第2話 四面楚歌
【四面楚歌】
初の「新キャンパス構想委員会」が開かれた。
そもそも教職員の多くは、〝自分達に相談もなく経営が独断で購入した土地の使い道など自分らで勝手に考えろ〟というスタンスであった為、はなから議論にならなかった。
学校法人東京仏教大学の附属中学・高校は中高一貫教育の進学校として都内でも随一の偏差値・有名大学進学率を誇っていた。
それに対して大学の合格ライン偏差値は中高の偏差値を大きく下回っていた。
大学側にも〝偏差値は低くとも就職率は高い。しかも法人の財政を支えているのは大学だ。〟という自負があった。
実際に中高の事業収支はトントンから赤字である中、大学だけは恒常的に黒字を確保して来た。確かにこの学校法人の財政は大学部門の収支で成り立っていた。
中高は中高で〝法人のブランドは中高の100年にも及ぶ歴史と伝統、そして高い進学率・偏差値の上に築かれたもので、東京仏教大学附属中学校・高等学校のブランドがあるからこそ大学は学生を集められるのだ〟と対抗し、決して譲らなかった。
そこにこの法人の大学教員対中高教員の相容れない深い溝があり、同一の学校法人にありながら、これまで大学と中高が連携・協力する事は一切無かった。
高校教諭の中には「お前らはもっと頑張らないと、うちの大学しか行く所が無くなるぞ」を受験生への脅し文句にする者さえ居る程に大学と中高の関係性は悪かった。
そういう大学に通ってくれる学生のお陰で自分達が生活できているという〝感謝〟の気持ちを持つ教員は数少なかった。
新キャンパス構想委員会ではそういった高飛車な性質の中高教員と、クセ者大学教授の別府が強力なタッグを組み、堂本に対して徹底した集中口撃を浴びせた。
〝笠井理事長が銀行から連れて来た疫病神〟というレッテルを貼られた堂本が反論をしても味方もなく、会議の場がまるで裁判所での原告と被告による押し問答の様な雰囲気になってしまった。
これでは建設的な意見交換は無理だと判断した笠井が「閉会」を宣言し、会議は思わぬ形で幕を閉じた。
堂本は〝今は自分がもがけばもがく程、糸が絡まり、かえって余計な敵を増やす〟事をあらためて認識した。
いつしか堂本の言動には常に〝尾ひれ〟が着き、〝伝言ゲーム〟が〝偽伝言ゲーム〟として、〝善意〟が〝悪意〟として伝えられるようになっていた。
その結果、堂本を知らない者までもが彼を〝リストラ請負人=厄病神〟の様に忌み嫌う様になっていった。
堂本が窮地に追い込まれる事こそが反体制派の思うツボであった。堂本はまさに〝四面楚歌〟の最中に置かれていたが、そんな中で〝唯一の味方〟の存在が挫けそうになる彼を支えた。
それは、堂本と同じくこの4月から当大学に一般企業からの出向人事でやって来た鍋島だった。
学校法人は非課税法人である事から、基本的に節税の心配は要らず、財務的には楽であった。又、これまで黙っていても学生が集まり、苦も無く数億円単位での黒字の収支決算を繰り返していた為、外部業者に対する価格交渉などは一切なく、2千万円を超える案件の場合は規定に則り入札をするが、2千万円未満の案件は全て業者の言い値で約定をしていた。
職員には〝出来るだけコストを低く抑える為に値切る〟という意識は全く無く、複数業者を価格競争させる事など面倒なだけであった。
業者にとってもこのような〝ザル体質の学校〟は実に有り難い客であった。
そういうぬるま湯の学校カルチャーは少子化の到来により一変する事になる。
各学校法人が出費を見直す動きをし始めた。これまで業者選別もなく言い値で垂れ流されていた〝外への利益〟を最小限に抑える事で学校法人の財政上の出費を抑え〝内への利益〟にする為の対策を考え始めたのだ。
学校法人が100%出資する事業法人を設立し〝学校法人の効率化〟を専業とする部隊を組成する方法が最も一般的となった。
東京仏教大学も平成27年2月に「東京仏教大学ビジネスサポート(TBUBS)」という事業法人を設立した。
その開設委員長として一般企業から採用されたのが鍋島だった。
鍋島のミッションは簡単な事ではなかった。無駄が多いという事は、言い換えれば甘い蜜を享受し続けて来た人間がいるという事だ。そこにメスを入れ、甘い蜜を大学に返して貰おうというのだからその反発・抵抗は想像以上に激しかった。
この大学には、改革やそれに伴う緊縮財政・倹約・リストラに対しての免疫が無く、それを実行しようとする勢力に対しては集団で刃向かい阻止しようとする教職員が過半を占めていた。
職員にとって重要な事は、1年間の学校行事の中で自分が与えられた役割を事故無く無難にこなし、安定した給料を貰うことであった。ポストが空かない限り昇格も無いが降格や減給もなく毎年一定額が自動昇給される。
一般企業の様に出世の為に仕事の鬼になる事もなく、部下をこき使う上司もいない、まさに大学は働き易い楽園であった。
東京仏教大学は〝改革を行わない居心地の良い楽園〟でここまで通して来た為、自己都合退職をする職員は殆ど居なかった。
その結果、なかなか新規採用枠が空かず、何年も〝新卒者採用無し〟が続いた。
職員の平均年齢は年々上昇し、職員の人口ピラミッドは「つぼ型」となり、50代以上の職員比率が異常に高くなっていた。
社会人として〝純粋無垢〟な新卒者を多く採用し、若いうちから知識と経験を身に着けさせることで職員の新陳代謝を促進させることが学校法人にとっていかに重要であるかということなど神田(事務局長)の考えが及ぶところではなかった。
法人執行部(人事部)はいびつな人口ピラミッドを解消する為に、課長・係長クラスの中間管理職に30代、40代の男性を何人も中途採用したが、残念ながら秀でた人材には恵まれなかった。
その中で、神田や黒川の様な〝やや難あり〟な管理職職員が幅を利かせ、パワハラで職員を黙らせながら大学を牛耳ってきた。
笠井(理事長)は大学に改革を成す為に人材を探したが、学内にそれを任せられる人材はいなかった。その結果、呼ばれたのが堂本と鍋島だった。
彼らは同じミッションを担う者同士として、又、年齢が近い事もあり、早い段階で意気投合した。
ある夜、鍋島は堂本を酒に誘った。2人が居酒屋に入ってから間も無く、その後を付けて来た人物が居た。その人物は襖越しの隣席を選び、2人に悟られない様に腰を下ろした。
「堂本さん、前理事長の田上さんは用地買収や新学部創設、小学校設立等の新たな投資にかなり消極的だったそうですね。その一方で多額の借金をして中学高校校舎を建て替えたのは田上前理事長という話ですが。」
「中学高校校舎の建て替えは中学高校の教職員や後援会が強く要望していた事なんです。それを実現させた時、前理事長は(中学高校の教職員や後援会から)神の如く崇め讃えられたそうです。そうやって教職員の支持を集めて来られたのでしょう。しかし中高の校舎建て替えにより学校法人は莫大な負債を抱えました。それが今、大きな足枷になっているのです。校舎の建て替えは利益を生まない投資ですから、借金ではなく、基本金という積立金から捻出するのが本来あるべき姿なのです。」
「堂本さん。ということは、前理事長はその基本金(積立金)が十分に積み上がっていない中で、教職員や後援会からの人気取りの為に、借金(負債)をして前倒しで校舎の建て替えを行ったのですか?」
「そういうことです。今は本学のブランディングに寄与する〝改革〟に投資すべき時なんです。校舎は然程、老朽化していませんでした。(借金をしてまで)校舎を前倒しで建て替えて喜んだのは中高の教職員と後援会だけです。」
「神田事務局長は笠井現理事長が望まれた3つの改革に敢えて従わなかった事が美徳であったかの如く(堂本さんに)話をされたというのは本当ですか?」
「(鍋島さんには)以前にお話ししましたが、笠井理事長に対して表立っては反対出来ないので、従った振りをしながら上手く命令に背いて来られた様です。」
「笠井理事長はそれに気付いておられないのですか?」
「理事長は多分、薄々気付いておられたでしょう。」
「何故、それを分かりながら理事長は神田さんを事務局長として重用し続けたのですか?」
「恐らく、他に事務局長職を任せられる人材が学内外に居なかったのでしょう。ただ、このままでは何も成し遂げられないまま任期を終えてしまう。それだけはならないとの思いで銀行と損保に人材を求められ、東京中央銀行から私が、三友海上火災から鍋島さんが当大学に改革請負人として招かれたという事でしょうね。」
「大変なミッションを背負ったものです。ミッションを遂行するだけならまだしも、それを妨害しようとする輩がやたら多く、何よりそれが厄介ですね。」
「そうなんです。しかも教職員実務部隊のトップである事務局長が反改革派のリーダーとして我々の前に立ちはだかり邪魔をされる。困ったものです。」
「堂本さんが次の事務局長候補ではないのですか?」
「とんでもない。事務局長職というポジションは、法人の中で最も重要な〝扇の要〟です。年間のルーティンに於ける多種多様な課題を無難に解決する事に加え、学校法人が発展する為の新たな課題にも挑まなければなりません。金融機関からひょっこり現れて出来る様な簡単なポストではないですよ。」
「確かにそうですね。経験と実績に加え、教職員の信頼や協力が無いと難しいでしょうね。」
「鍋島さんが担う効率化・スリム化は、ルーティンワークで満足している教職員や、既得権益を護りたがる業者からは煙たがられます。私が担う学校法人の将来に資する先行投資に対しては、保守的な教職員や己の私利私欲しか考えない人達が邪魔をして来るでしょうね。」
「でも教職員の中には我々に理解を示し協力してくれる人も居ると思うんですよ。私は教職員の一人一人と話をしながら同志を増やしていきたいと考えています。」
「改革を成すには先ずは人心から。鍋島さんが仰るとおり、遠回りの様に見えて実はそれが一番の近道かも知れませんね。」
【第2の人生の悲哀】
適度に酒も回り、2人の話題は〝金融マンの第2の人生の悲哀〟へと移った。
「我々大手銀行に勤める者は、まだ働き盛りの50歳過ぎに、半ば強制的に出向・転籍させられますが、その大半の人間は、それまでの仕事・生活が一変する様な環境に追いやられています。損保業界はどうですか?」
「我々も自分で行き先を決められません。人事部が持って来た取引先に行くしかありません。」
「企業に比べて銀行の立場が強い時代は〝メイン銀行から人を受け容れる事=銀行から護られる事〟だと歓迎されました。また、事実、銀行転籍者が居る企業からの融資依頼を銀行が断る事は皆無でした。ところが、国民の税金である公的資金を受け容れた辺りから銀行の立場が危うくなりました。」
「銀行員は銀行の取引企業という行き先があるだけまだ恵まれていますよ。我々、損保業界は大幅に年収をカットされて関連会社に転籍するか、自分で行き先を見つけてくるしかありません。損保業界は企業に対する(優越的)地位が低く、職員の転籍先としてのマーケットやキャパが銀行ほど多くはありません。」
「我々も先ず、関連会社希望か一般会社希望かを聞かれます。関連会社の代表や役員はほぼ100%銀行からの天下りです。職員も元銀行員がかなりのシェアを占めますから、関連会社に行けば精神的にも肉体的にもかなり楽ですね。」
「一般企業を選択する人のアドバンテージはあるんですか?」
「一般企業を選択すれば退職一時金という大きなボーナスポイントが付きます。また、年収も関連会社に比べ相当額高くなります。言わば〝撒き餌〟ですよ。関連会社の受け容れ枠には限りがありますから、狭い漁場(関連会社枠)から魚達(転籍予備軍)を広い外海に放つ為の〝餌〟です。」
「なるほど。一般企業にも色々ありますよね。幾つか選択肢はあるんですか?」
「いいえ。銀行が紹介して来る企業はピンポイントです。予め希望する業種や労働条件を行員に聞いてはくれます。あまり理想的な条件を書き過ぎると中々紹介企業が見つからず待たされます。程々でオファーしておけば、そのうちにまぁ表面上は問題ない企業を紹介してくれます。」
「表面上は?ブラック企業を紹介される事もあるんですか?」
「ブラック企業と分かりながら紹介される事はありません。しかし銀行に対して自分の恥部を自ら曝け出す企業などありません。外面は真面目に振る舞い、その実は真っ黒という企業は数え切れない程あります。従業員が満足して働けている企業なんて全企業の2割にも満たないでしょう。」
「うちの場合は一般企業に出向する期間は1年間で、そのお試し期間中にお互いを見極め、場合によっては転籍せずに会社に戻る事もあります。」
「銀行も同じです。特に銀行業務は非常に特殊かつ閉鎖的で、他業種へのキャリアチェンジが難しく、いわゆる〝つぶしが効かない業種〟なのです。殆どの銀行員が転籍先では相当な苦労をしています。ただ、銀行員は基本的にプライドが高いので、銀行に出戻る事は自分自身の〝失格の烙印〟の様な受け止め方をする人が多いのです。だから殆どの人間はその会社と相性が悪いと感じても、実質的にブラック企業であっても、大概の場合は目を瞑り転籍をしてしまいます。そして命を縮める人間や辞めてしまう人間も少なくありません。」
「ノイローゼや自殺ですか?」
「私の親友が半年前に自殺を図りました。幸いにも一命を取り留め、今は銀行の関連会社に移りリハビリをしながら心の傷を癒しています。」
「その方はどんな企業に行かれ、どの様な仕打ちを受けたのですか?」
「大阪に本社を構えビルメンテナンス業を営む2部上場企業ですが、ワンマンオーナーが牛耳っており、役員の半数は一族、半数はメイン銀行であるりそう銀行からの転籍組でした。そこにメイン銀行よりも格上であるトップバンクのうちから初めて人を出したのです。」
「それは間違いなく虐められますよね? よくそんな所に人を出しましたね?」
「その会社のオーナーが準メイン銀行である東京中央銀行からも人が欲しいと頼んで来たのですよ。」
「私だったら行きませんね。潰されるのは目に見えています。」
「私の親友は基本的に性善説を信じる人間で、また銀行が紹介する企業なのだからと人事部からのオファーに疑う事なく了承してしまいました。」
「善良な人間ほど潰され易いのが世の習いです。ましてやそんな伏魔殿の様な企業ならば出向期間中に戻れたでしょう? 何故転籍したのですか?」
「彼は出向期間中に執行役員・営業部長の肩書を与えられました。任務も無難にこなし、順風満帆に1年間を過ごしました。周囲の心配も杞憂であったと誰もが胸を撫で下ろしました。ところが転籍した途端に風向きが変わってしまいました。」
鍋島は次の展開を自分なりに推理しつつ、真剣な眼差しで堂本の話に耳を傾けた。
「彼の転籍後間も無く、りそう銀行から出向者がやって来ました。りそう銀行出身の役員が母行に頼んで招き入れた〝刺客〟です。仮に私の親友をA、刺客をBとしましょう。Bも直ぐに執行役員になり肩書は管理部長でした。Aは突然、営業部長の肩書を外され、1ヶ月間の業務研修という名目で競馬場の清掃に回されました。競馬場はこの会社の主要取引先の一つでしたが、まさか銀行で支店長まで務めた50歳過ぎの人間が、転籍先で厩舎の馬糞掃除をさせられるとは思いも寄らないですよ。しかも1厩舎の清掃に20分間×20ヶ所、7時間休み無く働かされたそうです。それが1ヶ月間続き、とうとう足腰が立たなくなってしまいました。鍼灸治療院・競馬場・自宅を往復するだけの生活が続き、優しく声をかける人間など一人も居ませんでした。」
「奥様やご家族が傍で支えられなかったのですか?」
「彼は家族を東京に置き大阪に単身で赴任していたので、彼を癒してくれるものが何も無く、孤独の中でとうとう鬱病を患いました。そして睡眠薬の過剰摂取による自殺未遂という所まで追い詰められてしまったそうです。後から思えば、追い出す事を目的に過酷労働を強いたのでしょうね。」
「それでは、りそう銀行派閥の思惑通りに事が運んだ訳ですか。」
「ところが、りそう銀行から刺客として送り込まれたBもまた最近、銀行に戻ったそうです。その理由は、公的には社内セクハラという事だったそうです。」
「セクハラ? 50歳を過ぎた銀行員が出向先でセクハラですか?」
「普通はあり得ません。噂によると、どうもでっち上げの様です。銀行から来た人間が2人続けて銀行に戻るという噂が流れたら、株価や採用に影響します。そこで、Aは持病の悪化、Bはセクハラという様にでっちあげて対外的な退職理由にしたそうです。」
「卑怯な会社ですね。銀行はそんな会社でも取引を続けるのですか?」
「さすがに今は要注意先(ブラックリスト)に挙げて人を送り出す対象企業から外し、融資も絞っているそうです。それでも天下の上場企業です。銀行が無くとも必要資金は証券市場から潤沢に確保出来るのですよ。」
「Bが戻った真の理由は何でしょうね?」
「噂によると、2代目社長との折り合いが悪かったとのことです。今から5年前に初代社長が会長になり、長男が社長になりましたが、この2代目が出来損ないで、どうしようもない人間らしく、セクハラ・パワハラ・モラハラをやらせたら右に出る者は居ないそうです。」
「オーナー企業の2代目はどこも出来損ないが多い様ですね。笑」
「甘やかされて育ち、不自由もしないから、結果的に苦労知らず・世間知らずに育ち易いのでしょう。Bはその2代目と衝突して銀行に戻ったそうです。彼にとっての幸運は、戻った時期が〝転籍前の出向期間中〟であった事です。出向期間中であれば、戻る理由がどうであれ、銀行は再び他の企業を紹介してくれますから。」
「良い企業に出逢える確率の方が少ないですよね。皆、色々あっても我慢をして、自分を誤魔化しながら働いています。それこそ宝くじにでも当たれば会社に辞表を叩きつけて辞められるのでしょうが、50歳を過ぎた壮年のおじさんを雇ってくれる様な奇特な企業は中々ありませんからね。ところで東京仏教大学についてはどう思いますか?」
「私は本学への出向を打診された時に二つ返事で応諾しました。しかし入って見ると課題は山積でした。まぁそれだけやり甲斐もありますよ。」
「確かに、今お聞きした様な企業に行かされた人達の事を思えば、我々は幸運でしたね。この学校の輝かしい歴史と伝統を未来に引き継ぐという非常に大切なミッションを任された訳ですから。有難い事です。」
「そのミッションをクリアする事は簡単ではないでしょう。それを妨害しようとする輩が待ち構えています。それでも我々は第一の人生に於いて目標を成し遂げ、子供達も立派に育て上げた上で此処に来ています。失うものは何もありません。保守的にならず思い切り働けますよ。」
「我々の第2の人生の定年退職は今から5年後。たった5年です。のんびり過ごしている暇はありませんよ。」「頑張りましょう!」「あらためて乾杯!」
2人は絆を深めて別れた。
【スパイからの讒言】
2人が店を出るのを確認してから隣室の男性も店を出た。
翌日、黒川が局長室を訪れた。
「神田局長、面白いものが手に入りました。」
黒川はボイスレコーダーに録音された、昨日の会話の内容の一部始終を神田に聴かせた。それを境に堂本包囲網は一層強化され、鍋島までもが反体制派勢力から敵視される様になってしまった。
ほぼ全ての打ち合わせが神田と、神田の息のかかった課長以下で行われ、次長の堂本は呼ばれなかった。
元々〝事務局次長〟というポストは無く、堂本の為に作られた特命ポストなので、堂本が引き継ぐ業務もルーティンワークも無い中でのスタートであった。
神田としてもこれまで局次長無しで業務を回して来ただけに、堂本の存在は邪魔なだけで業務上は特に必要ではなかった。
神田は東京大学に合格する程の抜群の記憶力をベースに、学校法人の〝総事務長〟としては比類ない能力を発揮していたが、改革を遂行するだけの企画力や実行力はなかった。いわゆる〝コンピテンシー能力〟の欠如を〝抜群の記憶力〟で補いながら生き繋いできた管理職の典型であった。
本人は敢えて動かなかったと主張しているが、実の所は日々の業務遂行で手一杯であった上に、改革を成し遂げるだけのキャパシティが無かったが為に〝動けなかった〟というのが真実であった。
常務の京極が〝事務全般〟を神田に、〝政策全般〟を堂本にミッションを分けたら如何かと提案した事があった。
その提案を聞いた途端に神田の顔色が変わり「気分が悪くなったので失礼します。」と突然、部屋を退出してしまった。
ミッションを神田と堂本で振り分けるという京極の案は、神田が簡単に一蹴した。神田のプライドがそれを許さなかった。
堂本に日常の仕事を任せる事は自分の立場を危うくするのではないかという危機意識が、堂本を排他する行動へと神田をかき立てた。
日常業務が一切回されなくなり堂本は一気に暇になったが、彼自身は元々、第2の人生に対して出世欲や金銭欲は全く無かったので、仕事が回されず暇になる事に対しては何の焦りも無かった。
ただ、神田が独りで業務を仕切る限り、この大学に発展が無い事はこれまでの実績から明らかであった為、この学校法人の未来に対する不安は日々募っていった。
【東京仏教大学ブランドビジョン】
大学は2013年に〝TBUブランドビジョン2017〟という5ヶ年プランを立てた。今後の学校法人の方向性を明確にして、それを成し遂げる為に学校の教職員が一丸となって目標を必達しようというものだ。
堂本は着任後直ぐにこの5ヶ年プランに目を通した。1項目毎に内容を吟味したが、改革と言える項目が一つも無かった。殆どが日々のルーティンワークの延長線上といった内容で、かつ具体的な目標値や施策が一切無かった。
学長・校長をヘッドに大学教員・中高教諭や企画広報課の職員が会議を重ねてこのプランを作ったのだが、彼らは面倒な改革には手を付けず、又、敢えて数値目標を盛り込まず抽象的な表現で目標を設定した。
その結果、教職員の仕事は楽になったが、プランが始まって4年が過ぎても学校法人東京仏教大学のクオリティに何の変化もなかった。
京極(常務理事)もこのプランが出来あがった時にその欠陥には気付いていたが、敢えて苦言を呈することはしなかった。この大学の教職員に改革案を練らせても、たかが知れていると半ば諦めていたからだ。
しかし、堂本はこのプランの問題点を敢えていくつか指摘した。
堂本が勤めてきた銀行での中長期計画は〝根拠に基づいた数字〟がベースであった。人は嘘をついても数字は嘘をつかない。数字の根拠さえしっかりしていれば、その数字は人の行動を変える。人の行動が変われば組織が変わる。
堂本は銀行でその事を嫌という程思い知らされていた。だからこそ〝数字〟にこだわった。勿論、数値目標を立て難い施策もある。しかしそこは臨機応変に対応すれば良い。あくまで目標は〝根拠に基づいた具体的な数値〟を掲げるべきだというのが堂本の信念であった。
しかし、既に走り終わろうとしているプランを今更否定しても仕方が無い。
肝心な事は、次の5ヶ年間計画で同じ轍を踏まない事であるとの思いから敢えて苦言を呈した。
「これまでのプランの問題点をいくつか申し上げます。先ず1点目は、総花的に実行テーマだけが多過ぎて、重要課題とそれ以外の課題のプライオリティ(優先順位)が不明確です。2点目は、目標数値の根拠がいい加減です。(学長等)偉い方々の理想が目標数値になっているのか、実態とあまりにかけ離れており、教職員が(口には出しませんが)最初から諦めています。3点目は、施策内容が貧弱で具体性に欠け、とても数字を上げられる様な施策ではないものが過半を占めます。4点目は、それらをやり遂げる最終責任者と推進・実行する部隊が不明確です。責任の所在がはっきりしないので、目標達成に向けての必死さを感じられません。その結果、毎年度、庶務方が事務的に結果報告をして(反省もなく)終えている様に思われます。そして最も問題なのが、改革等の重要課題に対してリソース(人・時間・予算)の確保が出来ていない事です。次期中期計画ではこの点を改善する事が肝要です。」
しかし、企画広報課長の黒川がこれに猛反発をした。彼にとっては全く面白くない話であった。そもそもこの愚作を創り上げた委員会の責任者が神田(事務局長)であり、副責任者が黒川(企画広報課長)であったからだ。
黒川は直ぐに神田の元に行き、堂本がTBUブランドビジョン2017にケチをつけている事を報告した。人一倍プライドが高い神田は机を叩き付けて怒りを露わにした。
その事があってから黒川は堂本を完全に無視する様になり、堂本への口撃は更に激しさを増した。
ある日、次の5ヶ年計画の責任者を決める話し合いが秘密裏で行われた。
「神田局長、次の5ヶ年計画立案ですが、偉そうな事を言っている堂本にやらせたらどうですか? 給料は変えずに2人分の仕事をやらせるのです。銀行から来たばかりの人間に事務局次長と企画広報課長を兼務でやれる訳がない。今は私が入試課長と企画広報課長を兼務して課員総数10名をやりくりしながら回しているので何とかやれていますが、今後は、私が入試課長を、そして企画広報課長を堂本にやらせ、企画広報課には部下を配備せず堂本一人にやらせるのです。彼には経験もないし、協力者もいなければギブアップするのは時間の問題でしょう。」
悪知恵を働かせたら右に出る者がいないと言われる黒川が神田に提案を投げかけた。神田も黒川の提案に賛同した。
「なかなか面白い案だね。よし、企画広報課長職は堂本に兼務させる人事案をあげよう。業務に支障をきたさないギリギリまで放置して、手遅れになる直前で我々が対処すれば、学校を救ったのは我々で、窮地に追い込んだ責任は企画広報課長の堂本ということになる。」
神田は、リスクを負わずに堂本を蹴落とせるという黒川の案を、迷うことなく承諾した。
こうして堂本が企画広報課長の職責を兼務する事になった。詳しい引継ぎは一切無く、黒川からは企画広報課の年間スケジュール表たった1枚を手渡されるだけであった。堂本が引き継ぐ企画広報課は部下もなく、彼ひとりで担う事になった。堂本にかかる業務の負担は、部下が一人でも居るか居ないかで大きく違った。
これまでは、事務局次長という、課長よりも上の立場にあった為、課長クラスからの攻撃を直接受けることは少なかったが、企画広報課長を兼務してからは〝課長対課長〟という対等の立場につけ込んだ黒川からの容赦ない攻撃が、あらゆる局面で炸裂し、堂本の気力は徐々に奪われていった。
【学生進路支援策】
人生の一大イベントの一つが就職である。両親にとっても我が子が何処に就職し社会人として一人前になるかは大きな関心事である。
東京仏教大学の就職率は常に95%を超えていた。しかし重要なのは就職までのプロセスと、その結果としての就職の内容だ。
この大学では学生の就職に対して全て受身で対応し、就職説明会は定期的に開催するものの業者任せで、就職課が積極的に学生個々の就職活動に対応することは殆どなかった。その結果、学生は就職活動に対してどういった準備や対応をしてよいかも分からないまま、いたずらに時間だけが経過した。
他大学の学生が企業から内定を獲得し終わった頃に慌てて就職活動を始めるが、第1・第2志望の企業の採用選考には間に合わず、その結果、吹けば飛ぶような企業や、離職率が高いブラック企業にしか内定が取れないという悪循環が何年も続いていた。
特に問題なのは、そういった〝にわか就職〟をした学生の多くが3年以内に離職をしてしまい、負のスパイラルに陥り再就職を繰り返しているという現実だ。
学生が就職後の3年以内に離職をしてしまう〝3年離職率〟をリサーチし、その数値を低く抑える為に何をやるべきかを考える事こそ、就職課の最も重要なミッションのひとつなのだ。
多くの学生は、卒業後の生活の為にどこかに就職をしなければならないという焦りから、最後はどこでも良いから何としても就職だけはしようとする。
それが〝にわか就職〟だが、就職課が集計する就職率95%には〝にわか就職〟が多く含まれていた。
真に重要なことは、その就職が学生にとって〝最良の選択〟であったか否かということなのだ。
東京仏教大学に限らず、多くの大学では就職内定者数を就職希望者数で割った就職率の数値だけを開示して〝就職率が高い〟と誤魔化しているが、真にリサーチすべき数値は、就職を希望する学生の何割が第1志望または第2志望の企業から内定を獲得したかなのである。
そして卒業生たちが就職後も〝3年離職率〟の(割り算の)分子にカウントされることなく働き続けているかをフォローアップした上で、離職した卒業生については再就職の支援をしてやることこそが就職課のミッションとして重要なことなのだ。
勿論、本人にとってキャリアアップにつながる転職、現状よりも好条件である転職もなくはないが、本人が真に望まない企業に〝にわか就職〟をしたのちに、3年以内に離職をする場合は決して幸せな離職・転職ではない場合が多い。
堂本は、学生が第1志望(または第2志望)とする企業への内定率を上げる事こそが重要だと考えた。
入社後に〝こんなはずではなかった〟ということもあるだろうが、まずは〝働きたい業種・働きたい企業〟に学生が入社出来る様に、大学が教職員一体となって全力でアシストをする事こそ大切であると考えていた。
ある日、入試課長と就職課長を兼務することになった黒川に相談を持ち掛けた。
「黒川課長、実は東京中央銀行に取引先企業を紹介して貰い、インターンシップ(学生が、興味がある企業などで実際に働いたり訪問したりする職業体験)協定を締結出来ないか交渉してみようと思うのですがいかがでしょう?」
「インターンシップ協定は慎重に話を進める必要があるんです。こちらも計画的にやっています。他所から突然現れて勝手に動こうとしないで頂きたい。」
「いや、だから相談をしているんですよ。学生が第1志望に挙げる企業と1社でも多くインターンシップ協定を結べば学生から企業への道筋が出来るし、本学が多くの一流企業とインターンシップ協定を結んでいるとなれば対外的にも良い宣伝になると思うのですが?」
「インターンシップ協定を結んだから即、就職率アップに繋がるかと言えばそう簡単な事ではない。一流企業と言われるが、そもそも一流企業の定義を伺いたい。何を根拠に一流企業と二流企業の線引きをされるのか?」
黒川は一般企業をパワハラによるトラブルで解雇となった挙句、本学に採用された。眉間には縦にクッキリと表情ジワが残る程の気性の激しい性格で、入試課・就職課内では常に怒号を飛ばしていた。
怒号の大半は自らのストレスから来るもので、部下への教育の為のものではなかった為、彼の配下の職員は一様に疲弊していた。当然、課内の退職者数は他課を圧倒していたが、黒川の報復を恐れて誰もが口を噤んだ。
黒川は通常であれば不採用になる人材であったが、彼もまた神田と同じく、田上前理事長のコネに拠る採用であった。
常日頃から〝前理事長や神田局長の為ならばどんな事でもやる。〟と豪語している輩なので、堂本の刺客に回るには然程の時間は必要なかった。
そういった伏線があった為、黒川は堂本に対して最初から攻撃的な態度で臨んだ。
「分かりました。貴方とは考え方が違う様です。もうやめましょう。」
黒川に対して言い争う程の意欲も気力も、今の堂本には無かった。
微妙な言葉尻を捕らえては挙げ足を取り、糾弾に近い口撃を繰り返しては敵対する相手を弱らすという汚い手口は、黒川の得意とするところだったので、話をすればする程に相手の術中にはまることは目に見えていた。
堂本はインターンシップへの働きかけは断念しようと思い席を立とうとした。
黒川の仕掛けに逆上する事も無くあっさりと引き下がろうとする堂本に対し、拍子抜けした黒川の方が譲歩して提案をして来た。
「分かりました。それでは学生にアンケートした〝第1志望企業一覧表〟がありますから、それをお渡しします。そのリスト先であれば、銀行の紹介であろうが、堂本さんが勝手にアプローチされようが好きにして下さい。」
堂本は直ちに銀行と連携して、リストにある〝学生が志望する企業〟を紹介して貰い、数多くの企業との人的・組織的パイプ作りのために東奔西走した。
その結果、多数の有名企業との間でインターンシップ協定を結ぶに至った。
黒川にとって、堂本がそれ程の結果を出すとは思いも寄らなかった為、結果的に〝敵に塩を送る〟事になった悔しさから、その後の堂本に対する嫌がらせは一層の拍車がかかることになった。
【第2のミッション】
10月に入って直ぐ、堂本は理事長室に呼ばれた。
「堂本さん。新キャンパス用地取得については貴方が説得力のある資料を作ってくれたお陰で、理事の大半を納得させ、理事会の承認を取り付ける事が出来ました。感謝します。」
「恐縮です。然しながら大変なのはこれからです。あの土地を活かすも殺すも具体的な活用策とその運用次第です。現場の協力が不可欠です。」
「その通りです。そこは局長や学長、校長の皆さんが教職員と協力しながら考えてくれるでしょう。さて、今日貴方をお呼びしたのは、次のミッションをお願いする為です。」笠井(理事長)は真剣な顔で話を続けた。
「環境社会学部の開設は出鼻を挫かれましたが、それを挽回する意味に於いても是非、うちのブランディングに寄与する様な新しい学部を検討して貰いたいのです。そしてそれを新キャンパスの起爆剤のひとつにしたいと思っています。」
「分かりました。少しマーケットリサーチを行う時間を下さい。」
銀行員的な発想が身に付いてしまった堂本にとって、新たな投資を行う場合、そこでどういう付加価値やキャッシュフローを生み出すのかが最も重要であった。
新たに生み出されるキャッシュフローで投資元本を回収するには何年必要なのか、初期投資赤字は何年で解消するのか、キャッシュフロー以外に新たな価値は生まれるのか等の検証が出来ない場合は、そもそも投資を見合わせるべきだという考えがベースにあった。
ある日、堂本はミッション看護大学のオープンキャンパスを視察に行った。
この大学は今から7年前に、東京医療センターがミッション大学(母体)に居抜きの建物を提供し、看護実習支援を担保に招致するという恵まれた条件を提示し、同大学が快諾して設立された。
病院の実習支援が保証され、4年間で立派な看護師に育てあげるカリキュラムが組まれ、就職もほぼ間違いないというフレコミから応募が殺到し、年間の学費が150万円と高額であるにもかかわらず、初年度から募集定員を上回る入学者数確保となった。創業赤字はたった2年で解消し、3年目からは黒字を計上した。就職率も最初の卒業生からずっと100%を堅持した。
今では学校法人ミッション大学の収益の柱の一つとなっている。この事がミッション大学のブランディングを高めた事は言うまでもない。
神田が言っていた〝動かないことによるリスク回避〟よりも、しっかりとした事前調査や検証を行った上で新しい事業に挑戦する姿勢こそが新時代の学校運営にとって重要なのだ。
動いたことによる〝失敗も成功の素〟と考えて挑戦し続ける姿勢を世に示すことは、教職員の働き甲斐や学生・生徒の希望にも繋がる。
堂本はミッション看護大学という成功事例があり、この物真似をすれば良いではないかと考えたが、神田を含む本学の教職員にはミッション大学に対する強烈なライバル心があり〝その物真似をするなどもっての外だ〟と考える者が多く、最初から議論にもならなかった。
銀行出身の堂本には〝成功例の真似〟に対して何の抵抗も無かった。
勿論、〝二番煎じが出枯し〟である可能性もある。それは事前にしっかりと検証をして判断すれば良いことなのだ。堂本は早速、笠井に伺いを立てた。
「理事長、私は新キャンパスには看護大学の設立もしくは、新学部として看護学部を創部する事が、最も成功する確率が高い方法ではないかと考えます。」
「看護学部や看護大学を創設して失敗している例が数多ありますが、うちは大丈夫ですか?」
「うちが成功する為には幾つか条件があります。その条件をクリア出来るのであれば積極的に進めるべきです。」
「その条件とは何ですか?」笠井(理事長)が目を輝かせながら身を乗り出してきた。
「先ず、東京中央大学附属病院からの実習支援を取り付ける事です。」
「それは簡単にはいかないでしょう?」
「我々と東京中央大学とは、学・学連携協定を締結し兄弟校の様な関係性を築いています。勿論、国立大学トップ3の一角である東京中央大学を我々がライバルというには烏滸がましく、これまで常に〝弟分〟としてリスペクトしてきたことが、東京中央大学との関係性をここまで親密化するに至った大きな理由のひとつでもあります。東京中央大学附属病院への実習について、東京中央大学に仲介をお願いした場合に、応諾して頂く可能性は高いと思います。」
「しかし、東京中央大学にも看護学部があります。バッティングしませんか?」
「それも調べました。東京中央大学附属病院の実習生受け容れキャパは、東京中央大学の看護学部の実習学生数を大きく上回り、病院側は他大学にも実習生受け容れのオファーをしている程だそうです。」
「そうですか。ならば、我々が東京中央大学附属病院の実習支援を得られる可能性はありますね。他に条件はありますか?」
「実習と併行してクリアすべき高いハードルがあります。そちらの方が難しいかも知れません。それは、看護大学学長又は看護学部長には東京中央大学附属病院若しくは東京中央大学から、相応の実績・人脈・人望のある方をお招きする必要があるというハードルです。これが叶えば、看護実習のコネクションに留まらず、優秀な教授・准教授の調達にもコネクションが出来るはずです。」
「確かに今は教える側の先生方の奪い合いで、生徒よりも先生が足りない状況ですから、人的コネクションの有無は非常に重要なファクターの一つですね。」
「失敗している看護大学・看護学部の共通点は、十分なマーケットリサーチを行わず、施設設備や設置条件等のハード面からスタートしているという点です。重要なのはソフト面なのです。看護大学長や看護学部長には、傘下の教授から〝真にリスペクトされる人物〟を据える事が肝要です。」
「堂本さんがおっしゃる通り、確かにそれを疎かにして教授の頭数だけ揃えた看護大学・看護学部は、統率力もなく、人的繋がりも希薄な中、優秀な教授を簡単に他の大学からヘッドハンティングされていますね。」
「即席でその穴埋めをしても、当然のことながら教育の質はどんどん低下し、負のスパイラルが止まらず、結果的には淘汰されています。今私が申し上げました2つの条件が整えば、成功する確率は非常に高いと思います。その上で、現実的な募集定員数や年間の授業料、創設の為に最低限必要な土地面積、取得費用等をシミュレーションします。」
「それは堂本さんが検証するのですか?」
「私でもやれなくはないのですが、シンクタンク等の第三者にやらせた方が、より一層の説得力があります。何年で黒字化出来るのか、何年で債務が無くなるか等を検証させ、その資料をベースに理事会の議案書を作るのです。」
「早速、進めて下さい。」
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