第39話 化け物(アネモネ)


 薄暗い廊下の先に姿を見せたのは、廃墟の街に生息する野生のシカと人擬きが融合したような気色悪い化け物だった。変異してからそれなりの時間が経過しているのか、その個体はボロ切れに変わり果てた戦闘服を着ていた。


 腹部からはシカの足がぶらさがり、腐った皮膚が裂けて大きくめくれていた頭部と背中からは、鋭いツノが突き出しているのが確認できた。


 ノイが化け物に対して射撃を始めると、短い警告音と共に廊下に面していた部屋の扉が次々と開いて、数十体の人擬きが姿をあらわした。


施錠せじょうされていた扉が何者かの操作で開放されたことを確認しました』

 イヤホンを介してビーの声が聞こえると、ケンジは階下で見つけていた部屋のことを思い出した。その部屋には旧文明の複雑な装置につながれた複数のディスプレイが設置されていたが、人の気配がなかったので無視していた。


 ケンジがそのことをビーに話すと、建物の外から重機関銃の騒がしい発射音が聞こえた。


『それは警備室として使用されていた部屋だと思います。侵入者である我々を攻撃するため、建物内のあちこちに閉じ込めていた人擬きを開放した人物も、そこに潜んでいる可能性があります』


 ケンジは廊下の向こうからやってくる人擬きに銃弾を撃ち込みながら言う。

「ここは俺たちに任せて、姉さんはそいつを捕まえてきてくれないか」


「そいつを捕まえてどうするんだ!」アネモネは声を張り上げる。

「教団の人間だったら、ここで何をしていたのか聞きだせるかもしれない」


 アネモネが階下に向かったのを確認すると、ベティは残りの手榴弾を手に取り安全ピンを抜き、人擬きに向かってぽいぽいと投げ込んでいった。人擬きの足元まで転がっていった手榴弾が次々と破裂して、数百にも及ぶ金属片を撒き散らすと、飛び散った肉片と血液で廊下は赤く染まる。


 けれど手足が欠損したくらいでは、人擬きの動きを止めることはできない。立ち昇る砂煙の向こうから、もぞもぞと身体を動かしながら人擬きが近づいてくるのが見えた。


 ベティはぬいぐるみリュックの中からサブマシンガンを取り出すと、弾倉を抜いて弾薬を確認し、再装填してすぐにフルオートで銃弾をバラ撒いた。


 無数の銃弾を受けて頭部がグチャグチャになった人擬きは、一時的に動きを止める。けれど至近距離で手榴弾を受けてもなお、平然と動くことのできる人擬きが砂煙の向こうから姿をあらわす。


「ツノ付きですね」ノイが前に出ながら言う。

「この化け物には注意が必要です」


 奇妙な角度に折れ曲がった片足を引き摺りながら歩いてくる人擬きに向かって、ノイはスローイングナイフを投擲、頬にナイフが突き刺さった衝撃で人擬きの頭部は仰け反る。しかし目立った効果は与えられなかった。


 それを見かねたベティが数十発の銃弾を撃ち込む。が、ツノ付きの人擬きはいくら銃弾を受けても、まったく意に介さずひたひたと歩いてくる。


「こいつはマズいな……」

 ケンジがつぶやいたときだった。人擬きはおもむろに姿勢を低くすると、頭部のツノを突き出しながら獣のように猛然と駆けてきた。ベティは驚きに声を上げると、近くの部屋に飛び込むようにして攻撃を避けた。けれどそれは間違った行動だった。


 ヌルヌルとした血液に濡れた部屋は、つい先ほどまで数体の人擬きが閉じ込められていた部屋だった。彼女の足元には人擬きの餌にされた動物や人間の残骸で埋め尽くされていて、まともに歩くことすらできなかった。と、そこにツノ付きの人擬きが飛び込んでくる。


 まるで威嚇するように咆哮する人擬きは、もはや人間だったころの面影はない。ベティは恐怖で足がすくみ、動けなくなってしまう。けれどケンジたちが撃ち込んだ銃弾を背中に受けると、人擬きの関心はベティからケンジたちに移る。


 それを確認したベティは素早く弾倉の交換を行い、人擬きの太腿にフルオートで銃弾を撃ち込んだ。狙いすましたように数十発の銃弾を受けて太腿が千切れると、人擬きは体勢を崩してドサリと倒れた。けれどすぐに腹部から突き出ていたシカの脚をつかって、上体を起こそうとする。


 ノイは人擬きが見せた一瞬の隙を逃さず、一気に接近すると、化け物の首元にコンバットナイフを突き刺し力任せに大きく斬り裂いた。首を刎ねることはできなかったが、人擬きの動きに大きな変化を与えることができた。


 化け物は頭部を傾け、傷口から大量の血液を噴き出しながら壁や床に何度も身体を衝突させ、ケンジたちを無視するように薄闇のなかに消えていった。


 脅威が去ると、ケンジたちは廊下に残された人擬きを次々と無力化していった。と、安心したのもほんのつかの間、廊下に短い警告音が鳴り響くと、施錠されていた別の扉が開いて、シカと融合したような姿をしたツノ付きの人擬きが次々と姿を見せた。


「うげぇ」

 ベティは顔をしかめると、ぬいぐるみリュックにサブマシンガンを入れ、代わりにアサルトライフルを取り出す。


 それを見たケンジは別の意味で驚いた。明らかにライフルの銃身はリュックよりも長かったのだ。リュックがどうなっているのか気になったが、ケンジは頭を振ると、人擬きとの戦闘に専念することにした。


 一方、ひとり階下に向かったアネモネは警備室の前に到着していた。


 足音を立てないように静かに移動して、開け放たれた扉から室内の様子を確認する。ケンジの報告通り、旧文明期の装置が所狭ところせましと置かれていたが、人間の姿はどこにも見当たらない。ビーの予想が外れたのかもしれない。


 そう思って部屋に入ると、ボロ布で仕切られた部屋の奥に動くモノの気配を感じる。かすかな物音が聞こえたのだ。


 アネモネは狭い室内や近距離での取り回しが難しいライフルを背中に回すと、腰のホルスターからハンドガンを抜き、どんな状況にも対応できるように前腕を変形させて刃をいつでも使えるように準備した。


 それからゆっくり息を吐き出すと、外で戦っているビーの射撃のタイミングに合わせてボロ布を引いた。部屋の奥に人間の姿が見えると、躊躇ためらうことなく引き金を引いた。二発の銃声のあと、紺色のコートを身につけていた男性は操作していた装置に覆いかぶさるようにして倒れた。


 アネモネは慎重に男性に近づくと、彼が操作していた装置を確認する。備え付けられていたディスプレイには、各部屋の扉を管理するための項目が表示されていた。自動攻撃型タレットの操作に関する項目も確認できたので、建物の警備システムで間違いないと見当をつけた。


 男性の死体を退かすと、ビーに手伝ってもらいながらケンジたちの情報を警備システムに仮登録して、上階のオートタレットを起動して人擬きを攻撃させた。


『さすがお姉さまです!』

 上階で攻撃が始まると、すぐにベティの声が聞こえた。その声に返事をしようとしたときだった。アネモネは鳥肌が立つような寒気に襲われ、反射的に横に飛び退いた。次の瞬間、彼女が操作していた装置に折れ曲がった鉄骨が突き刺さるのが見えた。


 転がるようにして攻撃を避けたアネモネの視線の先に立っていたのは、ついさっきまで死んでいたと思われる男性だった。


「どうなってるんだ」アネモネはひどく困惑したが、すぐにハンドガンを構えて数発の射撃を行う。が、男性は衝撃で身体を揺らすだけで、痛みを感じているような反応すら見せなかった。


「こいつも化け物のたぐいか!」

 いざという時のために残しておいたしょう手榴弾をベルトポーチから取り出すと、後退しながら男性に向かって投げた。炸裂音と共に炎が広がり、瞬く間に煙が充満する。アネモネはガスマスクを装着すると、急いで部屋を出る。


 次の瞬間、拳大の瓦礫が部屋の中から凄まじい速度で飛んでくるのが見えた。アネモネはそれを避けようとして転んでしまう。瓦礫は彼女の頭上を通り過ぎて壁に衝突して砕ける。ホッと息をついて顔をあげると、黒煙の中から男性があらわれる。


 男性の衣服は黒焦げになり裂け、皮膚は醜く焼けただれていた。そしてアネモネは男性の姿に言葉を失ってしまう。


 皮膚の奥に見えたのは、鈍い輝きを帯びた金属製の骨格だった。

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