第117話
水のない井戸のような縦穴を下りていく。
設置されている梯子は頑丈で、身軽なミィはもちろんのこと、俺を含めたほかの三人も特に危なげなく降りることができた。
ちなみに、誰かが万一足を踏み外した場合のために、
これは対象がゆっくりと落下するようになる呪文で、瞬間発動が可能な数少ない呪文の一つである。
だが幸いにも、誰一人としてこの呪文の世話になることはなく、深さ二十メートルほどあった縦穴の底まで降りることに成功した。
最後尾の俺が下りていったときには、穴底ではミィ、サツキ、シリルの三人が待ち構えている形だった。
俺が梯子を下りきる前に、数メートル下からサツキが声をかけてくる。
「ウィル、そこから飛び降りてきていいぜ。あたしが受け止めてあげるから」
「……それに何の意味がある」
「ウィルを抱きかかえられて、あたしが嬉しい」
「却下だ」
俺は普通に梯子を下りた。
サツキの言うことは、時折まったく意味が分からない。
まあ、それはさておき。
穴底には、サツキたち三人がいるほかに、予想どおりに吊り篭が設置されていた。
上から垂らされたロープの先に、それがくくられている。
またその場には、採掘した鉱石を運ぶためのものであろう、手押し式の台車が何台か放置されていた。
その一方で、縦穴の底からは、その横手に向かって洞窟状になった横穴が続いていた。
ミィがランタンの灯りで照らした横穴は、ドワーフの鉱夫が活動することを想定しているせいか天井が低く、俺が手を伸ばせば天井に手がついてしまうほどの高さだった。
軽くジャンプでもしたら、天井に頭をぶつけてしまいそうだ。
「この天井の高さだと、ウィリアムは窮屈そうね」
「あたしも刀振り上げると引っかけちまいそうだ。こういうときミィはいいよな。小っちゃいからさ」
「どうしてサツキはそうナチュラルに喧嘩を売ってくるですか?
「やめてー。世界最強の剣士になる前に、仲間に殺されるとか切ないわー」
シリル、サツキ、ミィの三人は、そんな軽口をたたきながら横穴を進んでいく。
俺も仲間たちの会話を微笑ましく聞きながら、そのあとへと続いた。
さて、「ロックワーム退治」というのが今回のクエストである。
要求される仕事は、文字通りにロックワームを退治することだ。
ではこのクエストの肝は何かというと、ロックワームというモンスターの特性にどう対応するか、ということになる。
ロックワームは成体で体長五メートル以上にもなる巨大モンスターであり、さらに岩石のような黒灰色の皮膚は岩そのもののように硬いという、攻撃力・防御力ともに非常に強力な怪物である。
だがその点も侮れないが、真に問題なのはそこよりも、かのモンスターの生息地とその神出鬼没性にあると言える。
ロックワームはDランクのモンスターであり、この点だけを見るならば、例えばCランク相当の実力を持つサツキならば、単身で挑んでも互角以上に戦えることになる。
だがこれは単純なモンスターの強さのみでランクした値であり、このモンスターとどういった条件で戦うかなどの付帯する条件は加味されていない。
例えばの話、ロックワームが大草原のド真ん中に現れて、何十メートルも先からこちらに向かって突進してくるというのであれば、これはいくらでも対処のしようがあるし、特に問題視するような相手でもないと思える。
接近してくるところに冷静に
だが現実にはここは大草原のド真ん中ではないし、ゆっくり魔法を撃ってくださいとばかりに数十メートル先に現れるケースばかりではないだろう。
やつらは地中を移動する。
今この瞬間にも、大口を開けて俺の足元から現れないとも限らないのだ。
ただそうは言っても、通常何かしらの物音ぐらいはするだろうし、実際に今この瞬間に足元から現れるとは思っていない。
それに何より、俺はこの坑道に近付く前の段階で、
術者の周囲五十メートルの外周に魔力による感知膜を張るこの呪文は、地中を進むモンスターであろうが構わずに作用する。
その
したがって現段階で俺の周囲五十メートルより近くにロックワームがいるとは考えづらい。
いずれにせよ、
俺はそう考えながら、三人の少女のあとについて、やや窮屈な坑道を進んでいった。
***
一方その頃。
ウィリアムたちとともに鉱山都市ノーバンを訪れたもう一組の冒険者たちは、かの少年少女たちとは別の坑道へと下り、探索を開始していた。
「くっそ、天井低いのウゼェな。窮屈だったらありゃしねぇ」
そう言って坑道を先頭で歩いているのは、一行のリーダーである戦士だ。
彼はメンバーの中でもとりわけ体格がいいため、特に狭さが気になるようだった。
そこに、彼の後ろからついてきていた盗賊風の猫背の男が、嗜めるように声をかける。
「愚痴るなよ。本来ドワーフ用なんだから仕方ねぇだろ」
「人間様にモンスター退治させんだから、ちゃんと人間用に整備しとけってんだよ。ったく使えねぇドワーフどもだな」
「無茶苦茶言ってんなよ……。あとそれ、依頼人とかの前では絶対言うなよ」
「ちっ。分かってらぁそんなこと」
そう言って、どすどすと不機嫌そうに歩みを進めるリーダーの戦士。
その後ろを、残る三人の男──盗賊、魔術師、神官が嘆息しながら続く。
だが戦士の苛立ちは、なおも収まらない。
彼は後ろをついてくる仲間たちに、檄を飛ばす名目でその苛立ちをぶつける。
「にしても分かってんだろうなお前ら。俺たちゃ依頼人から、あのピクニック気分の優男よりも下だと思われてんだぞ。あんな女三人もはべらせたへらへらした奴に負けでもしてみろ。俺たちのプライドはガタガタだぞ」
「まあなぁ……でもあいつ、そんなにへらへらはしてなかったような。それにいかにもデキる男って感じだったぜ。静かな自信に満ちあふれてるっつーか……俺たちとはそもそも人種が違うんじゃ……」
「るせぇ! そんなだからバカにされんだよ! いいか、あいつらはEランクで、俺たちゃDランクだぞ。ぜってぇあいつには負けねぇ。いいな!」
「あいよ。でも死なないことのほうが優先だぜ? プライドで命は買えねぇし、飯も食えねぇ」
「ああーもう、分ーかってるよそんなもん!」
そんなやり取りをしながら、男たちは坑道を進んでいく。
***
また、さらにその頃。
別の二人の冒険者が、鉱山都市ノーバンへと到着していた。
一人は漆黒の鎧と黒衣に身を包み、背に大剣を負った、体格の良い赤髪の青年。
もう一人は、彼に付き従うように寄り添う、黒ローブの若い女性。
二人の胸元には、それぞれ純銀製の冒険者証が下げられていた。
その銀色の冒険者証は、彼らがBランクの冒険者である証だった。
ノーバンの入り口で、黒衣の青年はかたわらの女性に問う。
「いい女三人のパーティが受けた依頼──その目的地がここだってのは間違いないんだな、セシリア?」
それに対して、黒ローブの女性はつんとした様子で答える。
「ええ、そうです。最初に言ったとおり、男も一人いましたけどね。あと三人とも、その男のお手付きのようにも見えましたけど」
「そんなのは関係ないだろ。お手付きだろうが何だろうが奪ってもう一度食っちまえばいいだけだ。……しかしセシリア、お前ひょっとして怒ってるのか?」
青年が女性の顔をのぞき込むと、女性はさらにそっぽを向く。
「怒ってはいませんけど、好きな人がほかの女を求めようとしているんですから、嫉妬と不機嫌ぐらいは許してほしいです」
「くっくっ……お前のそう言うところ好きだぜ。──宿に寄るぞ。前菜にお前を食いたくなった」
「前菜呼ばわりですか。まあグレン様のそういうところも含めて好きになった私が悪いんですから、全部捧げます。どうぞお召し上がりください」
「お前、本当に最高の女だな」
「それはどうも。すごく嬉しいです」
二人は人前であるにもかかわらず、その場でおもむろに抱き合ってキスをする。
それから青年が言ったとおりに、彼らは「宿」へと向かったのだった。
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