第37話 雪丸

 靴箱が並べられた玄関を飛び出ると、正門付近で武器を持った男達が、何かを取り囲んで騒いでいた。体育館に居た男達が全員集まっているようで、緊迫している様子がうかがえる。その男達の頭上の空は、真っ暗だった。やたらと天井が低く、嫌な予感がした。

 武くんが男達の背中に向かって、大声で指示を出す。


「二歩下がれ! 無理すんなよ! 神使プロが居るからな!」

 

 鹿目征十郎しかめせいじゅうろうと千春、それから武くんが、人が作っていた壁を掻き分けて前に出ると、白い犬が、ちょこんとお座りをしているだけだった。周囲を確認しても化け物など何処にも居ない。鹿目は拍子抜けしたが、同時に驚いた。


「ワンちゃんじゃないか! 無事だったか!」


 行儀よくお座りしているのは、一緒に西院伽藍さいいんがらんの穴に落ちたワンちゃんだった。どこも怪我をしていないようで、ハッハ、ハッハと舌を出している。ここは、十五年も時が過ぎてしまった世界なのに、呑気なもんだと鹿目は思った。


神使しんしの犬なん?」


 千春が声をかけてくる。鹿目は「そうだ」と答えた。


「飼ってる訳じゃないんだが、何と言うか腐れ縁でな。まさか一緒にタイムスリップしちまうとは……。元気だったかワンちゃん? 俺達ついてないよな」


 この世界に、ぽんっと放り込まれたような鹿目の立場からだと、このワンちゃんだけが同じ境遇である唯一の仲間だ。そばに居てくれるだけで、とても嬉しかった。 

 頭を撫でてやろうと一歩進むと、後ろの取り巻き達から、鹿目を制止するための声がした。その迫力に、思わず鹿目は背筋が伸びる。


「びっくりするだろ! 大声を出すな!」


 心臓の高鳴りを感じながら、鹿目は抗議する。鹿目には、集まった人達が何に怯えているのか分からない。千春や武くんも同様のようだ。現状を確認するべく、近くの男性に詳細を問いただすような事をしている。

 鹿目は、忠告を無視して犬の頭を撫でてやった。犬は大人しく頭を差し出している。


「このワンちゃんなら、俺の連れだからな。大人しくて賢い犬だよ。よしよし、いい子だ」


 鹿目は屈んで、今度は、両手で首の辺りをさすってやる。スキンシップが加速した。犬は気持ちよさそうに目を細めている。後ろが、少しどよめいたが、気にしなかった。

 武くんが遠慮がちに、鹿目の背中に向かって声をかけてくる。


「神使。皆が、そのワンちゃんが化け物や言うてるけど」


「はあ? いや、だから俺の連れだって。ただの犬だぞ」


「そうやな。俺にも普通のワンちゃんに見えるけどな。だけど、念のために少し離れたほうがええんちゃう?」


「あのなぁ。俺はプロだぞ。化け物がいたら気配で分かる」


 武くんの心配はよそに、鹿目はいきどおる。擬人化した南大門に、見事に騙された過去はあるが、それでも意識を集中させれば、不穏な気配ぐらいは感じ取れる。今、間違いなく学校の周辺には、からぬ奴等は居ない筈だ。


「そのワンちゃんが訪ねて来てな……」


 言いながら千春が一歩前に出る。


「こちらに、黒いカッパを着た神使がいませんか~て、見張りの人に聞いてんて」


「それは俺の事だな。誰が訪ねて来たって?」


「そのワンちゃん」


「…………」


 鹿目は、撫でる手を止めてワンちゃんを見た。ピタリと目が合う。ワンちゃんの黒い瞳には、何だか思慮深い知的な雰囲気が漂っている。多分に気のせいかも知れないが……。

 すると、次の瞬間。

 目の前から、澄んだ少年のような声がした。


『探したぞ神使。僕を置いて行くなんて、酷いじゃないか』


「!!」


 鹿目は、弾かれるように立ち上がった。驚き過ぎて後退動作も一緒になってしまい、よく確認せずに斜め後に跳んだような形になった。前に出てきていた千春とぶつかってしまう。千春が短い悲鳴を上げた。二人がもつれて倒れそうになるのを、武くんが反射的に支える。


 予想も出来ない事が起こった。

 ワンちゃんから、男の子の声がする。場のどよめきが大きくなった。鹿目は、喉もカラカラにうめいて助けを求めた。


「……た、大変だ。わ、ワンちゃんが喋った。だ、誰か、専門の方を呼んで来てくれ」


「それはお前と違うんか?」


 武くんが、取り乱す鹿目に厳しい突っ込みを入れる。武くんが支えてくれなかったら、千春に怪我をさせてしまったかも知れない。鹿目は千春に気を遣いながら、一人で立った。


「俺は化け物専門だ。はっきり言うが、このワンちゃんは違うぞ。化け物じゃない。そんな気配はまったくしない」


『そうだよ。僕は化け物じゃない。霊獣れいじゅうというやつさ』


「また喋ったぁぁ!!」


 鹿目が大袈裟に、いちいち驚くので周りが釣られてパニックが広がる。千春と武くんが静かにするように声をあげた。千春に関しては、少し怒っている。


『落ち着きなよ神使。迎えに来たんだよ。夢殿に行くんだろ? お供するよ』


 沢山の言葉を話すワンちゃんの口元は、言葉数に対して、それほど動いてはいない。下手くそな腹話術を見ているような、不思議な感覚がした。

 鹿目は、ようやく落ち着いて来て、座ったままのワンちゃんに質問する。


「ほ、本当にワンちゃんが喋っているんだな」


『そうだよ』


 幼い男の子のような声で、ワンちゃんは答える。


「いつからだ? いつから喋れるの?」


『いつからだって……。最初からかな?』


「何で教えてくれなかったんだ?」


『別に隠してた訳じゃないよ。黙っていてもお供させてくれたから、言う必要がなかった。君の上司は気が付いていたようだけど?』


「じょ、上司って天音大佐かぁ……。お供って……。何でついてくる?」


『そりゃ法隆寺を倒すためさ。なかなか強い力を持つ化け物だから、主人が力を貸してやれってさ』


「しゅ、主人だと? 一体誰だ?」


豊聡耳とよさとみみ


 その名を聞くと、鹿目を除いた人間達が、一斉に包囲の輪を広げた。それぞれが持っていた武器を構える。いきなり空気が尖った。すぐにでも戦闘が始まりそうだ。


「魔王の手先か!」


 男達の中で、誰かが叫んだ。

 ワンちゃんはゆっくりと、お座りの姿勢を解く。


『落ち着きなよ。僕は君達の味方さ。この世界の豊聡耳と僕は無関係だよ』


「何か知っているようだな」


 鹿目がそう言うと、犬は鼻で笑った。いや、笑ったように思えた。


『自己紹介をしておくね。僕は雪丸。千四百年前に、豊聡耳に飼われていた犬さ。ねえ神使。君の出番が来たよ。というか、もう神使は君しか居ない。このおかしな世界を、僕と一緒に修正しに行こうじゃないか』

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