第98話

 シリルと抱き合っている時間は、長かったのか、短かったのか。


 こんな緊急時にほど近い状況で何をやっているのかという理性。

 複数の女性を同時に手中に収めておきたいという自身の醜い欲望。

 そのうちの一人をいままさに抱きしめているという後ろめたさと、心地よさ。

 サツキには理由をつけて断っておきながら、シリルには理由をつけてこうして前向きなアプローチをしているという矛盾。


 いくつもの罪悪感と、そのすべてを圧し潰すほどの圧倒的な幸福感。

 少女のぬくもりと柔らかさ、そして官能的な匂いを感じているうちに、当初自分のために用意した言い訳などはどこかに吹き飛んでいた。


 もっとずっとこうしていたい。

 理屈抜きに、このままシリルとともに堕ちてしまいたい。


 そんな誘惑に抗えずにいた俺を現実へと引き戻したのは、外界からの干渉だった。


「んぅ……ウィリアムと……シリル……?」


 ミィの声が聞こえてきた。

 心臓が跳ねるとはこのことだ。


 そうだ。

 すぐ傍らでは、ミィがずっと眠っていたのだ。


 我ながら正気の沙汰ではない。

 いつ目を覚ますとも分からないミィのそばで、密事に浸るなどと。


 いや、そもそも密事なのか?

 最初にそのつもりはなかったが── 


 いずれにせよ、どうしたらいいものか。


 俺とシリルは視線を通わせると、どちらからともなく離れた。

 そうしてから、二人でミィのほうへと向き直る。

 まるで何かの共犯者のようだ。


 毛布から抜け出し立ち上がった獣人の少女は、早々に寝ぼけ眼の状態からは覚めたようで、ジト目で俺たちを──いや、シリルを睨みつけていた。


「シリル、どういうことですか?」


 ミィのそれは、シリルに向けて詰問をするそれだった。

 対するシリルはうつむいて答える。


「……ごめんなさい」


「ごめんなさいじゃ分からないです。ミィたちに相談もなく、抜け駆けですか?」


「……ごめんなさい。そんなつもりは、なかったのだけど……」


 シリルは終始心苦しそうに答えていた。


 なぜそういう構図になっているのかは分からない。

 彼女たちの間で何らかの密約でもあったのかもしれない。


 だがいずれにせよ、シリルが責められるのはお角違いだ。

 積極的な行動を起こしたのは俺で、シリルは確かに受け入れたが、彼女の行動はあくまでも受動的なものに過ぎない。


「ミィ、待ってくれ。事情は分からないが、悪いとすれば俺であってシリルじゃない」


 我ながら間抜けな台詞だと思った。

 そもそも俺には、シリルがなぜ非難されているのかも分かっていない。


「……そうですか。でもミィはシリルから話を聞きたいです。向こうで二人で話をしてきたいのですが、いいですか?」


 ミィにそう聞かれ、シリルのほうを見ると、彼女はこくんと首を縦に振った。


 そしてシリルはミィに連行されるようにして、森の向こうへと消えていった。

 残されたのは、俺一人。


「……どうしてこうなった」


 俺は一人つぶやく。


 いまの状況はまずいのか、まずいとしたら何がまずいのか、それすらも分かっていなかった。

 俺が教本として読んできた冒険物語にも、魔術学院の教科書にも、このような事態への対処法は記載されていなかった。

 こと色恋事となると、俺はまったくのド素人だ。


「あ、ウィル、おはよ~」


 そんなことを考えていると、アイリーンとサツキが二人で戻ってきた。


 ちなみにアイリーンはにこやかに挨拶してきたが、サツキはむすっとしている。

 おそらくは二人で手合わせをして、サツキがボロボロに負けたのだろう。


「ああ、おはようアイリーン、それにサツキも」


「……ああ、おはよ」


 サツキはやはり憮然とした様子で、形だけの挨拶を返してくる。

 不機嫌を隠そうともしないあたり、何ともサツキらしくて可愛らしい。


 そう思っていると、すすすっと俺のすぐ横にアイリーンが寄ってきて、


「あのね、サツキちゃん、僕と手合わせして負けまくったから機嫌が悪いんだよ」


 と、言わずもがなのことを俺に耳打ちしてきた。


 だが俺は──

 そんなアイリーンの仕草にも、何故かドキッとしてしまっていた。


(バカな……アイリーンにまで、異性を感じるなどと……)


 耳元に吹きかけられた吐息に、妙な艶めかしさを感じてしまった。


 ──まずい。

 何かのスイッチが入ったかのように、俺の中の何かの回路がおかしくなってしまった。


「……ん? どしたのウィル。なんか顔が赤いよ?」


 アイリーンがきょろきょろと、俺の周囲を動き回りつつ様子をうかがってくる。


「……ははーん、さてはようやく僕の魅力に気付いて、メロメロになってるな?」


 あはーんと、いつぞやもやったようなセクシーなポーズをとってくるアイリーン。

 男装姿なのでドレスを着ていたときのような女らしさはないが、それでも──


「……バカを言うな。あっちへ行っていろ」


「はにゃっ」


 俺はアイリーンの首根っこを引っつかんで、サツキのほうへと押し返した。

 おっとっととたたらを踏んで、サツキの目の前で立ち止まるアイリーン。


「んん……? なーんかおかしいなぁ。──ねぇサツキちゃん、ウィルのやつ、何かおかしいよね?」


「しらねぇよ。つか、話しかけてくんな」


「えー、まだむくれてんの? いい加減に機嫌直してよ」


「うっせぇ。気持ちの整理する時間ぐらい寄越せバカ姫!」


「あー! またバカ姫って言った! そんなのサツキちゃんだってバカじゃん!」


 やいのやいのと、アイリーンとサツキで揉み合いを始めた。

 俺はそれに、ホッと安堵する。

 これで内心の動揺を悟られずに済むと思ったからだ。


 ──俺は一体どうしてしまったのか。


 シリルとの蜜事を超えたことで、俺の中の何かが変わってしまったように感じる。

 これまで何事もなく接してきた少女たちに、「異性」を感じるようになってしまった。

 この調子では、サツキのアプローチにもドギマギとしてしまうことだろう。


(……まずい)


 何がまずいのかよく分からないが、とにかくまずい気がする。

 この内心の動揺を隠しきれるのか。

 いやそもそも、それは隠す必要があるものなのか。


(……いや、いまはそれよりも、ミッションに専念することだ)


 そうだ。

 いまはそんなことを考えている場合ではない。


 フィノーラの話だと、おそらくは昨晩から今日の昼ぐらいにかけて、応援要請に向かったエルフたちが戻ってくるだろうとのことだった。

 したがって、攻撃の決行は遅くとも今日の昼頃になるだろう。


 ちなみにだが、エルフたちの集合予定の場所は、フィノーラたちが元いた洞窟になっている。

 このため昨夜から連絡役が洞窟の近くで見張っていて、エルフが来たらここの場所まで誘導し、オークが来たら隠れたままやり過ごすなり逃走するなりする手はずになっている。


 なお俺は昨夜、認識阻害インセンサブルの呪文を使って連絡役を務めようと思ったが、それはミィに止められた。

 そのミィ曰く、


「ウィリアムは一人で仕事をしすぎなのです。タダ飯喰らいは心苦しいので、ミィにも何か仕事をさせてほしいのです。あとウィリアムはその分さっさと寝るといいのです」


 ということで、隠密行動力に優れたミィならば能力的にも適任だと思い、お言葉に甘えて彼女に任せて早くに就寝することにした。

 なおミィの交代要員には、エルフの中で隠密行動に優れた者が選出され、任命されていたはずだ。


(それで交代要員と代わって一人疲れて帰ってきて、起きてみれば俺たちがあんなことをしていれば、余計に腹も立つか……)


 いまさら言うまでもないことだが、ミィは見た目通りの可愛らしいばかりの幼子ではなく、一人前の大人の女性レディーだ。

 あの愛らしさと子どものような容姿に引きずられて、侮ってはならない。


 ──と、そんなことを考えていると、ちょうどミィとシリルが戻ってきた。


「あ、ミィちゃんとシリルさんも起きてたんだ。おはよー」


「おはようですアイリーン。……サツキはアイリーンに押し倒されてるですか? 二人はいつの間にかそういう関係ですか?」


「気持ちわりぃこと言ってねぇで助けろよ! このバカ姫、オーラ強すぎてバカ力すぎんだよ!」


「サツキが力で勝てないものを、ミィたちにどうこうできるわけないです。諦めるのです」


「諦めるって何だよ!? なに諦めるんだよ!? や、やめろっ、何すんだよこのバカ姫―っ!」


「あははっ、サツキちゃんてば赤くなって可愛いー。やばっ、僕本気になっちゃうかも、じゅるり」


 ……あれはほとんど虐待に近いのではなかろうか。

 俺を半ば玩具にしていた頃の昔のアイリーンを思い出すが──まあ、加減は考えているだろうから放置でいいだろう。


 それよりも、ミィの機嫌が良くなっているように見えるのが気になるところだ。


 そう思ってミィの隣に立っているシリルを見ると、俺の視線に気付いた彼女は手の指で「丸」を作って見せてきた。

 穏便に話がついたということだろうか。

 だとするならばホッと一息というところだが。


 ……しかし何なのだろうか、この途端にあふれ出した前途多難の感は。

 俺と俺を取り巻く環境とが、また大きく一変したようにも感じてしまう。


 だが、俺のそんな物思いを途絶させるかのように──


「お、オークたちが動き出したぞーっ!」


 偵察に向かっていたエルフの声が、この臨時集落の一帯に響き渡ったのだった。

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