第16話 視線と弾丸

十七時。夕暮れがきれいだが、少し前よりも明度が上がった気がする。五月も下旬、そろそろ下校時の夕暮れを楽しめない季節になってくるだろう。気象庁によれば、今年の梅雨入りは早いらしいし、明日の天気予報にも青い傘のマークが鎮座していた。


そのことに少し哀愁を感じつつ、少年は公園へと足を踏み入れた。白い石に公園の名前が彫ってあるが、風化して全く読めない。住民は「第二公園」と呼んでいるが、正式名称を答えられる人は役所の古老くらいだろう。なお、第一公園は存在しない。


それほど古い公園で、遊具の類はほとんどなく、申し訳程度に整備されてはいるが基本的に草木がのびのび育っている半野生地の公園だ。


僕たちの、いつもの待ち合わせ場所でもある。


今日も、彼女はそこにいた。


「雛。待たせた?」

「ううん。二分も待ってないよ」


はにかみながら手を振る、僕の彼女だ。なんというか、とにかく愛おしい。何がどうしたら、僕にこんな彼女ができるのか、自分でも理解できない。でも、奇跡は実際に起きた。雛と交際してもうすぐ一年、目立った喧嘩もせずに良好な関係を築いてきた。このまま、何の障害もなくゴールインまで行けたらいいな、と願っていた。



でも、恋愛に障害が一つもないわけがない。最近になって僕たちの関係に対する初めての、そしておそらく最大の障壁が立ちふさがった。

雛も、そのことに頭を悩ませているの表情は暗い。


「あれから、お父さんとは話した?」

「ううん。話してない。話せる雰囲気じゃないし、向こうが拒絶してる。それに・・・」


そこで雛が言葉を止める。僕には飲み込んだ言葉の推測はつく。


私も、話したくない。


「お父さんのこと、まだ嫌いなのか?」

「・・・うん。あんなに汚い人、他にいない。お金にばかり執着して、人を踏みつけることに躊躇いがないのよ。私たちのことだって、親心から反対してるんじゃないの。進馬の家庭が、その」

「ははは・・・わかってるよ。うちの父さんにも、問題があるのは確かだし」

「でも、それに進馬君は関係ないじゃない。進馬君の人柄なんて少しも考えずに、いやそもそも私のことすら考えてないんだわ。あの人が考えるのは、私をどこの御曹司への土産にするか、それだけ」

「それは、言い過ぎじゃないか。仮にも父親のことをそんな風に言っちゃいけないよ」

「っ。うん。そうだね」


そう、僕たちの関係は雛の父親に反対されている。交際が発覚した時、雛に別れろと言ったらしいけど、雛は聞かなかった。そしたら僕のところにやってきて、別れてくれと頼みこんできたんだ。そして、僕の家庭の事情のことに言及されると無理に突っぱねることはできなかった。たとえ大企業の人間でなくても、人の親なら今の僕に娘を上げようと思うものはいないと思う。


だから、僕が雛と添い遂げるには、誠意を見せるしかない。この上ない誠意を見せて、認められないものを認めてもらうんだ。


「雛。僕をもう一度、お父さんに会わせてくれ。今度は、僕のほうから出向くよ。必要なら、父さんにも来て説明してもらう」

「だめ」


雛は、反対の声を上げる。僕は身長が高くないから、高校一年にしては高身長の雛と向き合うと目線の差はほとんどない。


「あの人は、進馬君が思ってるほど生易しい人間じゃない。自分に逆らう人間は、絶対に排除する人なの」

「そんな、大仰な・・・」

「誇張でも何でもない。本当にそういう人」


そう言って必死に訴える。目が、本気で僕を心配しているんだと訴えかけている。


「ありがと、雛。でも、どうせ通らなきゃいけない道だよ。避けてちゃいけない。・・・とりあえず、そろそろ帰ろうか」


気づけば夕焼けが濃くなってきた。もう少ししたらやがて紺色がかってきて気温も下がるはずだ。雛に風邪をひかれちゃいけない。もちろん、僕も。


雛の手を引き、公園を出ようとする。雛の家は味原一の高級住宅街である神雨にある。僕の家は長木だ。二つの町の分かれ道は、公園を出てすぐ、二つ目の信号。僕たちが並んで歩ける時間は数分に満たない。だから、僕たちはいつも、本名の知れない第二公園で語り合う。だけど、お父さんの機嫌がよくない今、二人だけで長時間いるのは好ましく思われないだろう。


「っ!進馬君っ」


雛の声が後ろから聞こえる。振り向いて、歩きながら何気ない会話を続けようとした。公園から、出る直前の行動だ。









そこで、僕の意識は、途切れた。










ただ、額に天が割れたような衝撃と、赤い雲のような情景が一瞬感じられただけだ。











*******************




慣れない。



急ぎ足で夕方の街を闊歩しながら、例えようのない違和感を感じていた。


不埒な少年少女に鉛玉を撃ち込んだのは、これで五度目だ。


いつもは、ガキの癖に分不相応な、異性との幸せを頬張って憎らしい顔で町を謳歌しているカップルをみつけ、人気のない場所を定期的に通る輩がいれば、準備を始める。


相棒の、この長筒は俺が自力で作り上げたものだ。火薬の調合も独力で学んだ。その代償として、顔と腕に二度と癒えないであろう火傷を負ったが、なんてことはない。そもそも、俺の顔に価値なんてないんだ。少しでも価値があれば、女の子も少しは評価してくれるはずだ。だから、焼けようが爛れようが崩れようが些細なことだ。


この世に不満はない。


この顔に産んだ両親にも、俺の告白を粉砕した女の子にも、恨みも憎しみもない。


ただ、何も考えずに生きて、成り行きでイチャイチャしてる奴だけは許せない。恋人ってのは、血を吐き骨が砕けるような思いをして作るものだ。簡単に、息をするように、軽く付き合っている奴が、俺は憎い。


だから、人知れず、憎悪の弾丸を撃ち込むことにした。先月の下旬、ゴールデンウィークの直前の話だ。鉄砲の製作や火薬の勉強のことを含めると、準備を始めたのは去年の春から、だから一年越しの悲願ということだ。


連中の頭がはじけ飛んでも、特に気分が高揚したりはしない。暗い気持ちが湧き出ることもない。その時、俺の心には安心感のような何かと、ほんの少しの申し訳なさが同居していて、それらはとても心地いいものだ。




だけど、今回に限ってはそんな幸福を感じることはできない。



いつもなら、狙う相手は自分で決めていた。

いつもなら、男女どちらを撃つか、その場で判断していた。

いつもなら、視線を感じながら引き金を引くことはなかった。


だが、今回は違う。

狙う相手は、最初から指定されていた。


そもそも、これは俺の心の安寧のために始めたことであって、誰かに頼まれて人を殺す、そんな話じゃなかったはずだ。

何だか、自分の行動を支えていた柱が朽ちていくような気がする。



それに、この視線だ。


誰かに見られながら弾丸を放つのは、まるで衆人環視のもとで服を脱ぐような羞恥を覚える。ストリッパーにでもなったようだ。



刺すような、鋭い視線。依頼人のおっさんから、監視を命じられたんだろう。見ただけで分かる大富豪だったし、暴力団でも支配下に置いてるんだろうか。






いつもの、弾丸を放つ瞬間の、心休まる温かい感覚は、今まで感じたことのない、名づけるならまさに「しあわせ」の感触は、この時ばかりは欠片も感じることはできなかった。





今頃、射殺した少年の亡骸は、側にいた少女はどうなっているだろう。


自分の幸せのために始めた、自己中心に過ぎる犯行なのに、自分すら幸せになれないなんて、あまりにもやるせない。






重い体を動かしながら、依頼達成の報告をするため指定された場所へと歩を進めたのだった。

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