第9話 ネムの正体
ネムは生まれた時から人間の感情を喰らうという性質を持っていた。
そのことから伝説上のユメを喰らう化け物、“バク”と分類された。
感情を喰らう彼女の能力はこの世界では危険と判断され、
幾度かユメの管理者達がネムの捕獲を試みた。
しかしその全てが彼女の力によって返り討ち。
いつしか監視のみで放置されるようになった。ネムが深淵の深淵から出る気配はなかったからだ。
一方のネムは深淵の深淵の世界を彷徨いながらも何も感じておらず、ただただゆめの世界から落ちてくる負の感情を何も思わず食べ続けた。
何も感じていないというのは正確には自分の内にある感情の存在に気づいていないということだ。
感情というものが何か教えてくれる人がいなかったから。
だから当然やりたい事もなかった。
だが気づいていないだけで実はネムにも感情は存在したのである。
不味い感情の瘴気を生きる為だけに食べ続ける虚しい生活。
長い時をかけて彼女に蓄積された孤独の悲しみは無意識に彼女の頰に涙を流させた。
その水滴の理由さえ彼女は分かっていなかった。
そんな生活が長いこと続いたある日
一人の仮面を被った少女が深淵の深淵へと舞い降りた。
「こんにちはー」
彼女は気さくに話しかけてきた。いつも自分が出会った者たちはいきなり襲いかかって来たため、それはネムにとって初めての経験だった。
「オ…マエ…ダ…レ?ナニ…シニ…キ…タ」
会話は初めての経験だったが、
普段食べてる感情の瘴気からある程度ネムは言葉を学んでいた。
「私の事は車掌ちゃんと呼んでね。今日はねー。君をスカウトしに来たんだ。私のパートナーとして」
「パー…トナー?」
「そう、わたしは此処よりちょっと上の世界で車掌をやってるんだけどね。
今少し人手が必要なんだ。マヨイビト…ユメの世界に悩んでやって来る人間たちを導いてあげられるような車掌になりたくてね。だから、一緒に手伝ってくれないかなー?」
「ダカラ…テ、ナン…デ…ワタシ…ガ」
「えー。だって楽しいんだよー。迷ってる人間を夢の希望に導くの。何かをやってやろーって前を向いてる人間ってさ。すごいエネルギーに満ちてて、良い顔になるの。そういうの見てるとさ、そのエネルギーを分けてもらったみたいに私たちも頑張ろうって気持ちになれるんだ。こんな暗い所にいるよりよっぽど楽しいよ。だから、ね! やろうぜ」
この女はしつこく勧誘してくる。そもそもタノシイとは何のことをいっている?
言っていることに意味が分からなかった。
その時今まで感じたことの無いとてもいい匂いがしている事に気付いた。思わずお腹が鳴ってしまう。
「そうそう土産があるんだった。お茶でも飲みながら一緒に食べない?」
そういって彼女は紅茶を入れ、同時にとてもいい匂いのする物体を皿の上に乗せた。
「コレ…ハ?」
「私の仕事で手に入る副産物だよー。ユメの世界にいる人の感情の変化から作れる食べ物。私には使い道がないから私の仕事を手伝ってくれたら全部あげるよ。どう?面白そうでしょう?」
「カ…ン…ジョウ?」
それが何か疑問に思いながらも食欲が込み上げてくる。
何かそれがずっとネムが求めていたもののような気がして、
彼女はそれを口に入れた。
瞬間何か温かいものに全身を包まれたような感覚がした。
今まで食べてきた感情とは比べ物にならないほど深く幸福感のある優しい味は
ネムの奥深くに眠っていた感情を覚醒させたのだ。
その時ネムは初めて感情の存在に気づいたのだった。
「あ…れ?おか…しいな?」
彼女の目から涙が溢れ出す。優しい感情に触れる事によって寂しいという感情をネムは初めて認識したのだ。
「これが…感情って…幸せって気持ちなの?」
だとしたら、自分が今まで食べてきたものは何だったのだろう。
世界にこんな幸福に溢れたものがあるなんて。
徐々に頭で分かってきた。
悲しいって気持ちも、幸せって気持ちも、
さっき目の前の女が言っていたタノシイって意味も
少しずつ。
でも、おかしいな。分かればわかるほどなぜだろう。
目から涙が零れ落ちていく。
車掌ちゃんが優しく抱きしめてくれた。
「よしよし。辛かったねぇ。今はいっぱい泣いていいよー。大丈夫、きっともっと楽しい事がこれから沢山あるさ」
その後もいつまでもネムは泣き続けた。
感情の嵐が収まるまで。
その後ネムは深淵の深淵の世界を出て
車掌ちゃんの手伝いをするようになった。
そのうちにネムは人の感情に対して強い興味を惹かれるようになった。
今では幸福を初め様々な感情を食べる事で人の気持ちや言語も理解した。
列車に迷い込む客との会話は今では彼女にとって至福の時間なのだ。
悩みを抱える客をうまく誘導し幸せに導く。
そしてその変化によって生まれる正の感情の瘴気を食す。
それがネムの生きがいだ。
ちなみにネムの今の目標は車掌ちゃんがどうしてあの時暗い悲しい世界から
救い出してくれたのか知る事だ。
どんな気持ちで手を差し伸べてくれたのか。
車掌ちゃん自身に聞かずに自身でその答えを導き出したい。
ネムはそう考えている。
***
ネムは目の前で物語を考えている子に目を向ける。さっきまでと違って前向きに楽しそうに悩んでるこの子を見ているとこっちまで微笑ましい気持ちになってくる。
この列車の乗客は皆何らかの悩みを持って迷い込んで来る。
しかし、彼等はネムにとって決してただの餌や情報源ではない。
此処に迷い込んでくる人間達は立ち止まりながらも何か希望を持っている。
そして根がとても優しい暖かい人達が多い。
そんな彼等が悩みを解決出来ず希望を失う様は見たくない。
絶望の味も食べられるけど好きではない。
故に真摯に接する。彼等の幸せを願いながら。
「ネム、物語が出来たよ。それで…車掌ちゃん達をここに呼んで欲しいんだ。」
目の前の子は嬉しそうにそう言った。
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