アフィニティー
恋泉直樹
新天地
「ここはええなぁ」
狭山博は、丘の上に建つ大学のキャンパスのはずれに立って、遠く広がる町並みを見ながら背伸びした。町並みの手前にはポプラ並木のシルエットが行進でもしているかのように整然と続いていた。北国の空は青いと思っていたが、夕刻の青さは黒い深みさえたたえていて怖いくらいだと博は思う。そこに浮かんだ雲たちは対照的なあかね色が次第に濃くなって、太陽が傾くほど、浮きあがって見えはじめた。そんな天空の変化を夢中で眺める余り転びそうになった博を
「危ない!」と言って支える手があった。白いはずの女の顔が上空の雲と同じ色に染まって間近にあった。髪の匂いが草の匂いを消した。二人はもつれるようにして芝生の上に座り込んだ。
「こういう夕暮れ、ここでは当たり前なんだろうけど、俺には、新鮮だなあ」
「夕暮れって、こういうもだと思って、ずっと生きてきた人なの」
女は自分を指さして少し笑った。その背後には象牙色のはずの校舎が赤く染め出され、それを載せた丘陵の柔らかな曲線は浮き彫りにされたような陰影をつけて横たわっていた。関西の町中で育った博にとって別天地とも言えそうな北の風景だった。女性とこうして並んで座ってる自分の姿も、半年前までは想像もできないことだった。
大阪から西に向かう私鉄沿線の、まあ、商店街半分、住宅地半分といった土地柄で博は育った。山の手の方は品のいい住宅地として知られていて、あっちに住んであっちの私鉄で通勤する、というのが関西人のステータスだ、などと人は噂した。しかし、博は子供時代から街裏を走り回ることができる庶民的な海側の街の方が好きで、それは成長しても変わることはなかった。
そんな博が地元を離れてもいいかなと思うようになったのは高校の修学旅行の時からだった。そこでふるさととは全く違う世界が同じ日本にあることを確信した。何か未知なものに挑戦できる世界のような気がすると同時に、ここは妙に自分に合う場所だという感触を得た。そんな博の気持ちを後押ししたのが沢村一彦だった。高校に入りたての頃、ふとしたきっかけで友達になった一彦とは、進路こそ違って別クラスになってからも、放課後に出会えばそのまま公園で話し込んだり、お互いの家に出入りしては時間を過ごすといったことがしばしばあった。だから、修学旅行の自由時間も二人は何かとつるんで行動した。博が、ここはいいというと、一彦も確かにここはいい、俺もここに来たい、と繰り返した。それが博の気持ちをいちいち裏打ちするような形になって、博の決断は固まっていった。こっちの大学に進学したいーーしかし、それ以外具体的なものは何もなく大学を受験した。そして望み通り合格した。きっといい先生がいて自分の人生を導いてくれるんだろうという、楽観的すぎる期待もあった。
果たして、大学に入ってみると、周囲は勉強よりも遊びだった。バイトとか部活とか言っているが、突き詰めれば好きに使える金が欲しい、好きなことをしたい、早い話が遊びだろう、と博は冷めた見方をした。遊びは結構だが度が過ぎるのは大学に在籍することを遊びの免罪符代わりに使っているようで好きにはなれなかった。それに加えて男たちは彼女作りが至上の任務のようだった。博はそんな周囲の雰囲気に反発さえ覚えたが、やはりこの街の、しかし博とは違う大学に進学した一彦が、会う度に口癖のように彼女くらい作れ、と言うのがひっかかった。高校時代から女子が放っておいてはくれないようなところがある一彦には、早々と遠目にも素敵な女(ひと)と判るような彼女ができて、いつも一緒だった。彼女の名は関口綾といった。綾は多弁だった。博に対しても、決して気取る風でもなく親しげに様々な話題を投げかけてきた。そして博が口ごもっている間に、博にはちょっと思いつかないような見解をさっさと自分で答えてしまっては、周囲を笑わせた。そんなことを嫌みのひとかけらもなくやってしまうのが綾だった。大学での専攻分野が違うせいもあってか、博にはそれがたまらなく新鮮だった。この人はかわいいだけではなく話題もその中身も豊かな人なんだ、とその度に綾が輝いて見えるだけではなく、一彦はすごいな、という思いを新たにすることにもなった。
「博さん、彼女紹介してあげようか」
と言った、あのときの綾の口元が今でも脳裏を離れない。
「博さんには絶対お似合いよ。私なんかよりずっと大人でさ、しっかりしてるの、って言うと、博さん、今、真面目で、賢くて、でも可愛いにはちょっと縁遠くて、お硬い女の子想像したでしょ」
綾は意味ありげな笑いを浮かべてそう続けた。博は綾の目を直視できずにうつむいた。
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