僕(俺)と彼女たちの言えない秘密

田中勇道

朝から「はい、あーん」は刺激が強すぎる

「……はぁー」


 人気ひとけのない通学路を歩きながら坂井さかい翔馬しょうまは深いため息をついた。外は快晴なのに心の中は曇っている。


「別に飯なんていらねぇのによ」


 鞄の中には父が作った弁当が入っている。父からは「成長期なんだからガッツリ食え!」と玄関の外で言われ、呆れるしかなかった。


 彼はもともと坂井翔太しょうたとして生まれた。両親は幼い頃に離婚して父に引き取られたため、母の顔は覚えていない。翔馬の名が生まれるきっかけとなったのは、彼が八歳のとき。学校のグラウンドでクラスメイトと喧嘩したのが始まりだった。

 普段はおとなしく叱責しっせきしても感情を表に出さない翔太が、その日は別人のように威圧的な態度で反抗した。翌日には元通りになったものの、数日経つと再びグラウンドで別の生徒と喧嘩。

 父は彼を小児の精神内科に連れて行った。医者からは多重人格――実際はその言葉を使っていないが、そのようなものだろうと伝えられた。

 原因は翔太が心の内に溜めていた不満や怒りなどの感情が人格として現れたのではないか、というのが医者の見解だった。父は多忙であまり構ってあげられなかったのも要因にあるのかもしれないと思った。

 そのことを翔太に伝えると彼はすんなり受け入れた。ショックを受けるかもしれないと父は話すのを躊躇ためらっていたのだが、思わぬ反応に拍子抜けした。


 通学路を歩きながら翔馬は弁当をどうするか考えていた。人格が違うだけで翔太と自分は同一人物。それぞれの人格で食べても結局は一人で二人分食べたのと同じだ。

 時間にはまだ余裕がある。どこか座れる場所はないか。あたりを見渡すと左折したところにある公園にベンチを見つけた。幸いにも人はいない。今のうちに自分の分を平らげておけば、昼休みまでは時間が空く。翔太も無理なく食べられるだろう。

 翔馬はベンチに腰を下ろすと、鞄から弁当箱を取り出した。


「……重っ」


 弁当は二段重ねになっていて重量感がある。思わず顔をしかめた、そのとき。

 

「おっ、坂井君じゃん。何してんの?」


 翔馬の肩が跳ねる。声の方向を向くと私服姿の少女がこちらを見据えていた。名前は確か佐倉さくら芽衣めいだったか。


「……別に」

「それ答えになってないし。ていうか、公園のベンチでいきなり早弁?」

「悪いか」

「悪いとかどうより早すぎじゃない? まだ九時前なのに……。早弁っていうより普通に朝食じゃん」


 もっともだったので翔馬は何も言えなかった。芽衣は無言で隣に座る。 


「家でご飯食べなかったの?」

「いや、食ったけど。俺、腹減りやすいんだよ」

「結構大食いなんだ」

「……まあな」


 翔馬はそう言って誤魔化したが、実は朝食を食べたどうか、まったく覚えていない。


(一日のほとんど翔太だからなぁ)


 翔馬の人格が現れるのは基本的に屋外。ただし、バスや電車では屋内と認識されるようで人格は翔太だ。


「つーか、お前いつも私服だよな」

「わたしの通ってるとこ私服オッケーだからね。初めて会った時に言ったと思うんだけど」


 彼女と初めて会ったのは今年の四月。始業式の日だった。それから半年間、通学路で顔を合わせているが、彼女の制服姿を見たことは一度もない。


「でも制服はあるんだろ?」

「あるけどスカートだから嫌なの」

「……ふーん」


 そういえば彼女のスカート姿も見たことがない。いつもスキニーだ。翔馬は弁当に視線を戻す。この女の相手をしている場合ではなかった。翔馬は箸を持ったが、上手く具が掴めない。翔馬の人格で食事をした回数は数えるほどしかなく、箸を使う機会は皆無に等しい。


「どうしたの?」

「あ、いや。箸ってどう持つのか忘れたっつーか……あれ? おかしーな」

「……坂井君、頭大丈夫?」

「うっせぇ」


 芽衣のいぶかし気な表情に翔馬は焦る。いっそのこと箸で刺すか。行儀は悪いが仕方あるまい。翔馬は箸をグッと握る――と同時に手首を掴まれた。


「坂井君、さすがにそれはダメでしょ。小学生じゃないんだから」 

「持ち方なんて人の自由だろうが」

「ちゃんと教わらなかったの? ちょっと貸して」


 芽衣はそう言って翔馬から箸と弁当箱を奪い取ると、玉子焼きを箸で掴み、翔馬の目の前に差し出す。


「はい、口開けて」

「……お前、何してんの」

「さっさとして、時間過ぎちゃうでしょ」


 翔馬は今置かれている状況を整理する。これは完全に「はい、あーんして」の状態だ。これはご褒美なのか? 罰ゲームか? 

 あまりらすと怒られそうなので翔馬はおそるおそる口を開けた。玉子焼きが口に運ばれた。翔馬は静かに咀嚼そしゃくする。


「美味しい?」


 とりあえず首肯しゅこうした。頭が真っ白になっていて味を感じない。


「次、どれにする? 玉子焼きもう一個あるけど」

「……適当に選んでくれ」

「じゃあ、玉子焼きにしよ。はい」


 翔馬は芽衣から視線を逸らし、口を開けた。まるで手懐けされたペットのようで居心地が悪い。芽衣は弁当箱のプチトマトを顎でしゃくって言う。


「ねぇ、このプチトマトもらっていい?」

「勝手に食えよ」

「そうしたいのは山々なんだけど、手が塞がってるから」


 芽衣の右手には箸、左手には弁当箱。翔馬は顔を引きつらせた。


「……お前、マジで言ってる?」

「マジ。大マジ」 


 翔馬は嘆息たんそくしてプチトマトを手に取り、芽衣の口にやった。


(俺、何やってんだ)


 とっくに夏は過ぎたというのに、体が火照ほてって額から汗が出てくる。弁当を完食するまで汗はなかなか止まらなかった。

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