第96話
「ふわあぁぁぁぁっ、気持ちいいぃぃぃぃ……」
アイリーンは湯船にとっぷりと肩まで浸かり、浴槽のへりに後頭部をもたれかからせつつ気の抜けた声を上げた。
もちろん雨で濡れた衣服は脱ぎ捨て、素っ裸の姿である。
まったく男子のようとまでは言わないものの、凹凸の緩やかな裸身であった。
少女が頭上を見上げれば、木々の枝と葉が交差している様が見え、その隙間からは星々の輝く夜空がわずかに窺える。
夜中ながら彼女の視界が真っ暗でないのは、近くの焚き火の炎に照らされているからだ。
「はあぁぁ……それにしてもこうしていると、王女とか騎士とか全部忘れて、一人の僕って感じがするよねぇ……」
雨で冷やされた体を温め、今日の疲れを湯の中に溶かしながら、アイリーンはそんなことをつぶやく。
するとそこに、もう一人の少女が姿を現した。
「いやほんと、姫さんって話してるとお姫様だってこと忘れるよな」
「──あれ、サツキちゃん?」
聞いた声がするので頭上を見上げていた視線を動かし浴槽の外を見ると、普段はポニーテイルにしている黒髪をほどいた少女が、湯船のほうに向かって歩み寄ってくるのが見えた。
その少女──サツキはそのまま、湯船の中へと踏み込んでくる。
「おっほ、いいお湯だな。これって温度とかどうやって調節してんだろ」
サツキはゆっくりと湯の中に身を沈めてゆく。
そのすぐ横に入ってきた戦友に向けて、銀髪の少女は手だけを動かして指し示す。
「さっき聞いた話だと、温度を上げたいときにはあそこの焼いた石を放り込むらしいよ」
アイリーンがそう言って指さした先にあるのは、あたりを照らしている焚き火だ。
そこではいくつもの手ごろな石が、火の中に置かれて焼かれていた。
──ウィリアムは
焼き石はあくまで温度調節用のものである。
「へぇー。よく考えるもんだな」
「ウィルの話だと、ある程度以上のレベルの
「え、そうなの? でもあたしら一緒に旅してても、ウィルがお風呂作ってくれたことないんだけど」
「ふぅん。さてはサツキちゃんたち、愛されてないんじゃないの~?」
そう牽制の言葉を送りつつ、ニヤリと笑って見せるアイリーン。
一瞬ぐぬぬ顔になったサツキだったが、ふと視線を下に動かして、そこにあったものを見て、プッと笑った。
それを見たアイリーンは、腕で体を抱くようにしてサツキの視線から自身の胸を逃がす。
「な、なんだよ」
「べっつにぃ? ただ姫さんにも弱点あんだなぁって思って」
「じゃ、弱点って何だよ! いいだろ別に、こんなの希少価値だしステータスだよ!」
そう言いながらも、アイリーンの視線は湯の中のサツキの胸や、それ以外の体つきへと注がれてしまう。
黒髪の少女の裸身は少女らしい発展途上の側面こそあるものの、全体として出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるという概ね理想的なプロポーションであった。
「ぐうぅっ……さ、サツキちゃんのくせにぃ」
「見下し発言いただきましたぁ~。でもそのうち剣の腕でも追い抜いてやるから、そしたら姫さんの見どころって、お姫様って地位ぐらいしかなくなっちゃうんじゃねぇ?」
「なにおう!? 追い抜けるもんなら追い抜いてみなよ! こんな乳ばっかり育っちゃってさ!」
「ふひゃんっ!? な、何してんだこの、ば、バカ姫っ……!」
「うわっ、やわらかっ、重たっ、何これ……」
二人の少女は湯の中でじゃれる。
その様子を、向かいで一緒に湯船に入っていたエルフの女たちが失笑しながら眺めていた。
十人以上がゆうに入れる広い湯船にはいま、アイリーンとサツキのほか、十人弱ほどの数のエルフが浸かっている。
そしてその中には、レファニア、フィノーラの母娘の姿もあった。
「──ねぇお母さん、あの銀髪の人は人間の王族なのだと聞いたけど、随分と気安いものなのね」
「いいえ、あれはあの王女が特別なだけね」
「それに人間というのは、同性でああも肌を触れ合うものなのね。人間ってすごい……」
「それもあの二人が特別よ、レファニア」
人間文化への誤った認識を獲得しようとするレファニアに、フィノーラが懸命に突っ込みを入れていた。
そして、そうとは知らない人間代表二名は──
「ほらほらサツキちゃん、謝るならいまのうちだよ?」
「わっ、バカッ、脇腹揉むなっ、くすぐるなっ──あはっ、あっははははっ!」
「このおっぱい半分僕にくれたらやめてあげるよ」
「で、出来るかバカッ! にゃあああああっ、バカ姫に殺されっ、ひぃっ、ひいいいいっ!」
入湯マナーも何もなくじゃれ合って──否、サツキのプロポーションに嫉妬したアイリーンが、一方的にサツキを弄り倒していた。
だがそこに、新たなる刺客が現れる。
「……何をやっているんですかアイリーン様。それにサツキも」
「サツキとアイリーンは仲がいいのか悪いのか、いまいち分からないのです」
同じく入浴に来た、シリルとミィであった。
しかし──
「なん……だと……?」
アイリーンの視線は、湯船のほうに向かってくるシリルの胸部へと釘付けになった。
現在自分の手の内にあるサツキの、そこそこ立派な胸。
それすらも児戯と思えるほどの凶悪な大きさのものが、そこにはあった。
普段純白のローブを押し上げて見えるあの大きさすらも、衣服によって抑えられたものなのだと気付かされる。
少女らしい発展途上などというのは、その神官の少女のそれの前では言い訳にもならない。
本物は、あらゆる弁明を無へと帰すのである。
「……な、何ですかアイリーン様。さすがにそうじろじろと見られると、恥ずかしいのですが」
シリルは身を隠すように、湯へと自分の体を沈めてゆく。
「あ、ごめんね。……いやその、一体何を食べたらそんなに育つんだろうなぁって」
「胸ですか? こんなもの生まれつきだと思いますけど」
「……それはつまり僕に絶望しろってことだね」
アイリーンはとほほと思いながら──今度はシリルの隣を見る。
するとそこには、小柄な獣人の少女の真っ平な姿があった。
アイリーンはホッとする。
良かった、仲間がいた。
そういう心境だった。
だがそんな同類と思しき獣人の少女からは、悟りを開いているとも思えるような言葉が飛んできた。
「アイリーンは胸の大きさを気にしてるですか? 悪いですけど、それってバカなんじゃないかと思うです」
「えっ……?」
「自分なりの魅力を活かさないでどうするですか。胸が大きいばかりが女の子の魅力じゃないです」
「自分なりの……魅力……」
そのときアイリーンには、ミィの姿が神々しく輝いて見えていた。
師匠、と心の中でつぶやいた瞬間であった。
それからは、アイリーンもサツキを解放し、大人しく湯船に浸かっていた。
少女四人横並びになり、森の木々の下で湯に身をゆだねる。
そのときサツキが、ふと言葉を漏らす。
「でもさ……思うんだよな。あたしたちこんないい思いしてていいのかなって。不謹慎じゃねぇのかなって。だってこうしてる間にも……」
そこから先は、言わずとも誰もが分かっていることだった。
先まではしゃいでいたアイリーンも、その表情に憂いの色を宿らせる。
そんな中、次の言葉を継いだのはシリルだった。
「ウィリアムは、休めるときに体も心もしっかり休めておけって言っていたわね。どの道エルフたちの戦力が整わないことには動けないし、根を詰めなきゃいけない局面になったら嫌でも緊張しっぱなしになるのだからって。それは正論だと思うし──」
シリルはそこで言葉を切った。
そのあとを継いだのはミィだ。
「それにミィたちは、どっちかっていうとおまけです。ウィリアムはこのお風呂を作ることで、心に傷を負ったエルフたちを慰安したかったのです。まったくもってサービスのいい、お買い得な傭兵です。フィノーラたちはいい買い物をしたです。……ミィたちも色惚けばっかりしてないで、しっかり働かなきゃですね」
「ああ、そうだな」
サツキがミィの言葉にうなずいて、それからエルフたちのほうを見る。
その視線の先では、レファニアに寄りかかられたフィノーラが、すっかりと肩の力を抜いて湯に浸る気持ちよさに身を任せていた。
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