君が世界を知れるまであと ー茶太郎


男には、泣いてもいい瞬間が三つある。ひとつは生まれた時、ふたつめは大切な人が亡くなった時、そしてみっつめは……、見知らぬ小さい女の子に手を引かれている時である。なぜなら通報されたら終わるから。

「だから、でーとをしてください!」

そう言って俺と同じベンチに腰かけ、手を握ってくるのは女の子。年齢は分からないけど多分小学一年生くらい。早朝から家を出て来たのに友人にドタキャンされて人気のない公園のベンチに手持無沙汰に座る二十六歳の男性――しかも全身黒ずくめ派手髪、に臆することなく話しかけてくる彼女には、少しだけ見覚えがあった。

知り合いから紹介してもらったアパレルブランドで販売員として働くようになってから5年ほど。衣料品店で働いているとなると色々なお客様を見るのが、やはり常連のお客様は覚えてくる。そんな常連の中のひとり、会社を経営しているのだと意気揚々と語っていた女性、に一回だけ着いてきたことがある娘さんだ。よく来る客が子供を連れて来たことにとても驚いたから、うっすらと記憶に残っていた。その母親のお気に入りは店長なようで、一回も接客したことはなかったけれど。母親が服を選んでいる間、一言も喋らずにじっとしている、静かな印象の子どもだった。声もいま初めて聴いたかもしれない。

「聞いてる?」

「あ、うん……いや、まって。お母さんは⁉」

「いないよ。ひとりで来たから」

「ひとり?なんで」

「ひとりで公園に来たの。そしたらお兄ちゃんが居た!だから一緒にお出かけしよ!」

俺の疑問に、少女は無邪気な笑顔で笑った。公園に遊びに来たら俺がいたから話しかけてきたということだろうか。

「だめだよ……家帰りな。お母さん探してるでしょ?」

すると少女は見るからに悲しそうな顔になった。

「お母さん、帰ってこないもん。遊んでくれないんだもん!だからお兄ちゃんと遊ぶの!」

「ううーん……」

今日は日曜日だが、口ぶりからするに親は休日も仕事をしているのだろう。社長であると言っていた母親がよく来店するのは火曜日だったから、平日休みなのかもしれない。なるほど、この子は家族が仕事かなにかで居ないことを寂しがっているのか。

「そもそも、遊ぶって何を」

すると少女は口に小さな手をあて、考える素振りをみせた。

「え、っと、なんだろ……えっと……お、かいものとか・・・?」



・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


 

「やったあ、おかいものだ!」

手を引かれながら街中を歩く。子供の意志の固さに負けてしまった、もしくは自分の親も共働きだったから、同情してしまったのかもしれない。だからと言って、知らない少女と成人男性が遊んでいい理由にはならないが。自分の意志の弱さでと、この少女への興味でなんだかんだで犯罪に足を突っ込む自分に気が付いたのは、了承をしてしまった後だった。

 彼女は、名前を「モモ」と言うらしい。誰かに聞かれたら兄と言うように、と他人にバレたら人生が終わってしまう様なお願いをして、休日の家族連れに紛れながら共に商業施設へと赴いた。

「なんで買い物がしたかったんだ?」

楽しげに俺の手を引くモモに尋ねる。

「お兄ちゃん『バムとケロのおかいもの』っていう絵本知ってる?」

「ああ……子供の時に読んだことがある気がする。内容はあんまり覚えてないけど」

その返事に、そっかあでも知ってるんだね!とモモは嬉しそうに笑った。

「その本読んで、してみたくなったんだ!お母さん連れてってくれないもん」

「なるほど……でも、一回店来なかったか?」

「え、お店?どこの」

「俺が働いてる、服屋」

俺の言葉に、モモは不思議そうにこちらを見た。

「お洋服屋さん?いったことないと思う……」

その返答に俺も戸惑ってしまった。あの時一度だけ見た女の子は、確かにこの子だったはず。けれども本人から否定をされてしまえば、正面から見たわけでも、ましてや話したこともない俺から絶対に来たよ、と反論することは出来なかった。モモが覚えていないだけかもしれない。

 俺が不思議に思っていると、彼女はあ!と大声を上げた。

「ん?」

「パン屋さん。いいなあ」

目の前にあったのは商業施設によくある、食品コーナーに併設されたパン屋だった。様々な種類のパンが並べられており、トングとトレーを持った客たちで溢れている。そんな、見慣れた光景。

「パン、食べたいのか?なんか買ってあげるけど」

そういって俺がトングに手を掛けようとすると、モモは慌てたようにそれを止めた。

「あ、だ、だいじょうぶ!パン屋さん初めて見たからうれしくて!」

初めて?パン屋を?と、思わず問いかけてしまった。モモは突然怪訝そうな声を出してしまった俺に驚いたようで、俺の手を強く握って、小さな声で続けた。

「あ、うん、本では見たことあったけど、ほんとに見たのは初めて」

「え、そんなことあるの?」

「うん。お母さん、私のこと連れてってくれないんだもん」

そういってモモはふてくされたような顔をした。母親は仕事の忙しさから、娘を買い物に連れて行かないのだろうか。

「あ、これ知ってる!」

そういってモモが指さしたのは、「カメパン」という名の亀の形をしたメロンパンだった。チョコレートで目と甲羅の模様が描かれている可愛らしいそれを、モモが興味津々で見つめていた。

「何で知ってるんだ?」

「えっとね、『からすのパンやさん』っていう絵本があるの。それでね、動物とかのいろいろな形のパンを焼くの!そこにかめさんも居た!」

モモはその絵本に出てくる様々な形のパンを説明してくれた。この店にはないけれどカニのパンなんかは本当にあるよと言えば、ほんとうにあるの!と嬉しそうに笑う。

「じゃあ、やっぱりこのパン買ってあげるよ」

あらためてそう提案したが、モモにはやはり拒否されてしまう。

「だめ、お母さんにばれちゃうもん」

「パンだから食べれば大丈夫だよ」

「ううん、あのね、これじゃなくて、……食べてみたいものがあるの」

「ああ、じゃあそれ食べに行く?何が食べたいの?」

「……うん、あのね、ホットケーキなんだけど」



・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―



目的地に向かうため、広い商業施設内を歩き回る。モモは子供が好きそうなゲームセンターや駄菓子屋、おもちゃコーナーなどに興味を示したが、彼女はそのすべてのものに対して、初めて見た、絵本で見たというような反応をみせた。また、興味を示していた黒猫のぬいぐるみや駄菓子を買ってあげると提案しても、母親にばれてはいけないからという理由から拒否をされてしまった。

 お腹いっぱいになったら帰ろうな、そう言いながらモモを連れて来たのは、たまたま商業施設内にあったたっぷりと乗った生クリームが特徴的なハワイアンパンケーキのお店だった。向かう途中で彼女は話していた『しろくまちゃんのほっとけーき』や『ぐりとぐら』に登場するホットケーキとは、イメージが異なるかもしれないけれど。

店員が運んでいるボリューミーなそれらに興味津々なモモを横目に見て、1つのフルーツパンケーキを注文した。

「お兄ちゃんは頼まないの?」

「うん……モモが残したら食べるよ」

「残さないよ!」

「いや、絶対食べきれないよ」

そんなことないよ!とモモがふてくされたように言う。つられて俺も笑ってしまった。隣の席に座っている家族連れも2皿を4人で分け合っていた。それを見たら自分とモモも家族みたいだな、なんてヤバい考えが湧いてきて、慌ててその家族から目をそらした。

「お待たせいたしました、フルーツパンケーキになります」

「あ、きた!」

店員の声に反応したモモが嬉しそうに声をあげた。パンケーキと共に取り皿と伝票を置いた店員に礼を言って、モモにフォークとナイフを差し出した。そういえば……、

「モモ、ナイフって使える?」

「あ、えっと、これを右に持って、フォークで押さえて切るんでしょう?」

そういって正しくナイフとフォークを握る。やったことはないけどね、とモモは言った。

「それも絵本で見たのか?」

「うん、でもね、わにわにはがぶがぶ食べちゃうんだよ。わにさんだから!」

わにわに、とは『わにわにのごちそう』という絵本に登場するワニの名前らしい。彼女は先ほどから絵本の話をよくする。

「モモは絵本が好きなのか?」

彼女の中にある多くの知識は、絵本で培われているのだろう。この子は母親に遊びに連れて行ってもらえない間も、家で絵本を読み続けているのだろうか。

「うん、でも最近は文字がいっぱいの本も読むよ。本当はおねえちゃんの本なんだけど、私に貸してくれるの」

「お姉ちゃんがいるの?」

「うん!」

そういってモモは不格好に切り分けられたパンケーキを口に含んだ。おいしい?と聞けば嬉しそうに頷く。

「おねえちゃんはすごいの。学校にいっててね、いろいろなことおしえてくれるんだよ!」

「頭がいいのか」

「んー、私学校行ってないからよくわかんない」

「え?」

驚いた俺を無視して、モモは話を続ける。

「お母さんがね、私は学校に行っちゃだめなんだって。だから私いつもおうちにいるの。」

「あとね、お母さんはおねえちゃんのことが大好きだから、おねえちゃんとおかいものとかいくの。」

「おねえちゃんはやさしいから、わたしに絵本とかおにんぎょうとか貸してくれるの!」

「今日はね、お母さん居なくて、おねえちゃんも……サッカーのたいかい?があるんだって。だから遅くまで居なくて」

「いつもはおねえちゃんが、おかあさんが怒るからおうちから出ちゃダメっていうの。でも、今日はおそと出ても早く帰ればわからないから、」

思わず黙り込む俺に、モモは不思議そうな顔で声をかけた。

「お兄ちゃんどうしたの?あ、これ食べたいんでしょう?おなかいっぱいだから、食べていいよ!」

そういってモモはフォークに刺さったパンケーキを俺に向かって差し出した。



・―・―・―・―・―・―・―・――・―・―・―・―・―・―



彼女を家に帰していいのだろうか、そんな疑問を抱えながらも自らの足は商業施設を出で公園の方へと赴いていた。手をつなぎながら歩いていると、モモがぴたりと立ち止まる。

「どうした?」

そう問いかけると、モモは真っ直ぐと上の方を指さし口を開いた。

「……ねこちゃん」

その指先を追い目に入ったのは、二匹の猫の写真と「保護猫カフェ」という文字が印刷された看板であった。どうやら目の前の建物の三階にあるらしい。

「猫、見たい?」

「見れるの?どこで?」

モモは興味深そうな顔をしてこちらを向いた。きっと、猫カフェも初めて知るものなのだろう。外に出ないだけではなく、テレビやインターネットを使うこともしないだろうモモの知識は本の中にしかないのだから、猫カフェなんて知らないはずだ。そう考えてしまったら、この小さな子に初めての体験を沢山させてあげたくなってしまった。

「ここで見れるし、触れるよ。行ってみようか」

モモは俺の提案に、うん、と頷き微笑んだ。

小さな手を引いて少し急な階段を上がると、保護猫カフェの入口にたどり着く。OPENと書かれた猫の形のプレートが掛かるドアを開けると、明るい内装に出迎えられた。何匹もの猫が歩き回る店内に呆気を取られていると、店員らしき女性が近づいてくる。

「こんにちは〜何名様ですか?」

「あ、え〜2人、なんですけど」

2名様ですね、こちらへどうぞという声と共に案内されたのは二人掛けのソファー。深く座り一息ついた俺とは対照的に、モモは座る時間も惜しい様子でくつろぐ猫たちの方へ向かっていった。その様子を笑顔で見ていた店員が大丈夫ですよ、と言ってくれたので、お言葉に甘えて呼び戻そうと上げかけた手を下ろした。

「あはは、妹さんですか?」

「あ、 まあ……姪ですかね」

「なるほど、姪っ子さんなんですね〜かわいらしい!」

危惧していた話題はなんとか嘘で誤魔化す。店の利用方法を聞いたあととりあえずモモの分のオレンジジュースと自分の分のホットコーヒーを適当に注文。店員が去ったのを確認して、席からゆっくりと立ちあがった。ここはとある夫婦が運営する猫の保護団体が設立したカフェらしい。カフェの中で暮らす猫たちの多くが里親を探している保護猫だそうだ。

 俺ら以外客のいない店内で、モモは無言で黒猫を撫でていた。猫カフェ暮らしの猫たちはさすが人間に慣れているようで、子供のすこし荒い手つきにもされるがままだった。

「モモ、もう少し優しい力で」

「うん」

俺の言葉で、モモは不器用ながらも力を緩める。上手だと言えば、可愛らしく笑った。

「かわいいね、ふわふわしてる」

「猫さわるの初めて?」

「はじめて。見るのもはじめて」

「そうなのか?」

猫を飼っていなければ触る機会はないかもしれないが、見るのも初めてだということにとても驚いた。東京でも野良猫がいないことはないし、仕事帰りに見たこともあったから尚更。やはりこの子は家の外を知らなすぎる、そんな違和感がどんどんと増していった。

「うん。でも『100万回生きたねこ』で見たことあるよ。」

「……俺も読んだことあるわ。懐かしいな」

「でも、あの子は100万回生きたけど、この子たちはそうじゃないよね。幸せなのかな?」

その問いに、俺は頭を悩ませた。あの絵本の内容を思い出してしまったから。店員たちは、この猫たちを愛しているだろう。しかし俺には猫カフェという施設にいるこの子たちが、幸せに思っているのかはわからないのだ。子供っぽいのに賢い、そんな不思議な印象があるモモには、軽くあしらうような嘘はばれてしまう気がするのだ。

「この子たちは、幸せを待っている途中なんですよ!」

無言で悩み続ける俺に助け舟を出したのは、先ほど注文を受けてくれた店員の女性だった。

「あ、ごめんなさい。話が聞こえてしまったから・・・」

そういって店員は申し訳そうにしながらモモの横に座った。その姿を見た黒猫はモモの手の間をするりと抜けて店員へとすり寄った。彼女は日頃、猫たちをよくかわいがっているのだろう。その様子を、モモはうらやまし気に見つめていた。

「しあわせを、待っているの?どうして?」

「……この子たちは、寒いお外に居た子たちとか、前の飼い主さんに捨てられちゃった子たちなんだ。だからこの子たちは今ここで、新しい家族を待っているの。」

モモの顔が悲しそうに歪む。悲しい過去を持つ動物たちがいることは、大人の自分にとっても気分の良くない話である。小さな彼女の心には、大きなショックが残るかもしれない。

「新しい家族に出会えたら幸せなの?」

「それは……そうとは限らないかも。でもね、この子たちを幸せにしてくれる家族は絶対に居るよ。そして、その人たちに出会わせてあげるのがお姉さんたちの役目でもあるから、ね」

だから大丈夫だよ、そういって店員の女性は笑った。

「そっか。じゃあ、幸せになれるんだ。良かったね!」

そう言って、モモは猫たちを見回した。悲しそうな表情が少し晴れた彼女に好きなだけ遊ぶように促して、ソファーへと戻る。無邪気に猫と戯れる姿にどうしようもない愛しさが湧いてしまったが、店員の可愛らしい姪っ子さんですね、という言葉に自分の立場を思い出して、動揺を隠すように冷めたコーヒーを流し込んだ。



・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

 


モモと共に猫カフェを後にすると、外は暗くなりはじめていた。そろそろ、帰らせなくては。いや、本当に帰らせていいのだろうか。繋がれた手の先を辿ると、俯きながらも歩みを進めるモモの姿が目に入った。

「どうした?」

「んー、ねこちゃん、いい家族に会えるといいね」

そういってこちらを見て笑う。しかしその顔は前よりもずっと固いものだった。

「そうだな、きっと会えると思うよ」

「……」

それから彼女は黙ってしまった。

 モモは自分の家族がおかしいことに気が付いているのだ。絵本にはきっと、仲睦まじい家族が描かれているから。仕事で忙しいのに絵本しか買い与えない母親への不信感が、どんどんと積み重なっていく。子供が買い物に行きたがったら連れて行くのが、パンやホットケーキが食べたいと言ったら食べさせてあげるのが、親なのではないのか?共働きだった自分の両親もいつも忙しそうにしていたが、たまの休みには買い物だって遊園地だって連れて行ってくれていた。そもそも、学校に行かせないなんて現代社会ではありえない、異常なほどに外の世界を知らない、絵本だけで知識を埋めている小さな少女が、なんだかとても、可哀想どころか恐ろしく感じてしまって……

「あ!!」

考え込んでいると、モモの大きい声が聞こえた。そして次に耳に入ったのは、17時を知らせるチャイム。

「お母さん、5時でお仕事終わるらしい、だから帰らなきゃ!ありがとうお兄ちゃん!」

そういうとモモはパッと繋いでいた手を離した。そして手を振って走り出す。突然の行動に唖然とした俺はしばらく固まってしまったが、かろうじて曲がり角を左に曲がる姿を目の端で捉え、追いかけるように走った。

「モモ!」

叫びながら角を曲がるが、その姿は見つけられなくて。子供の足に追いつかないはずはないのに。いや、そもそも、モモはどうやって公園にやって来たんだろうか。彼女はほぼ外出をしたことがないのだから、ここから家までの道を知っているなんて思えなかった。家が本当にこの近くなのかもしれないけれど、苗字を聞くのを忘れてしまったからどこかなんてわからない。モモが消えてしまったような不気味さと焦燥感であちこちと走り回ったが、何時間経っても彼女を見つけることはできなかった。



・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―



消えたモモを探し回った後諦めて家に帰ったが、疲れているはずなのにあまり眠れなかった。それでも次の日にはいつも通り仕事があったから、寝不足のまま出勤をした。フラフラと服を畳んでいれば、祝日なんだから忙しいぞ、気合入れろ!と店長に背を叩かれた。見た目だけは若いのに昭和的な男だ。その鼓舞に適当な返事をしていれば何人かの子供連れが来店してきて、嫌でもモモのことが気になってしまった。

来店した家族連れの一組の姿に、俺は目を見開いた。それは紛れもなく、モモとその母親であった。

思わず立ち尽くす俺の横をすり抜けた店長が、自分の客であるとばかりに接客をはじめる。

「こんにちは、波多野様!いつもご来店ありがとうございます。珍しいですね、月曜日に」

店長の姿を目に入れると、母親は笑顔を見せた。

「ええ、今日は祝日で学校も休みですからね。子供が出掛けたいっていうから、何か買ってあげようと思って。ついでに私の服もね」

「ああ、なるほど。だから珍しくお子様とご一緒に……お!いいですねえこれ、猫ちゃんのぬいぐるみですか?」

モモは、大切そうに黒猫のぬいぐるみを抱きかかえていた。そしてその左手には、近くの本屋のビニール袋がぶら下がっている。

「そうなの、お家にもいっぱいぬいぐるみがあるのに、まだ新しいのを欲しがるんですものね。でも、何か買ってあげると約束した以上、買わないわけにもいかないから」

「あららいいお母さまじゃないですか。なあきみ、素敵なママで良かったなあ」

店長が目を合わせて声を掛けると、モモは恥ずかしそうに母親の後ろに隠れた。公園で知らない俺に話しかけてきたモモとは思えぬ行動に、違和感だけが募っていく。

「ふふ、あ、そう。この前頂いたスカートがあったじゃない?それがすごく良くて。良かったらもう一色の方も買いたいなと思って来たの。同じサイズ、在庫ある?」

母親が買い物をしている間、少女は一言も喋らずにその後ろで待っていた。笑顔を一切見せず、こちらに振り向くこともない彼女に幾度となく話しかけに行こうと思ったが、昨日のことが母親にばれてしまうことがどうしても怖くなり、その姿を見つめることしかできなかった。

 あっという間に母親は買い物を終え、ショッパーを持って出口へと向かう。すると、後ろをついて歩いていた少女がおもむろにこちらへ向かって走ってきた。

「え?」

俺が思わず固まっていると、少女は俺の手に小さく折り畳まれた紙を握らせた。

「さくら!何してるの!パンケーキ食べさせてあげないわよ!」

そういって出口で怒鳴る母親の声で反応し、少女は急いでそちらへと戻っていった。さくら、と呼ばれた少女の手を掴むと、母親はそそくさと店内を後にした。

「……さくら?」

 母親は確かに、彼女のことをさくらと呼んでいた。俺がモモだと思っていた、あの少女をだ。


モモは、母親は絵本以外何も買ってくれない、ましてや買い物に一緒に行ったことはないと言っていた。モモは、パンも、パンケーキも、猫も知らなかった。モモは、学校に行っていないと言っていた。そうだ、モモには、姉が居て、それが、そっくりな双子だったら……?


「おー慎太郎、プレゼントか?若い子にモテる秘訣、おじさんにも教えてくれよ~」

店長の声で手の中の紙の存在を思い出し、慌てて折り畳まれているそれを開く。そこには、子供の字で、文字が書かれていた。

「おい、慎太郎?どうしたよ」

それを読んで、俺には何もわからなくなってしまった。でも、彼女が本当に居るのなら、今も家でひとり絵本を読んでいるのなら、彼女の存在を知っているのは俺だけなのかもしれないと思って。頭の中を、少女のことばが、笑顔が、ぐるぐると駆けって。それから、俺は……



『いもうととあそんでくれてありがとう。  はたのさくら より』



END……?






※当作品は、いかなる犯罪行為をも肯定する意図はございません

※当作品内では著作権法的観点から、絵本の内容を説明することを避け、タイトルのみ記載させていただいております

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