2 物語の世界

2-1

堀北が図書室を訪れるようになって一ヶ月が経った。堀北は頼んでもないのに読んだ本の感想を言ったり、面白かった本を薦めてきたりした。


栞は最初こそすらすら会話ができなかったが、今では普通に会話程度はこなせるようになっていた。


「あー、コスプレしてみたいな」


しかしたまに出る堀北の唐突な願望には未だ返答できるまでには至っていなかった。


「花木さんはさ、何かやりたいこととかないの?」


「特には」


「些細なことでもいいんだよ? テレビでやってた美味しそうなスイーツが食べたいとか、猫とじゃれ合いたいとか、大金持ちになりたいとか」


「最後のは些細じゃなくない?」


栞は起きている時間の大半を読書に費やしているため、流行りのものや同年代の人が喜ぶようなものは何一つわからなかった。


「私は本が読めればそれでいい」


堀北はうーんと腕を組んで悩んでいた。そんな堀北を横目に見ながら、栞は別のことを考えていた。それは堀北が野球部を辞めた理由についてだった。


話の中で堀北は二年生に上がるときに野球部を辞めたと言っていた。嫌になって辞めたわけではなさそうな話し方だったため、何か辞めざるを得ない事情があったのだろうかと、栞はあの日から気になっているものの本人に訊けずにいた。


「ねえ、本屋行かない?」


「本屋?」


「都心にあるでっかいとこ! そしたら花木さんもまだ読んだことない本あるでしょ?」


確かに最近は新刊を買わず、図書室で借りた本や古本屋で買った本を読んでいた。栞の金銭事情は母親の給料日にポンとお金が置いてある分を使って一ヶ月やりくりするというもので、金額が多い月もあれば少ない月もある。今月はいつもより少なく、本に費やすことができる小遣いが少なかった。


「まあ、行ってもいいけど」


「ホント!? じゃあ行こ!」


堀北はさっさと立ち上がり、栞は堀北を追いかけるように図書室を出た。


いつも暗くなってから帰るため、外が明るいうちに帰るのは不思議な感じがした。横切る校庭からは部活動に励む生徒の声が聞こえ、その中に野球部の声もあった。


すると前方から、校舎へ向かう一人の野球部員の姿が見えた。野球部員は一度栞と堀北を見ると、さっと目を伏せて横を通りすぎた。堀北を見ると少し寂しそうな表情をしていた。


「堀北!」


振り返ると、通る過ぎた野球部員が立ち止まって堀北を見据えていた。


「お前が野球辞めた理由ってそいつかよ」


「花木さんは関係ないよ」


栞は堀北と野球部員を交互に見比べ、険悪な空気に焦りを感じていた。栞が横にいるためにあらぬ疑いがかけられてしまっている。


「じゃあ、なんで俺に一言も言わずに辞めたんだよ。お前が抜けた穴を俺は今埋めてるんだぞ。そんなんで手に入れた場所は欲しくない」


野球部員の話から察するに、堀北がいなくなったことで彼は試合に出ることができるようになったということだろうか。自分の力ではなく、堀北の代わりとして就いた場所が気にくわないといった感じだ。


「どの道お前の方が上手かったよ。俺のことには忘れて野球を楽しめよ」


野球部員は堀北の言葉を聞いて、それ以上問いたださずに校舎へと消えていった。


「ごめんね。恥ずかしいところ見られた」


「いや、別に」


それから栞はなんとなく堀北と話しづらく、電車に乗ってから本屋に着くまでほとんど会話をしなかった。堀北もどこか考え込んでいるような様子だったが、本屋に着くと堀北は普段の調子に戻っていた。


「久々に来たけどやっぱでかいなぁ」


栞と堀北は文庫本コーナーへ行き、好きなように本を見て回った。新刊コーナーへ行くと一言伝えようと堀北を探していると、堀北はエッセイや実話が並ぶ本棚の前にいた。


栞は堀北に近づこうとして足を止めた。一冊の本をじっくりと見開く堀北を見てどこか違和感を覚えた。しかしそれが何なのか栞にはすぐわからなかった。栞に気付き、本を戻して栞のもとへやってきた堀北と新刊コーナーを見て回った。


「あ、俺この作家さん好き。完璧なハッピーエンドじゃなくて、少しモヤモヤするというか、妥協点みたいなところに落ち着く感じが現実感あるよね」


当然栞もその作家は知っていた。しかし栞は特別その作家が好きということはなかった。堀北の言うように現実感があるため、読んでいて妙に納得しすぎてしまうところが栞の求めているものとは少し違った。


「この本買おっと。花木さんはどうする?」


栞は少し悩んで新刊を二冊手に取った。二人でレジに並んで本を買い、堀北がお手洗いに行くというので栞は再び本を見て回った。


たまたま通りかかったエッセイが並ぶ本棚の前で栞は立ち止まった。普段は小説コーナー以外にはほとんど立ち寄らないため、栞にとっては新鮮だった。


栞は『僕と妻の闘病日誌』という本を手に取った。先ほどチラッと見えた、堀北が読んでいた本だ。この本は余命宣告をされた妻を支え、残りわずかの夫婦の時間を生きる実話だった。時折妻の日記の一部が引用されていて、残り短い命と向き合う人の生の声が知ることができる。


「あ、いたいた。お待たせー」


栞は近づく堀北にバレないように素早く本を戻した。


「花木さん小説以外も読むの?」


「いや、ちょっと気になっただけ」


堀北はそっか、と言って目を細めた。


「この後時間あるなら静かなカフェで本読んでいかない?」


栞はいずれにせよすぐに家に帰るつもりはなかったので、堀北の提案を受け入れた。 栞と堀北は、本屋を出て駅とは反対方向に少し歩いたところにある喫茶店に入った。

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