#6 投獄は単なる始まりに過ぎなかった

 寒い……ここはあの大通りよりも寒い……。

 どうして俺はこんなところで震えているんだ?

 寒さが少なかった分、さっきの牢屋の方がまだマシだ。

 ああ……どうして俺は……チョウヒさん……ごめん。




 数時間前、俺は地球人ギルドに足を踏み入れた。

 内装は日本の古い自治体のお役所といった感じ。もしくは昔の大病院の待合室。


 そこで俺だけ個室へと通され、まずアンケートを書かされた。「この内容は決して召喚者側には見せません」と前置きされた上で。

 地球でのこと、こちらでの登録名、それから召喚者に対する印象など。

 もしも召喚された環境が、俺を養うに足る環境でないのであれば、地球人ギルド側で身元を引き受けることも可能だと何度か念押しされた。

 召喚された人が若かった場合、ゲンチ人側が本来守るべき事柄を守らないことがたまにあるから、と。

 言外にほのめかされた過去の実績が、やけに重く感じられる。


 それから地球人ガイドの最新版を渡されて、内容をざっと駆け足で説明される。

 既に読んでいる前半部分はチョウヒさんのとこの本棚にあったのと内容はほとんど変わらない。

 さらにはまだ読んでいない項目まで説明された。

 特に丁寧に教えてもらったのはギルドとパーティについて。


 ゲンチにおいては、ギルドというのは国か、国に認められた団体のみが名乗ることを許される公的機関のようなもので、どこのギルドに所属できているかがそのまま個人の信用情報となる。

 国民ギルド、地球人ギルド、銀行ギルド、などなど。これらを公式ギルドとも呼ぶ。


 パーティには二種類あって、前出の公式ギルドに加入することを「公式パーティを組む」と言い、俺とチョウヒさんが組んだような個人で集まって組むのは個別パーティと区分けされるようだ。


 説明の後、俺は地球人ギルドへ加入した。

 登録名は当然ノリヲ。


 そこで解放されるかと思いきや「シアター」へ案内された。

 地球人ギルドを通り抜けた隣の建物で、映画館というよりは、中くらいの劇場といった印象だった。

 床より一メートルほど高くなった舞台、その背面の壁一面に、大きな白い布がピシッと張られた巨大スクリーン。

 舞台から見える二百、いや三百はある座席は階段状に配置されている。

 座席は満席で、立ち見まで居る……いや、一番先頭の真ん中の席、チョウヒさんの隣の席が空いている。

 地球人ギルドの職員さんに、その一つだけの空席へと案内された。


 スクリーンに映っていたのは……クレイアニメ。

 しかも見覚えがある……地球の、あのけっこう有名な羊の奴。

 どうして地球の番組がゲンチで、という疑問にはトト支部長が答えてくれた。


 トト支部長の天啓は【記憶映写】。トト支部長の触れた相手が思い浮かべた記憶を一枚のスクリーンへ映し出すことができるというもの。

 確かにスクリーンには、クレイアニメそのものではなく、それが映っているテレビごと。

 記憶の捏造はできない代わりに、きっかけとなる部分を思いだすことさえできれば、本人が忘れてしまったと思う部分までも無意識下の領域から拾ってきて補完してくれるとのこと。

 一時停止や早送り、映写する記憶の切り替えは、記憶を提供している者がコントロールできるという……今思えば、あの誘いに乗らなきゃ良かったんだが……そのときは、映像の内容次第ではおひねりがもらえるなどという言葉につい乗せられ舞台へ上がるのを了承してしまった。


 クレイアニメの記憶を持つ人と入れ違いに舞台へと上がる。

 舞台へ上がると客席から「いよっ! 新会長!」と威勢の良い掛け声がかかる。真チョウヒ様ファンクラブの連中も一画を陣取っているようだ。

 新しい映画やドラマ、お笑い、スター選手の出るスポーツの試合、有名ユーチューバーの配信、動物モノが人気だと説明を受ける。

 会社と自宅の往復しかしていない社畜な俺だったが、癒やされるために猫動画を観ていた話をすると、観客席からも猫コールが起きる。

 シアター内の熱気に背中を押された俺は、トト支部長の手を取った。


 巨大なスクリーンいっぱいに映し出される、自宅のタブレット端末と、それを持つ俺の手。

 俺の目の位置にカメラがあるかのように、そして本当にきっかけを思い出しただけで確かにあの日観た猫動画が再生されている。

 耳馴染みのあるBGMが聞こえはじめて……音までちゃんと再生されているのには驚いた。

 客席からは「もちすけさんだ」とか「あのギネスの」とかのヒソヒソ声。

 つつがなく動画を一本見終わり、そのあと同じチャンネルの別動画を何本か再生する……本当に俺の記憶の通りだ。


 何本か観た後で、記憶の俺が登録チャンネルの一覧を表示させると、客席から他の猫動画についてもリクエストが上がる。

 幸いどれも観たのばかり……タイピーエンさんとこの猫ちゃんたち、なんともいえない愛嬌があるもんきち、黒白のうにちゃん……今思えば……あのとき、観客の皆さんと一体になって自分の記憶にある猫動画を眺めていたときは幸せだった。

 おひねりもたくさん飛んできた。

 チョウヒさんも舞台の上にまで上がってきて、俺の手を取って上下に振った。これだけの人に好意的に受け入れられたことなんて、俺もチョウヒさんも恐らく人生で初めて。だから、俺も、チョウヒさんもちょっとたかぶっていた。


 上下に振られる俺の手。感極まった表情のチョウヒさん……だからつい、思い出しちゃったんだ……巨大白スライムを倒したあと、俺の手を取り振っていたあのチョウヒさんの姿を。

 観客席から野太い「おおおおおおっ」という今日イチの大歓声。

 俺がスクリーンへ視線を映すと、そこにはチョウヒさんのあられもない上半身が。


 直後、左頬に強い衝撃を受け、俺は意識を失った。




 目が覚めたとき、俺は既に拘束されていた。

 周りには制服姿の屈強そうな男たち……カラーが高く学ランっぽい印象を与える小豆色の制服に、ヘルメットも小豆色。腰には帯剣しているのが見える。


 トト支部長が日本語で説明してくれる。


「結婚前の貴族階級の子女に辱めを与える行為には厳罰が与えられる、というゲンチの法律がありましてね。ノリヲ様の先程の行為がそれにあたると通報があったようです。チョウヒ様はノリヲ様のことをかばっていらっしゃるご様子だったので、重い刑にはならないとは思いますが、現時点ではノリヲ様が連行されるのを止められる術は、私どもにはございません。しばしの間、ご辛抱くださいますよう」


 いや、悪いのは俺だ。

 よりによってチョウヒさんのあんな姿を大スクリーンに……俺は抵抗せず目隠しをされ、連行された。




 最初に連れてこられたのは今思えば普通の牢屋だった。

 通路の両側に鉄格子のはまった二畳ほどの小部屋が幾つも連続している、そんな場所。

 全てが石造りで窓はないのに、トイレのつもりか小さな木製桶が部屋の隅に置いてある。

 だからものすごく臭い。


 俺の放り込まれた場所の向かいには、いかにも人相の悪い男が両手で鉄格子に顔を押し付けている……シャイニングのあの親父に似ているな。

 部屋の中よりは通路の方が臭いがマシなのかなと俺も真似をしたところ、唾を吐いてきた。

 ついカッとなって、男の額に見えていた海苔を剥がした……後で、手の届かない場所でも海苔が見えさえすれば剥がせるのだと気付く。


 男は突然自慢話を始めた……ちょいワルどころか結構な悪党武勇伝を……それを聞きつけてやってきた巡回の牢番二名。

 例の小豆色装備。どうやらこの格好はオウコク王国の衛兵の制服のようだ。

 その衛兵の片方にも海苔が見えた。情報収集のつもりで、俺はそれも剥がした。


「俺の名前はラッカだ」


 元冒険者だった彼は、相棒が収入の安定した定職につきたいと冒険者を引退したので一緒に辞め、今はこうして衛兵をしていると……相棒というのが今一緒に牢番をしているもう一人の衛兵とのこと。


「今、そんな話をしている場合じゃ」


「なんだよグラ、妬いているのか?」


 最初は事情が飲み込めなかった。

 だが、ラッカはグラの唇を奪い、グラはグラで途端にしおらしくなり、あろうことか二人は俺の牢の前でいちゃつき始めた。


 別にゲイのカップルに対して偏見はない。

 しかしグラが鉄格子を両手でつかみ、ラッカはその後ろからグラの手に自分の手を重ね……そのラッカのズボンが少し下がっていることに気付いた俺は、目を逸らした。

 まさかこんな所で何かしているとは思いたくないが、同い年ぐらいの男の惚けた顔など正直見たくない。

 おまけにラッカがしきりに「一緒に堕ちよう」などと繰り返すから、目だけじゃなく耳も塞ぎ、鉄格子から一番遠い壁際に縮こまっていた。


 突然、蹴り上げられた。

 牢の中に衛兵が入ってきていた。

 蹴った衛兵の後ろにはラッカとグラ……もちろんズボンは履いている。


「お前が手引したんだな?」


 そう言われてまた蹴られた。

 衛兵のブーツの先には金属の覆いが付いているようで、凄まじく痛い。

 俺が事情を尋ねようとすると、今度は殴られた。

 どうやら俺の向かいの牢に居たあのジャック・ニコルソン似が、ずり下がったラッカのズボンから鍵をうまく手繰り寄せ脱獄したらしい。もちろん建物から出る前に簡単に捕まったとのことだが、その脱獄も衛兵二人の油断も全部俺のせいということにされていた。

 途中、ラッカが俺を庇おうとしてくれたが、ラッカまでその衛兵に蹴られてしまった。


 俺は蹴飛ばされながら、この地下深い独房へと連れてこられた。

 体中が痛くてたまらないし、底冷えのレベルも半端ない。

 おまけに耐えられないほどの睡魔。

 こんな寒さの中で寝たらヤバいんじゃないのか……その思考さえもいつの間にか、俺は手放していた。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 お世話になったチョウヒさんの見せてはいけない姿をうっかり大勢の前に晒して投獄された。本当に申し訳ない。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した。

 大画面に自分の裸体を晒した俺をあろうことかかばってくれたらしい。俺のせいで本当に申し訳ない。


・トト支部長

 地球人ギルドのオウコク支部長で、触れた相手の記憶を映写する【記憶映写】という天啓を持つ。

 ジェントルなダンディだけど……あそこでこの人の手を取ったりしなければ……。


・ラッカとグラ

 元冒険者の衛兵たち。情報収集目的で剥がした海苔のせいで、まさかの事件に。

 俺のせいで本当に申し訳ない。


・ジャック・ニコルソン似の男

 衛兵たちの会話が耳に入ったのだが、脱獄のせいで罪が重くなったらしい。

 俺のせいで本当に申し訳ない。

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