第7話 罪と罰(2)

「……どうやら、あまり愉快な話ではなかったようですね」


 ダイニングでは、台所で譲二が茶碗を水につけているところだった。


「なあ、譲二。あんた、複数のタマイシの同時移植手術はできるよな」


「いきなりですね。――今まで、三種類までならやったことがあります」


「四種類ならどうだ?」


「それは、個人の感情の核エゴを除いて、『喜怒哀楽』、ほぼ全ての感情ということになりますよ。世界で数例しか成功例のない、非情に難しい手術です」


「なら不可能じゃないってことだよな。あんたならできるだろ。『気まぐれ博士ハイド』」


 その名前で呼ぶということは、合図だった。


 すなわち、『闇』の仕事の。


「『理論上は可能』と申し上げておきましょうかね。実質的にはベストな手術環境で、成功率20%前後といったところでしょうか」


 譲二がすっと目を細める。


 そのアレキサンドライトのタマイシが、緑から血のような赤へと変貌を遂げる。


「それでもゼロじゃないならいい。――茜が無人病になった。余命は三ヶ月。治すには、喜怒哀楽、全てのタマイシの同時移植手術しかない。これは、『能面ノーフェイス』から『気まぐれ博士ハイド』への正式な依頼だ」


 俺は久しく口にしていなかった自分のもう一つの名前を呟く。


 安っぽいマンガかアニメみたいな符丁ふちょう。そんな物でも、表と裏を切り替える感情的なスイッチとしては、意外に役に立ったりする。


 タマイシのドナーが圧倒的に不足しており、移植をしてもらうには途方もない順番待ちをしなくてはいけない。それは、圧倒的現実だ。


 言い換えれば、タマイシにはそれだけの需要があるということである。需要があれば、供給しようとする者が現れるのは経済的必然だ。たとえそれが非合法であったとしても、リスクを冒すに足る報酬が見込めるならば、それは商売になる。そして、幸か不幸か、タマイシにはモグリの医療を行うのに好都合な条件がいくつも揃っていた。


 まず、なんといっても、タマイシの手術には、普通の臓器移植に比べて必要とされる設備投資が少ない。タマイシは心であり、宝石だ。手術道具はジュエリーデザイナーのそれと大差なく、切っても血が出ないから輸血は必要ないし、生物学的な意味での感染症にかかる心配もない。


 また、闇のドナーからタマイシの一部を譲り受けても、足がつくことはまずないことも大きな魅力だ。心が減ったり増えたりするのは、生きていれば当たり前に起こる現象で、仮に誰かが警察にタレこんだとしても、移植が行われたと刑事裁判で立証するのは非常に難しい。


 つまり、タマイシの非合法的手術が行われる案件は、他の臓器の闇取引に比べても圧倒的多く、その一端を担うのが、譲二であり、俺だった。


「ボクは安くはないですよ」


 譲二が冷徹に呟いた。


「わかってる。そりゃ俺は金持ちじゃないが、あんたへの手術代が払えるくらいの貯金はあることは知ってるだろ」


「そうですね……。なら、手術はボクがやるとして、タマイシはどうやって確保しますか? ボクへの手術代を払って、さらに闇ルートで四つのタマイシを確保するほどの金銭的余裕はあなたにはないはずです。まあ、仮にお金があったとしても、さすがに三ヶ月の間では集めきれませんがね」


「もちろん、俺が自分で足を運んで集める。茜を旅行名目で連れ出して、ドナーの適合チェックも一緒に済ませるつもりだ。つーことで、顧客リストをくれ」


 俺は仰向けにした手の平を譲二に向けて突き出す。


「まあ、そうなりますよね。……ふう。あなたが彼女のために辞めた『魂狩り屋たまがりや』を、また彼女のために再開するはめになるとは。全く、皮肉な人生ですね。能面ノーフェイス?」


 譲二が苦笑して、小さくため息をつく。


 闇のドナーに対する、タマイシ譲渡の交渉人、もしくは取立人。


 それが、『魂狩り屋』――俺のかつての仕事だ。


「御託はいいから、依頼を受けるのか、受けないのか」


「受けますよ。そろそろ、クリニックをリフォームしようと思ってたところです。純の小銭があれば、少し内装を豪華にできますね。キッズルームでも造りましょうか」


 譲二は肩をすくめながらもそう頷いてくれた。


「助かる」


 素直な感謝の念から頭を下げる。


 譲二は、闇市場でもかなりの人気者だ。


 予約も何か月も先までがっつり入ってるだろうに、俺の依頼を受けてくれるのは本当にありがたい。


「言っておきますが、急なことですし、その上あなたにお金もあまりないとなると、顧客リストの中から回せる案件は限られてきますよ。他の魂狩り屋が避けるような、金ではタマイシを譲りたくないタイプ――めんどくさい要求をしてくる厄介な人たちばかりヤクネタばかりになります」


「それもわかってる。でもやるしかない。つーか、お馴染みだろ」


「そういえば能面ノーフェイスは昔から、その手の偏屈な人が好きでしたからね」


 譲二はからかうように言って笑う。


「単純に新米の俺に回ってくるのがヤクネタばっかりだっただけだけどな」


 そう言いつつも、譲二の言うことを否定できない自分がいる。


 単純に金が絡む交渉の場合、毎回、同じようなやりとりになってつまらない。


 変なこだわりを持っている奴と接している方が、リスキーだが楽しかった。


「まあ、そういうことにしておきましょう」


「なんでもいい。とにかく、俺は出るから、諸々の手続きは頼む」


「……他人の心配をしている場合じゃないと思うんですがね」


 譲二の独り言じみた呼びかけを無視して、俺は家を出る。


(飛行機が出るのは、二時間後か)


 こうして、本当ならもう永遠に会うつもりがなかった少女の所へ、俺は再び向かうことになった。

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