竜と魔王の英雄譚 ‐魔王と始める、勇者殺しの物語‐

九重ミズキ

prologue 灰と落人①

〈いいかクリフ、お前は刃だ〉


 頭の奥で、低い声が響く。


〈刃は何も考えない。刃は何も欲しない。刃は何ものにも縋らない。それはただの、一振りの道具だからな〉


 ――違う。俺は刃じゃない……!


 頭の中で響く声を振り払う様に、男は両腕に握った剣を振るう。


 斬線に迷いは無い。剣の重量と全身の体重を使った疾風の様な斬撃が、斬り掛かってきた屈強な男達を一瞬でった。


 一拍置いて舞い上がった肉片がばらばらと地面に落ち、ざっと赤い雨が振る。


 男の黒い髪と白い肌に血の雫はべったりと張り付き、鍛え上げられた身体を包む紅い甲冑を更に紅く染め上げた。


 血に濡れた髪を振り乱しながら、男が自分を取り囲む兵士の群れへ向き直る。


 男の名はクリフ。かつてこの地で英雄と呼ばれた彼にも、今最期の時が近づいていた。


「……お前ら、『太陽の聖女』を……ネルをどこへやった!」


 ぎろりと目を剥いて兵士達を睨みつけ、切っ先を突きつける。その姿を嘲る様に、あちらこちらからせせら笑う声が聞こえ始めた。


「これも全て赤の大公領、ひいては世界の為ですよ。クリフ様」


「コーネリア様の魔力こそが赤の大公領を発展させ、ゆくゆくは勇者アルフレッドを擁する王国を崩す為の一手となると元老院はお決めになったんでさァ」


 ――やはり、やはり元老院が!


 ぎり、と強く柄を握りしめ、クリフが吠える。


「ザカリアは何をしている!? 奴がこんな事看過する筈が無いだろう!」


「あれは飾りの王、元老院の決定こそ大公領の決定! これから死ぬあなたがそれを気にする必要は無い!」


 兵士の一人がその叫びと共に、槍を携えて突進してくる。丹田を中心として全身を使い、しなる様にして一撃を繰り出す。


 鍛え上げられた、身体の使い方と武器の使い方を心得た者の突撃。ただ腕の力任せに突き出すものとはまるで違う、神速の一撃が迫る。


 彼我の距離は大股に十歩と言ったところだろうか。兵士からすればわずかな踏み込みで事足り、クリフからすれば途方もなく長い距離だ。


 剣術三倍段、という言葉がある。


 槍に剣が打ち勝つ為には、およそ三倍の実力を要するという意味であるが、それだけ戦闘におけるリーチには大きなアドバンテージが存在する。


 ただ客観的に、双方を二人の兵士として見るのであれば……どちらが有利かは火を見るよりも明らかであった。


「――殺ったぞ、英雄!」


 裂帛れっぱくの勢いで以て、砲弾の如き穂先が鋭く大気を切り裂く。


 確実に相手を捉え、迷いなく突き込んだ筈の刃は、しかしクリフへ届く事なくその襲撃を終えた。


 既に腕は伸びきり重心の移動はおわっており、重心を戻しての予備動作なしにこれ以上前へと進む事は叶わない。


 最小限の力で槍を弾いて軌道をずらし……首の傍を軽くすり抜けただけだった。


 ――見切っただと? この一瞬で、俺の間合いと動きを完全に読み取り捌いたというのか!


 ぞわりと、背中の肌と背骨の間を虫が這う様な寒気が兵士を襲う。


 見るもの全ての背骨に氷柱を突き立てる様な、鋭利で冷たい双眸が兵士を睨んだ。


「……赦さん。決して赦さんぞ貴様ら」


 すう、とクリフが息を吸い、ひ、と兵士が息を呑み穂先を外す。


 一騎打ちの勝敗は、今この瞬間に決した。


 たん、と小気味よい音と共にクリフの姿が消え、刹那ほどの間を置いて兵士の背後へ現れ双剣を構え直す。もはやかつての相手へは一瞥もくれず、自らを囲む軍勢を睨んでいる。


 一拍間をおいて、穂の根本から槍が落ち、ずるりと兵士の首が滑り落ちた。


 不意に訪れる、一瞬の静寂。


 それに呼応し、爆発するようにして……武装した人の波がクリフ目掛けて雪崩れ込む。


 ――必ず……! 必ず助けに行くぞ、ネル……!


〈お前は刃である限り、誰にも負けはせんよ。心を捨て、獣のことわりのみに生くる限り、お前は最高の刃でいられるだろうよ〉


「俺は、俺は……!」


 怒涛の様に襲い掛かる敵意の群れに、構えを取って矢の様に突撃する。


 その全身には怒りと恨みが滾っていた。その刃には孤独と悲しみが絶える事なく湧き出し続けていた。


 クリフは今まで、一振りの刃だった。国のため、主の為に振るわれ続ける剣であった。


 心を捨てている限り、何も求めない限り、その斬線が乱れる事は決して無い。


……、決して。


「……お、れ、は……」


 ふらふらと乱れる、二振りの剣。最後の一人を渾身の力を込めて引き裂く様に斬り捨てると、クリフは力なくその場に膝をついた。


 身体には幾本もの矢と剣が突き刺さり、ぎらぎらと獣のようであった眼に生気はもはや欠片も宿っていない。


「ネ……ル……」


 やがてクリフの視界は闇の中へと次第に溶けていき……糸が切れる様に、ぷつんと途絶えた。

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