していった義雄は、手に掛けられた手錠を見て錯乱する。


「そ、そんなっ……そんな馬鹿なぁぁぁぁ! 何で、何でこの俺が手錠をかけられなければならないっ! 俺は更屋敷太一の……区議会議員である更屋敷太一の息子だぞっ! これは冤罪だっ! 許される事じゃない! ふざけるなっ! ふざけるなぁぁぁぁ!」


 そう叫ぶ義雄に区民達は、無言で冷たい視線を送る。

 それに気付いた義雄は更なる暴言を吐いた。


「こ、ここにいる奴等の顔は全員覚えたからなっ! 絶対だっ! 絶対に復讐してやるっ! 俺に手錠をかけたお前にもだっ!」


 そう言って、視線を向けると警察官は頭を抱えた。


「……あのね。君は今、自分の状況を理解しているか?」

「――はっ?」


 区議会議員である親の威光を借り生きてきた義雄は気付かない。今、自分が置かれている状況は、区議会議員程度の権力云々で揉み消す事ができる様なものではないことに……。


「……暴行罪、傷害罪、そして、公務執行妨害。現時点で、君はそれだけの罪を犯しているんだ。それにまだ、放火罪も追加される可能性もある」


 警察官はトイレで吸っていたタバコの吸い殻を手に持ち、諭すように言う。

 その言葉を聞き、義雄は茫然とした表情を浮かべる。


「……それにね。君は、自分の親が区議会議員であると言っていたけど、区議会議員に私達、区民をどうこうする権力は持っていないよ?」

「――はっ?」


 意味がわからずそう返答すると、警察官はヤレヤレと首を振る。


「――君の親が誰かは関係ない。犯罪を犯した者がいるならそれを捕まえるのが僕らの仕事だからね。区議会議員の仕事はよりよい区政を敷く事さ。決して、区民に対し危害を加えようとする事が区議会議員の仕事じゃない。君は犯罪を犯した。だから現行犯逮捕した。ただそれだけだ。区議会議員のご両親も嘆いているだろうね。大勢の区民達から区政を任された者の親族が犯罪を起こした事に……」


 警察官の言葉を聞いた義雄はまるで錯乱したかの様に首を振る。


「――う、嘘だっ! そんなの嘘だ。嘘に決まっているっ! 俺は特別なんだ。特別な立場にある親の元に産まれてきた特別な人間で……俺は……俺はこんな所で終わっていい人間じゃないっ!!」


 警察官は錯乱状態にある義雄を見てため息を吐くと、肩を持ち無理矢理立たせ、警察車両に連行する。


「……さあ、行くぞ」

「――い、嫌だっ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁ!」


 駄々を捏ねる義雄を無理矢理歩かせながら警察車両に向かって行く警察官。

 その背後では、消防隊の懸命な消火活動により鎮火され、黒く焼け爛れたトイレ用建物の姿があった。


 ◇◆◇


 更屋敷義雄が警察に連行され暫くして、太一の下へ一本の連絡が入る。


「……へっ? 義雄が逮捕された?」


 突然の凶報に目を丸くする太一。


「し、しかも、暴行、傷害、公務執行妨害、放火の現行犯で? ど、どういう事だ??」

「現時点では、何も……ただ、ご子息が実家である邸宅と公園に設置されていた公共トイレに放火したとの報道もあり……」


 ニュースに視線を向けると、そこには警察に連行される義雄の姿が映っていた。

 暴行、傷害、公務執行妨害、放火の四つの容疑で警察に連行されたらしい。

 放火した現場にはタバコの吸い殻が残されており、それが火元となり出火したのではないかというのが、ニュースの見解のようだ。


「……と、という事は、何か? 私の家は義雄の奴が燃やしたと言うのか?」

「お、恐らくは……」

「で、では、家にかけていた火災保険は……」


 太一が力なくそう言うと、磯貝は首を横に振った。


「……お、おそらく、下りる事はないかと」


 火災保険は、故意もしくは重大な過失または法令違反で損害が発生した場合、保険金が下りないと定められている。

 今回の場合、愚息である義雄が実家に放火した為、保険金の対象外。


 その瞬間、太一は脱力し、ベッドの上で呻き声を上げた。


「あ、あが……あがががっ……」

「せ、先生! しっかりして下さいっ!」


 当てにしていた保険金が、愚息の行動により霧散し、同時に愚息の逮捕により、区議会議員としての立場も危うくなった事を認識した太一は、平静さを失い取り乱す。


「わ、私の家が……会社が……三億円がぁぁぁぁ!? このままでは、区議会議員としての立場まで……」


 身内のスキャンダルで失脚する議員は多い。

 議員のスキャンダルが出る度、脇が甘いと笑っていた太一だったが、自分がその立場に置かれた今、全然笑う事ができなかった。


 裏金と共に家と会社は燃え、頼りにしていた保険金は霧散し、区議会議員の立場に警鐘が鳴っている今、できる事といえば、気が晴れるまで喚き散らかすこと位。

 貯めていた金も、国税にその用途を調べられないようにする為、現金で家に隠してあった。

 残っている金と言えば、僅かな貯金と今月入金されたばかりの議員報酬位だ。

 これでは、次の区議会議員選挙に出馬する為の費用が賄えない。


 そこまで考え、思い返す。


「……そ、そういえば、この部屋の費用は……」


 国税に用途を調べられないようにする為、自宅に現金を隠していた事を知らない磯貝はさも当然のように呟く。


「はい。一泊八万円です。とりあえず、二週間分予約をしておりますが……」

「に、二週間分の予約だとぉぉぉぉ!?」


 二週間この特別個室Bに宿泊して発生する金額は百十二万円。

 優に議員報酬の月額を超えた金額だ。


「は、はい。しかし、更屋敷先生であれば、大丈夫……」

「だ、大丈夫な訳がないだろぉぉぉぉ!」


 この病院に運ばれる前の資産と今持っている資産には大きな乖離が存在する。

 マスコミから逃げる為、病院の特別個室に泊まる選択をした訳だが、この時、太一は後悔していた。

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