第13話 想いの灰は見つからない
悪くなかったな。
いまさらながらそう思えてきた。
教師という職業が嫌いだった。毎日のように少女を強姦する妄想を抱えて勤務していたが、ついに抑えられなくなり暴発させた。事後しばらくは今後に対する不安でいっぱいだったが少したって気づいた。
学校が、臼間が俺を守ってくれるんじゃないか。そうだ、臼間にしてみれば自分が抱える職員が実は性犯罪者だったなんて認められるわけがない。そんなのを許す初鹿野理事長ではないはずだ。
だから、金を積んで警察の調査を延期させ、代わりの捜査役として息子を抜擢した時には安堵した。初鹿野唯光は、親の権力を笠に着た虚け者、不良生徒とつるむだけの能無しと聞いていたからだ。
だが予想に反してあの男はただ一日の調査で俺の犯行を暴いてしまった。犯行を暴かれたことよりも、一番震えたのは俺のロッカーに保管していた彼女の下着を言い当てられた時だ。焼却炉がある地面の黒い土、そして少女から流れ出た神聖な血の痕が残る宝物。その場所を指摘された時には終焉がはっきりと見えた。
あいつは初鹿野政五郎の息子だ。そのことを思い知らされた。奴があの理事長の息子だからこそ、俺の犯行は簡単に暴かれ、暴かれたにもかかわらずこうして逃げらおおせようとしている。
少女一人を焼いて失ったものは教職と住む家だけ。どちらにも特段未練はない。それに、新しい履歴書、住民票、形ばかりの餞別まで用意してもらった。
ここは、長木町か。俺は車を持っていないから駅まで歩くことになる。それ用の片道切符も用意してもらったものだ。なぜか、長木町の長木駅からの切符になっているが、気にしないでおこう。近くの駅を利用するよりも知り合いに見つからず、高跳びするには好都合だろう。現時点で追われているわけではないから無用の配慮だが。
そんな事を考えながら人も疎らな午後二十三時の街中を歩いていると、目の前をよろめきながら歩いてくる人がいた。酔っ払いか。あぶねえな。
「う、あぁぁ」
口から奇妙な音を出しながら、体がぐらりと傾きこちらに迫ってきた。
「お、おい。なんだよ、危ないぞ」
思わず声が出た。介抱してやったほうがいいのかもしれないが、酔っ払いにかまってられる身分じゃない。
「あ、あのぉ」
力ない声で呼び止められた。無視してもよかったが、一応立ち止まって言葉の続きを待ってみる。
「え、と、井筒惣十郎さん、ですよね。臼間高校の」
げ。知り合いか。声は女性のものだ。だが、この顔には見覚えがない。
とりあえず、誤魔化さないと。俺は、臼間と関係があってはならないのだ。
「ははは、他人間違いじゃないですかね。私は坂崎と言いまして、今から富山へ帰る所なんですよ。この街に、知り合いはいないはずです。どなたか、私に似ているんですかね」
少し早口になってしまったが、言葉と同時に保険証を見せたから効果はあるだろう。
「あ、坂崎さんですか。それは申し訳ありません」
「いえいえ、人違いは誰にでもありますよ。ただ、先を急ぐ身ですので、失礼」
「いいえ、大丈夫ですよ。私坂崎さんを待っていたんですから」
「!」
なんだ、何を言っている。井筒ではなく、坂崎を待っていた、だと?
いや、それより、「待っていた」とはなんだ。まるで、俺がここに来るのを知っていて待機していたような口ぶりだが・・・
はっとした。まずい、まずいんじゃないか。なんとなく、そう思って後ずさろうとしたが、何かに阻まれた。
「逃げなくてもいいじゃないか、井筒先生?」
今度は男の声だ。手足が動かない。男に羽交い絞めにされている。
「おい、なんだお前らは!強盗か?」
くそ、なんで俺がこんな目に。せっかくもう少しで逃げられるのに。
「いいえ、違いますよ。私たちは職を追われてこの町から出ていくことになった井筒先生に、餞をと思いましてね。ほら、豊。差し上げなさい」
「はい、あなた」
そう言ってバックの中から何かを取り出した。
ゆたか?どこかで聞いた名前だ・・・
記憶を辿ろうとしたがその思考は目の前の女性が取り出した鋭い金属によって断ち切られた。
「お、おい。まてよ、待ってくれ。金なら出す!まってくれ、落ち着いてくれ!なぁ、聞いてくれ、おい、お・・・・・・・・・ぐぁぁぁぁああ!」
異物が腹の中に押し込まれる。激痛とともにひどい気吐き気が襲う。
なんなんだ。
抵抗の言葉を吐く間もなく、先より数センチ下にまた刃が突きこまれる。
「がぁぁぁ、うぎゃああああぁぁぁ・・・」
四撃目で羽交い絞めが解けた。そのまま木偶人形のように倒れ込む。くそぉ、体が動かない。
力を振り絞って顔だけを上げる。女の夜叉のような顔が確かに見えた。
豊、って、そういうことか・・・
ようやく理解した。この女と後ろの男の正体も。
そして、どうして与えられた切符が長木駅からだったのかも。
畜生、初鹿野親子め。まんまと嵌められた。
「がはぁ、のろ、って、やる・・・・・・があぁぁぁ・・・・・・・」
教師なんて、やはりロクなもんじゃないな。
宵闇よりも暗く染まった頭の中で、そう呟いた。
*******************
月曜日、俺はすべての不満を押し殺して登校した。
金曜には一日かけて働きづめて土曜にもわざわざ登校したんだから今日はさぼってもだれも文句は言わせねえ!って意気込んでいたが、火曜日の会長の鬱陶しさを考慮し断腸の思いで登校した。そのため、俺は著しく不機嫌だ。校門前で不埒にも手をつないでのろのろ歩いている馬鹿を睨んで震え上がらせてから下駄箱で靴を脱ぐ。下駄箱にも不逞に輩がいたから退治した。どっちが不逞の輩か、なんてクレームは受け付けない。俺にしてみればクレーマーも不逞の輩だ、やるんなら覚悟を決めてからクレームつけに来やがれ。
「初鹿野君!これはいったいどういう事なの!」
本当に来やがった。
稀代の対初鹿野クレーマー、会長こと辰己祭。彼女はなぜか今朝の朝刊を片手に持ち、それで下駄箱を叩きながら俺に向かって何かを訴えている。いかにも偉そうな大臣の写真が、下駄箱の角にたたきつけられているのはなかなかにシュールだ。
「はぁ、とりあえず落ち着けよ。そんなぎゃあぎゃあ喚いてると、変に思われるぞ。石田や桂間みたいに」
「うぅぅ。・・・・・・・・とりあえず場所を移しましょう」
最後の二人の名前が出た瞬間、会長の顔が青くなり、白くなり、そして紅潮して、その顔を隠しながら俺についてこいと促した。一緒にされるのがそんなに嫌か。そりゃそうだ。
空き教室に移り、会長が持っていた新聞の地方欄を広げて再度聞いた。
「これは、どういうこと?」
その面の見出しはこうだ。
【味原市長木町に男性刺殺死体】
【同町内の夫婦が自宅で自殺】
内容は
臼間の学区の一つである長木町の裏路地のゴミ捨て場に身元不明の男性の死体が遺棄されていた。死体の腹部には多数の刺し傷があり、警察は殺人事件として捜査を開始し、現場の証拠や目撃情報やもとに同町内に住む庄和奈津夫、豊夫婦の家に事情聴取に向かったところ、家の中で包丁で首を突き死んでいる庄和夫妻を発見した。リビングのテーブルには遺書が置いてあり、警察は遺書の内容から男性を殺害したのは夫妻でありその後覚悟のうえで自害した、という線で捜査を進めていくようだ。捜査関係者は
「遺書の内容は明かせない。だが殺された男性の身元はかなり怪しく、犯罪者か反社会組織の人間である可能性もある。十分に広い視野を持って捜査を進める」
と述べている。
というものだ。
「貴方の、仕掛けなの?」
すっとぼけよう、そう思っていた。俺の立場としてはそれが模範解答だ。真実を知る人間なんて少なければ少ないほどいい。
だが、仮にもともに捜査に当たった人間には、醜くて汚い真実を知る権利があるんじゃないだろうか。そうも思えた。
だから。
「ああ。そうだ。庄和家に談判に行ったのは親父だが、絵図面を書いたのは俺だ」
その言葉に、会長の顔が悲しそうにゆがむ。
「貴方っていう人は・・・本当に最低ね。自分たちが手を汚さずに、不穏分子を他人の手で消させようだなんて、本当に汚い・・・。貴方はもう少しまともな人間だと思っていたのに・・・」
ああ、そうか。
俺はまた、失望されたのか。
幻滅されてしまったのか。
結局、俺が何をやっても理解は得られない。
だけど、このやり方しかないんだよ。
俺の中には、これしかないんだよ。
くそが。
「ねぇ、初鹿野君。その顔は、心が痛んでいるからでしょう?貴方は時々そんな辛そうな顔をしている。どうして自分の良心に反するような行動をとるの?」
ああ、違えよ、ばーか。俺は、このやり方が誰にも認められないことに腹が立ってるだけだ。
このやり方が間違っているなんて思っちゃいない。
「なぁ、人が人の命にを取り扱うときに必要な資格って何だと思う?」
だから、会長とは腹を割って話すことにした。もしかしたら会長ならわかってくれるかもしれないから。だって、ここ数日で会長の人となりを多少なりとも知ることができた。会長は、別に清廉でも真面目ロボットでもない。嫌な相手には毒を吐くし、不満があれば他人に文句を言う。そんな彼女なら少しは話してもいいと思えた。
「命を・・・そんな資格、あるわけないでしょう。あえて言うなら司法関係者か、国によっては王族くらいね」
「ああ、それもそうだな。つまり、公権力だ。じゃあ一般人には人を裁く権利がないのか?」
「そんなの、あるわけが」
「ある。俺は、あると思う。それはな、恨みだよ。強い恨み。激しい憎悪。身を焦がすような怨毒。そういったものは人に仇なす動機になりうる」
「ッ・・・・・・」
会長が押し黙る。それをいいことに、俺は自分勝手で過激な主張を続行する。
「今回、庄和望が殺されたことで強い恨みを抱いたのは誰だ?そいつには井筒に思い知らせる権利がある。候補に挙がるのは被害者の遺族、そして雑賀葉詠だ。妹を傷つけられたから、柳一もあてはまるな。んで、臼間の生徒に殺人をやらせちゃ本末転倒だから、今回はあの夫婦にやってもらった」
まぁ、個人的にあの兄妹にやらせたくなかった、ってのもあるが。知り合いが地獄に落ちるのはさすがに気持ち悪い。
「正義漢ぶるつもりはねえ。エゴイスト気取るつもりもねえ。ただ、井筒惣十郎がのうのうと生きてるのは腹が立つが、俺らになにかをする権利はねえ。恨みがないからな。だが公権力の介入を許すと臼間が傷つく。だから、この世で最も井筒を恨んでいるだろう人にやってもらった。それだけだ」
「そう・・・そうなのね」
そう呟いて、会長はしばらく黙り込む。全面的に賛成してくれるとは思っていない。少しでも理解が得られればそれでいいと思う。もしこれで完全に幻滅されてもあきらめはつく。
「なるほど、ね。初鹿野君。私は今まで貴方をいろいろな言葉で形容していたわ。不良、粗野、野蛮人、無法者、変態、風紀紊乱の種」
そういえば、会長が俺を形容する言葉のレパートリーは豊富だな。どれひとついい意味はないが。
「一つ、加えましょう。貴方は、過激思想の危険人物ね」
ああ、そうかよ。
やはりか、とやさぐれた気持ちになる。
結局、どいつもこいつも・・・
「そして、ひとつは訂正するわ」
「貴方は、少なくとも「無法者」ではないわね。貴方は、貴方の法に従って生きている。それに関しては素晴らしく誠実なのね。そんな人のことを無法者とは呼べないわ」
「そうか、そりゃ、どーも」
できるだけ無感情に言ったつもりだが、声が震えたかもしれない。
なんだか、すごく感動した。久しぶりに体が温かくなった気がする。太陽に温められない俺としては、この感覚はすごく心地いい。
この感覚を味わえただけでも、親父の命令を受けて事件に関わった甲斐はあったのかもしれない。柄にもなく、そう思える。
「会長」
「なにかしら」
「・・・お疲れ様」
「あら、貴方の口からねぎらいの言葉なんて、物凄く不気味ね」
「うるせえ、クソ女が。・・・俺は教室に戻るぜ」
「そう。私も戻るわ。もう、さぼってはだめよ」
「ああ、わーってるさ」
*******************
昼休み。パンを齧りながらボーっとしていると何者かが寄ってきた。
「おーい、唯光~。一人で飯か?」
「あぁ?」
なんだこいつは。周知の事実だが、俺にはこんな軽い調子で食事の時の話しかけてくる奴はいない。そして、俺を下の名前で呼ぶ奴も親父以外はいない。
つまり、何かの聞き間違いだ。
「唯光~無視すんなよな。なぁ、俺と一緒に飯食わねえか」
「断る。自分の縄張りに戻れ」
「いいじゃんかよ。お前は知らないかもだけど、他人としゃべりながら食う飯もいいもんだぜ。それに、今なら女の子とも話せるぞ」
そう言って側にいる工藤篠芽を親指で指さす。
柳一、一度横を向いて幼馴染の顔をうかがってやれ。この上なくひきつった顔をしてるから。どこをどう見ても飯の席の俺が入ることを納得してる表情じゃない。恋愛感情はともかくとして、ここまで鈍感だと女から嫌われそうなもんだがな。
「いいから、さっさと戻れ。そこの幼馴染とでも楽しく談笑してろ。いい加減にしねえと寝取るぞ馬鹿野郎」
ひいっ、と悲鳴を上げて離れる工藤。正しい判断だ。
「お、おい、待てよ篠芽!くそ、おい唯光。今はこれで退くけど、絶対にお前の友達になるからな!覚悟してろよな」
そう言いおいて幼馴染の尻を追う柳一だった。
「なんなんだ、俺の身には今何が起きているんだ」
朝には会長と少し濃い会話をして不覚にも感動し
今また知人以下のレベルだったクラスメイトから友達宣言を受けてしまった。受理するつもりはない。
「もう、何も起きねえよな、さすがに」
馬鹿でかい旗を立てたことに、俺は気付いていなかった。
*******************
放課後、下校中。下駄箱を開けると中に手紙が入っていた。
封筒は白く、ハートのシールが留めに使われている。
「んな、馬鹿らしい・・・」
これはまた、ラブレターと言えば真っ先に思い浮かべる物体をそのまま錬成してこの世に顕現させたような、とにかく初鹿野唯光の下駄箱に入っているにはあまりにも不自然な物体がそこには存在した。
しっかりとした、だが丸みを帯びた字体で、しっかりと「初鹿野唯光さんへ」と書かれている。
わずかに冷や汗を浮かべながら封を開き、中身を見る。封を開くときにハートにシールが縦に裂けたのは、不吉としか言いようがない。内容も、きっとろくでもないはずだ。
「本日(五月十日)の放課後十五時に裏庭まで来てください。お願いしたいことがあります。どうか、どうか、来ていただけると嬉しいです」
きちんと日付や時間を指定しているのは良いが、まずは自分の名前を書くところから始めようか。正直行きたくないが、行かないとより面倒なことになると俺の経験が訴えている。主に、会長関連の経験だ。
「しかたねえ・・・」
裏庭は、石田達がたむろする日陰の校舎裏と違い、日当たりがよく小さな庭園のようになっている臼間一のお洒落スポットだ。訪れる人間は、基本的に静寂や情緒を好むタイプの人間か、お洒落な場所でイチャイチャする俺たちお洒落~って思ってる馬鹿の二パターンだ。ラブレター同様、初鹿野唯光とは無縁でミスマッチな場所なんだ。どうして、呼び出し先がここなんだ。普通の校舎裏でいいじゃんか・・・・・・石田達がいるからか。
心の中で石田達を毒づいていると、一人の少女が話しかけてきた。
「初鹿野先輩。および立てして、申し訳ありません」
「お前は・・・雑賀葉詠か」
「はい」
今度は、こいつか。面倒くさいことにならなきゃあいいが。いや、頼みがあるって言ってたもんな。面倒じゃないはずがない。
「はぁ・・・なんだよ、頼みたいことって」
「はい、実は・・・そのぉ・・・」
顔を赤くして遠慮がちに声をしぼませる。
そういうのは今は良いんだよ。
俺が好きならそういえばいいし、逆に悪影響だから兄に近づくなってんならむしろ願ったりかなったりだ。
そして葉詠は意を決したように俺の目を見て願いを口にした。
「その、兄さんと仲良くしてあげてほしいんです!」
「は、やだよ」
脊髄反射で答えてしまった。なんでよりによってそれが願いなんだよ。まさか願いは後者の逆だったとは。
だが、願いは断った。俺は帰っていいはずだ。
踵を返して立ち去ろうとする俺を、葉詠は腕を掴んで引き留めた。振りほどこうと思えば一発だが、仮にも犯罪被害に遭いかけたばかりの少女だ。少し気を遣って、睨みつけるだけにとどめる。
そんな俺の視線に屈することなく葉詠は懇願を続ける。
「お願いです、先輩。兄さんはずっと先輩のことが気になっていたんです!」
「なんじゃそりゃあ気持ち悪い」
「普段不機嫌そうにむっつりしてるのに、時々自分たちの方を見ながら笑ってるのを見かけてたんだそうです」
「まじか」
あいつ、俺の笑みに気づいてたのか。皆が恐怖を感じる、笑顔とはかけ離れた笑顔を。
「それに、初めてなんですよ。兄さんが、他人とお近づきになりたいなんて言うのは」
「はぁ?嘘だろ。これでもかっていうくらい友達だらけじゃねえか、あいつ。一押し行けば交際まで行きそうな女だって何人もいるだろうが」
「そうですね。仰る通り、兄さんは人づきあいが上手で基本的に誰からも好かれるんです。自然と、です。でも、だからこそ、兄さんは自分から友達になろうとしたことがないんです。大体、自然体に過ごしていればみんなとそれなりに仲良くできるんですから。でも、初鹿野先輩だけはそうじゃありませんでした。そして、苦しいことに・・・」
兄さんは、初鹿野先輩のことが好きになったんです
「うひゃあ、気持ちわりい。」
なんつー悍ましさだ。あいつはそっちの国の住人なんだろうか。
「気持ち悪いのは同感です。でも、高校二年生にもなって初めて友達関係で悩んでいる兄さんを見ていると手助けをしたくなって・・・・・・時々話し相手になってくれるだけでもいいんです。お願いできませんか?」
答えはもちろん決まっている。軟弱で、優柔不断で、鈍感で、一本気で、妹想いで、嫌われ者の理事長の息子にも分け隔てなく接する爽やかなイケメンと友達になるか否か。
「嫌だ」
「そんなこと言わないで、少しだけでもいいんです!」
葉詠がなおも食い下がってくる。こっちもこっちでブラコン気味なのか。
とりあえず、少し勘違いしていそうなこの後輩に、少し説いてやらねば。
「あのなぁ。たとえば、だ。俺に仮にものすごく気になってお近づきになりたいってやつがいたとするぞ。今までは悉く袖にされてほぼほぼまともな会話も成立していなかったのに、ある日から突然優しく話しかけてくれるようになった。俺の話にも笑顔で乗ってくれる。だが、実はそれは憧れの人が自分の妹に頼み込まれて仕方なく仲良しでいてやってるんだとしたら。そして、それを知った俺は・・・俺なら、間違いなく腹掻っ捌いて内臓ぶちまけながら死んでやるがな」
人間には、特に男にはなんか知らないが固いプライドってものがあるんだ。そして、そのプライドを傷つけるのは、外からの攻撃じゃなくて身内からの善意だったりする。安易に、人の関係や行動に口をはさむのは不和のもとだ。
葉詠にそう諭すと、なんだか神妙な顔をしながら聞いていた。なぜ俺は他人に説教しているんだ。キャラ的には教師からの説教を反抗的に聞いている立場だろうが。
自分のアイデンティティの変化に戸惑っていると、葉詠口を開いた。
「そうですか。確かに、私の依頼で仲良くしてもらっても兄さんは喜ばないかもしれませんね。それなら、まずは私と友達になってくれませんか?」
はぁ?
それなら、の後に続く言葉の整合性が俺には理解できない。俺がおかしいのか?
軽く頭を揉んでいる間に葉詠みがしゃべり続ける。
「とりあえず私が先輩と友達になれば、兄さんもやりやすいじゃないですか。初鹿野先輩のことを兄さんに逐一伝えられますし、逆に先輩も兄さんのことをいつでも聞けますよ」
「聞かねえし、知りたくもねえ。俺の情報も、一片たりとも渡さん」
「じゃあ、私の情報もついてきますよ。先輩は、あくまで後輩の女子と友達になるだけです。それなら、何も拒否することはないんじゃないですか?」
「その友達関係の背後にある意図が気持ち悪いから嫌だっつってるんだよ」
そう言って、腕を強引に振りほどく。もう疲れた、この女を思いやっている余裕はない。
葉詠は不満そうな顔をしながらも、これ以上は無理かと呟いて一歩離れた。
そして、俺の目を見ながら宣告した。
「初鹿野先輩。絶対に、私と兄さんの友達になってもらいますからね。これから、よろしくお願いします。それでは」
勝手に言い残して去っていった。
なんだろう、今後あの兄妹に絡まれながら学校生活を送らにゃならんのか。鬱だ。
花壇に咲いている春の花が、無性に憎らしかった。
*******************
数日たって、木曜日。
今日は、事件が起こってからちょうど一週間だ。だからどうしたって話だが。
昨夜から久しぶりの雨で、俺としては楽な天候だ。太陽が、隠れている。
今は昼休み、柳一に絡まれる前に教室を素早く脱出して、いつぞやの窓際スペースに聞いていた。先週授業をさぼっていた時にいた、あそこだ。空き教室でもよかったが、あそこは柳一に知られている可能性が高い。
ここならまだ知られていないだろうと思っているが、それでも足音に敏感になってしまう。
あの後も、教室にいれば柳一に絡まれ、放課後には葉詠が待ち伏せている。会長もいつも通り歩き方を咎めてくるし、石田達は・・・いつも通り、煩い。石田にはこの前「疑いを晴らしてくれたお礼」として、いつものカツアゲの上納金の他に五万円を追加して渡してもらった。追加分をカツアゲを増やすんじゃなく、ポケットマネーで補うところが石田らしいというかなんというか。
そんなわけで俺が安心して過ごせる場所がどんどんなくなっていくのだ。うざったいが、真剣に仲良くしようと依ってくる奴を力技で追い返すのも気が咎める。だからせめて、ここだけは守り通したい。
その願いもむなしく、ぱたんぱたん、と足音が近づいてくる。誰だろうか。
もうどうにでもなれ、手足を行儀悪く伸ばして、最後の楽園に入り込んできた闖入者を睥睨する。
「わぁお」
だれだよ、こいつは。
入ってきたのは、超が突くほどの美少年だった。
常時僅かに紅潮した頬、なぜか色気を感じる耳朶、さらさらの黒髪。
もしかしたら、女生徒が男子の制服を着ているだけなんじゃないか。そう思わせるような、可憐で儚げな何かが、俺の隣に座ってきた。
「・・・」
何かを伝えたいのか、俺を凝視してくる。なんだ、なんなんだ。やばい、今まで以上に緊張する。
その緊張を少しでも吐き出そうと、ぷはぁと息をついて美少年?に声をかける。
「お前、誰だ?」
用があるのかと聞きたかったのに、誰何してしまった。
美少女?は少しはにかみながら、声を発した。
「誰って・・・少しひどいよ、初鹿野くん」
心の穢れを一切合切吹き飛ばして清めてくれそうな、そんな声だ。地獄の瘴気すらも癒せそうだ。
ん?この声、どこかで聞いたことがある気がする・・・
「僕ですよ。阿部喬平です。忘れたのかな?初鹿野くん」
いやいやいやいやいや。
まてまて。
目の前の人間を、脳内で改造していく。そのサラサラの髪を油漬けにしてでろでろにし、頬の赤みを消して肌全体を青白くし、ぱっちりした目を半閉じにしてその下を墨で黒く塗りつぶす。
ストーカー少年が、確かに完成してしまった。
井筒の騒ぎに埋もれる形で、阿部のストーカーについては特に詮議がおよばなかった。会長も、特に訴えるようなことはせずに様子を見ると言っていた。会長から見ても、こいつは気持ち悪い人間だが井筒のような醜悪な奴じゃないと見たようだ。なんだか、俺も今確信した。こんな癒しの人間が、根っからの悪人でたまるか。
「おいおい、本当かよ。死神が天使に変身しやがった・・・」
「うーん、誉め言葉だよね?」
「ああ、人間の可能性には驚愕だな」
「できれば僕を誉めてほしいな」
すうぅぅぅ、と深呼吸。
よし、動悸はだいぶん収まった。
「んで、阿部は何の用で来たんだ?」
「うん。ちょっと伝えたいことがあるんだ」
そう言って、週明けからの阿部の経緯を話し始めた。
阿部はさすがに週が明けても学校に行く気は出ずに、火曜日の午後から登校を再開した。そして、水曜日(つまり昨日)に、焼却炉に再び行ってきた。もちろん、灰を回収するためだ。
警察の調べも終わり、黄色いテープが消えた焼却炉に近づき、鍵を開けた。運よく?今回も鍵当番は桂間だった。
警察が幾らか持って行ってしまったが、焼却炉の中にはいまだに灰が積もっていた。
そして、いざ辰己祭の灰を回収しようとしたのだが・・・
「見つからないんです。ほかの有象無象の灰と、愛する辰己会長の灰を、僕は見分けられないんです。笑っちゃいますよね。あれだけ声高に愛を叫びながら、僕は想いの灰を見つけられないんです」
そうか。そりゃそうだよな。いくら崇高な愛をもってしても、それを灰にしてしまえばもうどうすることもできないよな。
どれだけ自分が特別だと思っていても、ふとした拍子に突き付けられるんだ。
お前だって、吹けば飛ぶような、一粉の灰に過ぎないんだ、と
それは、理事長の息子でもなんでも変わりはない。
いや、その理事長だって結局は芥みたいなもんだ。
そんな現実に、空しいが、安心感を覚える自分がいた。
「そう、だから僕には辰己さんを愛する資格はないし、愛される資格もないんです」
「辰己さんを、愛し、愛されるような人は、初鹿野くんみたいなひとじゃなきゃ、だめなんだよ」
「はぁ?」
ここ最近「はぁ?」という頻度がとても増えた。その「はぁ?」でも最大級のやつが今、放たれた。
「おい、どういう意味だ、それ」
「聞いたままに受け取ってください。僕は、初鹿野くんにこそ辰己さんの隣がふさわしいと思うんです」
おかしい。最近他人と絡むことが増えたが、こいつら揃いも揃って全員おかしい。考え方や嗜好が様々な方向にぶっ飛んでやがる。
言葉を尽くして反論しようとしたが、やめた。どうせ、何を言っても無駄だ。
バンッ!と荒っぽく手すりを掴んで立ち上がる。その動作にすべての抗議を込めたつもりだが、恐らく伝わっていないだろう。
「初鹿野くん。応援、してるから」
「するな」
本当に、嫌だ。もう勘弁してくれ。
*******************
こうして、事件は幕を下ろし、俺の日常に大きな後遺症を残して荒らしは過ぎ去った。
あれ以来ことにつけて絡んでくる奴らが増えたが、全体的には未だ恐ろしい不良の親玉であり、いけ好かない理事長の息子というのが俺の評価だ。
それでも。
感謝された。
柳一にも。
葉詠にも。
会長にも。
石田達にも。
親父によれば、庄和夫妻も涙を流しながら感謝していたらしい。
とにかく、俺の行動が感謝されたのは久しぶりだ。
恥ずかしながら、小躍りしたくなるくらいには嬉しい。
だが、それでも俺はこの威圧的に肩を振りながら歩くこの姿勢を改める気はない。そんなに簡単には、人の十六年の歩き方は変えられない。
それでも、少しは前向きな気持ちになれたんだろう。
だって。
「くうっ。眩しいぜ」
昨夜からの雨が上がり、雲間から覗き込むように顔を出したお天道様をかざした指の隙間から睨みながら、呟いた。
今日は、いつもより少しだけ、太陽を見つめられた。
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