第49話 最終局面 真

 人々から忘れられた土地には、いつの間にやら魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいが住み着き魔都と化す。


 化け物どもは隙をうかがっている。夕闇の影で。誰も居なくなった校舎の屋上で。人々が警戒を怠ると、物に憑りつき擬人化する。

 そうなれば止まらない。

 その土地は、記憶から本格的に抹消されて、やがて地図から消える。

 

 ここ奈良は、四十七都道府県の中でも、比較的早めに魔都化が始まったが、優秀な神使しんしが派遣されたおかげで、未だに完全な魔都化を許していない。

 派遣された神使の名は、鹿目征十郎しかめせいじゅうろう神鹿機関シンロクキカンの神童と呼ばれた男である。


「…………あのぅ」

 

「……普段は、ちょっぴり頼りない所もあるが、腕利きの仕事人エージェントである。……ウヘヘ」


「もうええで! 前! いや、上! 分かった分かった! 誰かに会うたら、ちゃんとそう言っとくから、集中してや!」


「そ、そうか。安心した」


 前からブツブツ流れて来る鹿目の世迷言よまよいごとを、千春は必死で受け流している。一方、武くんは、関わらない事に決めたようだ。目が死んでいる。


 鹿目は腹をくくった。

 決死の覚悟のようだ。

 だが、フラフラ戦いながら、隣人に最期の言葉を託すのは止めて欲しい。私は、お前の母親ではないと、千春は文句を言いたくなった。

 

 鹿目達が見上げる空は、暗雲が立ち込め闇夜のようだ。眺めていると、はじめは点のように小さいが、徐々に存在感を増しながら、様々な物が降ってくる。

 多いのは松の木だ。

 立派な松の木が、逆さまになったロケットのように落ちて来る。

 次に木造の建造物。

 法隆寺の敷地内には、様々な文化遺産があったはずだから、それらが途中でポキリと折れて、あろうことか宙を舞っていた。もちろん瓦や石のように、細々こまごまとした物まで例外なくだ。

 恐らくは重力が出鱈目でたらめに働いている。西の方から、あらゆる物を巻き上げて、土地の崩壊が近付いて来ていた。


 そんな、ごちゃごちゃとした暗い空に、ポツンと輝く一等星。唯一淡い光を放つ星は、遥か上空に浮かぶ法隆寺の姿だった。その星を中心として、空間が大きく脈打つ。放たれた無色の波が、水紋のように広がって降り注ぐ松を一瞬で塵に変えた。

 波は、鹿目たちが居座る大講堂の屋根にも迫って来る。


 こいつは、空気を伝播する波動のようなものかと鹿目は見極めた。この波動に触れてしまうと、時が進むようだ。原型を保てないほどに。

 鹿目は、七星剣の切っ先から延々と伸びる光の刃を利用して、到達前の波を叩く。あらぬ方向に光は屈折したが、波は霧散した。

 実はこの攻防を、すでに何度も繰り返している。

 

「……神使ぃぃ。もう諦め時じゃ……。はよう楽になれ」


 法隆寺は、イラついて呟いた。

 事の成り行きは、もはや決定しているのに、そこまで辿り着けない。風に翻弄されるボロ衣のような神使を、中々仕留めることが出来ない。


 ――未来は変えられぬぞ、神使しんし


 法隆寺が、しぶとい鹿目達に痺れを切らしたようで、たまに大きな隙を見せ始める。身体を周回していた二本の鎌は、軌道を外れてぶつかり合い、彼方に飛んで行ってしまった。有り得ないミスだ。

 ここで、畳み掛けるように攻勢を強めたいが、燃費の悪い鹿目が先にをあげた。


「くそ……! そろそろ限界だ! 腕が上がらん!」


「しょうもない今生こんじょうの別れを言ってるからや!」


 千春が、鹿目の背中をペチンと叩く。


「いてっ……。ハァハァ、ハァハァ……」


 鹿目の肩が、上下に激しく揺れている。

 荒い息が止まらない。

 意識を保っておかないと、作り出した七星剣が土塊つちくれに変わってしまうのだ。天音大佐のような、格の高い神使が作る剣とは質が違う。面倒な制約が多い。


 ――ちっ。猛烈に眠い。


 鹿目は昏倒してしまわぬよう、何度も頭を振る。すると、空から星が落ちて来た。辛抱の限界に達した法隆寺が、鹿目達の目線の高さまで舞い降りて来たのだ。


『迎撃態勢! 来るよ!』


 雪丸の警告。

 刹那、天女の羽衣をひるがえして、法隆寺は跳躍する。残った鎌を両手に持って襲ってきた。

 まるで、命を狩り取る死神のようだった。美しい大人の女性の姿をしていたが、髪を振り乱し、見る影もない。


 法隆寺がすれ違い様に、手に持った鎌を片方投げた。

 わずか数メートルの距離だ。

 構えていようが対応が難しい。

 それでも、側面から迫る脅威に鹿目は反応したが、思うように力が出ず七星剣が振れない。咄嗟に千春を押しのけながら反り返ると、鎌は、鹿目の鼻先を通り過ぎた。そして、すぐにブーメランのように虚空で反転し後方へ流れた。

 嫌な予感がして、鹿目は首を目一杯ひねる。


「大丈夫か武くん!」


「……あ、あかん。やられた……」


 武くんが弱々しい声を出す。

 右の脇腹に鎌が刺さっていた。刃の部分が半分以上も、身体の中に埋まっている。

 最悪だと鹿目は歯噛みした。

 躱すだけで精一杯だった。鎌はつばめのように空を泳ぎ、武くんの五臓六腑ごぞうろっぷに突き刺さってしまった。


「嘘やん! これ血!?」


 千春が武くんの方に伸ばした手は、一瞬で真っ赤になった。雪丸の白い毛にも、血はどんどん広がっていく。


『駄目だ! 手当は後回しだよ。今は前を向くんだ!』


 半身になっている千春を、雪丸がたしなめた。

 すれ違った法隆寺が、大講堂の屋根の端に着地して、早くも次の攻撃に移ろうとしているからだ。

 法隆寺の周りには、激しく旋風つむじが舞っているようで、髪や衣装が巻き上がっている。まるで、法隆寺を守る風の壁でもあるようだ。屋根の瓦が無数に飛ばされて、暗い空に消えて行った。


「……クククッ。次は首を飛ばす」


「てめぇ!」


 鹿目の意識は、途切れそうであったが、怒りが身体を駆け巡って覚醒した。法隆寺が走り寄ってくるのに合わせて、小刻みに痙攣しながら必死で七星剣を持ち上げる。そこに血で染まった千春の右手が添えられた。剣の震えは止まったが、千春が泣いているのが嫌でも伝わってくる。


「神使! もうこれで決めて! 武くん重症や! 早くしないと死んじゃう!」


『オオオオーン!』


 雪丸が虚空に向けて雄叫びを上げると、七星剣から伸びる光の刃に、いく筋もの稲妻が吸い込まれた。胴ほどであった光の太さが増す。それは二倍にも、三倍にも。

 鹿目は後先考えず、力を気力を霊力を、とにかく、身体に残っているだろうエネルギーを右腕に込めた。間違いなく明日は筋肉痛だ。


 ――奈良を返してもらうぞ!


「ハァハァ! くたばれ法隆寺! お前の夢は、もう終わりだ!!」

 

「――――!!」


 法隆寺にとっては予想外の攻撃だったのかも知れない。七星剣から伸びる光の刃は、稲妻のエネルギーを吸収して際限なく膨らんでいた。

 鹿目が剣を振り下ろす頃には、西の空一体が輝きに包まれ、それが法隆寺の頭上に落ちて来たようになる。


 光は法隆寺を包み込んだ。

 大きなギラついた太陽が、地球に衝突したようだった。大講堂の屋根が、半分も球状に切り取られる。居合わせた者達の想いを詰め込んだ一撃が、疾走する闇をとらえた。


「ぎゃああああ!! や、やめろぉぉ。し、神使ぃぃ! 何をするぅ! やめておくれぇぇ!」

 

 おぞましい声がする。

 白いスクリーンに映し出された影がわめいている。はじめは、フワフワと踊っているように見えた。段々と、それは陽炎のように頼りなくなっていく。


 ――消えていく。

 眩しい光に耐えながら、鹿目は思った。七星剣を掴んだ右腕は、すでにだらんと垂れている。

 世界最古の木造建造物、法隆寺の本堂に憑りついた化け物。

 豊聡耳トヨサトミミの弱みにつけ込み、神格ですらも手駒として使った恐ろしい化け物だった。

 被害を被ったのは、奈良だけではない。

 取り返しのつかないダメージを、この国は負ってしまった。


 国家の兵。

 最後の神使が、魔都化を止めた。

 ――ようやく止められた。

 右手を離れた七星剣が、土塊に変わりながら、黒いうねりに落ちていく。

 鹿目の視界は、いよいよ狭くなった。




「……などと、たわむれじゃ。勝利の余韻を楽しめたかえ? ……神使ぃぃ」

 

 若い女の声がすると、急に気温が下がった。

 法隆寺を包み込んだ光球は、目の前にくすぶっていた。その中で影が、まだ揺れている。そこから声がする。


「今回でしまいじゃと思ったが……クククッ。残念、残念」


「ハァハァ……! くそぉ、まだ生きているのか! しぶとい!」


 声を絞り出すと、鹿目は意識を失いかける。


「いやいや、お前たちの勝ちだよ。妾の負け。従って、もう一度やり直す。今から時間を巻き戻す」


「て、てめぇ……。や、やめろ。……ハァハァ」


 雪丸の声が聞こえたので下を向くと、大講堂の周りの地面が消えていた。巨大な暗闇が横たわっている。


「きゃあ! 何これ!?」


 千春が取り乱した。

 そして、大講堂の屋根も消えた。

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