其ノ89 突撃! 隣の金持ち寺

 腕を組んだリョーちゃんは、鷹水さんを観察しながら言った。

「なんとまあ、強烈な。人であって人ではない者が寺に居座るとは、いい度胸じゃないか。これは俺一人じゃ無理そうだ」

 そうつぶやくと、ポケットからスマホを出して操作をはじめる。

「しかたない、力のある坊主をかき集めるか……」

 背中を向けて去って行く……って、ちょっと待て!

「ちょっと! 突然あらわれてわけわかんないこと言って逃げるな!」

 振り返ったリョーちゃんは、わたしを一瞥してから視線を動かす。そこにいるのは、鷹水さんだ。

「ツッキー、気をつけろ」

「気をつけるもなにも、鷹水さんはいい人だし――」

 わたしの言葉を制したリョーちゃんは、険しい顔を近づけて耳打ちした。

「――あいつの心臓に手をあててみろ。おそらく鼓動はない。あいつは死んでる」

 ……は?




 ♨ ♨ ♨




 ブオォォンとエンジン音をひびかせて、てかてかの外車ごとリョーちゃんは去った。

 嘆息した鷹水さんはきびすを返し、なにごともなかったかのように窓拭きに戻った……っていうか!?

 死んでるってなにさ!

 どう見ても生きてる普通の人間にしか見えないのに、なんでどうして、どういうこと!?

 そろそろと気配を消しつつ、窓を拭く鷹水さんに近寄る。対する鷹水さんは平然とした様子で、なにも言わない。

 死んでるってことは、死人ってことだ。そういう人がなんで家の寺にいるのかがわからない。

 リョーちゃんや衣心の言ったことを鵜呑みにするつもりはないけれど、リョーちゃんはお坊さんをかき集めるとまで言ったのだ。

 かなり本気で、鷹水さんをここから追い出そうとしていることは間違いない。

「……あ、あのう。ひ……人じゃないんすか?」 

 思わず口からもれてしまった。鷹水さんは踏み台の上からわたしを見下ろす。

「否定はしねえよ。でも、悪さをするつもりもねえ」

「えっ――」

 ――えええ!?

 返事に衝撃を受けて、言葉を失う。でも、おかしなことにそこまで驚いていない自分もいた。

 なんだろ。なんか、はじめからわかってたような気がするような、しないような……?

 無言で困惑するわたしに、鷹水さんは笑みを向けた。

「修行するってのは本当だって前にも言ったよな? 俺はてめえのしてきたことにたんまり後悔してんだ。それを償いたい。あんたにはわけのわからねえことかもしれないが、たしかに一度、死んでる。だから、いまの俺は屍みてえなもんだ」

 その笑みはどこか切なげで、なぜだかわたしの胸がぎゅうと痛む。

 怖くない。どうしたことか、まったく全然怖くなかった。

「……じ、じゃあ、幽霊?」

「ちっと違うな」

「よ、妖怪?」

「……まあ、似たようなもんだ」

 ふっと、自虐的な苦笑を浮かべる。

「な、なんで家に来たの?」

 鷹水さんが、まっすぐにわたしを見つめる。

「俺がここにいるのは、縁あってある人に命を半分もらったからだ。それで、坊主になろうと思った。ずいぶん迷ったけど、どのみち一度は死んでんだ。失うものもなんにもねえ。やりなおしてみるのも悪くねえとも考えた。だから、賭けをした。その賭けのせいで、この世での俺の身体はまだ完全じゃねえ。ただの入れ物のまんまだ」

「賭け?」

「しゃべりすぎた。これ以上は詳しく言えねえ。それが約束だ」  

 鷹水さんはわたしから視線をそらし、ふたたび窓を拭きはじめた。

「俺が嫌なら追い出せばいい。それも俺の運命だ」

 そう言って、にやりと笑う。

 元ヤンかと思われた鷹水さんは、実はかなりなワケありで……普通の人間じゃないことが判明してしまった。あまりにもホラーな展開だし、現実離れしすぎて笑いそうになってくる。でも、たぶん全部本当のことだ。そういう予感がわたしにはある。

 リョーちゃんが言ったとおり、鷹水さんの心臓に手をあてたら、その予感はきっと真実になるんだろう。

 ――でも、人じゃないから、なんだっつーの?

 わたしも父さんも、鷹水さんを気に入ってる。

 鷹水さんはこんなしがない貧乏寺でも文句も言わず、真面目に過ごしてくれているし、父さんだって楽しそうだ。

 鷹水さんが妖怪的ななにかだろうが、悪いことなんてなにもしてない。だったら、べつにここにいたっていいじゃんとわたしは思う。

 そう――そうだよ。それがわたしの答えだ!

「鷹水さん」

「なんだよ」

「坊さんになるってのは、マジなんだね?」

 鷹水さんは真剣な眼差しで、うなずいた。

「ああ」

 よし、いいだろう。その思い、受け止めた!

「わかった」

 くるんと背中を向けたとたん、呼び止められた。

「おい、待て。わかったって、なにがだ?」

 わたしは肩越しに振り向く。

「真面目に坊さんになりたいって言うなら、鷹水さんの正体がなんだって、べつにどうだっていいってことだよ」

 鼻息荒く大股で、本堂の脇を歩きはじめる。

 そうだ、そのとおりだ、山内。

 妖怪だろうが屍だろうが、なにかを成し遂げようとしてるんなら、もうなんだってオールオッケーだ!

「おい、どこに行く?」

 鷹水さんの声を背中で受け止めつつ、わたしはいっきに駆け出した。

「――金持ち寺に、邪魔すんなって文句言ってくんの!」




 ♨ ♨ ♨




 坂道を駆け上がり、ご立派な寺の境内で仁王立ちする。

 ここに来るのが久しぶりすぎて、めまいがしてきた。

 敷地は我が家の三倍、山門から見える本堂の瓦屋根は、午後の日射しを浴びてぴかぴかで、もちろん傾いてなんかない。

「あいかわらず立派で、悔しいけど羨ましい……!」

 歯ぎしりする思いで境内を突っ切る。寺の景観をそこなわない二階建ての純和風建築の前に、ど派手な外車が停まっていた。それを横目で見つつ、「村井」と表札のかかった玄関のチャイムをおそうとした矢先。

「山内じゃん、なにしてんだよ」

 建物の裏手から、サッカーボールを手にした衣心が顔を出した。おお、いいタイミングじゃん!

「あんたの兄さんに話があんの!」

 はあ? と衣心は顔をしかめる。

「なんでリョーちゃんに話があんだよ、好きなのか?」

 短絡すぎだぞ!

「なんでそーなる!? さっき家に来て、鷹水さんを追っ払うみたいなこと言われたから、その必要はないって直談判に来たの! 兄さん出してよ!」

 玄関の前で衣心に訴えた直後、いきなり引き戸が開いた。

「あらー! 椿ちゃんじゃない、久しぶりねえ!」

 ふわりと巻かれた髪、白いシャツにデニム姿。大人女子な雑誌の読者モデル的風貌の、衣心の超美人な母さんだ。

 お久しぶりですこんにちはと頭を下げると、入って入ってとおばさんに腕を引っ張られてしまった。

「ああ、すっごく嬉しい! 見かけることはあったけど、椿ちゃん全然家に来てくれなくなっちゃったから、おばさんとってもさみしかったのよ~。ほら、家の娘はもう結婚しちゃってるし、ここにはむっさい男しかいないから、つまらなくてつまらなくて」

 来なくなったのは、衣心にいじめられていたからですとも言えず、招かれるまま玄関で靴を脱いだ。

「……ど、どうもです」

 衣心は気に入らないけれど、実はおばさんは好きなのだ。母さんとも仲がよかったし、いろんな洋服やおもちゃをわたしにくれた思い出もある。でもその贈り物には、おばさんなりの思惑があったことを、この日わたしははじめて知ってしまった。

「本当にすっかり美人になったわねえ。もうおばさん、衣心のお嫁さんには椿ちゃんって決めているのの!」

「ええっ!?」

 リビングにわたしと衣心を押し込み、続けた。

「ねえ、椿ちゃん。おばさん、たくさん椿ちゃんにいろんな物をあげたけれど、それって本当はね、どうしてもおばさんのこと気に入ってもらいたかったからなの。だって、衣心と結婚したら、おばさんは椿ちゃんの義母になるでしょう? 一緒にお買い物をしたり旅行したり、おいしい物を食べたりして遊びたいじゃない? だから、小さかった椿ちゃんに、あの頃からおばさん、好きになってもらいたくて必死だったのよお~!」

 そうだったのか。さすが村井家の母、あなどれなかった!

「い、いやあ、それは……っ」

 ずるずるとおばさんに腕を引かれてリビングに入り、ソファに座らされた。

「あっ、そうだわ!」

 おばさんが小さく跳ねて手を叩いた。

「リョーちゃんに買ってもらったバッグがあるから、椿ちゃんにあげちゃう! おばさん一度も使ってないの。いまの女子高生も好きなのかしら、ヴィトン?」

「えっ! いやいや、そんなのいらないです!」

「そんなこと言わないで、待ってて!」

 はしゃぎながら、おばさんは出て行った。もう誰もおばさんを止めることはできなそうだ。だけど、もっと強く拒否らなければ、村井家の嫁にガチで認定されてしまう!

 今後はいっさいなにももらわないぞ。そう鼻息荒く拳を握っていたときだ。

「で?」

 ソファに座るわたしを見下ろし、衣心は腕を組んだ。

「断るってなんだよ」

「いまのまんまでいいってことだよ」

「は? あのさ、リョーちゃんマジでやる気だから、任せとけって。あの妙な坊主を追っ払ってやるから、心配すんな」

 いや、だから! それが余計なお世話なんだって!

「心配もしてないし、任せるつもりもないんだよ。もうほっといて欲しいんだって!」

 はあ? と衣心が眉を寄せる。

「意味わかんねーぞ、山内。あいつは人じゃないんだって。そんなやつを家に置いとくのかよ?」

「家の勝手じゃん。鷹水さんは真面目だし、悪いことなんてなんにもしてないし、父さんだって気に入ってんだよ。それに、マジで坊さんになろうとしてる。もうさ、首突っ込むなつってんの!」

 ソファから立ち上がり、衣心とにらみあう。

 しばらく押し黙った衣心は、さらに眉を寄せてから口を開いた。

「……ああ、わーかった。おまえ、あいつに取り憑かれてんだ。たぶん、おまえの父さんもな」

「は?」

「冷静になれ、山内。おまえは取り憑かれてる。間違いない」

 ええ……と、そうなのか? あれ? もしかすると、そうなのかも?

 マズい。うっかり迷いが生じてきてしまった。

 家の、それも寺に、人間じゃない妖怪&屍的ななにかがいるとか、たしかに深く考えたらありえないわけで。やっぱり、よくないことなのかもしれない……と、真剣に考えながらうつむくわたしの頬に、突如衣心の唇が触れた。

 ――ちゅっ。

「――って、なんじゃごらあああ! ケンカ売ってんかよ、ふざけんな!!」

 衣心をどつく。どつかれた衣心はにやにやしながら、カーゴパンツのポケットに両手を突っ込んだ。

「ふざけてねーよ。いいじゃんもう、付き合ってんだから」

 え? 誰と誰が? とかやってる場合じゃない。

 衣心にかまっている暇なんかない。考えるのだ山内。のん気な父さんを守れるのは(そしてあの寺を守れるのは)もはやわたししかいないんだから!

 ってか、その前にこれだけは言っておきたい。

「あんたと付き合うつもりはないし、嫁になるつもりもまったくないからね!」

「そうか、じゃあ、俺の嫁になるんだな?」

 廊下にあらわれたリョーちゃんが、リビングに入りながら苦笑する。

「やれやれ。母さんがヴィトンのバッグを探しまわっていて、二階がゴミ屋敷になってきたから逃げてきた。母さんは物を持ちすぎだな。ところで、どうしたツッキー、さっき会ったばかりなのに来てたのか? 安心しろ、いま俺はフリーだ」

 そうじゃない。村井兄弟についていけない。

「わたしは誰の嫁にもならないからね!」

「じゃあ、あの得体の知れない〝魔物〟の嫁になるつもりか?」

 どさりとソファに座ったリョーちゃんは、さらりとすごいことを言ってのける。

「え」

 ――〝魔物〟?

 リョーちゃんは息をつき、腕を組んだ。

「肉体は死んでるくせに、まるで生きた人間そのものに見えるから困る。なにかの獣が人間に化けてるような予感もある。ともかく、強烈な魔物だ。いまは悪さをしていなくても、なんらかの目的はあるはずだ」

 言葉をきって息をつき、わたしに向かって続けた。

「あいつは地獄から来てる。ほかの人間にはわからないだろうが、俺の鼻が硫黄のにおいでバカになりそうだったからな」

「……じ、地獄?」

 リョーちゃんがうなずく。

「なあ、ツッキー。おまえも行ったことがあるんじゃないのか?」

「は? 行ったことがあるって、どこにさ?」

 眼鏡の奥の眼光を鋭くさせ、リョーちゃんは言った。

「地獄だ」

 そんなバカな。




 ♨ ♨ ♨




 生きたまま地獄に行ったわたしが、こっちの世界に戻るとき、魔物も一緒に連れて来たのかもしれないとリョーちゃんは予想した。

 もちろん、そういったことが霊能力的な方向で、リョーちゃんに見えているわけじゃない。けれど、鷹水さんが人ならざる存在であろうことは、感覚ではっきりわかるらしい。

 村井家の中で衣心とリョーちゃんだけが、そういう能力を持って生まれたのだと教えられた。

 だからどうした。だって、家のことは家のことだもの。

 首を突っ込むなとともかく強く訴えて、わたしは村井家をあとにした。ちなみに、バッグを探し続けていたおばさんは、わたしが帰ろうとしたときもまだ見つけられずにいたのだった。もらわずに済んだので、マジ助かった。

 眼下に広がる家並みの屋根を眺めながら、坂道をくだる。

 鉛色の雲が、晴れていた空を覆い隠していく。そんな空をあおぎ見ながら、リョーちゃんの言葉を反芻した。

 わたしが地獄に行ったとか。そんなことあるわけないじゃん。

 でも、もしもそうだとしたら、残念ながら思いあたることがある。

 あの日、記憶がないまま林に立って手にしていた謎な物たち。

 それが、わたしの身に起きたことのすべてを、物語っていそうな気がしてならない。

「……地獄から持ってきた的な……?」

 いやあ、ないわーって、自信満々で拒否できないから困る。

「待てよ。もしかして、あれを鷹水さんに見せたら、なにかわかったりするかも?」

 いいかもしれない……! なんて考える一方で、どうしても引っかかっていることがあった。


 取り憑かれている――って、マジだったりして?


 父さんも取り憑かれていて、だから鷹水さんを家に置いてるんだとしたら?

「うう……やっぱ、リョーちゃんに頼ったほうがいいのか!?」

 坂道を歩きながら、身悶える。

「……くそう、わからん。なにひとつ、どうしたらいいのか決められない!」

 そう声にしたときだった。黄色い羽をはためかせた蝶が、わたしの目の前をひらひらと横切った。それを目にした瞬間、わたしの心の奥深くで――そうじゃない、みたいな感情が芽生える。

 そうじゃない。取り憑いてるとかじゃない。鷹水さんはそんなことしない。だから、きっとなにか理由があるんだ。

 坊さんになりたいって気持ちのほかにも理由があって、だから家にいるんだ。

 立ち止まって、蝶を目で追う。どうしてだろう、母さんの言葉が脳裏を過った。


 ───しっかりした芯のある女の子になって欲しいと、母さんは思っています。


「……って、いつ言われたんだっけ?」

 もちろん、思い出せない。

 雑木林の向こうに、蝶ははらはらと飛び去って消えた。

「どうするのがいいんだろ……とかじゃなくて、わたしはどうしたいのか、見極めないと」

 誰に言うでもなく、声にする。

 誰かの意見じゃなくて自分で決めることのできる、芯のある女子にならなければ。そんで決めたら最後、とことんまでつらぬく……って、なんか武士みたいだけど嫌いじゃない感じだ。

 まだボクシングのジムに通っていたころ、なかなか強くなれなくて、もう辞めようかと思うこともあった。そんなとき、はじめようとしたころの気持ちを思い出せと、先輩に励まされたことがある。

 悩んだり迷ったりしたときは、ものごとの一番はじめを思い出す。初志貫徹とかいうやつだ。

 村井家に突撃したのは、いまの、このまんまでいいと訴えるためだった。

 だったらさ、それでいいんじゃないの? それをつらぬくべきなんじゃないのか!?

 なんか見えてきた! そうだよ、そのとおりだよ!

「……よし、決めた。わたし、寺ごと鷹水さんを守る!」

 そう決意したら、胸がすっとした。と、頬にぽつりと滴があたる。見上げると、空から小雨が降りはじめた。

「雨だ」

 直後――〝雨〟という漢字が、なぜだか頭から離れなくなる。

「……なんだ?」

 首をかしげながら小走りで坂を下っていると、黒い傘をさした人影が向かってくるのが見えた。顔は傘に隠れているけれど、下駄と作務衣で誰かはわかる、鷹水さんだ。きっと、雨が降ったから迎えに来てくれたのだろう。

 全速力で鷹水さんに駆け寄る。その間も〝雨〟という文字がくっきりと、頭というよりも胸に深く刻まれて離れない。なんだろうこの感じ……と思った瞬間、はっとする。


 ――なんか、〝雨〟って漢字に、続きがある……気がする。


「どうした?」

 立ち止まった鷹水さんが、わたしに傘を差し伸べてくれた。

 鷹水さんのきれいな瞳を見つめつつ、〝雨〟の続きを必死に探る。

 そうして探ってふと浮かんだのは、なぜかこの字だった。


 ――〝市〟。

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