第22話 ちょっと思い出してみる むっつめ ~伯爵の過去~


「で、伝言とは?」


 領主館にサミュエルを招いたウォルターは、自ら茶を淹れて少年に振る舞う。それを受け取ったサミュエルは、優美な所作で御茶を飲んだ。

 子爵家の三男坊とか言っていたが、随分と綺麗な所作である。

 しかも中々の美少年。騎士よりも近衛の艶やかな制服が似合いそうだと、他愛も無いことを考えていたウォルターの前で、サミュエルはカップを置き、ポツポツとここまでの経緯を語った。

 

 話を聞いて、思わずウォルターは片手で顔をおおう。


 要はハニートラップを仕掛けられて冤罪を受けたという話だった。気の毒に。


「.....寮の部屋に御令嬢が。暗かったのですが人の気配は察したので、慎重に入ったのですが。.....破れたドレス姿の御令嬢が飛び出して来て、私に襲われたと叫んで回って.....」


 へにょりと背中を丸めて話す少年。


 よくある話だ。


 貴族社会は相変わらずなのだなとウォルターは嘆息する。


 意中の誰がしかを射止めんと、襲った、襲われたと嘯き、外堀を埋めて責任を問うやり口は、ある意味常套だ。

 襲われた御令嬢の話は多いが、まさか騎士を冤罪に嵌めようとは。愚かの極みとしか思えない。


 騎士とは神に忠誠を誓う者。洗礼を受けて、誠実と貞節を神々に約束する。

 これは現実に作用する誓いだ。万一違えれば、とんでもない断罪がおりる。

 この世界、デイモスは女神様が創造した世界だと言われていた。神託や御光臨も稀にあり、その信憑性は高い。

 そんな世界には女神様の天罰が直におりる。


 誓いをたてた者が偽りを述べた瞬間、女神様の天罰により、髪が緑に変わってしまうのだ。

 緑は魔物や樹海を示す色。万人に見える断罪の色である。


 彼がただの貴族であったなら相手の言い分が通ったかもしれない。

 しかし、既に騎士として誓いをたてていたサミュエルは、嘘をつけない身体だ。偽りを口にすれば女神様からの断罪がおりる。

 そのため、御令嬢の訴えは却下された。

 彼が否定し、女神様の断罪がおりない事が、サミュエルの潔白を証明したからだ。

 騎士に謀は通じない。それをよく知らなかった御令嬢の失敗である。


 だが、それで事は収まらなかった。


 相手は侯爵令嬢。醜聞を恐れた侯爵により、さらに少年は追い詰められたという。


「侯爵様が..... 騎士をやめて、御令嬢を娶れと。今回の噂が広まり、御令嬢の立場が危ういからと」


 ボソボソ呟くサミュエルの顔は真っ青で、彼が信心にとても篤い人物な事をウォルターに伝える。

 つまり侯爵は、少年に騎士をやめさせて、御令嬢を襲ったという噂を肯定させ、自分の娘の体面を保とうと言うのだ。

 

 愚かしい悪足掻きでしかないが、こんな話を社交界が見逃すわけはない。今頃、面白おかしく盛大な尾びれをつけて出回っていることだろう。

 ウォルターは社交界の残酷さをよく知っている。

 馬鹿なことをやらかした侯爵令嬢は、もはや嫁ぎ先も見つかるまい。

 それを危惧しての親心。どうせ針のむしろな人生になるのなら、娘をせめて好いた男と寄り添わせようとでも侯爵は考えたに違いない。


 軽く眼を伏せてウォルターは思案する。


 自分も過去に目指していたので知っているが、騎士の誓いとは易々と覆して良いものではないのだ。

 やめることは可能である。だがそれは女神様を軽んじることとなり、本人の人間性や矜持が、いたく傷つけられる。

 しかし自分よりもはるかに上の身分の者に逆らう事も出来ず、ほとほと困り果てていたサミュエルに、サンドラが助け船を出してくれたらしい。


『貴方にその気があるなら、辺境を紹介しますわ。過酷な土地と聞いておりますが、王都が唯一手を出せない土地でもあります。丁度今、わたくしの知り合いが領主をしておりますの。さすがの侯爵様も、辺境にまでは追ってこないと思いましてよ?』


 ほくそ笑むサンドラの話に飛び付き、サミュエルは周りが止めるのも聞かずに辺境へ馬を走らせたのだという。


「ここが魔族と戦う激戦区なのは存じております。しかし、それこそ私の望むところ。人々を守るのは騎士の本懐。どうぞ、この身を伯爵様の元に置いてくださいませ」


 深々と頭を下げる少年。まだあどけなさの残る彼を襲った不条理。これをウォルターが看過するはずもなく、サミュエルは辺境に迎えられた。

 稚けない御令嬢に振り回された彼に、周りも暖かく迎えてくれる。


 そうして、サミュエルはサンドラから預かった伝言もウォルターに伝えた。




「.....マジか」


 少年のもたらした話は青天の霹靂。


 かつて彼女が語っていたように、サンドラの妊娠が発覚した途端、子爵は家の恥と断じて彼女の貴族籍を抜き、邸から追い出したらしい。

 だが、まあ、あのサンドラだ。そんなことも想定内。

 飄々と市井にくだり、自分の資金をつかって買った小さな家で子供達と暮らす準備を始めたとか。


 しかし、しばらくして不味い事が起きる。


 生まれた子供は双子。しかも銀髪紫眼をした男の子だったというのだ。


 そこは頑張らなくて良いんだよっ、親父の遺伝子ぃぃぃっ!!


 話を聞いたウォルターは、思わず両手で顔をおおい、天を仰ぐ。


 だが、不幸はそれで終わらない。


 顔立ちもウォルターによく似ているらしい。彼は父親似だ。つまり息子達は、祖父であるウォルターの父親にそっくりなのである。


 おかげでサンドラは隠れるように暮らしているとか。


 あの醜聞から十年以上もの月日がたっている。人々の記憶からも薄れ始めているだろう。

 だが、当事者達は忘れない。思い出という名前の過去になっても、再び父が現れたら、その怨みは再燃するはずだ。女性らの恋慕も甦るだろう。

 そんな人々の的になりそうな息子達。

 ウォルター自身も、言い寄る女どもに苦労させられた口である。


 今思い出しても反吐が出そうな数々。


 平民同然になった彼に、まことしやかな善意を囁きつつ、しなだれかかってきた下級貴族の女性達。

 父の情人らも同様だ。父親とよく似たウォルターに食指をのばして、あれやこれやと破廉恥な行為に及ぼうとしてきた。


 女なんぞ、家族やサンドラ以外は皆ケダモノだ。


 あれだけ父の醜聞が世間を騒がせたというのに、まったく懲りない人々の、なんと多いことか。

 下級貴族らも貴族らで、あわよくば伯爵の地位を手に入れようと、自分の娘達を煽る始末。

 平民同然とは言え、伯爵の地位を持っていて良かったと、あの頃のウォルターは心底思った。

 下位の者は上位の身分の者に逆らうことは出来ないからだ。

 あの手この手で彼を籠絡しようとする御令嬢方を一喝で黙らせられる。

 あんなだらしない父親の息子なのだ。ウォルターも下半身の緩い男に違いないと高をくくり、自分の娘をけしかけてきた下級貴族の大半はウォルターの辛辣な侮蔑に戦いて逃げ出した。

 残る少数は、しぶとく言い寄って来ていたが、それも彼の辺境行きで諦めてくれた。


 それで煩わしい事は全て終わったと思っていたのに。


 ここにきて立ち込める暗雲。


 今のサンドラは平民だ。貴族らに眼をつけられたら、とんでもない事になる。

 このまま行けば息子らも、ただでは済むまい。怨みを持つ者や、邪な感情を抱く者らの慰みものとされてしまう。

 父親の色目は特別だ。父を知る者であれば、その面差しも重なり、一目で血縁者なのだとバレるに違いない。


 あああああっっ! 何処まで俺の人生に付きまとうんだよ、糞親父ぃぃぃっ!!


 脳内で雄叫びを上げてのたうち回るウォルター。


 だがしかし、その父親が、後に自分の窮地を救ってくれるとまでは、全く思い至らない彼である。


 彼の不遇は常におかわり状態。まだまだ終わることはない。

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