【戦死】やはり普通はこうなると思う

 1556年1月中旬

 武蔵国八王子城

 上泉秀胤

(勉強することが増えまくりの秀才)



 殿がようやっと帰還為された。


 まだ上野国までは帰着していないが、大胡の皆の元へ帰って来た。


「君たちがいるところが大胡だと思っているよ。でも現実は、もう既に70万もの人と共に生きているんだね。僕たちは」


 そう仰られた。

 そしてそれがもう間違えであるとも言われた。


「ああ、70万人じゃなくなっちゃったよ。倍の150万? 嬉しいけどね。これでは仕事がですまーち」


 帰ってくると、またもや後藤殿の髭攻撃を受けていた殿。


 しかし皆の笑いの輪に加わらない者が一人だけいた。

 東雲殿だ。


「しのっち。どったの? 元気ないね…… みんな。直ぐに報告と総括をしようと思ったけど、ちょっと待っててね。しのっちと話してくる」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 同日同刻 

 別室

 東雲尚政

(鬼の目にも涙。あ、狐か)



「そうかぁ。大隊1000名の内、123人戦死。239名負傷、その内半数が重傷で退役なのね」


 殿が普段見せない深刻な顔で俯いた。

 俺も俯く。


 大隊の1/3が復帰不可能、もちろん重傷者の内、少なくない数が死に、その多くが不具となる。


 それも殆どが俺の采配ミスだ。

 無理をして強引に事を運んだせいだ。


 その時は必要と感じた。

 断固としてやるべきだと。

 それが最善手だと。


「戦略上、そして外交上、その他諸々の面において、しのっちの采配は間違えていないよね。それはしのっちの事だからわかっている筈。

 だけど自分が許せないのは事実だね。自分の命令1つで何人の者が死ぬか。考えるだけで恐ろしいけれど、「やるっ」と決めたからには最後までやり通すべきだし、その後始末もするべきだ」


 それは分かっている。


 味方よりも遥かに多くの敵を殺してきた。

 だが同じ釜の飯を食ってきた連中、生死を共にし本当に多くの苦楽を分かち合ってきた者を死地へ追いやる命令を出す覚悟が出来ていなかった。


 甘すぎたのだ。頭でっかちだった。



「僕もね。河越の時、最初の突撃指揮を出したときに、手足が震えて汗が滴っていたって政影君が言っていた。何人殺すのかなって、敵も味方も。初めて人を殺した。自分の手ではないけれど。それまで平和過ぎたんだよ、甘すぎた生活を送って来たから。ぬるま湯の時代」


 そうとは見えなかった。


 あの時は

「なんで此奴はこうもあっさりと初陣を飾れるのか?」

 と妬んだ。


「同じ視線で世界を見て見たい」とも思った。


 その世界がこれなのか?

 この死屍累々とした光景が。


「前に言ったじゃない。『軽装備の竜騎兵を定点の守備や正面攻撃に使うな』と。使っていい人は『敵と味方の死闘を戦場の真っただ中で酒飲んで見ていられる程、肝が据わっている変人だけ』だって。

 僕だってむりぽ」


 そうだ。

 だから酒を飲んで指揮をした。

 逃げたかったのだ。


 この異常な世界から。

 酒の力を借りて。


 だが逃げられなかった。

 死は何処へ行っても追って来た。

 夢の中にも。


「……やめる? 軍隊。お坊さんにでもなる? 戦死者の供養で一生を終える?」


 その考え、浮かんでは消えてを繰り返している。

 もう何もかも嫌になった。


「ああそうだ。この前ね、越後の龍(断酒中)が家出したって。越後の国衆が、いっつも己の事ばっかり考えて諍いを起こすから、もう嫌になっちゃったって。比叡山にでも行って出家しようとか手紙送って来たよ。あの人行動早いから、すぐ出ていっちゃったけど側近が追ってきて止められたって」


 そうなのか。

 あの越後の龍が大酒飲みだった理由はそれもあるのか。平家物語でも少なくない武将が出家していたな。人は耐えられないほどの苦しみを背負うと酒に逃げたり出家をしたりするのか。


 俺だけではないのか。


「あれだけ強い人でも堪える戦乱の世を渡っていく苦難の道。多分それの更に数倍の苦難が、大胡の指揮官にはついて回るんだよね。武士の殲滅。常識的に見て冗談じゃない! 信長だってある程度の妥協はして、壊す必要のあるところだけ壊したんだから。それを根底から壊すことを大胡はしている」


 信長? 

 織田信長か?

 会ったことは無いし何をした奴かも知らん。


 だが誰がやろうとも結局は天下の上物うわものを建て替えるだけで終わるだろう、天下一統というものは。


 それなのに大胡は、殿の「国民国家の形成」という目標のために、武士階級の根絶と金融経済の自由化と、その統制を目指す。


 だから未だ嘗てない大戦争・大破壊を呼び起している。

 今はまだ坂東のみの破壊だが、そのうち天下を丸ごと破壊するであろう。


 坂東のみならば大胡の手に負える。

 今までなら民の苦痛を和らげるための手段はあるが、これ以降、手の届かぬところが急激に増加するであろう。


 その時は平民の怒りを買い、それらも虐殺するのか?

 そう考えると益々出家や飲酒に逃げたくなってくるのだ。


「僕は戦をしながらでもこういうへらへらした行動をしているけれど、実はね、ものすごく気が弱いんだ。戦なんてもう怖くて怖くて。那波の大虐殺する前後の2日間寝られなかった。だから頭がへろへろでさ、それであんなに苦戦したんだけどね。

 当たり前だよ。

 苦悩しない者は狂っている。別に狂っているのを責めているわけじゃあないんだよ。時代が狂っているんだから当たり前。でもしのっちや僕みたいに繊細だと耐えられないんだよね、分かるよ」


 殿が言いたいことは分かる。

 自分の方が、遥かに業が深いと言いたいのであろう。


 だがそれが何になる?

 俺はここまでの器でしかなかったという事。


 殿とは比べ物にならなかった。

 追いついて同じ土俵に立ちたいと野心を抱いたが無謀であった。俺には耐えられない世界であった。


「ううん。僕の方が偉いとか、もっと大変だとか言いたいんじゃないんだよ。しのっちは多分、僕に似ているよ。やらねばならないことは知っているし、それを実行する。でもやって後悔する。それで心が傷つく。何かに逃げ込む。

 僕の場合は小さい時は乳母の胸の中。そして夢の中に逃げ込んでいる。今は楓ちゃんの胸の中。人は逃げ込むところを持っていないと、心が破壊されちゃう。

 だから……嫁を貰いなさい! 

 もうしのっち、36でしょ? 独身貴族は許されない時代だよ。心を開く相手を持ちなさい。それとね、あともう一つ言っていい?」


 俺が顔を上げ殿を見ると、殿は声も立てずに泣いていたようだ。

 もう顔が涙と鼻水でべとべとだ。


「……なんでござろうか」


「1月に一度さ。僕と2人でだべり会しない? 色々と吐き出そう! 僕は余り酒飲めないけれど、最近大分飲めるようになったんだ。2人だけなら弱音吐いてもいいじゃない。そして話し合おうよ。作戦の事とか戦略の事とか歴史の事とか、色々あるじゃない。そんな時間が欲しいなぁ。僕が欲しんだよ。しのっちの為じゃなく。お願いだよ」


 俺も涙と鼻水、それから涎で、ぐじゃぐじゃになった顔を殿に向けて了解の旨を伝えるべく、小さく頷いた。


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