第44話 信頼(アネモネ)


 武装集団の拠点を制圧し無事に仕事を終わらせたアネモネたち一行は、夜のとばりが降り、廃墟の街が危険な変異体や人擬きに支配されるまえに鳥籠に帰還することができた。


 鳥籠〈姉妹たちのゆりかご〉を囲むようにして築かれた防壁は、ジャンクタウンの壁と異なり、港の近くにある廃工場などで見かける大型輸送コンテナや、倒壊した旧文明期以前の建築物の瓦礫が隙間なく積み上げたられたモノだった。


 が、煌々こうこうと瞬くホログラム広告やネオンサインの人工的な光に迎えられると、アネモネたちはやっと人心地がつくような気がした。


 これまでも多くの集落を見てきたが、やはり鳥籠で得られる安心感は格別だった。統率がとれた警備隊と堅牢な防壁のおかげで、変異体や人擬きの襲撃におびえる必要もなければ、集落の住人に寝込みを襲われるような心配をすることもない。


 鳥籠では常に一定の秩序が保たれているのだ。


 もちろん、鳥籠内に存在する〝特権〟を享受できる人間は限られている。まさかその特権を、なんの後ろめたさを感じることなく味わえる日がくるとは、アネモネにもケンジも、そしてベティにさえ想像できなかったことだ。


 が、今の彼女たちには、個人を証明できる正規のIDカードがあり、略奪者としての犯罪歴もなければ、傭兵組合に所属しているという肩書も手に入れることができていた。


 苦難の日々を経験し数々の困難を乗り越えて、やっとたどり着くことができた場所だということは理解していたが、何もかもが順調に進んでいることは怖くもあった。不幸自慢をするつもりはなかったし、ある種の苦しみを経験したことのない人間に、この感情を理解してもらうことが難しいことも分かっていた。


 でもだからこそ、これからも廃墟の街で過酷な生存競争を続けていかなければいけないことを考えると、その感情を共有できる仲間がいるということは、ある意味では救いだったのかもしれない。


 一行はノイに案内されるまま多くの人間で賑わう大通りを歩いて、旧文明期の建物を利用し、姉妹たちによって経営されていた宿泊施設までやってきた。仕事の報告は翌日に行われることになったので、その宿で一夜を過ごすことになったのだ。


 高級宿ということもあって、アネモネたちは今までに経験したことのない接待を受けて困惑してしまうが、支払いについて心配する必要がないことを知ると、安心して身体を休めることができた。


 宿を経営している姉妹たちのひとりに案内された部屋には、ふかふかのマットレスに清潔なシーツが敷かれたベッドが用意されていて、本当にこんな綺麗な場所で眠っていいのかと三人は困ってしまった。


 しかし小汚い格好で戸惑っている三人を笑う人間はいなかった。アネモネたちは〈姉妹たちのゆりかご〉の特別な客で、鳥籠内のすべての情報を共有している姉妹たちは、大切な客に接する方法を熟知していた。


 宿泊施設が用意してくれた食事も、アネモネたちが食べたことのないような上等なモノだった。舌触りも歯触りも最悪なペースト状の化学的な合成食ではなく、名前は知らなかったが、きちんと焼いたり煮たりした食事だったのだ。


 湯気が立ち昇るシチューにホカホカのパンをつけて食べたときには、三人とも思わず言葉を失くしたほどだった。


 その夜、ベティはドラッグを使わなくてもずっと機嫌がよかったし、ケンジも珍しく酒に酔っていた。けれど日々の習慣として、アネモネは気を緩めるようなことはしなかった。三人の様子をじっと観察していたノイは、彼女のその姿に感心した。


 傭兵を自称する無法者たちが、場所柄もわきまえずにおごり昂ぶった横暴な振る舞いをみせることがあり、そういった連中に対処したことが何度もあった。けれどこの仕事を通して見てきたアネモネの振る舞いには、どこか高潔さすら感じる瞬間があった。けれどそれは不可解なことでもあった。


 まともな道徳観念すらない廃墟の街で、どうやったらそのような魂を持った人間が育つのだろうか? ノイはあれこれと考えたあと、酒を飲んで寝ることにした。



 仕事の報告のために訪れた場所は、姉妹たちの兵器やら物資が目につく格納庫だった。


 依頼人であるユイナとユウナがやってくると、偵察ドローンを操作するビーが撮影していた映像や、ケンジとノイが記録した画像を見せながら、敵武装勢力が壊滅したことを報告する。それが終わると、アネモネはベティが入手していた情報端末をユイナに手渡した。


 情報端末には、武装集団が〈不死の導き手〉に雇われて、廃墟の街で人擬きを捕まえていたことに関する情報が記録されていた。けれど武装集団は教団の企みについて聞かされておらず、自分たちが人擬きを捕まえている理由も分かっていなかったようだ。


 ノイが簡潔にまとめていた報告書に目を通していたユイナは、翡翠ひすい色の眸でじっとアネモネを見つめた。


「あなたたちは、あのあたりに別の武装集団が潜んでいると考えているのね」

「ああ」アネモネはうなずいた。「教団の依頼はともかくとして、そいつらは変異体をあがめるくるった集団だった。その端末を確認すれば分かることだけど、あちこちの集落から人間をさらってきて変異体のにえにしていたんだ。連中は普通じゃない」


「たしかに大きな組織じゃなければ、こんなことはできない。警戒を続ける必要がありそうね……」


 しかし武装集団が崇めていた変異体についての情報は少なかった。それが夜行性であること、人間を捕まえて食べていること、そして一定の条件を満たす必要があるが、信者は襲われることがないということが分かった。


 廃墟の街で人間が誘拐されているとイーサンが話していたが、あの事件にも変異体が関与していた。ひょっとしたら、この危険な武装集団も誘拐事件に関係しているのかもしれない。


「それと――」ユイナは端末のディスプレイに視線を落とす。「人間の姿をした守護者についても気になるわね。その狂った守護者は、本当に教団のコートを身につけていたの?」


「間違いないよ、映像に記録していたから見てくれ」

 アネモネは机にのっていたホログラムの投影機を使って、タクティカルゴーグルで記録していた映像を表示した。その映像には、紺色の外套を着た男性の姿がハッキリと映っていた。


「教団の信徒で間違いないわね……」

 けれどユイナの言葉は続かなかった。それが何を意味しているのか推測することはできたが、確かな答えは誰も持っていなかったからだ。


「教団については、こっちでも引き続き調査を続けるつもりです」

 ノイの言葉に彼女はうなずいた。

「そうね。共有できそうな情報を入手したら、イーサンに連絡するわ」


 それから報酬についての話し合いが行われた。すでに多数の装備を提供してもらっていたが、それなりの額の資金も得ることができた。もちろん、報酬には軍用規格の青いヴィードルも含まれていた。


 しかし今回の仕事でアネモネたちが得たもっとも大きな見返りは、資金や兵器ではなく〈姉妹たちのゆりかご〉との間に築かれた信頼関係だったのだろう。


 アネモネたちは自由に鳥籠に入場することが許され、傭兵組合を通して姉妹たちから仕事の依頼を受けることができるようになった。そしてそれは廃墟の街で生きていく大きな助けになるはずだ。


 ちなみに教団についての話し合いが行われているとき、何度かレイラとハクの名前が登場したが、アネモネはレイラについて訊ねるようなことはしなかった。しつこく質問して疑念を抱かれることを避けたかったからでもあった。


 なにはともあれ、依頼を達成することができた。しばらく休んだあと、アネモネたちは別の〝危険〟な仕事を引き受けることになるだろう。そしてそれが廃墟の街で生きるということでもあった。

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