第十六話 戦の支度①

「おお、美味い! おいクリフ、この林檎甘いぞ!」


 エヴァのいた町から、西に数時間ほど進んだところにある林の中。


 切り株に腰掛けて林檎にかぶりついているノエルを、複雑そうな顔でクリフとマージェリーは見つめていた。


 何も、ノエルが林檎を食べる様が気に入らない訳ではない。問題は彼女の食べている林檎そのものにあった。


「……おいノエル。その林檎どこから持ってきたんだ」


「ん? そんなもの、あの町から貰ってやったに決まっておろうが。ぬしがあちこち吹き飛ばして周るから、探すのに些か骨を折ったがの」


「アンタそれ泥棒したの!? 自称魔王の癖してやることちっちゃいわねぇ」


「どうせ誰もこれを買わんし、食べる輩もおらんじゃろう。ならば妾に召されることが、この林檎にとっても光栄であろ?」


 ノエルの影が大きくなり、ばくりと開く。影の中からは幾つもの林檎が吐き出され、ノエルの足元に山積した。


 ノエルの影は一種の異界となっている。その影に自分の影を呑まれたものは、有機物であれ無機物であれ、その支配権を失う。


 動くことは無論、そこにただことさえも、権利を失えばままならない。サイズや状態まで、全ては彼女の思うままとなる。


 取り出した林檎を一つ拾い、スカートの裾で擦ってから、ノエルが再び噛りつく。芯だけになった林檎はばきばきと音を立てながら萎びて崩れていった。


「中々美味い林檎じゃ。いいぞあの町、占領したら暫く無税にしてやろう」


「へぇ、また随分と持ってきたものね」


「……で。お前はその林檎をどうやって消費するつもりだ」


「うん?」


「うん? じゃないだろう。俺たちは三人しかいないんだ、こんなに食べられる訳がないだろう」


「は? 三人じゃと? この林檎は妾だけのものじゃ、やる訳なかろう」


 ノエルが立ち上がり、足元に積まれた林檎を庇うように立ち塞がる。


「こんなに林檎ばかり食べられる訳ないだろう。絶対に飽きるぞ」


「駄目じゃ! 妾のじゃ!」


「別に捨てろと言ってる訳じゃない。ただ少し手を加えて、三人で使い切れるようにしようと言っているんだ」


「手を……加える?」


「手を加えた方が生より美味しくなって沢山食べられるぞ」


「よし許す! はようやれ!」


「手の平返すの早いわねぇ」


 うきうきと目を輝かせるノエルと、呆れた様な顔をしているマージェリーを一瞥してから、クリフが林檎を一つ手に取る。


「少し待てよ、まずは素材を確かめないとな」


 クリフが懐から小ぶりのナイフを取り出し、手慣れた動きで皮を剥いていく。剥き終わったそれを切って、一つ口に入れた。


「うん、癖はあるが中々良い林檎だ」


「あーっ! 食べるなと言うた傍から!」


「ほら、お前も一個食べてみろ」


 切り分けた林檎を木皿に乗せて、クリフがマージェリーの方へと差し出す。


 向けられたそれを見て、マージェリーは一瞬ぎょっとした。冷や汗がひと筋垂れて、身体が僅かに強張る。


「おい小娘! それをひと口でも食べてみろ! 妾への不敬は万死に値すもごもごもご」


 きんきんと喚くノエルの口に、クリフが林檎をひと欠片突っ込む。ノエルの口は小さいので、それだけで一杯になってしまう。


「安心しろ、毒は入ってない」


「……頂くわ」


 おずおずと、マージェリーがクリフの手元から林檎をひと欠片手に取る。震える指でそれを確かめ、軽く深呼吸して口へと運ぶ。ゆっくりと噛み締めて、咀嚼し、嚥下する。


「美味しい。でもちょっと酸味が強いわね。生で食べ続けるのは確かにちょっとしんどそう。コンポートにするのが良いんじゃない?」


「同感だ。……で、お前は作ったことあるのか?」


「? ある訳ないじゃない。料理は下働きがすることでしょ?」


 きょとんとした顔でマージェリーがもう一つ林檎を手に取り、口へと運ぶ。


 それは、お前は何を言っているんだ、という表情だった。自分に非はない、という表情である。


「大丈夫よ、アタシは天才なんだから! 凡才でもできる料理の一つ二つ、パパっとこなしてみせるわ!」


「この富裕層ブルジョワめ……!」


 軽い頭痛と眩暈がして、クリフは片手で頭を抱えた。


 ある程度分かっていたことではあるが、マージェリーは富裕層、巨万の富を持つ銀行家の娘である。


 使用人など幾らでも抱えているのだから、雑事の一切はそちらに任せて魔術の探求に勤しむことができる。きっとこれまでの人生、彼女はそうやって生きてきたのだろう。


「いいかマージェリー。料理はな、お前が思ってるほど簡単にはできないんだ。代わりにノエルと買い出しに行ってくれ」


「大丈夫よ。アタシが失敗するように見える?」


「……この辺りには市が開かれている筈だ。砂糖とシナモン、あとはレモンを頼む」


「あ? アンタ、アタシを使いっ走りにしようってわけ?」


 眉間に皺を寄せて、マージェリーがクリフに詰め寄る。


「他にお前ができることは無いだろうが」


「よーしそのケンカ買ったわ! アタシが何だってできるってこと、見せてやろうじゃん!」


 びし、とマージェリーがクリフを指さし、彼の手から素早くナイフを引っ手繰たくる。ノエルの足元から林檎を一つ取り、もう一度クリフの方へと向き直った。


「とくと見なさい! アタシのナイフ捌きをね!」


 自信に満ちた表情で、高らかにマージェリーが宣言した。




「…………」


 それから半刻が過ぎた頃。


 クリフの元へと、布の包みを抱えた二人が戻ってきた。


 マージェリーは今にも破裂しそうなほどの膨れっ面をして、クリフの方をじっとりと睨みつけている。その指には幾つもの包帯が見えた。


「こやつ、終始こんな感じなのじゃ。拗ねた童みたいじゃ」


「みたいじゃなくてその通りなんだろうよ。ご苦労だったな」


「……す」


「は?」


「殺す……いつか殺すきっと殺す絶対殺す……何年も何十年も追い掛け回して必ず殺す……こんな屈辱は生まれて初めてだわ……!」


 たっぷりと怨みの籠った目で、マージェリーがクリフを睨みつける。


「覚えてなさいよクリフ。ユークリッドをぶち殺したら後できっとくびり殺してやるわ……!」


「分かった分かった。できるものなら好きなだけやればいいさ」


 今にも飛び掛かってきそうなマージェリーと、呆れた顔をしているノエルから、クリフが包みを受け取る。包みからは柑橘の香りと香辛料の香りがふわりと漂った。


 元々聖帝国は荒涼とした土地である。柑橘類の栽培自体は行われていたが、香辛料はそう容易く手に入るものではなかった。


 こんな辺境の市でも気軽に手に入るようになった背景には、グローム鉱石を用いた大型船用の魔力炉の発明が大きい。


 魔界に埋蔵量の大半があるとされる、石そのものが多量の魔力を含む鉱物。大戦のきっかけとなった鉱物も、じき潤沢に採掘されるようになるのだろう。それは人界の発展を約束することであり、同時に魔界の衰退を物語るものでもある。


「半分はコンポートに、もう半分はジャムにしよう。生のままよりは幾らか消費も早いはずだ」


「…………」


 ノエルが少しぶすっとした顔に気付いて、クリフが訝る。


「どうした」


「いや、小娘に倣う訳ではないがの。戦馬鹿のぬしがくりやを仕切っておるというのは、何かこう……腹立たしいの」


「誰が戦馬鹿だ。……ただ昔、教えてくれた人がいただけだよ」


 静かに、少し寂し気に、クリフが目を伏せる。


「確かに、俺は昔は戦馬鹿だった。ただの刃、単なる人斬り包丁だった。

そんな俺をそこそこの人に引き上げてくれたのが、血と鉄しか知らなかった俺を人間にしてくれたのが、ネル……コーネリア・ザカリアヴナ・ベアトリーチェだったというだけさ」


「なっ……!」


 クリフの言葉に、マージェリーがはっと息を呑む。


 コーネリア・ザカリアヴナ・ベアトリーチェ。人界広しと言えど、彼女の名を知らぬものなど、ただの一人もいはしない。


「アンタ今、コーネリアって言ったわよね」


「ああ」


「聖女の生き写し、太陽の祝福と云われる、『太陽の聖女』コーネリア・ザカリアヴナ・ベアトリーチェなのよね?」


「そうだ」


「……アンタ、自分がどれだけ大それたことをつもりか知らない訳じゃないでしょうね」


 ひやりと、マージェリーの背に冷たいものが走る。


 太陽の聖女。太陽教において最も重要とされる三位さんみ、太陽・創造神・聖女のうちの一角。コーネリアはその生き写しとして、教会最大の至宝と呼ばれている。


 聖女の唯一絶対性を保つため便宜的に生き写しと呼ばれてはいるが、彼女は今の時代に生まれ変わった太陽の聖女である。


 現在は赤の大公領から姿を消し、公には行方知れずとなっている。至宝は散逸した、それが教会の正式発表ではあるが事実は定かでない。


 その至宝を探し、簒奪するということは、この人界を丸ごと引っくり返すに等しい、愚行とも呼べる行いである。


「事の大小は関係ない。俺はネルを救う、その為にノエルに手を貸して勇者を殺す。それだけだ」


「呆れた! 関係ない筈ないじゃない。太陽の聖女を連れ戻すってことはね、人界の全てを敵に回すってことよ? もう一度あの大戦に、世界を逆戻りさせたいって言いたいわけ?」


「それは互い様というものじゃろうが、小娘。

ぬしとてユークリッドを殺したいのじゃろう? 勇者の一角を崩せば、早晩人界は混乱に陥るじゃろうて。何かと理由を付けて今度は蟲同士での戦争でも始まるかもしれぬ」


「それは……!」


「かかか。なぁに、憂うことは無いわい。どれほど蟲の巣穴が荒れようと、妾の庭が荒れようと、最後は妾が綺麗に均してやるゆえ。心配はいらんぞ?」


 にやりと笑い、ノエルが大きく諸手を広げる。


「それにほれ、妾はぬしらが思うておる程の圧政は敷かんぞ? 一応議会は設けてやるし、選挙も開こう。税も重くはせんし、それなりの生活は保証してやろうではないか」


「気に入らなかったり能力が無かったら殺すから、民主制が無いとおっつかないだけでしょそれ」


「…………」


「はぁ、アタシったらどうしてこんなのについて来ちゃったのかしら」


 大袈裟に肩をすくめながら、マージェリーがため息をついてみせる。


「ま、今の人界も大して変わらないけどね。聖帝国では魔女狩り部隊イノケンティウスが異教徒狩りをエスカレートさせてるし、王国では青い血族ペイルブラッドの支配者階級が圧政を敷いているもの。王の首が魔王にすげ変わっても、あんまり気にならないかもね」


 魔女狩り部隊イノケンティウスとは、太陽教会の異端審問会が抱える実行部隊。異端殺しの部隊である。


 魔女憑き、異教徒、危険分子……そういった教会の威信を傷つけかねない存在を根まで叩く役目を持つ。任務の大半は族滅ぞくめつであり、一度ひとたび異端認定を受けた者は、その親族や配下に至るまで、全員が命を絶たれる。


 青い血族ペイルブラッドとは、青の王国の王族を中心とした最高権力者の家系である。


 政治を含む全ての決定権はその血族にあり、その王国ではどれだけ青い血族ペイルブラッドの血が混じっているかで一生受ける扱いが決まる。血統主義による絶対的な階級制度が蔓延っているのが王国の現状であることは、人界の誰もが知っている。


「俺は別に、魔界や人界に対して思い入れは無い。目的の為にはノエルにつく方が、たまたま都合が良かっただけだ」


 つう、とクリフが自分の心臓を撫でる。


 ――俺の場合、結果的にあまり選択の余地は無かったような気がするがな……。


 そう思うクリフの指を伝って、心臓が一段大きく、どくんと高鳴った。

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