≪KK-01 -ふたりの始まりは突然に- 3/3≫

 書類の末尾には、『みなさまにお願いしたいこと』と題されて、次の事が記されていた。

 今後については、この1~2週間の動向が国内で感染が拡大するかの瀬戸際であること。

 風邪や発熱などの軽い症状が出た場合には、外出をせず、自宅で静養すること。

 ただし、4日以上の発熱や強いだるさ、倦怠感や息苦しさ、呼吸困難がある場合、直ちに都道府県に設置している「帰国者・接触者相談センター」に相談すること。

 ただし高齢者、基礎疾患等のある方は、上の状態が2日程度。

 そして、一日の行動パターンの見直し、人の大勢集まる場面をできる限り回避。

 教育機関、企業など事業者についてもリモートワーク、オンライン会議で対応していくこと。

 どれも報道で見聞きしている内容だった。

 だが、だからといって納得はできるものではない。

 みさをの心にはもやもやが残る。

 このもやもやが何なのか、自分でもよくわからない。

 みさをはただ、うつむくだけしかできなかった。


「ちょっと休憩にしよう」


「……はい」


「たこ焼き、食べる?」


「はいぃ?」


 たこ焼き。

 そのあまりに場違いで能天気な響きに、みさをは思わず顔を上げる。


「ホントはまだ来ると思ってなかったから、休憩室のレンジにかけてたんだ」


 たこ焼きとは、小麦粉の生地の中にタコと薬味を入れて直径3~5cmほどの球形に焼き上げたものである。

 ソースはあかん。なんでもソースで片づけてしまうようになるから。

 それは祖母の教えである。


「さっき、パン食べてませんでした?」


「朝食だから」


 意思の疎通がうまくいっていない。

 どうやら髪型と同じく天然が入っているようだった。


「私は結構です。休憩室で召し上がってきてください」


「じゃあお言葉に甘えて」


 重量感を感じさせる動きで、小須戸はオフィスを後にする。

 みさをは大きく胸に息をためて、大きく吐き出した。

 ……朝から何かひどい疲労感を覚えてしまった。

 肩をぐるぐると回す。

 この業務の開始に備えて、お気に入りのセラピストの人のマッサージを受けてきたばかり。

 さすがにまだもみほぐしてもらうほどではないが、少し癒しは求めたい。

 今後の業務に関しては、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、当面増員の予定は無い。

 二人で使うにはやや手広なオフィスなので、そこまで不便は感じてはいない。

 正直なところ、小須戸に関しても確かに疲れはするが、ヒキガエルとまで言われるほどの人間かと言われると、さすがにそれは言い過ぎではないかとも思う。

 身体はのっそりと大きいし、見かけは確かにヒキガエルっぽいし、性格も天然が入っているしで、確かに女子人気の獲得ができないのは否定できない。

 とはいえ、別に、それだけである。考えてみれば、朝早くからいきなり方針を見せてくれたことも、仕事の上では充分に評価に値した。

 みさをがこのオフィスに来る前に感じていた不安は、もう忘却の彼方だった


 みさをがお手洗いを出て、休憩室の前を通りかかると、お吸い物の匂い。

 匂いにつられ、中をのぞき込むと、小須戸がたこ焼きを食べている姿。

 紙コップとパックのたこ焼き。

 たこ焼きには不思議なことにソースがかかっていなかった。

 何もつけずに食べるのだろうか。

 そう思って様子を伺っていると、小須戸は箸でつかんだたこ焼きを紙コップの中に入っているお吸い物に浸して口に運んでいた。

 なんということであろうか。

 みさをの背中に電流が走った。


「……どうかした?」


「ず、ずいぶんハイカラな食べ方をされてるんですね」


 小須戸から声をかけられ、動揺を押し隠して、答えるみさを。


「うん、たまにはこういう食べ方もいいかなって」


「そうですか。それは明石焼きいうんですよ。ソースはたこ焼き。お吸い物なんかのダシで食べるのは明石焼きなんです」


「ふーん」


 みさをは吸い寄せられるように小須戸に近づく。


「いっこ、食べる?」


 コクコクとうなづき、みさをはマスクにアゴに下ろす。

 小須戸はたこ焼きのパックを差し出す。


「あ、そうか、割りばしか」


「いただきます」


 小須戸はいったん席を立とうとするが、みさをは小須戸の箸を手に取って、たこ焼きをお吸い物に浸して口に運ぶ。


「うん、おいしい!」


 みさをの顔は満面の笑みであふれるのだった。

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『』内引用元

 新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた専門家の見解(2月24日) より

 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000599431.pdf

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