第22話 侵入(レイダー)


 擦り切れた黄色いレインコートに、口元だけを覆うフェイスマスクを装備すると、アネモネは偵察ドローンのビーと共に廃墟を出て悍ましい怪物の巣に向かった。


 爆薬を仕掛けて巣を破壊するのは、ある種の賭けだったが、それ以外にこの仕事を達成させる方法がないことも分かっていた。だから好むと好まざるとに関わらず、誰かが怪物の巣に爆薬を仕掛けに行く必要があった。


 日が落ちてから降り出した雨は激しくなる一方で、時折、雷鳴が轟いて、巨人たちの墓石のようにも見える真っ黒な高層建築物の間で強烈な光が瞬くのが見えた。


『アネモネさま、先程から心拍数の上昇を確認しています。大丈夫でしょうか?』

 タクティカルゴーグルを介して、内耳に聞こえるビーの言葉にアネモネは溜息をついた。


「これから恐ろしい怪物の巣に侵入するんだ。緊張くらいするよ」

『恐れることはありません。怪物が出払っていることはすでに確認済みです』


「でも戻って来る可能性もある。そうだろ?」

『確かにその可能性は充分にありますね……それでは、作戦を変更しますか?』


「ううん。このまま作戦を続行するよ」

『そうですか……では私は巣に先行して、爆薬を設置するのに適した場所を探してきます』


 小型ドローンが夜の闇に消えていくと、アネモネは瓦礫の側にしゃがみ込んで、雷鳴によって廃墟の街が明るくなるタイミングを待った。ずっと遠くで雷鳴が轟くと、道路の先で雨に打たれていた人擬きの姿が浮かび上がり、雷の音が聞こえてきた方角に向かってノロノロと歩き出すのが見えた。


 アネモネは息をついて、それから瓦礫の側を離れて目標に近づく。


 砲撃によって出来たと思われる円形の窪みが見えてくる。大きな穴には雨水が溜まっていて、一見すればただの水溜まりにも見えなくはない。しかし昼間に周囲の確認をした際、穴に落ちたら自力で脱出できないほど深いということが分かっていた。だから穴に近づかないように、道路の端を歩く必要があった。


 大粒の雨に打たれながら視界の悪い道を進んでいると、視線の先に人擬きの姿が見えた。人擬きウィルスに感染して間もない個体なのか、人間の姿を保っていたが、雷鳴の明かりに浮かび上がる顔は真っ青で血の気がなかった。


『聞こえてるか、姉さん』ケンジの声が内耳に聞こえる。

『雷が鳴ったタイミングで化け物を狙撃する。それまでそこで大人しく待機していてくれ』


「了解」

 小声で返事すると、不測の事態に備えてアネモネもライフルを構えた。


 廃墟の街が一瞬明るくなると、雷鳴に合わせて射撃が行われる。

 ぼろ切れにも見える汚い戦闘服を着ていた人擬きがドサリと倒れたことが確認できると、アネモネは建物の陰から出て、人擬きの横を通って先に進んだ。


 不死の化け物は頭部を破壊されていたが、それでもゆっくりした動きで起き上がろうとしていた。しかし激しい雨音はアネモネの足音を消してくれていたので、人擬きに存在が知られることはなかった。


 旧文明期以前の建物が倒壊して、大量の瓦礫が積み重なっている場所が見えてくると、アネモネは足を止めて路肩に放置されていた廃車の陰に身を隠した。


「ビー、そっちの様子は?」

 アネモネの声に答えるように、巣内部の映像がゴーグルのレンズに表示される。

『安心してください、怪物の姿は確認できませんでした』


「危険な変異体も潜んでない?」

『はい。ここで生命反応があるのは、怪物の卵だけです』

 映像を確認しながら気持ちを落ち着かせると、アネモネは巣に向かって動き出した。


 暗視機能付きの照準器をつかって、怪物の巣に接近するアネモネの姿を確認していたケンジは、外で待機していたベティと連絡を取る。


「ベティ、そっちの状況を教えてくれ」

『さむい』すぐに不貞腐れた声が聞こえてくる。


「我慢してくれ。それより怪物の姿は確認できたか?」

『暗くて何も見えない』


「暗視スコープを渡しただろ?」

『壊れててまともに動かない』


「結構な値段で取引したんだ。壊れてるわけないだろ」

『騙されてゴミを押し付けられたんだよ』

 ケンジは溜息をつくと照準器を覗き込みながら、これからどうするのか考える。


『それなら、一旦こっちに戻ってきてくれ。別の装備を用意する』

「いい」ベティは拒否する。

「暗視機能くらい使える」


 壁面が崩壊し鉄骨が剥き出しになっていた廃墟に潜んでいたベティは、使いモノにならない暗視スコープを眼下の道路に投げ捨てると、ヴィードルのコクピットシートに載せていたぬいぐるみリュックから自身のスマートグラスを取り出す。


「これで、ヨシ」ベティは笑みを見せると、装着したスマートグラスの縁を指先でトントンと叩いた。するとナイトビジョンと連動してサーマルセンサーが自動的に起動して、周囲の光景がハッキリと見えるようになった。


『そんなモノ持ってるなんて、聞いてねぇぞ』

 イヤホンからケンジの声が聞こえると、ベティは肩をすくめて、それからヴィードルに立て掛けていたアサルトライフルを手に取る。


「話さなかったんだから当然でしょ。それより、お姉さまの掩護を続けて」

『お姉さま?』


「あんただってアネモネのことを姉さんって呼んでる。だからわたしも呼び方を変えたの」


『俺たちはこのクソみたいな世界で一緒に育った姉弟同然の関係なんだよ』

「それがなに? これからわたしも姉妹になるの。だからお姉さまって呼ぶ」


『なんでもいいから、しっかり監視を続けてくれ。怪物が戻ってきたら、大切な“お姉さま”が大変なことになるんだからな』ケンジは半ば呆れながら言う。

「ふん」


 ベティは通信を切断すると、ずっと遠くに見えている建物の壁面に、ホログラム投影されていた広告が雨に煙る様子を眺めた。


 一方、アネモネは地下に存在する怪物の巣に侵入するため、瓦礫の間に屈み込むようにして身体を押し込んでいた。蠅にも似たグロテスクな怪物は、身長が二メートルを優に超えていたのに、それでもこの穴から巣に出入りしていた。


 ゴキブリのように細長い胴体がそれを可能にしていたのだろう。アネモネは照明装置を使って瓦礫の通路を明るくすると、暗澹たる気持ちで進んだ。


 息が詰まるような思いで瓦礫の隙間を移動していると、途中で太腿に鋭い痛みを感じる。アネモネはすぐに動きを止めた。どうやら瓦礫から飛び出していた鉄筋で太腿の皮膚が裂けたようだった。血液が滲んで雨水と共に流れるが、今更引き返すことはできなかった。


 大きく開いた腹部から腐り始めていた死体の横を通って広い空間に出ると、金属製の陳列ケースや、旧文明期に使用されていた生活雑貨が動物や人間の死骸に雑じって泥に埋まっているのが見えた。


『こちらです、アネモネさま』

 ビーの言葉に反応して視線を動かすと、ドローンの照明で壁にビッシリと貼り付いていた怪物の卵が暗闇に浮かび上がる。どうやらそこに爆薬を仕掛けなければいけないようだ。


 歩くたびに糸を引く粘液で覆われた床を移動して、気色悪い壁に接近すると、背負っていたナイロン製の汚れたリュックから爆薬を取り出して素早く設置していく。


『慌てる必要はありません』すぐとなりにやって来たビーが言う。

「わかってる」


 アネモネは何度か深呼吸して、それから作業を続けた。その際、マスクを装着してきて良かったと心から思った。マスクをしていなかったら、きっとまともに息ができなかっただろう。遺体から発生するガスと、奇妙な粘液や怪物の卵の臭いが混ざり合って、空気が籠った地下空間は恐ろしいことになっているはずだ。


 すべての作業を終わらせて、アネモネが瓦礫の隙間に身体を押し込んだときだった。怪物が接近してきているという報告を受ける。アネモネは心臓が激しく脈打ち、呼吸が乱れるのを感じだ。けれど強靭な意思でなんとか冷静さを保ち続けられるように努力した。ここで平静さを失うことは死を意味する。


 身体のあちこちを瓦礫にぶつけながら、地下通路から出て、近くの廃墟に身を隠すのと同時に怪物が巣に戻ってくるのが見えた。翅を広げて飛んできた怪物の奇妙な手には、人間の上半身が握られていて、裂かれた腹からは内臓が飛び出していた。


 巣の近くに着地した怪物は周囲を見回して、それから瓦礫の隙間に入っていた。その姿が確認できると、アネモネはビーを連れて怪物の巣から離れた。

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