第20話 謝罪

 肌触りが良い、清潔なタオルケットを肩まで引っ張り上げる。寝返りを打ちながら薄目を開けると、爽やかな朝の陽光が窓から差し込んでいた。

 まだまだ眠りたいと鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは思うが、何かの気配を感じて、急速に意識が覚醒した。


 ――誰かいる。


 すぐ隣に、誰かが寝ている。

 鹿目は、慌てて上半身を起こすと、タオルケットを剥ぎ取った。


「んんん……。眩しいやろ」


 中から出てきて文句を垂れるのは、ラーメン屋の女店主、菜月である。長い髪がティシャツの肩にまとわりついている。ホットパンツから細い足が生えているが、右足は太もも辺りから鋼色はがねいろに変色していた。

 魔都化の影響であるが、色が鋼だろうが白かろうが、魅惑的な肉付きをした若い女性の生足である事に違いはない。鹿目は狼狽うろたえるが、取り乱すのは必死で耐えた。

 菜月は、手で顔を覆いながら、眩しそうにしている。


「な、何をしている?」


 鹿目は状況が飲み込めなくて、自力での謎の解明は放棄する。かすかに頭が痛かった。


「え? 何って?」


 菜月は、きょとんとしている。


「何で俺の横で寝ているんだ?」


「まさか……、あんた、覚えてないんか?」


「え? なんだ? 俺が何かしたのか?」


「あんたが昨日酔っ払って、私を無理矢理連れ込んだんやろ! 何も覚えてへんの?」


 菜月の告白に、鹿目は衝撃を受けた。

 若い女性を拉致した挙げ句、操を奪ってしまったのかと。


 改めて置かれている状況を整理してみる。鹿目が寝ていたのは知らない部屋だ。足元の方にはふすまが見えている。一度も来たことがない部屋だ。

 昨日の夜を思い出してみる。

 武くんと佳世ちゃんの結婚式に参加していた。そこで酔っ払って上機嫌の田中正治から、飲めない酒をしこたま飲まされた。だが、その後の記憶がない。


 ――酔っ払った勢いで、やってしまった?


 鹿目は、自分に自信がない。

 状況証拠はふんだんに揃っている。

 菜月が言うことを、取り敢えずは真実として受け止める以外にない。


「す、すみませんでした!」


 鹿目は急いで敷布団から降りると、菜月に向かって土下座をした。額を畳にきつく当てて、わなわなと震えている。

 菜月は上半身を起こした。緩い首もとから、胸の谷間が見える。


「なんで謝るんや? 謝るって事は、遊びやったんやな! 酷い! 酷い男や!」


 菜月は勢いよく立ち上がると、部屋の戸を乱暴に開け、近くの階段を降りていった。ドタドタと降りながら、何やら大声で叫んでいる。


「千春~!! あの神使しんしが、お姉ちゃんをもてあそびよったで~!! 町内会長に言いつけてやって――!」


 ――他所よそに言うのは止めなさい。いや、止めてください。


 顔を上げた鹿目は、若い女性に酷い仕打ちをしてしまったと悔やんだ。

 奈良に来てから、何も楽しい事がなく心がすさんでいたのだ。それ程に、奈良は罪深い土地だった。

 思わず近くにいた、生きる力に溢れた美しい女性にすがってしまった。それが事の顛末てんまつであろう。


 ――誠心誠意謝るしかない。


 菜月が許してくれるまで、そうするしかないだろうと鹿目は思った。

 部屋の隅を見ると、レインコートが畳んで置いてあった。おそらく菜月がそうしてくれたのだろう。


 ――本当に悪い事をしてしまった。


 反省を繰り返しながら、鹿目はレインコートを羽織って部屋を出る。 

 菜月が降りて行った階段の下は台所になっており、テーブルで千春がパンをかじっていた。幼稚園の体操着を今日も着ている。

 どうやらここは、菜月と千春の住処のようだ。流し台の横の扉を抜ければ、ラーメン屋の店内に続いているのだろう。

 千春は鹿目を見たが、すぐに目をそらした。


「お、おはよう千春ちゃん。今日は晴れそうだね。あははは」


 爽やかに鹿目は挨拶をかます。一日の始まりだ。朝は元気よく行かなくてはいけない。


「最近晴れた事なんかないで。神使、お姉ちゃんに何かしたやろ?」


「んんん? なんの事だい?」


「お姉ちゃん泣かしたら、許さへんで」


 そう言うと、千春は牛乳を飲んだ。コップの横に小さな透明の瓶が置いてあった。中には砂が入っており、口の近くに紐が結んである。

 鹿目は、その瓶が気になった。


「わかってるよ。泣かさないように努力する。ところで、その瓶の砂って、ひょっとして吉田寺きちでんじかい?」


 千春は、話をすり替えようとする軽薄な男を、一度強力に睨んだ。 

 それから、ふぅ~とため息をついて、肩の力を抜く。


「そうや。庭にも埋めたけど、肌身離さず持っときたいねん」


 千春は助け出されたときに、吉田寺のなれの果ての砂を大量に持ち出していた。

 吉田寺は、次女のスミレとそっくりだったから、近くに置いておくと姉を思い出すのかも知れない。鹿目は感心した。


「なるほどね。紐で首から提げるのかい?」


「そうそう。ええやろ?」


「うん。とってもいいねぇ~」


 店の方から、何かを刻む音がした。まな板から聞こえる軽快なリズムだ。菜月が仕込みを始めたのであろう。鹿目は頭を掻きながら千春に言った。


「では、今から、お姉ちゃんに誠心誠意謝ってきます。つかぬことを聞きますが、俺が義理のお兄さんとかになっちゃったら、千春ちゃんは仲良くしてくれるかな?」


「え? 意味わからんけど?」


「ああ、ごめん。なんでもない。可能性の話だ」


「ふ~ん……」


 と言った千春は、恐らく理解していなかった。

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