何の取り柄もないオッサンが地球人の珍しくない異世界で生き延びるには海苔だけが頼り
だんぞう
#1 全裸召喚のち海苔との遭遇
皆さん、全裸であぐらをかいている自分の股間を美少女にじっと見つめられたことはありますか?
俺はない……でした。
思考が固まると、肉体も固まる。
だから、反応がちょっと遅れた。
左手で慌てて股間を覆い、右手で美少女の目を覆って隠そうとした……ん?
「■」
目の前に
宙に浮き、黒々と空間を塗り潰す存在感。
その
幻覚?
頬をつねるが、普通に痛い。
美少女が今度は俺の股間ではなく顔を見つめている。美少女の頬と耳とが赤く染まっている。
素早く周囲を見回す。
壁は三方向が床から天井まで本で埋め尽くされた本棚。窓はない。
美少女の背後には怪しい器具がたくさん乗った大机と、さらにその向こうにはこの部屋唯一の扉。
そして今気づいたのだが、俺のケツの下には……魔法陣?
なにこれ。
「■」
美少女の、桜貝のように淡いピンク色の唇が動いている。
「■」
ん? なんたこのノイズ……美少女がしゃべってるのか?
でもノイズにしか聞こえない。
美少女は見た感じ高校生くらい……長い黒髪に端正な顔立ち。
なぜかメイド服を着ている。
それに引き換え俺は全裸のアラサー。
どう見ても俺が加害者だよね。美少女が未成年でなかったとしても社会的に死んだも同然……って待て待て待て。どうしてこうなった?
「あの……何か着られるものはないですか?」
美少女は首を傾げる。
どうやら相手の言葉がわからないのは俺だけじゃないようだ。
どうしろってんだ……俺の脳内セルフ突っ込みに腹の虫が答える。
「■」
美少女がまた何かしゃべっ……ている間だけなのか空中にこの
とっさに指を伸ばしてその
「……今、お持ちしますのでっ!」
美少女の声?
声もしっかり可愛い……じゃなくて。
今剥がした
美少女はキョロキョロする俺にかまうことなく立ち上がり、部屋の外へと出て行った。
鍵をかけた気配はない。
よし、今のうちに脱出……って全裸でか?
とりあえず着るものが欲しい。絶対欲しい。
改めて辺りを見回すが、予算が多いファンタジー映画のセットのような凝った造り。
本棚の本は一冊一冊取り出せる……ただし何が書いてあるのかわからないが……筆記体っぽいが英語とは違う。
本で股間を隠せなくもないが……ってアレいいんじゃないか?
本棚のない側の壁には扉の両脇にガラス戸棚がある。
中に並べてあるものになぜか理科室を感じる戸棚。その戸棚の上の隅に帽子を発見した。
おとぎ話の魔法使いがかぶってそうな、つばの広いトンガリ帽子……手に取り、埃を吹いて……うん。これなら十分に股間を隠せるな。
と安堵した俺の視界を一瞬横切った日本語!
本棚を見返す……あった。
薄い小冊子だけど、背表紙に確かに書いてある。『地球人ガイド』って……地球人?
なにここ宇宙人の秘密基地?
もしかして俺、宇宙人にさらわれたの?
解剖されるとこだったとか?
「あーっ!」
さっきの美少女の叫び声。
「な、な、な、なにやってるんですかっ! だ、大事な帽子にっ!」
美少女が両手で持っていたトレーを大机の上に乱暴に置くと、トレーの上で大きな白い丸パンと黄色い液体の入ったスープが荒々しく踊る。
「いや、あの、だっ大丈夫。中に触れてはないですからっ」
意味を察したのか、美少女の顔がさらに真っ赤になる。
「……えっと、何か羽織るもの探してきます!」
美少女はメイド服を翻し、再び部屋から走り去った。
トレーに乗っていたのは食事っぽい……となると俺は実験
いやでもドッキリとかの可能性も……自分の記憶を必死に
また腹が鳴る。
俺は観念して、大机の上に置き去りの白パンに手をつけた……毒じゃありませんように……。
うわっ、もっちもち!
口に放り込むとほんのり甘い香りがする。この甘さ……果実み……ピーチ系?
このままでもいけるけど、せっかくスープもあるんだし……スプーンの類がないので白パンを浸して食べてみる。
おー。パンにすげぇ合う。
コーンスープっぽい。塩味もちょうどいい。空腹は最高のなんたらとか言うが、これは普通に食べても美味いやつ。
あっという間にパンもスープも平らげてしまった。
さて。腹も落ち着いたので早速『地球人ガイド』とやらを読んでみよう。
手を洗ったり拭いたりする道具が見当たらなかったのでパンは右手だけで食べた。
本は左手だけで読もう。
大机の上、入り口から見て股間が隠れる位置にとんがり帽子を置き、早速ページをめくる。
『(0)はじめに
ようこそ、ゲンチへ。
あなたは地球からゲンチへと召喚されました。
ゲンチというのはこの世界の名前です。』
現実味のない書き出し。
小説?
それとも何かお芝居とか映画とかの台本?
でもそれにしちゃ薄っぺらいよな。
続けて次のページは……『(1)魔力』……魔力だって?
魔石というのを飲むと魔法が使えるようになると書かれている。
魔力を得るとゲンチ人と会話できるようになるとも。
それだけならばまだ良いが、魔力を得ると、殺されたときに魔石を出すようになって、それゆえの殺人もあるとか……穏やかではない。
あれ?
俺、今あの美少女と会話できているよね?
もしかしていつの間にか魔力とやらを得てしまっている?
そして狩られる?
突然、心細くなる。
今の今まで「死」なんてものは全く意識していなかった。
殺されるかもしれない……そんなこと、日常でそうそう考えるものではない。
あっ……だからフォークとかスプーンとか、武器になりそうなものがなかったのか?
そんなときに扉が勢いよく開いたから、俺はとっさに大机の影に隠れてしまった。
「あの、シーツしかありませんが……これを何枚でも使っていただいて……あれ? ……地球人さん?」
美少女の不安げな声。
隠れたはいいが、こんな場所すぐ見つかるだろう。
だから問題はこれからどうするかという……隙を見つけるのか、それとも対決すべきなのか……ん?
泣いてる?
「……やっぱり……私、ひとりぼっちなんだ……」
その声が、俺の胸に深く刺さった。
演技とは思えなかった。
この子は純粋な善意で俺を助けてくれているのかもしれない。
それに、この子と戦うとか、きっと俺にはできっこない。
「す、すみません。本棚から勝手にお借りした本を床に落としてしまって、拾おうとしゃがんでいました」
俺はゆっくり立ち上がる……隠れるときに持ったままだった『地球人ガイド』で股間を隠しながら。
半泣きの美少女が俺をじっと見つめている。
その手には大量の……白い布?
「こちらこそごめんなさい。取り乱してしまいました。服はメイド服しかなくて……で、こちらはシーツなんですけど、何枚使われても構いませんので」
大机の端にのっさり置かれたシーツに伸ばしかけた手が止まる。
涙が溢れかけている美少女の額に、また
さっき剥がしたときは会話ができるようになった……じゃあ今度は?
美少女の額へと手を伸ばす。
気付いている様子はない……彼女の肩がピクリと動いたことに慌てて、思わず
「……ずっと……ずっと……寂しかったんです……」
美少女が語り始めた。
剥がした
俺はとりあえずシーツを体に巻きながら静かに話を聞くことにした。
俺を召喚したと言い張る彼女の名前は、チョウヒ・ゴクシ。十八歳なので俺のちょうど十個下だ。
十年前の魔王襲来時に討伐に加わったチョウヒさんの父トメテクレルナオッカさんは戦いの最中に命を落とした。
チョウヒさんは兄弟もなく、母も既に他界していたので最後の肉親を失ったことになる。
中貴族だったゴクシ家は、チョウヒさんがその時点で婿を取ることを拒んだため、実質的なお取り潰し。
屋敷にあった金目のものは、当時の使用人たちへの退職金に充てようと手配したが、それをお願いした出入りの商人にほとんど着服され、残ったのは屋敷と敷地のみ。
遺族年金代わりにチョウヒさんにかかる税が十年間免除とはなったが、当時のチョウヒさんはまだ八歳。
見るに見かねたゴクシ家の元メイド長ソダテノカーさんが無給でチョウヒさんを育ててくれた。
やがて来たる税金免除がなくなる日を越えてもチョウヒさんがちゃんと生きていけるようにと、ソダテノカーさんが持つメイド術を叩き込んでくれた……が、そんな第二の肉親さえも、三年前に体を壊されて亡くなられたという。
「それで白パン屋さんを始めたんです」
「ああ、もしかしてさっきの……美味しかったです。ほんのり香る甘い香りがとてもいいですね」
「……恥ずかしいです」
両手で顔を覆って照れるチョウヒさんの肩へ、天井から何やら白いものが垂れ下がってきた。
● 主な登場人物
・俺
ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚されたっぽい。二十八歳。
空中に出現した
・チョウヒ・ゴクシ
かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。
俺を召喚したと言い張る。可哀想な生い立ちのようだ。
・トメテクレルナオッカ・ゴクシ
チョウヒさんの父親。十年前の魔王討伐に加入し、帰らぬ人となったらしい。合掌。
・ソダテノカー
家族を失ったチョウヒさんに手を差し伸べた元メイド長……らしいけど、話を聞く限りメイド術ってのが何か怪しい。
三年前に亡くなられたようです。合掌。
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